2001年
奄美ぐうたら紀(奇?)行 pt.3

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'01/ 8/ 3 実久にて。唄者、ヒロおじさん。
撮影者:quickone

 乗船二日目の朝を迎えた。
 ぐずぐずと起きて、もそもそとカロリーメイトを齧る(ダイエットは一日にしてならず)。シャワーを浴びに行くついでに名瀬港の入港予定時刻を確認する。午前十時四五分。ゆうべ、志布志港の荷役作業をずいぶん長くやってるなと思ったら、またもや遅れに拍車がかかったようだ。
 シャワーを出て、売店でいなり寿司を買って食べ(おお、ダイエットよ…)、「右側に口之島、諏訪之瀬島が見えます」と言うアナウンスに写真を撮りに行き、下船に備えて荷物を整理して時計を見ると、まだ八時半。あ〜と二時間もあるよ〜。うんざりこん。
 三味線でも弾いてようかと思ったけど、着替えと一緒にケースにしまってあるのを取り出すのはめんどっちぃのでやめ。ベッドにひっくり返って本を読んで待つ。

  入港直前。  
'01/ 7/30
フェリーありあけ船上より、立神
撮影者:quickone

 そのうち船員さんが「着きましたよー、下船してくださーい」と呼びに来てくれる。
 エントランス・ホールまで出て行くが、まだ船は立神を通過したばかり。なのに、名瀬下船予定の皆さんは、タラップ前に集まっている。司馬遼太郎の「街道を行く」を読むと、これは日本人の特性なのだそうだ。
 船にしろ、飛行機にしろ、電車にしろ、出発(到着)予定時刻までどれだけ余裕があろうと「準備はじめ」と言われた途端に我先にと突進するのだ、という。この習性(?)は、中国、韓国、台湾、フィリピンといった国々ではまったく見られないらしい。おや、慌て者がいるぞ、と見ると日本人なのだという。復帰直後の沖縄で、この特徴ある光景を目にした司馬氏は、「やはり沖縄の人々は、中国人でも台湾人でもなく日本人なのだ」と微笑ましく思ったらしい。
 もちろんオレはへそ曲がりだから、ちょうど空いていた前部甲板に出て、三ヶ月ぶりの奄美の空気を吸い込んでいる。

  入港直前。  
'01/ 7/30
フェリーありあけ船上より、名瀬港
撮影者:quickone

 奄美にバイトをしに来たと言う八丈島の「潜水士」さんと話しをして(八丈の珊瑚は、壊滅ですわ)いる間に、どうやら接岸したらしい。
 乗客たちのほぼ最後のあたりで三味線ケースを抱えてえっちらおっちら下りて行く。バイクは、荷役係りの人が船倉から降ろしてくれる。荷物を積み直して、暑さにふらつきながら、名瀬市内へ。
 国道58号沿いの三味線店で撥とコマ、薬屋さんでキンカン、ニシムタでバイク用のケミカル小物を購入して、いざ、目指すは古仁屋、加計呂麻である。

 古仁屋では、加計呂麻フェリーの出港まで一時間ほどの空き時間が出来たため、前々からの宿題であった「スナックRIKKI」の写真を撮るため、炎天下の街をさ迷い歩くことにする。
 しかし暑い。オレが出発する前日までの東京は、最高気温38度を記録する日もあるなど、かなり暑かったのだが、奄美の暑さはその比ではない。気温自体は、おそらく33〜4度程(いや、じゅうぶん暑いけどさ)なのだが、陽射しが比較にならない。オレの二、三週間ほど前にアマミノクロウサギ目当てに来ていた友人は、この日差しを「焦げる」と表現していたが、まさにその通り。名瀬から古仁屋までの一時間ちょっとのバイク移動だけで、オレの、Tシャツから出ていた腕は真っ赤になっている。そしてこの古仁屋探検では、ヘルメットという遮蔽物を失ったオレの首から上も、強烈な太陽光線に晒されることになったのだ。
 暑さで視界が狭くなったオレは、公園を挟んだ反対側にある「スナックRIKKI」にまったく気づかず、うろうろとさ迷い続ける。古仁屋と言う町は、はじめて奄美に来た'94年以来、数え切れないほど通過したり買い物をしたりしている町なのだが、こんなふうに表通りから奥へと入ってくるのは初体験と言っていい。
 生活廃水が流れているだろう川で、頭まで浸かって遊んでいる子供がいる。耳にピアスをした、オレンジ色のTシャツの坊主頭の高校生が自転車の立ち漕ぎで走っていく。駄菓子屋の前には、制服の中学生がアイスクリームをつつきながら、ジャニーズのアイドルの事か、同級生の男子の事か、大声で話している。
 水音が、ペダルの音が、嬌声が、一瞬だけオレの耳を通過して、次の瞬間には、また陽射しと静寂があたりを支配する。

  侘び寂び、といいますか。
'01/ 7/30
聖地・スナック リッキ
撮影者:quickone

 この街に、なんでこんなにたくさんの飲み屋があるんだろう、と知る限りの経済理論を持ち出したくなる一角に「スナックRIKKI」はあった。高校生らしい女の子の一群が、自転車で通り過ぎる。反対側から来た、同級生らしい男の子となにやら話している。
 公園では、郵便配達のおじさんとガスの検針のおじさんが陽射しを避けて休憩中。この暑さじゃあね。
 カメラを取り出したオレは、角度や距離を変えて三枚ほど撮影した後、フェリー乗り場に戻ることにした。

 フェリーの出港時間まで、まだ30分ほどある。だらだらと古仁屋の商業地域を眺めながら歩く。
 はじめて来た'94年と比べて、街はずいぶん変貌した。歩道には明るい色のブロックが埋め込まれ、狭い路地が拡げられ、橋の欄干もきれいに塗り直された。木造建築にサッシを捻じ込んでいた商店は、プラスチックとアルミニウムで化粧直しをした店が目立つ。レインボー・ブリッジ(…うーむ)も、まだオレには違和感が強いが、印象の変化には役立っているのだろう。それよりも大きな変化は、街を歩く観光客だろう。
 これまで古仁屋は、島尾敏男の文学作品のファンや、または実際に奄美守備隊としてこの地で終戦を迎えたと思しき人々、あるいはその遺族らが観光客として少なからぬ割合を占めていたようだが、その割合が年々すくなくなっているように見える。まだ七月だということなのか、それとも他の理由があるのか。
 替わって増えたのは、やはりダイバーが多いのだが、どう見てもシマ顔(オレ、古仁屋の女子高生に「東京っぽい顔」って言われた事あるねん)ではないフツーの観光客も増えたような気がする。しかもそれらの観光客は、オレが判断する限りでは、「純粋培養・鹿児島顔」でも「広域・九州顔」でもない、「汎用日本人顔・昭和後期版」に属する顔だ。まぁ、オレもそれの出来の悪いのに分類されるんだけど。

  こちらも入港直前。 
'01/ 7/30
フェリーかけろま、生間港に入港
撮影者:quickone

 うろうろと歩き回って、汗だくになって、干上がった体にペット・ボトルのスポーツ・ドリンクを流し込み、フェリー乗り場横のAコープで買い物をして、フェリーに乗り込む。軽い熱中症か、体温が上がっているのを自覚する。オレにしては珍しい事だが、冷房の効いた客室で椅子にへたり込む。飯を食えば治る。そう自分に暗示を掛ける。
 生間港に着くと、ここ数年来のキャンプ地、実久に向かう。約30km、一時間弱の移動。陽射しはまだ強烈だが、走り出せば、風が心地いい。
 まずは生間から小さな丘を越えて、諸鈍に出る。加計呂麻の西岸沿いを北上して、秋徳、佐知克、於斎とたどり、加計呂麻トンネルを通って瀬相に出る。瀬相からは、大島海峡沿いに、俵、三浦、瀬武、薩川と経由して、実久に到着する。
 入りくんだ海岸線の、各入り江の奥の部分に寄り添うようにして並ぶ集落は、距離は短いながらも曲がりくねった山道で結ばれている。
 オレがはじめて加計呂麻に来たのは、'94年だったか、'95年だったか。当時ダートだった道路は、忘れられたかのように残る一部分を除いて、きれいに舗装されている。
 もちろん、まだ探せばダートはいくらかは残っているのだが、最近の舗装工事の進み具合は、感心するよりも呆れるくらいのペースだ。
 「いったい誰と誰がこの道路を使うんだよ」と石原慎太郎みたいな事を言っていると、珍しく向こうから車がやってくる。6〜7人乗りの小ぶりなミニバンで、医療関係者らしい服装の若い男が運転して、看護婦さんがその隣の席、そして後ろのシートには折り重なるようにしてじいさん、ばあさんがなん人か。車のドアには、「医療法人かけろまXX(ここまで見て取るのが精一杯だった)」。そりゃ舗装も必要だわなぁ。

  ピースしか出来ません  
'01/ 5/ 5
実久名物、マナブ
撮影者:quickone
  

 実久に到着すると、鹿児島から来た大学生(というのは、あとで知った)の一団が浜でくつろいでいるところだった。ラジカセを持参していて、「らるく」だか「ぐれい」だかを大きめのボリュームでかけている。やっぱし大学生くらいだとそういうモンなんだろうな。もうじき最終フェリーだから、そのうちいなくなるだろうと思いつつテントを張っていると、浜沿いの奥の方に移動してしまった。野宿宴会をするらしい。やっぱし大学生くらいだとそういうモンなんだろうな。
 テントを張り終えて、メシの支度をはじめる前に、あれこれ買い出しである。冷蔵庫代わりの発泡スチロール箱と氷、もちろんビールを忘れてはいけない。
 蚊取り線香に火をつけ、米をうるかしている間に三味線を取り出す。なんて練習熱心なんだろう。おっと、その前に缶ビールのプルトップをぷしっ。
 てんてろてんとはじめたら、オクノ・マナブ(瀬戸内町立薩川中学三年生、平成13年度生徒会長。TV出演経験多数。以下、マナブと略)とモリ・ヒロヒト(推定26歳。瀬戸内町森林組合に勤務。薩川中学を卒業後、鹿児島市内の高校に進学。卒業後、福岡、大阪などで働くが、昨冬、加計呂麻にUターン。お嫁さん募集中)が遊びに来た。

マナブ 「また来たなぁ」
 オレ  「おお、ビール飲むか?」
ヒロヒト 「それ、奄美の三味線?」
 オレ  「うん」
ヒロヒト 「どこで習ってるの?」
 オレ  「東京。笠利出身の先生に習ってるんだ」
ヒロヒト 「マナブ、俺たちもヒロうじぃに習わん?」
マナブ 「俺、太鼓習ってるもん、ホノホシ太鼓。それに、ヒロうじぃ、怒ると恐そうだし」
 オレ  「誰だい、ヒロうじぃって?」
マナブ 「すぐそこに住んどる、三味線の上手いおじいちゃん。RIKKIと一緒にテレビにも出たよ。あした、紹介してやる」
 オレ  「おー、頼むぞ」





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