小説「まもって守護月天!」(知教空天楊明推参!外伝)


その2『遠い日の楊明』

都の通りが、たくさんの人々でにぎわっている。
商売のために声を張り上げる人や、それにひかれて立ち止まる人。
やや急ぎ気味にその前を通り過ぎる人。ぺちゃくちゃとお喋りをしながら歩く女性達。
まさに活気あふれた都、そういう感じである。
その中に、こそこそと動く少女の姿があった。年は十歳ちょっとくらいだろうか。
周りと比べるといかにもみすぼらしい、つぎはぎだらけの服を着ている。
顔はごく普通という感じだが、どこか恐怖感を抱いているようだった。
辺りをきょろきょろと気にしながら、店頭に立ち並ぶ民衆の間に入り込む。
そしてそおっと前の方を覗きこんだ。
店頭では、商売人が大きな声で品物を紹介している。
手に持っているのは黒く薄汚れた一冊の本であった。
「さあさあ、これは珍しいよ!なんと大いなる知恵が授かるという代物だ!
こんな本は大陸中探してもただ一つ!これをなんとたったの500文で売ってやるぜ!!」
最初は真剣に聞いていた客達だったが、500文という値段で苦笑いとなった。
見た目から怪しい本に、そんな大金をわざわざ払う者はいないだろう。
しかしその客達の中から、一人の男がすっと前へ出た。
身なりも周囲の人達と比べて一回り立派で、いかにもお金持ちという感じである。
「私がそれをもらおう。500文で良いのだったな。」
「はいっ、さすがは趙高さま。ささっ、お受け取りください。」
「うむ。」
大金の入った袋と交換する趙高。“さま”付けで呼ばれたものの、えらい人物ではない。
この辺りでは有名な金持ちで、なんとなしに気に入ったものは片っ端から買っているのである。
商売人たちにはすごく慕われていたが、貧しい人達にはとんだ厄介者だった。
なんと言っても、この趙高に破産させられた家は数知れず。
しかし嫌うのは貧乏人だけのようで、普通の家庭にはちゃっかりと人気を得ていたりする。
そんなわけで、こうして民衆に交じってもけむたがられるわけではないのだ。
品物を受け取った趙高が本をよーく見回す。そして店の主人に尋ねた。
「これはなんという本だ?」
「確か空天書・・・だったと思います。
異境の地から流れてきたのをあっしが偶然手に入れた、というわけですよ。」
「ふむ、そうか。これはなかなかに興味深い・・・。」
そして趙高が空天書の一ページ目をめくる。
「なるほど、確かに空天書と書いてあるな。さて、どんな知恵が授かるのか・・・。」
周りのみんなも興味津々に趙高を見つめる。
しかし、二ページ目を開けた時に、趙高の顔がこわばった。
「・・・何も書いてないぞ。」
「ええっ?多分二ページ目は白紙にしてあるんですよ。」
店の主人に促されて次々とページをめくる趙高。
しかし、どのページも見事に真っ白であった。怒りを押さえながらも趙高が尋ねる。
「店主、ちゃんと中身を確かめたのか?」
「それが、手に入れた時に相手側から、
“中身を見てから売ってはいけない”と言われたもんですから・・・。」
「確かめてないという訳だな?」
「え、ええ・・・。」
客達がざわめき、気まずい空気が漂う。
趙高はやれやれという感じで、書物を持つ手をだらんと下ろした。
「こんなものを500文で売りつけてくるとはな。ふざけたやつだ。」
呆れ顔なりにも、目はしっかり怒っている。
店の主人は慌てて頭を下げた。
「す、すいません!まさかこんな本だとは思わなかったもので・・・。」
必死に謝る姿を見て客人たちは口々に怒り出した。
“いんちき!”とか“詐欺師!”とか、次々と罵声が飛ぶ。
しばらくして趙高は皆をいさめて言った。
「まあまあ。こうなったら倍の1000文でこの店主にこの本を買ってもらおう。
それで文句はあるまい?」
「そ、そんな、1000文だなんて・・・。」
泣き顔になる店主に皆は怒り顔で詰め寄る。しぶしぶ店主は承諾した。
「そう、それでいい。もうけた金は私達客で分けることに・・・うわっ!?」
趙高が空天書を持った手を持ち上げようとした途端、何かがそれを奪った。
“うわっ!”とか“きゃあ”とか言う声があちらこちらで上がる。
そのうちに、店の前から一人の少女が飛び出した。
そう、貧しそうな格好をしたあの少女である。両手にしっかりと空天書を抱えて。
ほとんどの客達はパニックになっていて少女の姿に気付かなかったが、趙高だけは違った。
慌てながらもしっかりと少女の姿をその目に捉えたのである。
「ふん、ひったくりか。やはり貧しい者達は一人残らず滅ぼさねばな・・・。
おい、そこの馬を借りるぞ!」
言うなり傍につながれてあった馬へ駆け寄る趙高。
その馬の主はどうぞと言わんばかりに綱を解いた。更に、他の人もやってくる。
「俺達もお供しますぜ。」
「趙高さんのものを盗ったやつとなったら容赦はいりませんね。」
「ふん、なかなか分かっているじゃないか。では行くぞ!」
颯爽と馬にまたがり、走り出す趙高。
他の二人もそれに続き、自分達の馬を走らせた。
大きな歓声でそれを見送る近くにいた人達。
実は貧しい人達は自分達以外にはとことん嫌われていて(趙高の影響だが)、
見つかるとあっという間に袋叩きにあう。
しかし、彼らはそれにもかかわらず、
都に進出しては、見つからないようにひったくりを行っている訳なのだ。
当然ひったくりを行うのはその貧しい人達のみである。 もちろん遊びではない。こうでもしないと生活していけないという状況なのだから・・・。

「はあ、はあ。やばい、みつかっちゃったよお・・・。」
懸命に走る少女。都の地形を利用して、狭い路地へと、入り組んだ道へと逃げ回っているのである。
しかし趙高達との距離は確実に縮まっているようだった。
少女もそれが分かっているのか、必死である。
捕まれば命は無い、という事が分かりきっているのだから。
「はあ、はあ、・・・ああっ!!」
少女の気がほんの少し散った瞬間、道端にあった石におもいっきりつまずいた。
前に投げ出される少女、そして手に持っていた書物がばさっと落ちる。
「まずい。早く拾って・・・痛っ!」
急いで拾おうとしたが、足に激痛が走ったようだ。
痛みにこらえきれず足を抱えてうずくまる少女。
「駄目だ、これじゃあもう走れない。お母さん・・・。」
足のどこかを骨折したようである。少女は涙を浮かべて、母を想った。
少女の名は憐華(れんか)。
実はこの彼女の母親は重い病気にかかっており、治療にはかなりのお金を必要とするらしい。
それで500文という値段のこの書物をどこかの商人に売ろうと考え、ひったくりを行ったのである。
しかし、もはや今の状況ではそれも無理になってしまった。
後少しもすれば趙高達が来るだろう。捕まれば袋叩きにあって、殺される。
その光景を想像し、憐華は一つ身震いして立ちあがろうとした。
「あきらめちゃ駄目だ。あたしがあきらめたらお母さんは誰が助けるんだ。
なんとしてでも逃げ切って・・・痛っ!!!」
立ちあがった途端に再び足に激痛が走り、少女は倒れこんだ。
目の前に見えるのは、ついさっきまで抱えていた書物である。
「・・・こんなものが500文もするなんておかしいよ。
どうしてこんな世の中になっちゃったの?
どうしてあたし達みたいな貧しい人達が虐げられなきゃならないの?」
呟いているうちに憐華の目からは涙が次々と流れてきた。
そして理不尽な世の中にむしょうに腹が立ってきたのだろう。
負けるもんかと涙をぬぐって立ちあがろうとした。
しかし、やはり立ちあがれない。
おもいっきり走った疲れ、そして足の痛みがそれを邪魔しているのである。
書物に顔を伏せるような格好で、憐華は力なく呟いた。
「駄目だ、力が入らない。もう、あきらめるしか・・・。」
少し顔を上げて書物を見つめる。こんな結果になってしまった原因の書物を。
「大いなる知恵が授かる・・・か。そんな都合のいいものがこんな所にあるわけないじゃない、
結局真っ白だったし。殺される前に趙高を笑ってやるわ。」
そしてうつぶせながらも書物の一ページをめくった。
「あたしも読んでやる。500文もした本を・・・統・・・天・・・書?」
一ページ目の文字を読んで憐華は疑問にかられた。
足の痛みも忘れ、急いで上半身を起こして座った格好になる。
「趙高のやつ、空天書って読んでなかったっけ?」
そして本を持ち上げようとした瞬間、本のページがひとりでにめくれ出した。
「うわっ!?」
憐華は足をひきずりながら後ずさりする。
壁に背をつけたところで、書物から光が発してその中から一人の少女が姿を現した。
年や背格好は憐華と同じくらいだろうか。髪の毛は金色で肩にかかる程度の長さ。
普段王様なんかがつけているような冠によく似た帽子。
そして真っ黒な衣装、黒衣を身にまとっている。
その少女は空中からゆっくりと地面に降り、書物を拾い上げてにこりと笑った。
「始めまして、主様。私は知教空天、楊明と申します。
この統天書によって、主様に様々な知識をお教えするのが役目。どうぞ、よろしくお願いします。」
自己紹介を始めたその少女楊明に、憐華はただただ驚くばかりであった。
「ほ、本の中から人が・・・。」
震えながら呟いていると、楊明は憐華に質問した。
「主様、あなたの名前を教えてくださいませんか?」
「あ、あ、あああ・・・。」
震えている憐華を見て、楊明は本をめくり出した。
そしてあるページを少しの間見たかと思うと、パタンとそれを閉じる
「憐華様ですね。重い病気にかかっているお母様と二人暮し。
そのお母様の病気を治すために、空天書を盗み出したというわけなんですね。」
それを聞いて目を点にする憐華。震えもそこで止まったようで、
たまっていたつばを一度呑みこんで、口を開いた。
「あの、あなたは一体誰なの?」
「最初に言ったじゃないですか、私はあなたに様々な知識を教えるために、
この統天書より呼び出された知教空天、楊明です。覚えてくださいよ。」
笑顔のまますっと手を差し伸べる楊明に、憐華は戸惑いながらも握手した。
「よかった、納得していただいて。さあ、早く家へ帰りましょう。」
「ま、待って・・・痛っ!」
立ちあがった瞬間にうずくまる憐華。それと同時に馬のひづめの音が聞こえてきた。
その次の瞬間には、三頭の馬が憐華と楊明を囲む形になっていた。
「やっと追いついたぜ・・・ん?誰だ、おまえ。」
馬に乗った一人が楊明を睨む。
しかし楊明はそれに答えるでもなく、主である憐華の足の様子を見ていた。
「・・・骨折してる。これじゃあ歩くのは無理ですね。」
「ちょ、ちょっと楊明。今はそんな事してる場合じゃないよ。」
慌てる憐華。無視された男は、怒り気味に怒鳴った。
「おい!人の質問には答えろ!」
「まて・・・おまえが持ってる本は趙高さんのものじゃねえか!
素直にそれをこっちによこせば、痛い目に遭わなくて済むぜ。」
趙高とは別のもう一人の方も怒鳴る。それでも楊明は相手にしなかった。
「ふむふむ、この程度なら治せるかな。大丈夫、主様。
心配しなくても、お母様の病気を治してさし上げますよ。」
「だから急いで・・・ええっ!!?治せるって、本当なの!?」
叫ぶ憐華に、楊明はにこりとして答えた。
「もちろんですよ。この統天書があればすぐに治す方法が見つかります。
さあ、早く帰りましょう。」
そして楊明はすっと立ちあがった。
その瞬間、憐華の足に刃物のようなものがグサッと刺さる。
「きゃあっ!!」
痛みを伴った叫び声を上げると、憐華はそこにうずくまった。
楊明は刃物が飛んできた方向、趙高を“きっ”と睨む。
「人の話は聞けよ、小娘。痛い目に遭いたくなかったらその本を置いてとっとと消えるんだな。
おっと、私の本を盗んだ不届き者はもちろん見捨てて行けよ。私達が罰を与えてやるんだからな。」
趙高の声に、一緒になって迫る他の二人。
楊明はそれに答えるかのように、ぱらっと書物をめくった。
「主様が盗んだのはあなたが買った直後ですか。
でもあなたには読めなかった。当然ですよね、そんなに薄汚れた心の持ち主じゃあ。
主様を傷つけて・・・許しません!」
そしてばららっと書物をめくり始める。趙高はその様子を見て驚いていた。
自分がめくった時には真っ白だった本が、今はびっしりと書き込まれているのだから。
「許さなければどうだっていうんだ、やっちまえ!!」
「おうっ!!」
趙高以外の二人が馬に乗ったまま楊明に襲いかかった。
それと同時に楊明がきりっとした顔で叫ぶ。
「来れ、雷鳴!」
その瞬間、二人に雷が直撃した。真っ黒焦げになったかと思うと、二人とも地面に倒れる。
馬は無事なようで、乗っていた人間が二人とも落ちたことを確認すると、
そのままどこかへ走り去って行った。
「こ、これは・・・。」
唖然とする趙高に、ヨウメイは静かに言った。
「さあ、次はあなたの番ですよ。来れ・・・」
「ううっ!」
憐華のうめき声にはっとなる楊明。術を止めてすぐさま傍に駆け寄った。
「くっ、ここは撤退だ!」
楊明が憐華を見ている隙に馬を翻して逃げ出す趙高。
「ああっ、待てっ!!」
しかし楊明が顔を上げた頃にはすでに遠くの方へ行っていた。
悔しそうにしながらも憐華の足を見る楊明。おびただしい量の血が流れていた。
「うーん、痛いよう・・・。」
「主様、早く家に帰りましょう。また追っ手が来るとも限りません。」
「でも、歩けないよ、楊明。」
すると楊明は懐から小さな水晶のような玉を取り出した。
「これに乗れば大丈夫です。よっ、と。」
その玉は一瞬にして絨毯のような形になる。一瞬驚いた憐華だったが、痛みにすぐ顔をゆがめた。
「さあ、これに乗ってください。なんとか体半分だけでも。」
「う、うん。よいしょ・・・っと。」
楊明に手伝ってもらいながら、憐華はなんとか絨毯の上に横たわることが出来た。
辺りをきょろきょろと見まわすと、楊明は何やら念じる。
それと同時に、勢いよく絨毯が空高く舞い上がった。
「う、うわああ!!」
突然のことに驚くも、足の痛みで体を起こすことも出来ず、憐華はそのままで居た。
「さあて、それじゃあ主様の家の方へ向かいましょうか。
えーと・・・西の方角か。れっつごー!」
憐華には聞きなれない言葉を使って、楊明は西へと絨毯をすべらせた。
見る見るうちに都から遠ざかり、憐華と楊明は一つの集落に辿り着いた。
広大な草原、そしていくつもの畑が見えた。
その中にぱらぱらとみすぼらしい家が立ち並ぶ。
憐華が説明する前に、絨毯はゆっくりと下降して行った。
「えーと・・・この家ですね、主様の家は。」
楊明が指差す家を、憐華は顔を横へ向けて見る。
「う、うん、そうだけど。どうして分かったの?」
「この統天書にはなんでも書いてあるって言ったじゃないですか。
世界中のありとあらゆる知識がね。さあ、着きましたよ。」
楊明に言われて上半身を起こす憐華。その時、家の中から一人の老人が出てきた。
杖をついてふらふらしながらも歩いてくる。と、憐華たちを見て驚き止まった。
「れ、憐華・・・。それにそっちの女の子は?・・・おまえ、一体何に乗っかってるんだ!?」
「長老様!いえ、あの、これはなんというか・・・。」
憐華が戸惑っているうちに、村中から鍬やら鎌やらの農具を持った男達がやってきた。
もちろん女子供も一緒で、何やらおびえているようである。
おおかた、空を飛んできた憐華と楊明を目撃したのだろう。それで急いで駆けつけてきたのである。
やってきた男達の中から一人、体格がもっともよさそうな人物が前に出た。
おそらく村の男達のリーダーとでも言うべき存在だろう。
その男は憐華が話すのを押しとどめて、楊明に話しかける。
「俺の名は李晃(りこう)って言うんだ。あんたは一体誰だい?
見かけねえ格好だが、どんな因果で憐華と知り合ったんだ。」
すると楊明は書物をめくり出した。とあるページを一瞬見たかと思うとパタンと閉じる。
「初めまして、私は楊明と申します。主の憐華様とは都の方で知り合いました。
そんな事より長老の徐公様、早くしないと憐華様のお母様、
燕子様(えんし)の病が治らなくなってしまいます。
いろいろ疑問のほどはあると思いますが、とりあえず私を家へ通してください。」
それを聞いた皆はざわつき始めた。病と長老の名前を言い当てたのだから。
いきなりの事に戸惑いながらも、長老である徐公はうなずいた。
「分かりました。深い事情は後でお聞きします。
まずは燕子を助けてくだされ。」
「はい、任せてください。皆さん、憐華様の傷の治療をお願いします。」
そして楊明は家の中へと入っていった。
ぽかんとしている憐華だったが、足の痛みに慌てて声を上げる。
「痛たた・・・。」
「みんな、憐華を早くそこから降ろすんだ!」
李晃の声に、皆は慌ててその作業を始めた。
憐華が降ろされると、絨毯はひとりでに小さな水晶球に戻り、楊明のもとへと飛んで行った。
またもや驚き立ち止まる村人達だったが、憐華のうめき声に再び動き始めた。
一方こちらは楊明と長老。床に寝かされて苦しそうに息をしている燕子。
彼女の様子を、楊明は真剣に見ているのだった。
「どうですか、楊明様。治せそうですか?」
長老の声に吹き出しそうになった楊明だったが、すぐにきりっとしてこう言った。
「私が今から言うものを用意してください。この村内で全て揃うはずです。
時間はそんなにありませんから急いでくださいね。」
「わ、わかりました。」
楊明に言われた物(主に薬草類)を次々と紙に書き留める徐公。
どれもこれも量も少なく、確かにすぐにでもそろう品物ばかりであった。
「・・・以上です。では急いでください。私はここで手遅れにならないよう頑張ります。」
「は、はいっ。」
わたわたとしながら出て行こうとする長老。
それを見送って、楊明は書物をじっとにらんでいた。

数分後、指定されたものを持って村人達がどやどやとやって来た。
足に包帯を巻いた憐華もその中に交じっている。
「楊明様、これでいいのですか?」
一通り品物を見まわして、楊明は力強く頷いた。
「ええ、これなら大丈夫です。さてと・・・。」
言うなり書物をめくり出した楊明。とあるページで手を止める。
「来れ・・・小日照り!」
ゆかに置かれたそれらに強烈な日光が降り注ぐ。見る見るうちにしおしおになった。
「次は・・・来れ、小水竜巻!」
今度は水分と一緒になった小さな竜巻が現れ、それがかき混ぜられる。
それから何秒か経った後に、楊明が叫んだ。
「そこにある入れ物を持ってきてください!この竜巻の下に!」
慌てて村人の一人がそれを持ってくる。
楊明は竜巻の下へそれが移動させられたのを確認すると、パタンと書物を閉じた。
そこで空中に遭った品物達(今は青い汁へと変っている)が入れ物の中へ落ちる。
全てが落ちたところで、楊明はその入れ物をすっと持ち上げた。
「さてと、これを飲ませれば大丈夫なはずです。」
そして燕子の口元へそれをもっていく。
ひとくち口にした彼女は、最初はむせて飲むことを拒んでいたが、
次第にそれをのどへと運び、全てを飲み干した。
「ふう、これでよし、と。後小一時間もすれば元気になりますよ。
皆さん、ありがとうございました。」
深深と頭を下げる楊明。しかし一連の出来事があまりにも一瞬だったので、
村人達はただただ唖然としたままであった。
憐華だけは違ったようで、すぐに目を輝かせて楊明に駆け寄った。
「本当に、これでお母さんは元気になるのね!?」
「ええ、そうですよ。それより主様のお怪我も治さないと。」
そこで憐華は足の痛みに顔をしかめた。
包帯は巻かれてあるものの、まだ歩けるような足ではないのだから。
「無理をなさってはいけませんよ、主様。さあ、早く腰を下ろして。」
「う、うん・・・。」
憐華が床に座り込む。楊明もしゃがみこんで、皆に言った。
「とりあえず皆さんも座ってください。立ったままそんなところに居られてもあれなんで・・・。」
すると何人かを残して村人達は出て行った。この家に全員が座れるような空間は無かったから。
怪訝そうな表情で書物をめくる楊明に、徐公が言った。
「あの、楊明様・・・」
「待ってください、今はちょっと話しかけないで。
それと、楊明様なんてやめてくださいよ。呼ぶんなら“楊明”か“楊明さん”。」
「は、はあ・・・。」
そしてしばらくの間沈黙の時が流れる。楊明はとあるページで手を止めた。
「やっぱりこれしかないかあ。キリュウさんからの術はしゃくだけど仕方ないな。
命の源となる生の力よ、彼の者の傷を癒す力となれ・・・万象復元!」
楊明が叫ぶと共に、憐華の足が妙な音を立て、なんと傷がふさがり始めた。
次第に足の痛みが消えていく様子に驚いている憐華。
数秒後には、すっかり元通りの足となった。
「お、おい、憐華。治ったのか?」
「うん、全然痛くない・・・。すごいよ、楊明!!」
元気に立ちあがった憐華を見てにこっとする楊明。
しかしその次の瞬間、ゆっくりと床に崩れ落ちた。びっくりして駆け寄る憐華。
「よ、楊明!!しっかり、しっかり!」
必死にゆする憐華。しかし楊明の反応は無い。だが・・・。
「・・・そいつ、寝てんじゃないのか?」
「ほんとだ。寝息が聞こえてくるよ。」
周りの皆に言われて、耳を楊明の口元に近づける憐華。
『すうーっ、すうーっ』という音を確認することが出来た。
「もう、びっくりさせないでよ。」
「やれやれ、話は楊明が起きてからだな。」
ほっとした顔で、楊明を寝かせる憐華。みんなは、そのまま静かに待つことにした。

いくらかの時が流れる。憐華がチラッと楊明を見るも、まだ寝ている。
そして皆と顔を合わせて少し苦笑い。その時、別の方から女性の声が聞こえた。
楊明ではない。楊明とは反対側の・・・そう、燕子が寝ている辺りだ。
「お母さん!?」
慌てて憐華は母親の傍に駆け寄る。他の村人達も真剣な目つきで彼女を見ていた。
やがて、ゆっくりと目が開かれる。そしてこう呟いた。
「憐華?」
顔の真上にきていた娘の顔を見たのだろう。
その次には、ゆっくりと彼女は起き上がった。
「憐華・・・。私は一体・・・。」
起き上がったものの、まだ頭がはっきりしていないようだ。
しかし顔色は完璧によく、本当に病気は治ったようである。
それを見た憐華は、大粒の涙を流しながら彼女に抱きついた。
「お母さん、お母さん!!」
「れ、憐華・・・。そうか、私は病気で寝ていて・・・。
おまえが治してくれたの?」
憐華を両手で抱きしめながら尋ねる燕子。
すると村人の一人が彼女に言った。
「おまえさんを治したのは楊明って人だよ。憐華が都から連れて帰ってきたんだ。」
それと同時に、楊明も目が醒めたようだ。むくっと起き上がって大きなあくびをする。
「ふあ〜あ、よく寝た。すいません、あの術は相当疲れるもんですから。
おや、もうすっかり治ったようですね。よかったです。」
笑顔で言う楊明に、慌ててお辞儀する燕子。
そして喜びで騒ぐみんな。それらを長老は制し、改めてヨウメイの話を聞くこととなった。

「・・・へえ、知教空天ねえ。精霊だなんて信じられないなあ・・・。」
話を聞いてまず声を上げたのは、初対面で楊明に質問した李晃。
それを聞いた楊明は笑いながら言った。
「別に精霊だなんて信じなくても良いですよ。そんな事は関係有りませんから。
わたしは主である憐華様に知識を教えるために出てきた、という事が重要ですから。」
村人達は“はあ、そうですか”と頷く。
「それで一体どういう知識を?」
燕子の問いに、楊明はにこやかに言った。
「なんでも、です。ああそうそう、言い忘れてました。
人の心、そして未来に起こる出来事は教えられません、というか分かりません。
その他の事ならなんでも。もちろん憐華様だけでなくいろんな人にお教えしますよ。」
「へええ、すごいですねえ。」
燕子の感心した声に少しばかり照れるヨウメイ。
周りの皆もあれやこれやと騒ぎ始めた。そのうちに、一人が手を上げて質問する。
「それじゃあ、この国の王様の名前とか分かるかい?」
「そうそう。俺達には全然そういう事は知らされないもんだからさ。」
「ちょっと待ってくださいね。えーと・・・。」
言うなり統天書をめくり出す楊明。しばらく見ていたかと思うと驚きの表情になった。
「王様の名前は紗恵(しゃけい)さまですね。民衆のことを考えている良い王様です。」
そこでざわっとなる村人達。険しい表情で楊明に詰め寄った。
「良い王様なら、なんで俺達みたいな人間が出るんだ!」
「そうだ!趙高みたいなやつをのさばらしておいて・・・。」
「おかげであたし達はまともに生活できないんだよ!!」
慌てて憐華は皆をなだめた。そして楊明が一つ咳払いをして話し始める。
「まだ続きがあります。確かに良い王様なんですが、いかんせん急がしすぎるんですね。
仕事が多すぎる、ということです。」
そこで、またもや誰かが話を区切った。
「だからって俺達みたいなのをほったらかしに・・・」
「もう一つ!家臣の人達の中に、趙高と手を結んでいる人が居るんです。
多額の賄賂をもらって、趙高をのさばらせるように操作して・・・。
王様の耳に趙高の悪事が届かないのはその人が原因みたいですね。」
そして楊明は統天書を閉じた。しんとなる村人達。
とにかく今のままではどうあがいても暮らしは良くならない。
良くするには王様に直接会うしか方法が無いということが分かったのだから。
暗い雰囲気で黙り込むみんなに、楊明は尋ねた。
「ところで、趙高はこの村の場所を知ってるんですか?」
「楊明、それこそその本で調べてみなよ。」
憐華にたしなめられて、“それもそうか”と納得する楊明。
再び本を開いてページをめくり始めた。
「あちゃー、知っているみたいですね。」
舌打ちする楊明に、李晃が不思議そうに尋ねた。
「なあ、楊明さん。趙高がこの村の場所を知っていると何かまずいのか?」
「まずいもなにも、この本を取り返しにやってきますよ。
そのついでに、この村を滅ぼすつもりでしょうね。
今趙高は、沢山の兵士を集めています。明日には攻めて来るでしょう。」
さらりと言った楊明に、村人達全員が驚愕の表情となる。
趙高ほどの財力があれば、この小さな村を滅ぼすほどの兵力を集めることなどたやすいはずだ。
こちらにはもちろん武器と呼べるほどのものは無い。
もちろん数においても劣るのは一目瞭然である。
「ちきしょう・・・趙高のやつ・・・。」
歯ぎしりする李晃につられて、他の男達も悔しそうな顔になる。
なんとか村を守りたいが、戦って勝てる相手ではないのだから。
女子供達は、悔しい表情と共に力無くうなだれていた。
「楊明様、なんとかこの村を救う方法は無いですか・・・。」
徐公の声に楊明は苦い顔をして振り向く。
「だから“様”付けはやめてくださいよ。こうなったら明日王様に直接会いに行きましょう。
主様、私と一緒にきてください。王様に趙高のことを告げるのです。」
「ええっ?でも、いきなり行って会ってくれるとは考えられないよ。
それに、趙高が攻めてくる前に間に合うかどうか・・・。」
「大丈夫です、私に任せてください。李晃さん、ちょっと相談に乗ってくださいね。」
いきなり笑顔で声をかけられた李晃。戸惑いながらもそれに頷いた。
「よし。では皆さん、今日はもう眠ることにしましょう。
詳しい行動内容は明日お知らせしますから。」
立ちあがった楊明に、半信半疑の村人達。
なんとなく頷きながら、憐華の家をぞろぞろと出て行った。
「それでは、頼みましたぞ、楊明様。」
「だああ、楊明様はやめてくださいよ〜。」
「おやすみなさい、長老様。」
楊明に少し怒られながらも、長老も家を後にした。
残ったのは楊明、憐華、燕子、李晃の四人である。
円を描く様に四人で座り、作戦会議となった。
「それでは明日の簡単な予定を。
主様、李晃さん、そして私とで、まず趙高の兵士達を迎え撃ちます。
相手側が退散した後で李晃さんは村に戻りこのことを知らせる。
そして主様と私とで王様の居るお城へ向かう。
燕子様は村の人達がパニックにならないよう、上手くまとめてください。うん、完璧ですね。」
そこで楊明はおかれてあったお茶をすすり出した。
他の三人はあっけに取られていたが、やがて李晃が床を“どん!”と叩いた。
「ちょっと待てよ!後半はいいとして、どうやって趙高の兵士を追い返すんだよ!」
それに目を向ける楊明。続いて燕子も言った。
「しかも三人で行くなんて、無謀過ぎます。もうちょっと人を連れていた方が・・・。」
更に憐華が厳しい目つきで、
「だいたいお城に行っても、いきなり会わせてくれるかどうかも分からないのに。
運が悪かったら即処刑されちゃうよ。」
と、反論した。しかしヨウメイはそれに慌てる様子も無く、ゆっくりと口を開く。
「大丈夫、大丈夫です。一つ問題があって、敵側の一撃を李晃さんが受けてくだされば。
もちろん死なないでくださいよ。それで全てが上手く行きます。
人が多いと犠牲者も多いので、三人が良いんです。
お城のことは全然心配なさらなくて結構ですよ。さっき興味深いことが分かりました。
なるほど、と思うことがね。だからとにかく安心してください。質問はまだありますか?」
燕子と憐華は頷いたものの、李晃はまだ納得がいかないようだった。
腕組みをしばらくしていたかと思うと、目をキッと楊明の方へ向ける。
「一撃を受けるってどういう事だよ。そんな事で趙高達を退散させられるのか?」
「見ていれば分かることですよ。とにかく、絶対に死なないように居てください。」
「でもよお・・・。」
今だ疑問でいっぱいの李晃。そんな時、憐華は思い出したように手を打った。
「そうか!あたしが趙高にやられそうになったとき、楊明が雷を呼んだんだ!
多分それで・・・あれ?でもなんで一撃を受けなけりゃいけないの?」
憐華の声に李晃はなるほど、と頷いた。しかしすぐに疑問の顔になる。
「雷を呼ぶんならそれはそれですごい。そういや竜巻とかも呼んでたしな。
だけど、相手は大群だ。そう一撃でやすやすとやられる連中じゃあない。
しかし楊明さん、あんたは途中で力尽きて寝ちまった。本当に大丈夫なのか?」
李晃の声にはっとする燕子、憐華。まじまじと楊明を見つめる目は不安そのものを表している。
最初は少し止まっていた楊明だが、やがて顔をにこりとさせた。
「心配要りませんて。李晃さん、本当に大丈夫ですから。
一撃を受けなければいけないのは・・・また今度説明します。
さあ、もう寝ましょう。明日は忙しいですよ。」
いつまでたっても調子の変わらない楊明に、三人とも納得するしかなかった。
そして明かりを消して寝る体制に入る。静かな夜が訪れた・・・。

翌朝、村人達に召集がかけられた。今後の予定を楊明が説明するのである。
「・・・というわけで、慌ててみんなとはぐれないようにしてくださいね。
しかし皆さん、万が一ということも有ります。
日が頭の上に来るまでに李晃さんが戻らない場合、即刻あの山へ避難し始めてください。」
楊明は一つの山を指差した。兵士達全てをくい止められない時には、あの山へ逃げろということである。
そして楊明が退き、燕子がみなの見える位置に立つ。
「みなさん。協力して、私に従って動いてください。お願いします。」
ぺこりとお辞儀する彼女に答えるかのように頷く村人達。
団結力が高い様子にほっとする楊明であった。
「それじゃあいってくる。必ず生きて帰ってくるぜ!」
颯爽と馬にまたがる李晃。憐華と楊明もそれに続いた。
楊明の道具では目立ってしまうということで、馬で行くことにしたのである。
「それじゃあお母さん、行ってきます!」
「憐華、無茶してはいけませんよ。」
手を振って挨拶する三人。李晃がムチをうならせると、馬は勢いよく走りだした。
大きな歓声と共に見送る村人達。誰もが今日の作戦の成功を祈っている。
やはり少し不安げな表情で馬を見つめる燕子。
徐公はその肩にぽんと手を置いた。
「長老様・・・。」
「あんまり心配していてもしょうがあるまい。わしらはわしらでしっかりせねばな。
あの子らがせっかく無事で戻っても、村人達が無事でなければ意味は無いからな。」
「はい、そうですね・・・。」
燕子の脳裏に楊明の説明の言葉がよみがえる。
最初は山へ避難することに反発していた村人達。
これは村を捨てるということと等しいのだから。しかし楊明はこう言った。
(村が有る所に人が住むんじゃないんです。
人が居るところに村が出来て、そこに住んでいる。そう思いませんか?)
「・・・そうですよね。みんな無事で居なくては。」
「うむ、その通りじゃ。」
二人の傍に他の村人達も寄ってきた。そして手を取り合って握手。
村人全員の無事、そして三人の無事を祈って・・・。

一方、馬に乗った三人。とある地点を目指していた。それは趙高達を迎え撃つ場所。
「おいおい、本当にこの方向でいいんだろうな。なんだか不安だぜ。」
「だってそう統天書に書いてあるんですから。それにしてもすごい数ね。
よくもまあこんなに沢山引っ張り出してきたもんだわ・・・。」
深刻そうに呟く楊明に、憐華が振り向いて尋ねた。
「すごいって、どれくらい?」
「約五千。一つの村を攻めるのに普通これだけ出してくるかしら。
よほど狂人ね、趙高って。」
「「ご、五千―!!?」」
とんでもないといわんばかりに叫ぶ二人。そして見る見るうちに不安な表情となる。
「引き返して行った方が良いんじゃね―か?早く逃げろって。」
「そうだよ、李晃さん。早く引きかえそう。」
しかし楊明は慌てる二人を押しとどめた。
いつも通りの笑顔・・・ではないが、平然として言う。
「平気平気。この程度なら全然大丈夫ですよ。
二人は村の方に逃げ出した兵士が居ないかきっちり見張っててください。」
なんとなく真剣な表情。その顔の楊明を信じ、李晃は更に馬を走らせた。