佐倉 秋の祭り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
280年の歴史を誇る 城下町佐倉の祭り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年(H18)の祭礼は10月13日(金)・14日(土)・15日(日)です | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
市内交通規制 車輌通行止め 午後3時〜10時 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年の天気はどうかなぁ? |
昨年(平成17年)の祭り | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14日 宮小路 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14日 栄町 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14日 宮小路 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平成17年 御神輿渡御 道順並時刻表 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
15日 御旅所での 神輿 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
16日(日)の山車と神輿はこちら | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
六崎の神輿はこちら |
●江戸の御輿を見る 佐倉の祭り(秋祭り) |
地元では特に「秋祭り」とは言わず、ただ「祭り」といっていたはずだがいつの間にか「秋祭り」といわれるようになり、そういう文字も目に付くようになった。どうしてだろう? また、昔は10月の14,15,16日と決まっていたが、いまでは土日をからめて行うようになった。これも時代の変化に対応するためやむを得ないことでしょう。 さて、毎年10月に行われる、市内の秋祭りの中でも最も華やかなのが「佐倉の秋祭り」です。佐倉難子にのって、江戸時代から伝わる大御輿や山車が、旧城下町をダイナミックに練り歩きます。 鏑木町の若者によって麻賀多神社の御輿渡御が行われ、六町(横町・上町・二番町・仲町・肴町・弥勤町)それぞれ趣向を凝らした山車人形が引き回されます。 |
|
佐倉麻賀多神社祭礼 |
祭礼日 10月14日〜16日 鎮座地 鏑木町935 |
江戸時代には、当社は佐倉城鎮の神として崇敬されていた。この社の祭礼を提灯祭と呼ぶのは、神輿供奉する氏子中の提灯が数多いからである。 この祭の中心は何んと言っても神輿である。神輿は享保六年(1721)作で、江戸の職人が佐倉で製作した。この神輿の基をなしたのは、深川永代八幡(現在の富岡八幡宮)の神輿である。現在の江戸神輿と江戸期の江戸神輿とはかなり異ることがわかると思う。まず蕨手の出ているところが異り鳳凰は全く異る。現在この神輿は佐倉市の文化財である。 祭礼に目を転ずると駕輿丁(神輿の舁ぎ手)は全て白丁で輿を舁ぎ、神輿の飾りは全て付けて出御する。美しい神輿をより以上に美しく見せるのは飾り物かもしれない。東京では考えられないことを、この周辺では当り前の事なのである。前にも述べたように美しい物をより美しく見せるのは神輿の持つ原点の一つである。 東京の近くに、江戸神輿の原点、と言うべき麻賀多神社の神輿を見る時いつも考えさせられるのはどうしてだろう。飾綱は緋色なのである。 昼間の渡御、夜の渡御を見続けると自然と疑問が解けるのである。藩主崇敬の祭の基本は江戸祭なのである。付け加えるが江戸山車は、ここ佐倉にもある。 著者 監物 恒夫 「神 輿(1)」 より 1982年5月24日 初版発行 発行所 株式会社 刊々堂出版社 |
毎年10月14・15・16日、佐倉市鏑木の麻賀多神社の秋祭りが行われている。 佐倉市は県北部に位置する田園都市で、東は酒々井町・八街町、南は千葉市・四街道市、西は八千代市に接し、北は印旛沼に面している。おおむね平坦で、海抜30〜40メートルの丘陵・台地が広く分布し、ほぼ中央を北へ流れて印旛沼に注ぐ鹿島川と、その支流の高崎川沿岸には沖積地がひらけている。北部の鹿島川と高崎川の合流した北東側の平らな台地面に佐倉の中心市街が形成されている。 さて、提灯祭であるが、提灯祭と呼ぶのは夜も雑踏をきわめ町中大賑わいをみせるからだといわれる。麻賀多神社は佐倉駅から徒歩約25分のところにあり、創祀の年代は明らかでないが、近世初期、土井利勝が佐倉城を築いてからは、城地鎮護の神として、歴代城主の崇敬を受けて栄えた社である。祭神は稚産霊命といわれる。 同社に所蔵されている紫裾濃胴丸鎧は、県指定文化財で、幕末の甲冑製作者増田明珍頼母介宗家の折紙と、佐倉藩三代目正愛公御着具など墨書銘のある木箱がついている。 この祭りの圧巻は大神輿の渡御と山車の総引きである。 大神輿というのは、享保六年(1721)の二月から九月まで江戸職人を招き、江戸深川八幡の神輿を模して作らせたというもので、台輪は方1メートル47センチ、屋根は方1メートル96センチ、胴は方76センチ、高さ1メートル96センチ、作柄はウルシ、金箔仕上げとなっている。当時の金で三百両かかったという豪華な神輿である。 若い衆の「さあらばさっし みょうじんまつり」を掛声勇ましく、大神輿の渡御は圧巻である。 また、山車は石橋獅子、日本武尊、玉の井、関羽、竹生島、狸狸、八幡太郎などの人形を上に乗せた人形山車で七基あり、この総引きもまた見事なものである。 佐倉市の諏訪神社の秋祭りとともに、北総を代表する秋祭りといえる。 (58・10・22) 著者 中嶋 清一 「房総の祭り」より 発行者 浦辺 恒夫 昭和六十三年二月一日 第一版第一刷 |
●宮出しする麻賀多神社宮神輿 | |
平成16年の秋祭り |
8日 (金) | |
いやぁ・・・残念!! 待ちに待った祭りも初日は雨だぁ! 行いが悪いわけではないのになぁー。 まぁ、明日は天気になるだろう?・・・ それにしても、関係者の皆さん 雨の中ご苦労さまです! |
9日 (土) | ||
きょうは台風のため中止となりました。 祭りの日に台風が来るなんて・・・ 今までこんな事が会っただろうか!? 聞いたことがない。 豊年祭りともいわれ、昔の人の知恵で天気の一番安定しているこの時期に行われてきたはずだが・・・ この台風も地球温暖化による異常気象がもたらしたのか? とにかく、最近の世の中おかしいよ! 明日に期待しましょう・・・ |
||
10日 (日) くもり空 | ||
きょうは台風一過の青空とはならなかった。 曇り空だが、雨は何とか避けられそうだ。 商店街の通りには出店も立ち並び、まずまずといったところ。 ムードづくりには、どうしても山車が必要だ。しかしクライマックスは威勢のいい御輿に出てもらわないと・・・ 夕方5時、儀式を済ませていよいよこれから出陣だ!(左下) 一方、大人がかわいらしい御輿を担ぐのも滑稽だ?(左) |
||
今年のお祭り、お疲れ様でした。 |