「皆さん、午後にちょっと実験に付き合っていただけませんか?」
朝食を終えたヨウメイのこんな一言から、事は始まった。
今日は土曜日。学校はあるものの午前で終了。
それを見越してヨウメイは“午後から”と告げたのであった。
「実験てどんな内容だ?」
最後の飲みかけの湯飲み片手に太助が尋ねる。
すると、ヨウメイはゆっくりと懐のものを取り出して皆に見せた。
「これです。」
彼女が示したもの。それは一冊の本であった。
「それって・・・統天書じゃないか?」
「はいそうです。とりあえずこれに関する実験、とだけ言っておきます。」
それだけ告げると、懐にヨウメイはそれをしまいこんだ。
しかしもちろんそれで納得する皆ではない。
特にキリュウはきつい目でヨウメイを見やっていた。
「詳しい内容を話してくれないと協力は出来ない。」
「キリュウさんとルーアンさん、そしてシャオリンさんには絶対参加して欲しいんですが。」
「だから内容を言ったらどうだ?私もそう暇ではないからな。」
下手すると“午後から私は試練を行う”とでも言いそうな口振りであった。
仕方ないか、と観念したのか、ヨウメイはため息をつく。
「では行きながら説明します。それで・・・」
「まあ、もうこんな時間ですわ!」
結論づけようとしたところで、シャオが唐突に叫んだ。
一人時計をきっちり見ていたのだろう。しっかりしたものである。
ちなみに珍しく時間が少なくなっていたのは、やけにのんびりと食事をとっていたせいだ。
「このままでは遅刻してしまいます。走らないと!」
「うえっ!?はう・・・説明は後にさせてください・・・。」
シャオの言葉にがっくりと、この世の終わりのごとくうな垂れるヨウメイ。
それを見てキリュウはため息を吐き出す。
「仕方ない。だが協力するかしないかは説明を受けた後だからな。」
言いながら一番に出て行くキリュウの後を、太助はシャオとヨウメイを引っ張って付いてゆく。
“えらく慎重だな”と心の中で苦笑しながら。
そんな彼女らを見送るのは那奈であった。キッチンで行ってらっしゃいを告げる。
「・・・で、ルーアンも急げよ?」
食卓を振り返る彼女が見たのは、相変わらずがつがつがつがつと食べ続けるルーアンの姿であった。
「教師が遅刻してたらシャレになんないぞ?」
とそこで、ルーアンは食べかけの食器を置く。
そして“ふっ”と笑みをもらした。
「・・・何笑ってんだよ。」
「おねー様、あたしの足の早さをご存じないのね。」
「は?」
「まあいいわ、あんまりおねー様のストレスをためてもいけませんし。
今朝はこれでごちそーさまっ!」
礼儀良く手を合わせて終わりを宣言。そして箸を置いた。
「じゃあ行ってくるわねん。たー様〜!」
朝から元気いっぱいのルーアン。
あながち言ったことは嘘ではないくらいの俊足で家を飛び出して行った。
ぽかんとしている那奈の傍にあったのは・・・片づけられずに残った数々の食器。
「・・・さーて、TVでも見ようか。」
見て見ぬふりをしてしまう那奈であった。が・・・
「・・・わーったよ、あたしが片づければいいんだろ、まったく。」
ぶつぶつと独り言を言ったかと思うと、いそいそと食器を片づけ始める。
朝の七梨家の風景は、慌ただしくものどかであった。
あっという間に昼。
何人かの参加者を伴って、太助達は家に帰ってきた。
しかしいつものメンバーすべてではない。
新たな参加者は、たかし、花織、ゆかりんの三人であった。
更にはルーアンは職員会議で居ない状態であった。
「少ないなあ。しかもルーアン居ないし・・・こんなんで足しになるのか?」
「那奈姉、そんな言葉を客に投げかけるなって。
皆午後から用事入れてたんだから仕方ないだろ。」
失礼な態度の姉に太助が小言をする。
日曜なら大抵の者は予定をあけているのだが、土曜日は違っていた。
いや、そもそも日曜に七梨家に来ようという者がほとんどなのだ。
だからその日にやる用事を土曜日に入れる、という事態が起こっていただけだった。
「ところで楊ちゃん、一体何を実験するの?」
「熱美ちゃんにはあたしが報告することになってるんだからちゃんと教えてね。」
ごていねいにノートとペンを既に構えているゆかりん。
苦笑しながらも、ヨウメイはとりあえずこう告げた。
「全部庭で説明するから。でもその前にお昼ご飯を食べないと。」
「はい。皆さんの分も張り切って作りますね。」
そしてぞろぞろと移動。
シャオとヨウメイがキッチンに立つ間、リビングで皆が待つ。
ほどなくして出来上がる昼食。
相変わらず美味しい美味しいと言いながら、の食事は終了し、
いよいよ庭で実験の説明をする時がやってきた。
「さて、実験の内容というのは統天書の耐久度についてです。」
「耐久度?」
「そうです。これは口で説明するより実際に見てもらった方が早いので・・・。
シャオリンさん、天鶏さんを呼び出してもらえませんか?」
「天鶏を?まさか・・・!」
具体的な星神の名前により、シャオは意図をすぐさま理解した。
しかしそれは他の皆も同様である。
ためらう彼女ではあったものの、ヨウメイの頷きに、支天輪を構えた。
「来々、天鶏!」
ぴかっと光るわっかより、高温の炎に身を包んだ鳥、天鶏が飛び出した。
すぐさまにヨウメイが呼びかける。
「天鶏さん、その場でじっと止まっていてください。」
いわばホバリングの状態である。羽を上手く動かして宙に浮かぶ天鶏。
そこへ、ヨウメイは近づいた。そして・・・
ぽいっ
統天書を投げ入れる。“あっ!!”と皆が反応した。だが・・・
・・・どさり
何事もなかったかの様に統天書は地面へと落ちた。
明らかに天鶏の体に触れていたにも関わらず、である。
「見ての通り、天鶏さんでも燃やすことができません。いや、統天書は燃えないんです。
どんな高温の炎にさらしても、ね。」
本に着いた草をぱんぱんと払いながら、ヨウメイはそれを拾い上げた。
そんな彼女の顔は、皆と相違ないほどに不思議そうなものであった。
「統天書の耐久度、すなわちどこまでの力に耐えられるかを試すというわけです。」
「それで、私達はどの様なことをすればいい?」
既に短天扇を構えながらキリュウが尋ねた。
どうやら、実験にきっちりと付き合うという事を言っているようだった。
「・・・その気になってくれたんですか?」
少し意外そうな顔をするヨウメイ。
説明を受けた後もあまり協力的じゃなかったキリュウがそんなそぶりを見せたからだ。
「ヨウメイ殿の真の意図が何なのかはわからないがな。」
と、付け足しながら、キリュウはシャオを手招きした。
「キリュウさん?」
「シャオ殿、北斗七星殿を呼び出してくれ。」
「!ほ、北斗七星を、ですか?」
シャオのみならず、一同が驚愕の表情となった。
北斗七星といえば、激しい戦いでは必ずといって参戦してきた星神である。
しかし今回の相手は強烈な敵などではない。何の抵抗もしない一冊の本なのだから。
「先ほどの結果からもはや普通の星神では対処できないだろう。
ならば無駄を省くためにも最強の星神を呼ぶのが得策というものだ。」
「・・・わかりました。」
「ちょっとキリュウさん!シャオ先輩!」
支天輪を構えようとしたシャオ、そしてキリュウに向かって花織が叫んだ。
呼ばれた二名が思わず振り返ると、そこには肩で息をする彼女の姿がそこにあった。
「そんなことしてもしも!もしも統天書が跡形もなく消し飛んじゃったら・・・!!」
「いいの、花織ちゃん。これは実験なんだから。」
横からヨウメイが肩をぽんと叩く。
その顔には“任せてみよう”の意志がはっきりと見て取れた。
「い、いくら実験でも!!」
「それにもしも消し飛んじゃっても再生させる方法があるから。」
「・・・ほんとか?」
花織とヨウメイが顔を見合わせているそこに、那奈が少し割って入った。
何かを心配しての、そんな表情である。
そんな彼女に、ヨウメイはくるりと体を向けた。
「ええ、本当ですよ。那奈さん。」
「だったらヨウメイに任せとけよ。じゃないと実験進まないし。」
「・・・わかりました。」
すごすごと花織が引く。
その後に、ヨウメイはシャオに、キリュウに顔を向け、無言で頷いた。
「それではいきますよ。・・・来々、北斗七星!」
支天輪が光る。そしてその中から北斗七星が姿をあらわした。
七つの光り輝く其の姿に向かって、キリュウが扇を構える。
「万象・・・大乱!」
ぱあっと起こる北斗七星の変化。
見た目にはわからないが、北斗七星の能力を強力化したということだ。
頼もしきその姿を見て、ヨウメイは定位置へと立った。
「さて、さっさと済ませますかね。これを実験の最後と致します。」
「?やけに早いな・・・。」
思わず太助が反応して呟く。
もっと続くかと思われた実験は意外なヨウメイの言葉によって終わりを迎えようとしていた。
当然ながら疑問の表情である者が多数。
そんな彼らに向かって、ヨウメイは少し目を伏せながら答えた。
「なんといってもルーアンさんが居ませんから。
北斗七星さんが駄目なら、他はもう無駄でしょうからね。
物理的にはこれ以上のものはありません。残るは・・・いえ、とにかくそれはまたいつか。」
なるほど一理有る、とこの説明には大多数が頷いた。
物理的という点で、北斗七星を最後とする理由はもっともであったからだ。
ただ、別の方法が存在するらしいそれについては誰も触れなかったが。
「ではお願いしますね。空に向かって放り投げた統天書に最高の攻撃をかましてください。」
片手で統天書を空に掲げるヨウメイ。それに一斉にうなずく北斗七星。
皆は、それを緊張の面持ちで見つめていた。
「・・・野村さん、合図お願いします。」
「は?なんで俺が?」
「相乗効果って奴ですよ。それになんか目立った出番が欲しいでしょう?」
くすりと笑っているその顔に一瞬唖然としたが、たかしはこくりと頷いた。
「じゃあいくぜ。構えて・・・。」
大地に足を踏ん張ったたかしが手を前に突き出す。
構えという言葉に従い、たかしとヨウメイと北斗七星が構えの姿勢をとった。
「ゴー!!」
たかしがぶんっと腕をふりあげる。
同時にヨウメイが天に向かって統天書を放り上げた。
そして北斗七星も動きを開始した。
ふわりと宙に浮かぶ統天書・・・
皆の目がそれに集中する・・・
その、ほんの一瞬の後・・・
ドゴオオオオオオン!!!!!
強烈な爆発が、閃光が巻き起こった。
北斗七星が力のすべてを統天書にぶつけた、その衝撃である。
しかし、常識的に考えればそれはありえない事である・・・。
「凄いな、北斗七星。」
「キリュウ、かなり力を大きくしたんじゃないのか?」
「生半可な力では無理だと思ったしな。しかし・・・」
「変だ。そう思ったんでしょう?キリュウさん。」
キリュウが思い浮かべている疑問を既に分かっているかのように、ヨウメイが言葉を繋いだ。
そう言っている彼女の頭上は、未だ爆発の衝撃で起こった爆雲が漂っている。
「明らかに力の差があるものならば、こんな爆発が起こるわけはないんです。
起こったというのは、それだけ統天書の抵抗が発生したという事で・・・」
とさり
説明の途中で彼女の上から何かが降ってくる。
ヨウメイはそれを両手で当たり前のように受け止めた。
それは、北斗七星が強烈な攻撃を食らわせた、爆発の元となった、統天書であった。
「・・・無傷、ですか。」
「!!!ば、馬鹿な!私はかなり北斗七星殿の力を上げたのだぞ!?」
「それだけ統天書が丈夫だって事で・・・さてと、治療をしないとね・・・。」
既に疲れ切ってるような息を吐きながら、ヨウメイは統天書をぱらぱらとめくり出した。
「治療?誰の?」
「ほ、北斗七星!」
疑問の声でたかしが尋ねたその時だった、シャオが叫んだのは。
彼女のそれに反応して皆が上空を見上げると、煙が晴れたそこに、
なんとも弱々しい姿で北斗七星が浮遊していた。
酷い怪我を負っているというわけではないが、体力的精神的にも見て、明らかにダメージを受けていた。
「よほどの衝撃が返ってきた、ということなんでしょうか・・・。」
「体当たり、という技が災いしたって事ですよ。」
驚愕の表情であるシャオに、ヨウメイが自然と答える。
なるほど、統天書にぶつかった時の衝撃が跳ね返ってきたということだろうか。
「とりあえずこれにて実験はお終いです。・・・万象復元!」
北斗七星の体がぱあっと光る。見た目そのものが安堵に包まれる。
その後に、ヨウメイはどさりと地面に崩れ落ちた。例によってこの術の後の眠りである。
「楊ちゃん、なんかすっごく残念そうな顔だった・・・。」
眠るヨウメイの傍に駆け寄る花織とゆかりんを含め、
皆は微風で何気なくめくれている統天書を見つめているのであった。
夜。客人はすべて帰り、七梨家に眠りの時間が訪れた頃。
術の眠りから覚めたヨウメイは、屋根の上に座って月見をしていた。
その隣にはシャオ。今日の実験に関して色々聞きたい事があったからだ。
しかしヨウメイの顔をちらちら見ているうちに聞けなくなってしまう。
普段ならしつこいくらいに説明なぞをするヨウメイが、ほとんど口を開いていないからだ。
「あの、ヨウメイさん・・・。」
「シャオリンさん、質問はなるべく少なくお願いします。」
既にシャオの意図が分かっているのか、ヨウメイは顔を向けることなく答えた。
声にもあまり気力のほどは取れない。やはり話は極力避けたいみたいだった。
それでシャオは少しの間考える。様々な質問を用意していたので、一つを選ぶのだ。
しかし考察はそう長くはかからなかった。
「あの、もしも統天書が本当に消えてしまったらどうするつもりだったんですか?」
最も聞きたいこと。これを告げると、ようやくヨウメイは顔を向ける。
「・・・消えませんよ。そう確信してましたから。」
少しだけ間を置いたものの、何の戸惑いもなく答えるヨウメイ。
更にシャオは質問を投げかける。
「確信?ではどうして実験を?」
「一縷の望み、とでもいいましょうか・・・。」
「だから何故!消えてしまったらどうするつもりだったんですか!?」
先ほどの問いをもう一度強く行う。今度は少し体が上がってしまったほどだ。
しかしそれでも、ヨウメイは戸惑うこともなかった。
「もし消えたら・・・私も消えてしまう、なんてオチはないですからご安心を。」
「えっ?」
「ただ単に私が役目を失う、ただそれだけのことです・・・。」
「ヨウメイさん?」
どうもヨウメイの答えははっきりしていない。
シャオの中ではなんともいえないもどかしさが募るばかりであった。
「勝手な事ですいません、あんまり答えたくないんです、これは・・・。」
「ヨウメイさん・・・。」
ついには悲痛な顔になってまで頭を下げだしたヨウメイに、シャオは慌ててしまう。
しばらくの気まずい沈黙の中、ヨウメイはゆっくりと顔を上げた。
「ともかく、勝手な実験に協力していただいてありがとうございました。」
「い、いえ。今度もよければ協力しますけど?」
優しいシャオが自然に出した言葉に、ヨウメイは思わず顔をしかめた。
しばらく後にゆっくりと首を横に振る。
「遠慮します。というよりは、シャオリンさんが協力できることはもうありませんから。」
「そうなんですか・・・。」
「・・・ごめんなさい、ほんとにごめんなさい。」
「ヨウメイさん・・・。」
何かを必死に謝っている。
それが何なのかはシャオには分からなかったが、そっとヨウメイを抱きしめた。
心地よいそれにヨウメイはびくっとしながらも、なすがままに胸元に顔を埋める。
シャオのみならず、実験に関わった面々が全員が腑に落ちない気分を数日ほど味わっていた。
≪第二十九話終わり≫