小説「まもって守護月天!」(知教空天楊明推参!外伝)


趙高の一件から幾日もの時が流れた。
都は今まで以上の活気である。活気だけではない、広さもかなりのものになっていた。
西の方に追い立てられた人々が戻って来たので、拡張工事を行ったのである。
もちろん王のふれがきにより、それを拒むものは誰一人いなかった。
それどころか、今まで趙高に影響されて行ってきた事を恥じるものがほとんどであった。
ともかく、以前の不自由ない生活を取り戻す事が出来たのである。
その都の活気の中を歩く二人の少女の姿があった。
都拡大のきっかけを作った楊明と憐華である。
「ねえ楊明、今日は何所の店でお買い物をすれば良いのかな?」
「ちょっと待ってくださいよ。ええと・・・お魚がお買い得のようですね。」
「じゃあ今夜のおかずはそれにしよう!はやくはやく!」
「主様、そんなに急がなくても。」
走り出す憐華に引っ張られていく楊明。もちろんそんな二人は都中の注目の的であった。
ちなみに服装は、憐華は以前のようなぼろぼろの服ではなく、めいっぱいおしゃれしている。
楊明はそれなりに周りに合わせた服である。最初のような黒衣は身にまとっていない。
注目の的となっている理由は、都拡大の原因、それだけではなかった。
楊明、そして楊明から様々な知識を教えてもらっている憐華。
二人は行く先々で、都中の人々の手伝いをしているのだ。
ピンからキリまでの職業、家事、学問等々・・・。
とにかく、この国で二人を知らないものは居ない、というほどであった。
「うわあ、沢山買えた。これも全部楊明のおかげだね♪」
「いえいえ。それじゃあ帰ってから今日の分のお勉強といきましょうか。」
「よーし、なんでも来い!で、今日は何を教えてくれるの?」
「それは家に帰ってからのお楽しみですよ。」
大量の品物を抱えて笑顔で会話する二人。
ここで楊明が言うお勉強とは、もちろん知識を教えるということである。
統天書を開き、その内容を楊明がとにかく分かりやすく憐華に教える。
一日の大半はそれに費やしていると言っても過言ではないかもしれない。
しかし、そこは楊明のうでの見せ所で、とにかく憐華が飽きない様な教え方をしている。
もちろん、憐華以外にも教えを請うものが居れば、快くそれを受け入れるのであった。
「お母さん、ただいまー!」
「お買い物から戻りましたー。」
家に到着した二人を、憐華の母燕子が出迎える。
「お帰りなさい憐華、楊明。まあ、今日は魚なのね。」
「そうだよ。楊明のおかげでこんなに沢山買えたんだ。」
自慢気に魚を差し出す憐華に、燕子は笑顔でそれを受け取った。
「ありがとう、憐華、楊明。それじゃあ今日もお勉強頑張ってね。」
「うん、さ、早く行こう!」
「はい、主様。」
憐華に引っ張られながらも、燕子に向かって軽く会釈する楊明。
燕子もそれに答えるかのように会釈を返すのだった。

「さ、早く始めて。今回は何?」
「え〜と、今日はですねえ・・・。」
ここは憐華の部屋。机をはさむような格好で憐華と楊明が向かい合って座っている。
机に置かれているのは統天書のみ。それを楊明がゆっくりとめくっているのだ。
当然主である憐華にもそれは読めるのだが、あえて楊明の説明を待っている。
自ら読むよりは、楊明の説明を聞く方が断然分かりやすいのだから。
「・・・ふむ、西洋の歴史について・・・なんてのは意味無いですね。」
「ちょっと楊明・・・。」
喋り出したと思ったら否定の意を取る楊明にずるっとこけそうになる憐華。
“もう”というような目で見ると、楊明は笑いながらそれに返した。
「冗談ですよ。では、月についてお話しましょう。」
「月・・・って、夜に見える月の事?」
「そうです。そもそも月というのは・・・。」
きっちり教える時に成ると、楊明はほんの少しだけ顔つきが変わる。
憐華もそれを知っているのか、顔を少し見て真剣になって話を聞くのである。
楊明が次々と説明する。月の誕生、月の秘める力、そして・・・。
「月の精霊?」
「そうです。以前お城で会った太陽の精霊、慶幸日天汝昂さん。
彼女の宿敵とも言える存在で・・・。」
再び長々と説明が続けられる。
月の精霊について、その精霊が呼び出す星神とやらについて、そして・・・。
「それでは宇宙に点在する数々の星について説明しましょう。
ご存知の通り、宇宙には無数の星星が輝いていますね。」
「ふんふん、それでそれで?」
「それらは長い年月をかけて、誕生、死滅を繰り返し・・・。」
・・・とまあ、一つの物事から引っ張り出せるような別の知識。
それらを上手く連結させて、楊明は教授をしているのである。
当然、憐華にとってそれがつまらないものでは無い様に、また、分かりやすい様に。
ある程度まで教え終わると、楊明は頃合を見て統天書をパタンと閉じた。
「それではそろそろ夕食の時間ですね。続きはまた夕食後に。」
「ええー?もうそんな時間なんだ・・・。」
残念そうな顔をしながらも立ちあがる憐華。
彼女にとっては教えてもらっている時間はあっというまのようだ。
楊明は楊明で、そんな憐華の反応を見て、少しばかりの笑顔を浮かべるのだった。
そして夕食。憐華は早速燕子に本日の勉強内容を話す。
「・・・というわけで、宇宙に星があるのはそういうわけなんだよ。」
「すごいわねえ・・・。普段の生活じゃあ絶対にそんな事は分からない。
でも・・・それが全部真実なのね?」
なんとなく疑問の表情で楊明を見る燕子。
今まで色んな事を教えてもらってはきたが、あまりにも突拍子が無い話だとやはり信じられないから。
そんな燕子の心配を消す様に、楊明は自信満々の笑顔で答えた。
「当然ですよ。この統天書には真実のみが記録されていくんです。
その内容量たるや、膨大なものがありますが・・・。
真実のみという事、ここが重要ですね。だからこそ、私も自信をもって教えているわけなんです。」
と、ここで憐華が少し頭をひねり、そして楊明に尋ねた。
「ねえ、もし疑われた場合、それが絶対真実だって言える証拠は?」
「日常での事柄を全て真実だと言い当てている。これで十分でしょう?」
「確かに・・・。」
「さっすが楊明だね。」
ここで疑問のすべてを解決したように、それぞれが食事に戻った。
一つ重要な事は、現在という時間において真実だという事だ。
当然、未来においての真実へと姿を変えるものは、未来の姿を映し出さない。
統天書に表示されるのは、あくまで現段階においての真実の姿である。
もちろん、真実という基準は人間という事象においてという事ではなく、
この世界全ての森羅万象を統合した上での真実である。
食後に、楊明がこの事を説明したという事を付け加えておこう。
そして、例によって楊明のお勉強というものが再び始まるのであった。
「それでは続きをお話しましょう。宇宙というものは・・・。」
「ふんふん・・・。」
場所は当然ながら憐華の部屋。そして、ある程度まで教えると・・・。
「今日はここまで。もう寝ましょう。」
「そうだね、もう眠い・・・。」
一つあくびをする憐華を見てくすっと笑う楊明。
いくらつまらなくないとは言っても、眠気に勝てるようなものではない。
というよりは、そんな事になら無いようにちゃんと楊明が調節を行ったりしているのだが。
二人が寝る準備をする。燕子は別の部屋にて、とっくに寝ついていた。
「それではおやすみなさい、主様。」
「うん、また明日ね。」
・・・と、一日がこんな調子で過ぎてゆく。
実は楊明が話す内容は、本に直せば十冊は軽く必要とする内容である。
それをたった一日で軽くやってのけるものだから、
憐華の頭に今までにどれだけの知識が行き渡っているか、想像を絶するものが有る。
ともかくそんな調子で、幾日もの時が流れる。
そんなある日・・・。

「今日はお野菜中心♪たまにはあたしがお料理しよっかな。」
「いいですね。お母様もきっとお喜びになりますよ。」
いつもの通り、沢山の買い物をして家に帰る二人。
と、家の前に見なれないものが止まっているのが見えた。
「あれ?なんであんな馬車が家の前に・・・?」
「随分豪華ですね。ひょっとして・・・。」
不信に思った楊明が統天書をめくり出す。それにつられて憐華も立ち止まった。
と、しばらくして燕子が家から外に出てきた。
しかし一人ではない。派手な服を身にまとった女性も一緒である。
楊明と違って馬車の方を見ていた憐華は荷物を落としそうになった。
そんな憐華を見つけた燕子は、急いで傍に駆け寄った。
「お帰りなさい、憐華、楊明。こちらは王様からの使者、汝昂さんですって。」
「・・・うん、知ってる。以前お世話になったから・・・。」
呆然として立ち尽くしていると、汝昂も傍に寄ってきた。
「お久しぶり〜。今日は主様に頼まれてここに来たって訳。話聞いてくれるかしら?」
憐華がそれに答えようとした時、それまで統天書を見ていた楊明はそれを閉じ、
顔を上げて汝昂を見た。何やらため息をつくような顔になって口を開く。
「いずれは来ると思ってましたが・・・。私を大臣に迎えたいという事なんですね?」
それを聞いた憐華と燕子。驚いたような顔になって楊明を見た。
その二人が何か言う前に、汝昂が喋り出す。
「な〜んだ、分かってるんなら話は早いわ。とりあえず承諾してくれるかしら?
もちろん楊明と一緒にその二人もお城で暮らしてもらう事になるけど。」
すると楊明は首を横に振ってそれに答えた。
「私は大臣にはなりません。そういう事をするためにここに居るわけじゃあ有りませんから。
すみませんが、他を当たってくださいませんか?」
しかし汝昂はそれに残念がる様子も無く、更にこう言った。
「じゃあ憐華を大臣に迎えるのは良いかしら?これはあたしの案だけどね。」
これには楊明を含む三人は驚かざるを得なかった。
「あたしが・・・大臣?」
「憐華が・・・?」
「汝昂さん、これはどういう事ですか?」
尋ねる楊明に、汝昂はけろっとして返す。
「どういう事・・・って、そのまんまよ。楊明が成ろうが憐華が成ろうが同じでしょ。
要は主様、つまり王の紗恵様に助言ができる存在があれば良いんだから。
どう?引き受けてくれるかしら。憐華大臣?」
「ちょ、ちょっと・・・。」
いきなり大臣と呼ばれて戸惑う憐華。更に汝昂は・・・。
「上手く行けば宰相にだって成れるわよ。もちろん皇后にまでいくかもね。」
「「こ、皇后ー!?」」
燕子と憐華が同時に叫ぶ。当然の反応だろう。
なんと言っても王の妻、皇后なのだから・・・。
「ね、悪い話じゃないでしょ、楊明?」
「なんで私に・・・。それより皇后なんて大袈裟な・・・。
なんにせよ私は、主様が成りたいとおっしゃるのなら、それに従うまでですが。」
呆れたような顔をしている楊明は憐華を見た。
その憐華はしきりに頭を抱えて悩んでいたものの、しばらくして顔をまっすぐに向けた。
「汝昂さん、一つ教えてください。王様はそういう方を本当に必要としてるのですか?」
「え〜とねえ、それは・・・」
「私がお話します。」
汝昂が答える前に、楊明がすっと申し出た。
言葉を遮られた汝昂だが、どうぞどうぞとそれを譲る。
「趙高の一件から王様は、私を大臣に迎えられないかと考えてました。
ここで重要なのがなぜそう考えたかということ。
以前にも申し上げましたが、王様はすごく忙しい方なんですね。
で、その結果趙高という存在をのさばらせてしまった。
頼りになる助言者が居ないという事がその原因です。
だから早くそういう存在を城に迎えたかった。
しかしいろいろ他にする事が大量にあったので、
そういう事を計画する暇も無いまま今に至ったという事です。」
「・・・う〜ん、そういう事ね。どう、引き受けてくれる?」
再び尋ねる汝昂。そこで憐華は、決心した様に首を縦に振った。
「分かりました。あたしの力が王様のお役に立てるなら・・・。
ただ、あたしは楊明みたいにきちんと教えるなんて事はできないけど。」
少し自信無さ気な憐華に対し、燕子は慌てて言った。
「何を言うの、憐華。私に教えてくれる時、本当に分かりやすかったわ。
あれくらいの話し方ができれば上等よ。」
そこで憐華は自信がついたのか、もう一度力強く頷いた。
「汝昂さん、あたし頑張ります。立派に王様の助言役を務めるって約束します!」
「よっしゃあ!さっすが、楊明の主様。きっとそう言ってくれると思ったわ。
さ、早く馬車に乗って。早速お城へ行きましょう。」
いきなり背中を押して憐華を馬車へ乗せようとする汝昂。
戸惑いながらも、憐華は慌ててそれを止めようとした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そんないきなり・・・。
それに、今日はお野菜を使ってあたしが料理を・・・。」
「そんなの、お城でたっぷりできるじゃないの。
あ、家の荷物は全部持ってくる様に手配しておくから。
ほらほら、お母様も楊明も乗った乗った。」
汝昂の気迫に押されて、ついには三人とも馬車に乗りこんでしまった。
「それじゃあしゅっぱーつ!」
汝昂の声と共に、馬車は勢いよく走り出した。
憐華達は苦笑いしながらも、心の中では色んな期待を膨らませながら城へ向かう・・・。
ただ一人、楊明だけは少し浮かない顔をしていた。
「どうしたの、楊明?あたしが大臣になるの、反対?」
「いえ、そうじゃないんです。ただ・・・。」
「ただ?」
「いえ、なんでもありません。いずれ分かります・・・。」
最後には笑顔で返した楊明に、憐華は安心し、燕子や汝昂との話に夢中になる。
そんな主達に聞こえないような声で、楊明はポツリと呟いた。
「やっぱり・・・こうなるのか。今回は早かったな・・・。
あと・・・何年だろう・・・。」
もちろんそれは、にぎやかな話し声にかき消される形となる。
かくして、憐華は王に仕える側近の一人、大臣と成ったのである・・・。

憐華が大臣と成った事で、城、そして国中が大騒ぎであった。
最初は大勢の城の住人達は反対したのだが、
憐華の卓越した助言の仕方により、それを次第に認めていった。
もちろん、憐華の更に助言役として楊明が控えている。
また時間の空いた時などは、とにかく楊明が知識を教えるのに徹している。
城に書庫があり、そこに大量の本があったのだが・・・。
「結構な量がありますねえ・・・。一週間はこの本の内容を学んでいただくことにしましょう。」
「一週間は・・・って、一週間でこれだけの量を読むって事なの?」
驚いて憐華が書庫内部を見まわす。
そう反応してもおかしくない。そこには無数と呼べるほどの本が存在していたから。
「大丈夫ですよ。それぞれそんなに深い内容は書いてませんから。
それじゃあ今日は、ここから・・・ここまで。」
「・・・・・・。」
楊明が指定したのは本の中身ではない。本が置かれている場所である。
「では主様、指定した本をじいっと見ていてくださいね。」
「指定した・・・って、どれを?」
「大体で良いですよ。さ、早く。」
「う、うん・・・。」
疑問にかられながらも言う通りにする憐華。
それを確認した楊明は統天書をぱらっと開けた。
「おおいなる空の知よ・・・。天を統治する知となれ・・・。
万知創生!!」
統天書がぱしっと光を放つ。そして楊明は統天書を閉じた。
と、憐華は驚いたような顔で楊明を見る。なにやらこんがらがった顔の様でもあるが。
「よ、楊明、一体何したの?なんだか頭が・・・。」
「指定した本の内容すべてを主様の頭に吸収させました。
今日一日は混乱するかもしれませんが、すぐに収まります。それでは、お疲れ様でした。」
にこりと笑う楊明だったが、憐華の顔はひきつっている。
そして、ふらあっとしながらも楊明に向かって言った。
「指定した本ったって・・・百冊はあったんだけど・・・。」
「正確には百十四冊です。」
「いや、そういう事じゃなくて・・・。」
またもやふらあっとする憐華。楊明は慌ててそれを支えると、共に書庫を出るのだった。
・・・とこんな調子で、一週間の間に全ての本の内容を覚えてしまったのである。
もちろんそれで憐華自身に後遺症等が出たわけではなく、以前にもまして立派に役目を果たしていた。
もはや憐華なしではこの国の政治は成り立たない、などと言われるほどにまで。
その憐華を連れてきた汝昂はかなりのご機嫌であり、
王もまたそれに恥じぬような立派な政治を行っていた。
そして、憐華と楊明が出会ってから、丁度一年が経とうとしていた・・・。

その日も、王に助言をし、様々な問題解決をする憐華。
もはや楊明の後ろ立ても必要無く、一人で立派にやり遂げるのが当たり前と成っていた。
一日の仕事が終わり、燕子、そして楊明が居る部屋へと戻ってくる憐華。
「ふう、今日も頑張ったあ。」
「お疲れ様、憐華。もう立派に大臣ね。お母さんは嬉しいわ。」
「ほんと。今日は李晃さんも来てたっていうじゃないですか。
憐華さんの変わりようを見て、すごく驚いていたとか。」
「えへへ、まあね・・・。」
少しばかり照れながら頭を掻く憐華。ところが、少しすると表情を変え、楊明に向かって言った。
「ねえ楊明、ちょっと話があるんだけど・・・。」
「いいですよ。それじゃあ・・・例の書庫へ行きませんか?あそこだと落ち着くんです。」
「書庫・・・。まあいいけどね。じゃあお母さん、また後でね。」
「燕子様、それでは・・・。」
「ええ。風邪をひかないようにするんですよ。」
やはり子供扱いされた憐華は少しこけそうになったが、楊明を促して書庫へと歩を進めるのであった。
そして書庫。日も遅いのか、人気は無い。
適当な場所へと二人は腰を下ろし、まず憐華が口を開いた。
「それで楊明、話ってのは・・・」
「その前に主様。私の話を先に聞いてくださいますか?」
「え?う、うん。」
不思議そうな顔をしながらも頷く憐華に、楊明は笑顔で話し始めるのだった。
「主様、大臣となって・・・幸せでしたか?」
「でした・・・って、なんで過去形なの。うん、もちろん幸せだよ。
王様の助言役なんて早々できるもんじゃないし。
なんと言ってもいろんな人達を幸せにできる、これが一番嬉しいな。」
はっきりと告げる憐華に対して、楊明はやはり笑顔になった。
「これから何をなさりたいですか?」
「うーん、まだよくわかんないな。なんとも言えないけど、これからもこの調子で頑張ってゆくよ。」
「とりあえず言える事は、これ以上私から学ぶ知識は無いという事ですよね?」
そこでさっと楊明の顔を見つめる憐華。
先ほどまでの笑顔も絶やさずに、楊明も憐華の顔をまっすぐに見ている。
「楊明、どうしてそれを・・・?」
「今までがそんな感じでしたから。そろそろそういう頃かなあって思いまして。
主様が大臣となったときに、ついつい調子に乗って私も頑張ってしまいましたからねえ。
短期間に一度に教えすぎた気もしたんですけどね。」
少し笑いながらも頭を掻く楊明。
憐華はまだわからないという顔で尋ねた。
「だからって・・・。その統天書には、まだまだ私の知らないいろんな知識が載ってるんでしょ?」
「ええ、そうです・・・。あれ?まだ教えて欲しい事が?」
頭を掻く手を止めて不思議そうな顔になる楊明。
憐華はそれに対して首を横に振った。
「ううん、そんな訳ないよ。もうあたしが知るべき事は十分に教えてもらったって事。
あたしが言いたいのは、楊明はもっと別の国とかに行って、
困っている人達を助けてあげるべきなんじゃないかって。
楊明が教える知識は、あたしがいつまでも独り占めして良いもんじゃないよ。」
「なるほど、そういう事だったんですか・・・。」
楊明には予想外の答えだったのか、感心した様にしきりに頷いている。
今度は憐華が不思議そうな顔になり、楊明に尋ねた。
「楊明は、どういう事だと思ってたの?」
「・・・過去に私が仕えた主様達は、大抵『もうこれ以上教えなくていい!』なんて言ってきたんです。
だから、てっきりそういう事なんじゃないかなって思ってたんですけど・・・。」
真剣に答えた楊明だったが、憐華には納得がいかなかった様だ。
改めて楊明の方をまっすぐに見る。
「それって、あたしと同じじゃあ・・・。」
「いえいえ、違うんです。主様みたいに、他のことを考えて、という事じゃなく。
手前に主様が言いましたよね、まだ知らない知識があるって。
私が言う過去の主様達は、そういうものはほとんど無い状態で、つまり・・・」
「つまり、自分が知識を得るのが嫌になったから、楊明に別の場所へ行ってくれって言った。
他の人の為にとかそういうことじゃなく・・・という事なんだね。」
憐華に答え言われた楊明は、顔を赤くしながらうつむいてしまった。
「え、ええ、そうです。すいません、代わりに言ってもらっちゃって・・・。」
もじもじしている楊明を見て、憐華は少し笑いながら言った。
「そんな、気にしなくて良いよ。でも珍しいよね、楊明が戸惑うなんて。」
「だって・・・こんな主様は・・・初めてですから・・・。」
言葉が途切れ途切れになる楊明。
そんな楊明を心配する様に、憐華は顔を覗きこんだ。
「楊明・・・泣いてるの?」
「い、いえ・・・。ちょっと詰まっただけで・・・。」
しばらくそのままでうつむいていた楊明だったが、やがて元気よく顔を上げた。
「さあ、それじゃあそろそろ統天書に戻るといたしましょう。
主様、空天書となったこれを、何処か異国の地でも・・・主様の思うところへ送って下さい。」
「そうか、善は急げ・・・とは違うかもしれないけど、早いほうがいいか・・・。
それじゃあ楊明、今まで本当にありがとう・・・。」
「主様もありがとうございました。燕子様や汝昂さんによろしくお伝えください。
それでは・・・。」
統天書のあるページを開けて楊明が何やら念ずる。
と、楊明の体が光に包まれたかと思うと、すうーっとそれは消え去った。
その次には楊明の姿は無く、机の上に薄汚れた黒い本のみが存在していた。
そしてその表紙に書かれてあるのは、白い“空天書”という文字・・・。
「・・・ありがとう、楊明。」
憐華は改めて礼を言うと、それを持ち上げて書庫を後にした。
とその時、ダダダダという激しい音と共に汝昂が走ってやって来た。
「ああー!!二人の様子が変だと思ったら・・・やっぱり楊明帰っちゃったのー!?」
「汝昂さん・・・。楊明が言ってましたよ、よろしくって。」
落ち着いた顔で告げる憐華だったが、それとは関係なしに汝昂は叫ぶ。
「そんなあー!せっかく歩くなんでも辞典がフリーになったと思ったのに―!!
ちょっと憐華あー!もうちょっとくらい引き止めておいてよ―!!」
「あのね・・・。」
自己中心的に叫ぶ汝昂、そして“歩くなんでも辞典”という呼び名に呆れながらも、
憐華は汝昂をなんとか落ち着かせるのだった。
そして二人は汝昂の部屋へ。そこで改めて話をする事になった。
「・・・そう、楊明ったらそんな事言ってたんだ。」
「ええ。あたしって変わってるんでしょうか?」
ちょっとはにかみながら言う憐華に、汝昂はやれやれというような顔をする。
「絶対変わってるわよ。一年で楊明と別れるなんて・・・。」
「普通はもっと居るもんなんですか?」
「ええそうよ。といっても、長くても五年くらいかしら・・・。
それにしてもたった一年なんて・・・。まあ、それを承知で楊明は賛成したんだろうけど。」
「賛成・・・って、私が大臣となる事ですか?」
「ええ。こんなお城住まいなんかすれば、それこそ教える密度も濃くなるでしょうしね。
それは必然的に楊明の居るべき時間を縮めることにもつながるけど。」
「そうか、それで楊明はあの時いずれ分かるって・・・。」
汝昂が家にやって来たときの事を思い出してうつむく憐華。
落ち込んだとでも思ったのだろうか、汝昂は話をそらす様に言った。
「前に楊明が愚痴ってたのよね。『もっと歯ごたえの有る主様は居ないんでしょうか』ってね。」
笑いながら言う汝昂に、憐華はふと疑問にかられて尋ねた。
「歯ごたえ?」
「そうよ。つまり、知識をもっともっと教えろ―!って主が歯ごたえがある主ってことね。」
「そんな無茶な・・・。だいたい、百冊も一日に叩きこまれれば、誰だって参ると思いますよ。」
「でしょうねえ・・・。ま、そこがあの子の面白いとこかしら。
ああやってわざと主と別れる時期を早めているのよ。
つまりは、別れをつらくさせない方法。と、あたしは詠んでるんだけど・・・。」
またもや疑問点が出てきた憐華。
今度はかなり興味深い顔で尋ねる。
「別れをつらくさせないってどういう事ですか?」
「あんたも知っての通り、精霊は人間よりずっと長い間生きてるわね?
もちろんその長い時間の間に幾人もの主と出会い、別れる・・・。
その別れは、とにかくつらいものよ。一生懸命仕えた主様と別れるわけだから・・・。」
「そう・・・ですよね。じゃあ楊明は・・・。」
「まあ、あたしが知ってる限り、それぞれの精霊で別れの超え方ってのは違うみたいだけど。
楊明の場合、さっき言った方法をとってるんじゃないかって。
・・・というのは、今さっき思いついた予想でしかないんだけどね。」
笑いながら頭を掻く汝昂。深刻な顔になっていた憐華だったが、そこで一気に崩れた。
呆れたような顔でじと―っと汝昂を見る。と、しばらくして汝昂は笑いを止めた。
「でも、他の人のためになんて、そこはさすが清い心の持ち主って訳ね。
で、何処に空天書を送るつもりなの?」
「以前楊明に教えてもらった、西洋の国へ。あそこも戦が絶えない様ですから。
楊明の力によって、少しでも平和が築けられればいいなって思って。」
「あそこも・・・。なるほどねえ、ここも戦争がいいかげん多いから。
ま、楊明の代わりと言っちゃあなんだけど、あたしがあんたを守ってあげるわ。」
意外な汝昂の言葉に、憐華は慌てて両手を前に振った。
「そんな。あたしなんかより王様を守ってくださいよ。」
「いいこと、王様にとってあんたは必要不可欠な存在なの。
そんなあんたをあたしが守らなくってどうすんの。
袖擦り合うもなんとやら。楊明の世話になった分、あたしも恩を返すから。」
「・・・ありがとうございます、汝昂さん。」
「まっかせなさい!」
ドンと胸を張る汝昂。憐華は楊明のように、笑顔でそれに答えるのだった。

そしてその翌日、空天書は憐華の手によって西洋の方へと送られるかたちとなった。
「それじゃあ、この本を大切に持っててね。西洋の国の誰かに手渡せれば、それでいいから。」
「分かりました、憐華様。しかし、この様な真っ白な本を誰が買ってくれるやら・・・。」
「大丈夫。必ず持つべき人の手に渡るはずよ。」
旅する商人に空天書を手渡す憐華。
持つべき人の手に渡るという自信の程は、楊明からの知識の賜物である。
未来の事は詠めない統天書だが、大まかであれば楊明は詠む方法を知っている。
憐華もそれを習ったのである。次にこの空天書を受け取るべき人物へと渡る方法を。
「頼んだよ。」
「はい、お任せください。」
憐華より受け取った空天書を持って遥か西へと向かう商人。
憐華、燕子。そして汝昂はそれをじっと見送っていた・・・。


それから数年後、憐華のいた地より遥か西の地のとある町で・・・。
「よっ、マイヤー・・・その子は?
なるほどお・・・本の虫のおまえにもとうとう彼女ができたって訳か。
それにしちゃあ随分幼い子だよな。おまえってそういう趣味があったんだ。」
「ち、違いますよ。この子はその・・・なんだか知らないけど本から出てきて・・・。」
「本から出てきたあ?そんな非常識な・・・。」
友人にからかわれて困り果てるマイヤー。
それを助ける様に、その子は前に出た。
「あなたは主様の御友人、マルクトさんですね。
私は主様の言う通り、本から出てきた精霊なんですよ。
色んな知識を教えるのが役目、知教空天楊明と申します。」
ぺこりと頭を下げる楊明。それにつられてマルクトも頭を下げた。
しかしその程度では納得がいかないマルクト。顔を上げて、楊明に尋ねる。
「・・・本当?」
「本当です。信用できないというのなら証拠を・・・!」
楊明は手に持っていた本、統天書をめくり出す。
しかし、とあるページを見て驚愕の表情になったかと思うと、それをパタンと閉じた。
「後でじっくりお教えします。さあ行きましょう、主様もマルクトさんも。」
「へ?あ、ああ・・・。」
「お、おい、待ってくれって。」
慌てて歩き出す楊明の後を急いで追う二人。
楊明が見たものは、これから行こうとしていた場所について。
そこはものすごい量の本が収められてある図書館である。
「・・・また一年で終わるのかな・・・。この主様は一万冊もすればダウンしそうだし・・・。
今度からあの術はひかえるべきなのかな・・・。」
歩きながらポツリと呟く楊明。そんな声も聞こえず、
マイヤーとマルクトは軽く会話を交わしているのだった。
その約二年後、マイヤーは立派な学者となる。
「楊明、今までありがとう。私はもう十分に知識を得た。これ以上は必要無いよ。」
「そうですね、もう主様は限界・・・。」
「ふふ、そういう事かな。もう沢山だって気がする。後はところてん式に抜けて行きそうだ。」
「ところてん・・・。そうか、以前お教えしましたよね。では、さようなら、主様。」
「さようなら、楊明・・・。」
楊明が空天書へと戻る。マイヤーはそれを手に持ち、直ちに外国へと送る手配をした。
こんな調子で、空天書はまたもや別の地へと行く事になる・・・。


そして現在・・・。
今の楊明の主は、七梨太助という平凡な中学生である。
しかし、楊明の他に精霊三人の主である点で平凡ではないのかもしれないが。
その所為もあってか、楊明がつきっきりで知識を教えるという事はほぼ無い状態だ。
また、楊明にとって初めて、花織、熱美、ゆかりん、という親友がこの時点でできた。
以上の要素からして、楊明が仕える時間の最高記録を打ち出せそうである。
最低でも十年は仕えると、楊明は考えている様だ。
ちなみに今までの最高記録は、五年と百七十八日と二十三時間四十三分五十五秒。
で、最近彼女が主に行っている事と言えば、とにかく自分の好きな様に過ごす事だ。
本来の役目である、主に知識を教えるという役割が十分に果たせないという状況の所為だろう。
そのためか、少々悪戯が過ぎる所や子供っぽい所が出ている。
楊明を一番見知っている汝昂は、そういうところにかなり気付いている様だ。
「楊明ってなんか変わったわね。昔はもっとお偉い感じがしたけど。」
「今も昔も偉くなんか無いですよ。」
「そうじゃないわよ。こう・・・なんていうかさあ・・・。」
「・・・以前紀柳さんにも言われましたよ、変わったなって。」
「なんだ、そうなの。どんな事言ってたの?」
「昔はもっと堅い性格だった、って。だけど、今も十分荘厳ですよね。」
「荘厳なんて誰も言ってないじゃないの・・・。
でも紀柳の言う事ももっともだと思うわよ。」
「ええ?そうですか?」
「そうよ。だってねえ、昔のあんたなら、あたしとおやつを取り合ったりなんて絶対にしなかったわよ。」
「だってだって、私はおやつ大好きなんですもん・・・。」
「ほら、そういうところ。あのじょーちゃんの影響だけとは思えないわ。
軽〜い感じがするわね。雰囲気とか・・・。」
「昔はそんなに重かったですか?」
「教えるのに必死って感じがしたわ。まあ、それだけ相手が求めてきたって事かもしれないけど。」
「ええ、そうですよ。教えてと言われて教えないでどうするんですか。
けど、今の主様はあんまりそういう事を・・・。」
「言ってこないの?」
「そうなんです。私はいろいろ教えてあげたい事があるっていうのに・・・。
でも、いくらなんでも無理強いはできませんしね。」
「他の人にはそんなのお構いなしじゃない。」
「いや、それは、その・・・。」
「まあいいわ。そんな事より教えて欲しい事があるんだけど〜。」
「そんな事って・・・。まあいいです。昔とほとんど変わらずってのは汝昂さんぐらいのもんですね。
さあ、なんでも聞いてください。汝昂さん、何を教えて欲しいんですか?」
「さっすが、歩くなんでも辞典だわ〜。実はね・・・。」
とにかく、今までとは違う感じに少し戸惑っているという事は間違いないようである。
それでも楊明はなんとかして、いつかは本来の役割を果たしきろうとするだろう。
太助が「もうこれ以上の知識は要らないよ」と言い出すまで・・・。

<終わり>