2001年
奄美ぐうたら紀(奇?)行 pt.2

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'01/ 8/ 3 実久にて。唄者、ヒロおじさん。
撮影者:quickone

 朝が来た。
 台風がどうのこうのと言ってるわりに、波もうねりもなく、オレは熟睡の一夜を過ごした。おそらく同じ船室のほかの人々にとっては、オレの鼾と歯軋りで長く苦しい一夜だったのだろう、カーテンで閉ざされた二段ベッドの中からは、穏やかな寝息が聞こえてくる。

 カロリーメイトでもそもそと朝食を済ませたら(ダイエットの道は険しいのだ)、さっそく三味線を片手に、もう片方の手には楽譜とチューナーと文庫本を持って、通路甲板(屋根があり、ベンチがある)に出動です。
 まずは指慣らし。「行きゅんにゃ加那」をゆっくりと弾きはじめる。2回目、3回目、どんどんテンポが速くなる。「そんなに慌てて弾かなくてもいいんだよ」と、しょっちゅう言われているのだが、一人で弾くと必ずテンポが上がってしまう。
 よーしわかった。それならそれで、こちらにも考えがある。どこまで早く弾けるのか、自分の限界を試してやろう。「行きゅんにゃ加那」パンク・バージョンだ。行くぜ!てんてろてんてろてんてろてろれろてんてろてろれろれんてんてんてん。
 五回も繰り返すと飽きてきたので、今度は極端に緩急を付けたり、思い付きで半拍ほど止めてみたりとでたらめをやってみる。「行きゅんにゃ加那」ラウンジ・バージョン、とでも呼ぼうか。
 いーきゅんにゃ、くわぁ、ぬぁー、わきゃあくぅぅとぅぅ、わ、しぃりぃてぃ、いいきゅんにゃ、くわぁあぁあぁぬぁー。

 そんなふうに遊んで(ちがう、練習だ)いると、いろんな人が甲板を通る。2メートルほど離れた隣のベンチで女の子が雑誌を読みはじめた時には、オレもかなり熱が入ったのだが、いかんせんレパートリーが足りない。いーやそんなことはない、心だよ、君の心が三味線の音を変えるんだ。おお、そうか、そうだったのか!よぉし、やるぞォ!と気合を入れ直した瞬間、いつのまにか目に前にウンコ座りしていたお兄ちゃんが、「それ、なんて曲ッすかぁ?」。
 うるせーばーろー、あっち行け!なんて口が裂けても言えないほど心の広いオレは、「いま弾いているのは、行きゅんにゃ加那といって奄美大島の唄なんです」と応える。「奄美の人ッすかぁ?」、「いいえ、東京です(ホントは静岡県産なんだけど、めんどっちぃからね)」、「十九の春は弾けるんすかぁ?」(ちゅらさんオソルベシ、ですな)、「習いはじめたばかりだから、そらで弾けるのはこの曲だけです」、「ふーん」。
 そんなやり取りの間に女の子はいなくなる。がっかりしたオレは、ふたたび「よいすら」に取り掛かる。お兄ちゃんは、聞くべき事をすべて聞き終えて満足したのか、手すりにもたれて海を眺めている。「よいすら」は遅々としてはかどらない。雨が降り出して、朝の練習は一時間弱で終了。
 昼ごろ、オレが二段ベッドで本を読んでいる間に雨は上がり、塞がっていた通路甲板のベンチも空いたので、昼飯のカロリーメイト(ダイエットの道は険しいのだよ)とともに出動する。
 また指慣らしの「行きゅんにゃ加那」からはじめる。あれ、さっきよりも下手になっているぞ。
 いったん運指の練習まで戻り、五分ほど、ずんでんぢんぢゃんじんてんたんちんぴん、ぴんちんたんてんじんぢゃんぢんでんずん、と繰り返す。返しの撥も入れて、ずれんでれんぢれん…。指の弾きも練習しよう。ぢょりん、ちぇりぇん、ちぇらん。
 こんどは、「よいすら」だ。本日に入って、進歩なし。気が短いオレは、十分ほどで嫌になる。「行きゅんにゃ加那」にまた戻すが、今朝より下手くそ状態は相変わらずだ。それでまた「よいすら」、飽きて「行きゅんにゃ加那」、五分交代位のペースで繰り返す。こんなんで上達する訳ないよな。

 前夜、船室に戻った時に、唄の学習用に持ってきた「くるだんど/中孝介」、「故郷 美ら 思い/元ちとせ」あたりを聴いときゃよかったんだが、なにせ楽しみにしてきた旅の初日である、二本目のビールのプルトップを引っ張ったその手で選んだのは、「BRUCE SPRINGSTEAN The Greatest Hits」で、78分かそこらの全曲を聴き通した後に、「BORN IN THE U.S.A.」と「BADLANDS」をリピートで聴いて、「やっぱ旅の初日はこうでなきゃな」と幸せな気分で寝ついたのだ。

 しかし、なんで最近のCDは、こんなに長いんだ?
 オレは、外人(いや、適当な呼び方が見つからなくって…)のCDは、出来るだけ輸入盤で買うことにしている。これは値段の問題もさる事ながら、日本盤は妙なおまけのトラックが必ず入っているのが気に入らないんだよな。
 曰く、日本未発売曲。曰く、ライブ・バージョン。曰く、リミックス・バージョン。曰く、カラオケ・バージョン。曰く、レア・トラック。もうええちゅーに、と言いたくなるようなおまけがこれでもか、と入っている。子供じゃないんだからさ、おまけ目当てに買うような馬鹿だと思われてんのかね、と抗議したくなるんだが、このおまけが案外、霊験あらたからしい。
 なにしろ輸入盤は安い。日本盤も必死の値下げで頑張っているのだが、それでも200円ほど安く売られている。再販価格指定商品ではないから、ちょっと売れ残ると「ワゴン内の商品、980円均一セール!」とか言って投げ売りしてる。オレは、これでジョー・コッカー、Dr.ジョン、ピーター・ウルフ、いろいろ安く買ってるんで、とてもありがたい。
 日本盤は、その対抗措置として、オリジナル・アルバムには入っていないおまけの曲を入れているのだ。昔は等身大ポスターだとか、カレンダーだとかがおまけになっていたんだが、別に貰ってもなぁ、みたいなのが多いかったんで、あんまし効果なかったんだろうな。
 まぁ、確かに英米のオリジナル盤が10曲で、日本盤は「先行シングルのカップリング曲と、マギー・ハローによるリミックス・バージョンその他を加えて全14曲入り!」とかいわれると、「お買い得かなぁ…」という気にもなる。いやしかし…。

  島の名前は、わかりません。
'01/ 7/30
フェリーありあけ船上より、吐火羅列島をのぞむ
撮影者:quickone

 イーグルスというアメリカのロック・バンドが「Hotel California」というアルバムを'79年頃に発表している。「世界中のみんながカリフォルニアを楽園だと思ってるみたいだけんど、実はもう、カリフォルニアは瀕死の重病人なんだよん」というテーマのアルバムである。
 タイトル曲の「Hotel California」(ワインをくれ、という客に”ここには'69年からスピリッツ[強い酒:魂]はありません”)にはじまって、「Life in the Fast Lane」(マトモな頭じゃ生きていけない)、そして「The Last Resort」(みんなここを楽園だって言うけど、俺はもうごめんだね)で終わる。おまけが入る余地はない。もちろん、いま売ってる日本盤にもおまけは入っていない。はずだ。

 なにが言いたいんだ、おまえは。という声が聞こえてきそうなので、先を急ごう。
 名瀬市に「ホテル・カリフォルニア」という名前のホテル(?)があったんでびっくりしたのだ。
 いや、ちがう。あの、ギャグですからね。落ち着いてくださいね。ホテルも、この目では見ておりません。…見てくりゃ良かったな。

 「くるだんど/中孝介」 全16曲。55分54秒。
 「ATARI/中孝介」 全14曲。43分11秒。
 「アイランド・ガール/中村瑞希」 全16曲。41分57秒。
 「うたの果実/中村瑞希」 全16曲。42分07秒。
 「うふくんでーた/牧丘奈美」 全16曲。50分18秒。
以上、発売元ジャバラ・レーベル。
 「故郷 美ら 思い/元ちとせ」 全22曲。78分20秒。
発売元セントラル楽器。

 ジャバラの5枚は、収録時間は、まぁ普通のCDと思ってもいいだろう。オレが困ってるのは、曲数である。トラック数である。中村瑞希の二枚は、いろいろとアレンジしているからまだいいとして、中孝介の二枚は、ほとんど素直に演奏してんのに収録曲はかぶってるのが多いっちゅうのは、こりゃどういう訳じゃい。
 「うふくんでーた/牧丘奈美」に至っては、これは、あれか?「これだけ唄えるようになりました」ってことか?
 「故郷 美ら 思い/元ちとせ」に関する限り、そうとしか考えられない。なんとか賞の受賞記念盤だし。

 最近は、一枚を通して聴くこともほとんど無くなり(瑞希ちゃんは別。瑞希ちゃ〜んlove!)、三味線教室の予習復習に聴く程度なんだが、ジャケットや歌詞カードのずら〜っと並んだ曲目を見るたびに「観光地のお土産じゃないんだから…」と肩を落とすんだよな。
 「たくさん入っているから、お買い得」と考えるのは、人情ってもんだけど、ホントにそれでいいのかい?
 「朝ばな」ではじまるのはお約束だとしても、「行きゅんにゃ加那」や「曲りょ高頂」(どっちも恋の唄でしょ)と「黒だんど」(教訓の唄?)が同居するのは、オレにはよくわかんないんだけどなぁ。アルバムのバリエーションとして、いろいろぶち込みたくなるのは判るんだけど、これがそういう理由で同居しているとは思えないオレは、やっぱり心の狭い嫌な奴なんだべか?

 一曲、一曲が短いから、普通のCDとしての体裁を整えるために収録曲数が多くなる。(<よく唄われる歌詞をちょこちょこっと唄うだけだからじゃないの?)
 三味線は、音域が狭い楽器なので、長く演奏すると単調になるから、短くした。(ちゃんと録音して、それなりの音量で聴けば、単調にはなりません。これは、人間が演奏しさえすれば、どんな楽器でも一緒)
 最低限の利潤を確保するために、それなりの価格を付けねばならず、価格に見合った演奏時間を確保するために曲数を増やした。(<頑張っているのは判ってます)
 若い唄者は日進月歩で進化していくので、その時々の記録として残せる限り残したい。(<ごめん、オレが悪かった)

 思いつくままに理由を上げてみたが、じっさいのところ、どうなんだろう。たぶん、オレが思いつく程度のことは、すべての理由の半分にも満たないと思うんだけど。まぁ、つらつらとこんなしょうもないことを考え続けられるのも、行動が制限される船旅の利点か。

 トイレに行ったり、ビールを飲んだりで中断しつつ、「行きゅんにゃ加那」と「よいすら」の繰り返しは続く。誰からも誉められず、誰からも怒られず、まるで宮沢賢治のようなオレである。

 結局、その日一日、オレの「よいすら節」には何の進展もなかった。





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