2003年奄美二日酔い紀行:2

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フェリー加計呂麻を彩る絵

 4/29(火・みどりの日) つづき


 加計呂麻フェリーは、すでに車両甲板の入り口を開け、積みこみをはじめている。係りのお兄ちゃんに乗っていいか、と身振りで伝えると、OKの合図。誘導に従って中でUターンして入り口脇にバイクを止める。メットをハンドルに引っ掛け、奥に歩いて料金を払う。二階デッキに上がって背負ったデイパックやウェストバッグを下ろし、自販機で飲み物を買おうとして、その絵に気づいた。
 「この絵って、前からあったっけ?」記憶にない。たしか、瀬戸内町の絵地図があったような気がするが…。
 なんだか字が書いてあるのでよく見ると…。ほほう、これは写真を撮って帰ったほうがいいかな。とくに左隅の部分は。
 そんなわけで、上の絵の左隅の写真を載せておきます。

フェリーかけろま
'01/春
加計呂麻島にて。
撮影者:quickone


 船が出発後、携帯のメールをチェックする。おっ、昨夜のうちに一件来てる。Lさんからだ。ナニナニ、「本日、古仁屋入りしています。明日の朝、徳之島へ船で渡ります」あらら、なあんだ、すぐそこに居たのか。加計呂麻に荷物を下ろしたら、また古仁屋に戻るから、そのとき連絡しよう。

 瀬相港に着き、ふたたびバイクにまたがり、走り出そうとするとオレに手を振るやつがいる。それも地べたに座り込み、いかにも大儀そうにだらだらと手を振っている。こういう奴は一人しかいない。バイクを止めてよく見ると、やはりマナブだ。
「おまえ、どこに行くつもりだ」
「えへへー、古仁屋に行く」
「行くな。バスに乗って帰れ」
「いやだ」
「古仁屋に行ってもなんにもいいことないぞ」
「あるよぉ。えへへー」
 いつまでも相手にしていても仕方がないので、「じゃあ後でな」と言って別れる。

 今回も、野営地は加計呂麻島の北端の集落、実久だ。着くと、先客がいる。黄色のハーレーにテントが一張り。
 荷物を下ろしながら挨拶をする。どこかで会ったような気がする。向こうも同じ気持ちだったのだろう、「去年も来てましたよね」と言う。なあんだ、ここで会ったのか。
「これから本島に移動します」という彼に、
「大浜もヤドリ浜も、かなり人が来てるみたいですよ」と言うと、かなり動揺していたみたいだったが、
「やっぱり行きます」と言う。う〜ん、淋しくなるなぁ。
 そんなことをしゃべりながらテントを張り終えた頃に、はらはらと雨が降ってきた。
 名瀬港からここまで、幸いなことにまったく雨に遭わずに来れたのだが、「春の奄美は一年おきに天気が悪い」というオレのジンクスは健在のようだ。
 テントを張り終えたら古仁屋に買出しに行くつもりだったが、雨は止む気配もない。それでも黄色のハーレー氏は、テキパキとパッキングを終えると、
「それじゃ」と言って走り去ってしまった。
 はらはらと弱く、今にもやみそうに、しかしそれでも降り続く雨を見ながら、ぐずぐずと悩んでいると、ちょうど帰省中の民宿兼雑貨屋の息子ヒロアキ(20歳くらい)がちゃりでやってくる。これからゲートボールだという。近所のお年寄りの対戦相手になってやるわけだ。草の根の福祉ってのは、こういうことをいうのだろうか。
「お前んち、蚊取り線香、あるか?」
「あるある、当然」
「50本入りの、あのオイル缶みたいなのはダメだぞ(注1)
「え〜、なんでぇ?」
「今回は、二泊三日しか居られないんだ。10本でも余る。しゃあない、古仁屋に行くか」
「そうそう、新しい船が出来たんだよ、古仁屋と瀬相の連絡船」
「へぇ〜」
「片道300円、安いでしょ。時刻表、あげようか?」
「フェリーかけろまは、350円だったな」
「でも、人だけだからね」
「じゃあ、いいや。バイクで移動することもあるから、フェリーで行くわ」
 思えば勿体無いことをしたものである。時刻表だけでも貰っておけばよかった。
「ところでさ、そこのバイクの人ってどこにいるワケ?」
 言われてはじめて気がついたが、バス停の陰にカワサキのスーパー・シェルパとヤマハのセローが停めてある。
「キャンプしてるのは、さっきまで居たハーレーの人だけだよな。お前んちに泊まってるんじゃないのか?」
「うち?うちは開店休業中。干上がってます」
「バンガローも閉まってたよな」
「ケンムンだったりして」

ちょっと古いけどね。
'01/ 5/ 4
左側の草原が、ゲートボール場になった
撮影者:quickone

 そんなことを話していると、雨が上がる。オレは古仁屋に買出しに、ヒロアキはゲートボール場に勝利を求めて、それそれ出掛けることにした。

 再び船上の人となって、向かうは古仁屋。船を降りると、とりあえずスーパーは後回しにして、Nさんのお店に向かう。このNさんという人は、「奄美大島大好きメーリングリスト」(以下、奄美MLと略)というMLを運営している他、地元の児童に空手を教え(なんと、地元出身の超有名人にも教えたことがある!)、その一方でバンドを組んでいるというマルチ・タレントなのである(見た目はオッサンなんだが)。
 Nさんとはじめて会ったのは、2001年の夏、例によって加計呂麻に行こうと奄美に向かう前に、「奄美ML」に「これから行きます」と送ってみたら、「うちに寄らない?ビールをあげよう」と直メが来たのだ。そういう、モノに釣られ易いことがもはや信条ともなっているオレだけに、この誘いには一も二もなくとびつくことにした。
 翌2002年にもビールを貰い、「これからは足を向けて寝られないぞ」とか思っていたら、「今回はいっしょに飲みに行こう」というお誘いをいただき、「RIKKIちゃんのお母さんのお店に連れてって」というリクエストを添えて、お招きにあずかることにしたのだ。
 さて、話としては決まったのだが、当夜、どこに泊まるかというのが問題である。ナニしろ、オレの野営地である実久からNさん宅のある古仁屋までは、途中に加計呂麻海峡が横たわり、ちょっとやそっとでは行き来ができない仕組みになっている。つー事は、その日は実久のキャンプを引き払って、古仁屋のある大島側に移動しなくてはならないのだ。おまけに、酒は大好きだが量は飲めない、飲んだら最後、自転車だって運転は危険だというオレのことだから、古仁屋、もしくはそのすぐ近くに泊まるところを確保しなくてはならない。さあどうしましょ、とかいう点も含めて「ご相談」にあがる、というのがこの日のNさんのお店訪問の目的なのだ。
 お店に着くと、Nさんは、「やあ、いらっしゃい」と歓迎してくれる。「うちで飲もう。しずの姉さん(注2)も来てくれるって言うから。うちのヨメさんも鶏飯(けいはん)つくるって言ってるし」おー、それはスゴい。「それとさ、どうせならオフ会にしようってMLに出したら、sundayさんて人が来るって言ってんだけど、知ってる?」ほえ?ぞ、存じ上げましぇん。古仁屋で知ってる人は、Nさんと土産物屋の伊藤商店のオヤジさんだけです。「そーだよなー。小さな町だから、会えば判ると思うんだけどさ」う〜ん、それでなくても顔が広そうなひとだしな。「で、泊まるとこだけどさ、ここにしよっか」うわ、いいんですかい、それ?「ここなら飲み屋街も近いしな」
 つーワケで、宿泊問題は、一挙に解決。
 ほっとしつつLさんに電話をしたら、「いま、古仁屋を出る船に乗ってます」だって。まぁいいさ、名瀬で再会を約して電話を切る。
 そういえば、今朝は四時に起きて以来、まだまともなメシを食っていない。「そんじゃあさって」ということで、Nさんのお店を失礼した。

 メシ屋を求めて古仁屋の街を15分ほど歩き回るが、結局、Nさんのお店から歩いて1分の「ばしゃん葉」で豚骨定食を食べる。熱い、暑い、美味い。ご主人も女将さんも、ちーとも愛想のない人だが、美味いものは美味い。
 A-COOPで買出しを済ませ、みたび船上の人となって実久に戻る。

 ヒロアキんちでビールと氷を買い込み、三味線を取り出してぺんぺんと弾いていると、ヒロヒトがやってくる。

ヒロヒト 「ひさしぶり〜、マナブに会った?」
 オレ  「けさ、瀬相ですれ違った。学校でもないのに、なんで古仁屋に行くんだ?」
ヒロヒト 「携帯、かけに行くのよ」
 オレ  「携帯?そんなもの持ったって、ここじゃ繋がらないだろうが」
ヒロヒト 「だから、古仁屋に行ってかけるのよ」
 オレ  「アタマ痛くなってきた」
ヒロヒト 「あいつ最近、メル友が出来てね」
 オレ  「はあ…」
ヒロヒト 「古仁屋にメールを送りに行くわけよ。写メール」
 オレ  「Jフォンじゃ、薩川だって繋がらないもんなぁ」
ヒロヒト 「あいつもすっかり古仁屋っちゅになっちゃって。おれと二人で、実久を守って行こうなって誓ったのに」
 オレ  「うひゃひゃひゃ」
ヒロヒト 「でも、おれらに守られても、実久も困るじゃろね」
 オレ  「ぎゃははははは」
ヒロヒト 「おれ、あさってで仕事が終わりなのよ、七月まで夏休み」
 オレ  「お〜、羨ましい」
ヒロヒト 「じゃあ、またね」

 メシの支度をしていると、マナブが帰ってくる。ちょうどいい。昼飯が遅かったから、腹が減っていない。こいつに半分食わせよう。

 オレ  「おー、携帯、買ったんだって?」
マナブ 「わん(注3)ね、彼女が出来ちゃった」
 オレ  「なぬ?」
マナブ 「名瀬の子。えへへ〜」
 オレ  「それは、みんなに知らせてやらんといかんな。よし、インターネットで全世界に広めてやろう」
マナブ 「やめれ〜、そんなことすんな〜!」
 オレ  「馬鹿め、オレに知られたのが運の尽きだと思え。メシ、半分食うか?」
マナブ 「うん。食う食う」

 あい変わらず食い物に弱い奴だ。

マナブ 「わん、こないだ怪我をしちってさ。足の指の骨にヒビがはいっちったのよ」
 オレ  「よしよし、後で踏んでやろう」
マナブ 「やめれ〜、怪我人をいじめるな〜。それでね、さ来週に、ウェイト・リフティングの試合があるのよ。負けたら、先輩に食らわされる(注4)かもしれん」
 オレ  「自己管理が出来てないってか」
マナブ 「そうそう。あー、うまかった、ごっそさん!」
 オレ  「こらこら、洗い物くらいしていけ」
マナブ 「うんうん、任せなさい。わんね、兄キたちに使われて、洗い物とおつかいは神の領域に達してるのよ。なんで兄キって、ああ人使いが荒いかねぇ?」

 マナブが帰った後、オレは食後のビールを飲み、ほんのちょっとだけ三味線を弾いてから、寝ることにした。





注1.
これである。一本のサイズも普通のやつよりデカい。さすがは亜熱帯の奄美大島。古仁屋では、普通に売っている。10本、20本入りを見つける方が難しい。

アース渦巻香 ジャンボ缶 50巻缶入





注2.
Nさんの地元、瀬戸内町古仁屋の民謡名人。オレの師匠、森田照史によれば、
 「(元)ちとせの先生といえば、中野豊成さんが有名だけどね、(永井)しずのと、あれの旦那もずいぶん、ちとせに教えてるはずだよ。唄い方がそっくりよ」。
 ちなみに、オレにはよく判らん…。
 永井しずのさんは、自主制作CDも出している。試聴は、こちら。問い合わせは、コチラにどうぞ。




注3.
奄美大島の方言で、私、の意味。「吾ん」という字がよく当てられる。
 ちなみに、あなたは「なん」で、「汝ん」という字が当てられることが多い。
 こうした言い方は、室町時代の日本語が色濃く残っているためだという。




注4.
殴られる、の意味。



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