2001年
奄美ぐうたら紀(奇?)行 pt.1

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'01/ 8/ 3 実久にて。唄者、ヒロおじさん。
撮影者:quickone

 今回は、半年に一度のプロジェクトが一段落した直後のため、比較的はやい時期に休暇が取りやすい条件が整っている。JTBの時刻表を見ると、うまい具合にこちらが休暇を取れる日程で東京・那覇間の便が取れる。三味線教室仲間である某旅行代理店のれいちゃんに聞くと乗船券は二割引にしてくれるとのこと。大島運輸の船内のメシは値段と味のギャップにおいて日々記録を更新中だが、なに、どうせ不味いんならカロリーメイトを持っていけばいいのだ。ちょうどダイエットにもなるし。
 あちこちから得た情報によれば、オレの滞在期間中に名瀬のお祭りがあるらしい。ふ〜ん。かまうもんか。人ごみが嫌いで奄美の加計呂麻までキャンプに行くのだ。わし関係ないもんね。なに、中孝介と中村瑞希のライブもあるんだと?!…み、瑞希ちゃん…。
 あとは気になるのは台風だが、これは考えても仕方がない。ただ、'98年のGWに加計呂麻滞在四日間のうち三日を雨に降られて以来、同年夏、'00年の春・夏、今年のGWと雨らしい雨に遭遇していないオレは、頭から自分の幸運を信じている。本州が猛暑だ酷暑だと言っている時期は、太平洋高気圧の力が強いので、台風は台湾・八重山方面から中国へのルートをたどることになっているのだ。だから船旅の場合は、たいてい奄美まではすんなり行けて、そこから沖縄までがたいへんなのだ。どうだまいったか、と誰にともなく見得を切って、荷造りをはじめる。
 バイクに三味線を積んでいこうか、郵パックの局留めで送ろうかと迷ったが、ちょうど新宿でやっていた「沖縄物産展」でアルミ製の三線ケースを購入。二丁ケースなのであまった隙間に着替えを入れてスーツケース代わりに利用する。これでコケても大丈夫。
 三味線教室仲間でもあるヤマトンチュ氏も、日程的に重なる時期に奥様の里帰りに同行して奄美に行くとのことで、名瀬の「かずみ」での再会を約しての出発となった。

  けっこう急な登りなのだ。  
'01/ 7/29
フェリーありあけには、
タラップを上って乗船します。
撮影者:quickone

 出発日は朝から曇天。東京港のフェリー埠頭である有明埠頭に着くと、台風の影響で前便の到着が遅れ、出港遅延が発表されている。
 ふん。それがどうした。乗りさえすりゃあこっちのもんじゃい。
 出港時刻未定ながら乗船開始となり、三味線を抱えて乗り込んだオレは、予約した二等寝台のベッドに荷物を置くと、オリオン・ビールで勢いをつけて三味線片手に甲板へ。お台場の巨大な観覧車に向かって「行きゅんにゃ加那」から弾いてみる。うーむ、エクセレント。二十分ほど続けて繰り返し弾いたが、一回につき三つくらいしか間違えずに弾けた。おおよそ完璧といっていいだろう。他人に厳しく自分に甘いオレである。
 いいかげん自分でも飽きてきたので、「よいすら節」に切り替える。こっちはまだ楽譜(森田式)がないとまったく弾けない。風が強いので、ひざと三味線の間に楽譜をはさんで、うん、まぁよかろう。
 今回の休暇中の目標は、この「よいすら」を楽譜を見ずに弾けるようになることで、いちおう「くるだんど」、「らんかん橋」の楽譜も荷物には入れてあるのだが、たぶん見ずに持ち帰ることになるだろう。「いきゅんにゃ加那」では、甲板に出てくるガキんちょにあかんべをする余裕があったのだが、「よいすら」はそんな余裕はない。うーむ、難しい。
 しかし、なんでこんなに難しいんだ、と考えるまでもなく正当な理由が思い浮かぶ。
 唄がわかっていないのだ。

 「いきゅんにゃ加那」は、RIKKIのCDでおそらく数十回は聴いていたに違いない。さらに三味線を習い始めて、一時は通勤電車内でこの曲だけをリピートして聴きつづけていたので、さすがのオレでも記憶できたのだが、「よいすら」をはじめた頃からは、無意識のうちに日常において聴く音楽から奄美島唄を外している。
 酷い島唄ファンもいたものだとあきれたり怒ったりする方もいるだろうが、日常生活において、多種多様なCDの中から奄美島唄を選択して聴き続けるというのは、オレにとっては結構ヘビーな作業なのだ。

 責任転嫁はオレのもっとも得意な技のひとつなのだが、オレが所有している島唄のCDは、「くるだんど/中孝介」、「ATARI/中孝介」、「アイランド・ガール/中村瑞希」と、非常に少ない。正直にいって、これらの発売元であるジャバラレーベルの録音というのは、オレの好みとしては勘弁してもらいたい音作りである。
 ナニを言うか、ちゃんと聴こえるじゃないかというアナタ、ためしに満員電車に乗ってディスクマンでこれらのCDを聴いてみてちょうだい。一音一音ちゃんと聞き取りたかったら、かなりの音量になって、難聴一直線である。軽度のストレス性難聴に罹ったことがあるオレが言うのだから間違いない。
 島唄は癒しの音楽であるなんて言ってたら耳が壊れちゃったなんて、ばかもいいとこである。
 またばかが八つ当たりしおってなんて言われると悔しいので(確かに八つ当たりっぽいな)、これらのCDを高性能なオーディオ・システムで大音量で聴くと、たいていの人が腰を抜かしそうな音が再生できることはここで認めておく。ちなみにうちのオーディオ・システムは、購入後十五年ほど経っているが、席数100程度の小劇場でそのままPAとして使用可能なセミ・プロ用システムである。ところが、あまりに高性能すぎて、週末の午後以外は満足のいくような音量を出せないのだ。いきおい、メインの再生装置はディスクマンとPC付属のCDプレイヤーになる。
 戦艦大和みてぇだよな。世界最大の主砲があっても、相手がヒコーキばっかしで結局、機関銃しか使えなかったっていう…。
 結局、プロデューサー森田氏のジャズ/クラシック愛好家に多く見られる原音追及主義がこの音作りに出てるんだろうな。個人レーベルなんだから、それはそれでいいって主張もあるだろうどさ、それって選択の許される世界での話なんだよな。奄美の島唄をCDで聴きたかったら、ジャバラ・レーベルかセントラル楽器に頼るしかないのが我々が住むこの世界の現実なのだ。もちろん、奄美島唄が売れまくって、所謂メジャーレーベルが競って中村瑞希のCDを発売すれば、ディスクマンでもストレスなく聴ける中村瑞希のCDをオレは手に入れることができるのだが…。
 ついでなので、ジャバラレーベルへの苦言をもうひとつ。中村瑞希のCD「うたの果実」の、このCDジャケットのデザインはなんなんだ!「アイランドガール」のジャケットも私の周りでは「実物は百倍、いや千倍かわいい!」との声が上がっていたのだが、今回はもうみんな怒ってるぞ。裏ジャケに使われている写真を表側に持ってくるだけで、売上は20〜30%上がるはずだ。もう頼むよ。

 問題点が判ったところで、再度、「よいすら節」を弾きはじめる。
 でぇんでんずんじんたかたんたかたんたか、たぁんてんちんてれつるてんてろてんてろ…。最初のフレーズはよし。次が、えーと、でぇんでんずんじんたかたんたかたんたか、までは同じで、たぁんてんちんてれつるてん、も同じで、そっから、てんてんちんちんちん、になるんだよな(<幼稚園児の会話みてぇだな)。
 ところが、曲の後半でもう一度、でぇんでんずんじんたか…が出てくると、こっちは違う展開になって、おまけに上の句と下の句で言葉数が違うから下の句ではすぐに頭に戻って、でぇんでんずん…。
 う〜、頭が混乱する…。
 三ヶ月先輩に当たるヤマトンチュ氏は、
「すらよーおーいーよーおいよー、のところの音数が難しいんだよ」
と言っていたのだが、オレはそこんとこはどうっちゅうことなかったんだ。座りのいい音数ってのがやはりあるわけで、それは唄を憶えてないせいで却って音だけに集中できたから混乱が避けられたのかもしれない。
 ところが、唄知らずの無免許運転で突入してしまうと、ある展開から次の展開へのつながりが想像すらできない。

 オレは、奄美の島唄の一方でアフリカのポップ・ミュージックを愛聴しているのだが、あちらの音楽の魅力は、なんと言ってもグルーヴ感にある。一聴するとなんだかごちゃごちゃと複雑な音の羅列に聴こえるのだが、細かく聴くと、恐ろしく単純なフレーズの繰り返しで出来ているのだ。
 おそらく楽譜を見れば(そんなもんがあれば)、どんな音符よりもくり返し記号が目立つものに違いあるまい。アフリカのポップ・ミュージックには演奏時間が8分、10分なんてのがざらにあるのだが、こうした単純なフレーズが執拗に繰り返されることによって、独特なグルーヴが生み出されているのだ。逆説的に言えば、グルーヴを生み出し、それに浸るためにアフリカのポップ・ミュージックは、時には一曲あたり25分(驚いてはいけない。レコード盤に収めるために、これでも切り詰めたのだという説がある)という音楽が生み出されるようになったのかもしれない。

 さて、また「よいすら」に戻るが、こちらは単純な繰り返しではない。曲も短い。
 。「よいすら」が単純な繰り返しでなくて曲も短いのは、奄美の島唄が「唄遊び」によって生まれ、成立していった過程によるものだろう。8・8・8・6の言葉に合わせたメロディーそのものがフレーズとして繰り返され、次の8・8・8・6、さらに次の8・8・8・6へと繰り返されていく。それも一人が発する8・8・8・6ではなくて、複数の人間が互いに掛け合う形での即興で8・8・8・6が繰り返されていく。
 掛け合いの連続性を保つために、伴奏たる三味線は、一つの8・8・8・6の形を忠実に再現し続けなくてはならないし、また、聴く者、あるいは唄う者に対して8・8・8・6のどの部分に当たるかを示す必要があるのだ。
 だって、ちょっと御叱呼に行ってきたやつが、いまどの辺だろうなんて悩むようじゃ困るもんね。
 唄う側だって、頭に血が上って、8・8・8・6を8・6・8…なんてやったら興覚めじゃありませんか。
 もしかしたら、現代人が一番、二番と呼ぶ意識は、奄美の島唄には無縁のものかもしれない。

  右端がオレのバイク。  
'01/ 7/29
バイクは、係りの人が載せてくれます。
撮影者:quickone

 むかーし、中学や高校の古文の時間に俳句(あ、こっちは現国だったか)と短歌ってのを習ったのだが、その中でちょいと「和歌」について触れていたはずだ。四半世紀近く経過しているので、もうすっかり忘れ切っているんだが、たしか「和歌」というのは、5・7・5と7・7を基本単位として、最後の7・7がキマりさえすれば(正しい言い方があるんだろうけどさ)何度でも繰り返していいというルールだったはずだ。
 セピア色の記憶をたどれば(ここ、笑うとこね)、万葉集が編纂される(危ねー、発売されるって書きそうになった)頃までは、和歌が人気の中心で、その後の平安時代に短歌がノシてきたとか、そんな話を聞いたか読んだかした記憶がある。
 もっとも和歌は「押されてぇ消えた」(安里屋ユンタの節で)のではなく、連歌という形で江戸初期までは人気種目として生き残っていたようである。
 連歌というのは、一つのお題を巡って複数の参加者がそれぞれ5・7・5を繰り出し、お互いに詩想を傾け合って楽しむという、これも平安時代の貴族の遊びである。審判役が一人いて、お題と最初の一句(5・7・5)と最後の句(7・7)を出すことになっている(鵜呑みにしないでね〜。怪しい記憶の寄せ集めだよん)。

 連歌は、貴族ぶりっこをしたかった戦国大名にも好かれたらしく、オレの田舎の静岡には、今川義元(織田信長にやられたあの人ね)が京都から落ちぶれてきた貴族を集めて連歌の会をやったっていうお寺が残ってるらしい。
 種子島の種子島家あたりは、やってるだろうな。
 奄美にそういう貴族が来たとは考えられない(平家の落人が来たっていうのは、もうちょっと前の話だ)が、掛け合いの唄を楽しむという「文化」は、人づてに伝わっているはずだ。作家の池澤夏樹のエッセイにこんな一文があった。
「海は、人と人を隔てるものではなく、むしろ繋げる働きをするものである」

 そーかー、8・8・8・6かー。納得したオレは、甲板を照らし出す明かりを頼りに楽譜の歌詞に目を凝らした。
 むむむむむむ…。ふにのたかどもに、8文字だな。よいすらー、4文字?5文字か?
 …だめだコリャ。
 寒さに手が強張ってきたのもあって、オレは船内に戻ることにした。

 船内の食堂でカツ・カレー(サラダを付けて950円也)を食っていると、船が動き出した。20時30分。予定を一時間半、遅れての出港だった。






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