小説「まもって守護月天!」(知教空天楊明推参!)


4 手遅れの時

消灯時間を過ぎた頃、花織達はぐっすりと部屋で眠っていた。
だが、その中でも昨日と同じく明かりをつけて起きている人物が。
ヨウメイである。
「昨日は調べられなかったから・・・ふああ、今日こそは・・・ふあああ・・・・。」
主である太助の様子を統天書で見ようという事なのである。
しかしその顔は非常に眠たそうだ。起きている間相当に運動した所為だろう。
「さあて、主様の・・・ありゃ?」
いざ統天書を開けようとしたのだが、それは統天書ではなかった。
似た様な感じの分厚い辞書である。
「間違えてる!?そんな馬鹿な・・・。」
焦って必死にページをめくりだすヨウメイ。
と、そこに一枚の紙がはさまっているのを見つけた。
「なんだろこれ。えーと・・・“楊ちゃんへ。統天書はわたしがあずかりました。
大丈夫、最終日にちゃんと返すから。〜熱美より〜”
・・・えええー!?」
叫んだかと思うと、隣ですやすやと寝息を立てている熱美を見る。
幸せそうなその寝顔が、ヨウメイにとってなんとも小憎らしく見えた。
「ちょっと熱美ちゃん!統天書どこへやったの!?」
「んん〜・・・。」
「熱美ちゃんてば!!」
「ん〜・・・。」
必死に彼女の体を揺すっているヨウメイだが、熱美はさっぱり目を覚ます気配が無い。
そのうちに・・・
「こらー!!消灯時間はとっくにすぎているんだぞー!!」
「わわっ、ごめんなさいー!!」
声が外にもれていたのか、見まわりの先生に怒鳴られてしまった。
慌てて布団の中にもぐりこんだヨウメイだったが・・・。
「・・・知教空天か。昨日といい今日といい・・・罰として今から一時間正座!」
「う、うええ!?・・・ぐー。」
「タヌキ寝入りなんかしてもだめだ!早く来なさい!」
「そ、そんなあ・・・。」
先生からの強制的な呼び出しをくらい、ヨウメイは眠たげな目で部屋の外へと出た。
昼間の疲れを癒すかの様に寝息を立てる親友たちを部屋に残して・・・。


那奈に殴られた太助。だがそれに動じる事も無く、太助は殴られた箇所を自分で治療した。
「・・・痛いな。でももう治ったぞ。」
「太助・・・そこまで腐ってるとは思わなかったぞ!」
平気なそぶりを見せる太助に、今にも再び襲いかかろうとしている那奈。
それを必死になって抑えているのはキリュウにルーアンだ。
呼び出されていた瓠瓜は恐怖に怯え、シャオは何も出来ないでただその場を見守るのみである。
「なにやってんだ?聞こえなかったのか?早くそれぞれの道具に帰れ。」
太助は再度言い放った、三人の精霊に向けて。
那奈はいきり立っているが、やはり精霊達はそれに返事出来ないでいた。
困惑の度合いがあまりにも大きすぎて、聞こえない振りをしていたのかもしれない。
「・・・わかりやすくもう一度言ってやろうか?
キリュウは、短天扇に。ルーアンは黒天筒に。そしてシャオは、支天輪に。
・・・とっとと帰れって言ってるんだよ!!」
「やめて!!!」
息を切らしながら叫んだ太助に、シャオが叫び返した。
耳を手で塞ぎながら、大粒の涙をいくつも流している。
「太助様、一体どうしちゃったんですか!?今の太助様は太助様じゃ・・・」
「うるさい!黙れ!!余計な事言って無いでさっさと帰れってんだ!!
殺されたくなかったらな!!」
「!!!!」
もはや顔を真っ赤にさせている太助は必死そのものであった。
当然皆はそれに愕然となる。
一瞬にしてしんとなるリビングは、太助の息遣いのみが聞こえていた。
「・・・分かったわ。」
抑えていた力を外し、ルーアンは黒天筒を取り出した。
「る、ルーアン!?」
「おねー様、ごめんなさい。主様に言われたら、あたし達は帰るしかないの。
さようなら、たー様・・・。」
涙を流しそうになって、ルーアンは慌てて黒天筒へと帰っていった。
一瞬のうちに姿を消した彼女に、那奈は呆然となる。
「私も帰る。・・・皆によろしく言っておいてくれ。」
「キリュウ!」
キリュウ自身も短天扇を広げ、姿を消した。
那奈が手を伸ばしたが、それは空中をかすめるだけで、ぱさりと扇が床に落ちる。
シャオは、そんな二人の様子を見る事も出来ず、ただ太助を見ながら涙を流すしか出来なかった。
その手からは、握っていた支天輪が転げ落ちる。回転をしながら、それは床に止まった。
とその時、支天輪が光り出した。びっくりしてシャオ達がそれを見ると、そこから現れたのは・・・
「南極寿星・・・。」
杖を持った小さな老人である。
守護月天のお目付け役であり、シャオをずっと見守ってきた星神だ。
「シャオリン様、わしは今非常に悲しいですじゃ。こんな事態になるとは・・・。
それもこれも・・・小僧!!おぬしいったいどうしたというのじゃ!?
シャオリン様を守護月天の宿命から解き放つと言ったのは偽りだったのか!?」
杖を太助に向け、激しく叱咤する。その目からは、シャオと同じく涙を流していた。
「・・・関係無いだろ。」
「な、なんじゃと!?」
「じーさんなんかには関係無いんだよ!とっとと支天輪へ戻れってんだ!!」
「な、なにをする、やめんかこら!」
南極寿星の体を掴んだかと思うと、太助は彼の体をぐいぐいと押しつけ始めた。支天輪へ向かって。
あまりのその酷い光景に、シャオはいてもたってもいられなくなった。
太助の傍へ慌てて駆けつけ、彼の手を握る。
「止めてください太助様!!どうして・・・どうしてこんな・・・。」
もはや言葉にならない。息をするのも精一杯の状態であった。
胸が苦しい。悪いものを体中に注ぎ込まれたような、ひどい嗚咽感にシャオは襲われた。
「う、うう・・・。」
「・・・早く帰るんだ、シャオ。」
辛そうにしている彼女に、太助は静かに告げた、囁いた。
憤慨した南極寿星は、一秒でも早く支天輪に戻りたい様子を見せたが、
シャオはその体を腕の中に抱きしめた。
「シャオリン様?」
「帰ります、支天輪に。太助様、私は・・・。」
俯いていたので太助の顔はシャオに見えなかった。
また、太助からもシャオの顔は見えなかった。
そのまま過ぎて行く時間はなんの解決ももたらさなかった。
しかし、シャオはどこからかこんな声を聞いた気がしたのだ。“すまない”という声を・・・。
ただ、その声を確認する事も出来ず、シャオはぱああという光ともに、
南極寿星と、瓠瓜と一緒に・・・支天輪へと完全に姿を消した。
後に残ったのはただのわっか。支天輪と呼ばれた、ただのわっかだ。
「太助・・・。」
「・・・・・。」
「あたしは、お前を心底見そこなった。なんで、なんであんな・・・。」
一連の出来事をただ見ているしか出来なかった那奈は、悔しそうに呟いた。
そしてその目は軽蔑に満ち溢れていた。
精霊達を、太助を心から慕ってくれているシャオを、支天輪へ帰してしまったことに。
「・・・そうだ、一つ提案がある。」
「なに?」
提案という思いもかけない言葉に、那奈は太助を見た。
その顔は笑っていた。涙の跡も無い。シャオが支天輪へ帰る時も笑っていたのだ。
「姉弟の縁を切らないか?」
「なん・・・だと?」
今日はこれで何度目だろうか、那奈は耳を疑った。
「離れて別々に暮らそうって言ってるんだよ。
もちろん家族全員と縁を切るつもりだけどな。
だいたい息子を、弟をほったらかして旅行なんてしてる連中に家族の資格なんて無いさ。」
「お、お前、それ本気で言ってるのか?」
次々と信じられない言葉を紡ぐ太助に、那奈はただただ圧倒されていた。
それで思わず聞き返したのだが、彼はそれにこう答えた。
「本気だよ、那奈さん。」
「!!!!」
「さあて、ここは俺の家という事にしようか。そういうわけだから早く出ていってくれ。」
「た、太助・・・。」
「嫌だと言っても強制的に追い出すさ。なんたって俺は今天使の力を持ってるからな。」
「ば、馬鹿やろー!!!!」
太助に向かって那奈が殴りかかる。それを太助は飛んでひょいっと交わした。
彼の後ろは壁。そこに那奈はしたたかに体を打ちつけた。
「ぐっ・・・。」
「外に出るの、手伝ってやるよ。」
めまいを起こしている那奈を、太助は玄関から外へと運び出した。
御丁寧にもある程度の手荷物も一緒だ。
ようやくそこで意識をはっきりさせる那奈は、慌てて立ちあがる。
が、既に太助は家の中へ入ろうというところだった。
「おい待てよ太助!」
「・・・そうだ、肝心のこれを持っていってもらわないとな。」
ごそごそとしたかと思うと、太助は家の中から玄関へ戻って来た。
そして、道路に立ち尽くしている那奈に三つのものを投げつける。
「いてっ!こ、これは・・・!!!」
「もう俺には必要無いから、那奈にやるよ。」
それは、短天扇に黒天筒、それと支天輪であった。
那奈は危うくそれを受け取ると、手荷物にそれらをしまい込む。
そして太助をキッと睨み、
「お前なんかもう知らないからな!!」
と、最後のセリフの様に叫んだ。
「どうぞ、こっちとしてもその方がありがたいよ。」
「くっ!」
しかし、やはり平然として太助は返事をする。
もはやここには居たくないと思った那奈は、翔子の家へと駆け出していった。
普段滅多に見せる事の無い、たくさんの涙を流しながら・・・。
彼女が完全にここから去っていった事を確認すると、太助は玄関へと戻った。
するとそこには、あの人形が出迎えていた。
「オレが手助けしていたとはいえ・・・よく頑張ったな。
もはやあの者達とお前との縁は切れたも同然だろう。」
「・・・本当に、これで大丈夫なんだろうな?」
「まだ油断は許さないだろうが、大丈夫だ。神に誓って約束してやろう。」
「そうか・・・。」
気の抜けた顔で、太助は家の中へと足を踏み入れる。
リビングにくると、力が抜けたようにどさっとソファーに崩れ落ちた。
これまでの太助の変貌ぶりは、密かに人形が精神的な力で手伝っていたのである。
それでも途中太助は、幾度と無く正気で居られ無さそうになった。
しかしこれは、人形に対して彼自らが相談した結果である。
「お前は将来立派な天使に成るよ。」
「そんなもん、どうでもいい。上へ行っててくれ、独りにさせてくれ。」
「ああ、分かった。」
かたかたと笑いながら、人形はその場を去って行った。
やがてそれが動く音がしなくなると、太助はソファーに突っ伏して泣き始める。
「これで・・・これで本当に良かったのか?
たかしに、出雲に、乎一郎に、山野辺に・・・
キリュウにルーアンに那奈姉に・・・そしてシャオに・・・。
あんな非道い事して、俺は、俺は・・・。」
今日縁を切った友人達の名を呟き、後はただただ泣くばかりであった。
こらえ様としてもこらえられるものでもない、涙が後から後から湧いてくるのだ。
自分のこれまでの言動を思い返してはひたすら悔恨に悩み、それを幾度となく繰り返し・・・。
ほとほと泣き疲れた頃、太助はその瞳を閉じて眠りに入っていた。


遠くから鳥のさえずりが聞こえてくる。
ちゅんちゅんという声は雀だろうか?ともかく朝がやってきた。
先生達はもちろん、多数の生徒達は既に起き出している。
もちろん花織達も起きてはいたのだが・・・。
「ぐー・・・。」
「ちょっと楊ちゃん、顔洗ってる最中に寝ないでってば。」
「ん〜・・・眠くて眠くて・・・ふあああ〜・・・。」
昨晩はろくに眠れなかった所為か、ヨウメイはかなり眠たげである。
結局正座一時間させられ、更に足の痺れによりしばらく目がさえてしまっていたのだ。
統天書を見ようにも、その所在地はわからず。
寝不足のまま、疲れも十分に取れないまま翌朝を迎えてしまったのだ。
「熱美ちゃんの責任だからね。」
「ちょっと、わたしは正当防衛を行ったまでよ。」
「楊ちゃんの統天書を隠すなんてのはやっぱりだめだよ。まったくもう・・・。」
顔を洗い終わり、立ったまま眠っているヨウメイを見やりながら、花織もゆかりんもたしなめ顔だ。
とはいえ、二人ともヨウメイの隣で寝ている熱美の身になってないからそんな事が言えるのだろう。
三人でヨウメイをひきずりながら、朝の食事へと向かうのだった。

宿泊訓練最終日は、大掃除がメインであった。
自分達が泊まった場所を懸命に綺麗にする作業。
恒例といえば恒例のスケジュールなのだが・・・
「ぐー・・・。」
やはりというか、ヨウメイは寝ていた。
ちりとりを持って、ゴミに頭を突っ込んだ状態で。
「・・・誰よ、こんな所に生ゴミ捨てたの。」
「花織、それ楊ちゃん。」
「へ?・・・ほんとだ。楊ちゃーん、一緒に捨てちゃうよ〜。」
「あんたねえ、冗談言ってないで早く起こしてよ。掃除が終わらないでしょ。」
急かすゆかりんに、花織はヨウメイを起こしにかかった。
コントの様な花織達の光景に、それを見ていた生徒達はくすくすと笑うばかり。
人目を気にしだした熱美は、花織を手伝ってヨウメイを起こしにかかる。
「楊ちゃん、起きて起きて。」
「ぐー・・・。」
「朝御飯食べちゃうよ〜。」
「ぐ、ぐー・・・。」
「授業が始まっちゃうよ〜。楊ちゃんの授業だよ〜。」
「むにゃ?私の授業?」
「起きた!」
はしゃぐ花織の言う通り、なんとかヨウメイは目を覚ました。
それでもしきりに目をこすっているので、眠たそうなのは変わりない。
端で見ていた者達は、滑稽な起こし方を見て更にまた笑うのであった。
結局そんなやりとりは帰りのバスに乗るまで続けられた。
バスの中ではもちろん、花織達はぐっすりと熟睡しているのだった。


自分は一体何をしていたんだろう?
あれからどのくらいの時間が経ったのだろう?
あれが夢ならばどうかそうであって欲しい・・・。
そんな事を心の中で描きながら、太助は目を覚ました。
頬には幾筋もの涙の跡があり、自分が寝ていたソファーはぐっしょりと濡れていた。
「相当泣いてたんだな・・・。」
力の抜け切った声で呟くと、太助はゆっくりとそこから起きだした。
外は既に明るく、時計を見ると昼近かった。
しかし、昨日は寝に入るのも遅かったのか、疲れはあまり取れていない。
もう一眠りしようか、と太助が思ったその時・・・
ぴんぽーん
「!?」
呼び鈴が鳴った。一体誰だ?と太助が思っていると、今度は声が聞こえてくる。
「七梨さーん、速達でーす!」
「なんだ、郵便やさんか・・・。」
ある意味ほっとして、太助は玄関へ向かった。
ドアを開けて郵便物を受け取る。それは小さな手紙であった。
「ありがとうございました〜。」
やってきた配達員を見送ってドアを閉める。
手紙の差し出し人を見ると・・・
「七梨さゆり・・・って、また母さんから!?」
一昨日とは違った意味の震えに襲われながら、太助はリビングへと戻って行った。

『太助、まず謝っておきたいのだけど先に要件を話すわね。
ついこの前送った人形なのだけど、実は大変な代物だという事が判明したの。
心の清い者が触れると天使になってしまい、その代償に・・・すべてのものを失ってしまうものなんですって。
あなたは支天輪から心清き者が呼び出せるという精霊、シャオちゃんを呼んだんだわよね?
だから太助が触れるととんでもない危険があるという事・・・。
絶対に触れては駄目よ、太助。勝手に送ってしまってなんだけど、本当にごめんなさい。』
後はつらつらと、天使になったらどうなって、という事が書かれてあった。
それらはすべて太助が体験した通りのものであり、また人形が言った通りのものである。
そして最後に・・・。
『願わくば、この手紙が人形より先に届いている事を祈っています。   さゆり
という一行が付け加えられていた。
字の様子からして、相当慌てて書いたのだろう。
これより前に届いた人形と同封されていた手紙と日付を比べると、一日違いであった。
しかし、何故か速達であるはずのこちらの手紙は人形より二日遅れで届いたのだ。
本来なら手紙が先に着くはずだが・・・どこかで何かが狂ったのだろうか?
太助にとっては、そんな細かい事はどうでも良かった。
もはやこの手紙は手遅れなのだ。今届いても意味を成さないのだ。
自然と目に涙が溜まってくる。
「遅いよ、母さん・・・。もう俺は・・・取り返しのつかない事をしてしまってるんだ・・・。
独りぼっちになっちゃったよ、また・・・。」
ぽたぽたと落ちる涙の雫が手紙にいくつもの染みを作ってゆく。
昨日の夜と同じ様に、太助はテーブルに突っ伏したまま泣き続けるのであった。


西に傾いた日が空を赤く染め始める。
その光を浴びて真っ赤になった顔を見せながら、ヨウメイは七梨家へ向かっていた。
宿泊訓練は無事にすべてが終了し、花織達ともわかれの挨拶をさっき交わしてきたところなのだ。
この三日間分の荷物をだるそうに背負いながら、ずしりずしりと歩く。
「やっぱり・・・重い・・・。疲れてるのにい!」
力が抜けてはいるが、れっきとした叫び声をあげる。
飛翔球を使えばいいはずなのだが、それは花織にとりあげられてしまった。
“家に帰るまでが訓練なんだから!”という事である。
最初は取り返そうと必死だったヨウメイだが、たまった疲れと花織の頑固さに負け、
飛翔球を持たないまま、重いため息をついてさよならしたのだった。
「たしかに言えてるけど、私はとにかくくたくたなのに・・・。
早く、家で休みたい・・・。」
帰ったらすぐにでも夕飯にしてもらおう。メニューも自分が好きなものに。
それを食べたらお風呂に入ってすぐに寝よう。キリュウさんの事なんか構わずに。
着々とこの後の計画を頭の中で練りつつ、ヨウメイは必死になって歩を進めていた。


ガサササッ
「ん?」
庭から聞こえてきた繁みをかき分ける様な音に、太助は目を覚ました。
テーブルの上にはぐしゃぐしゃになった手紙。
泣きながら、太助はまた眠ってしまった様だった。
突っ伏していたので、顔にはくっきりと跡が残っていることだろう。
目をこすりながら立ちあがると、太助は庭への戸を開けた。
「誰か居るのか?」
彼の呼びかけに答える者は誰一人居なかった。
聞こえてくるのは、遠くを通行している車の音や犬達の吠える声。
気の所為かと思った太助が戸を閉めようとしたその時・・・
「ただいま戻りました〜!ああ疲れた〜・・・。」
玄関からへにゃへにゃな声が聞こえてきた。
それはまぎれもなくヨウメイ。二泊三日の宿泊訓練から帰ってきたのだ。
時計が指していた時刻は午後五時半。遅いといえば遅い帰りだ。
「そういえば今日だったんだな、帰ってくる日・・・。」
「おい。」
太助が振り返ると、そこには人形がテーブルの上に立っていた。
済ました顔ではあるが、あまり機嫌はよさそうでない。
「まだ居たのか?オレは知らないぞ。」
「丁度留守だったんだよ、前に言っただろ?・・・心配するな、すぐに帰すさ。」
「そうか?」
とぼとぼとした足取りだったが、太助は人形に手を振るとリビングを後にした。
もはや彼の後ろ姿に“気力”といったものは感じられない。
非常に弱々しいものだった。
「お帰り、ヨウメイ。」
「あ、主様。疲れましたよ〜・・・って、何頭につけてんですか?」
出迎えてくれた太助にほっとするヨウメイ。だが、彼の姿に疑問を抱いた。
頭の上で浮いているわっか。それが非常に気になったのだ。
「これか?なんでもない、ただの飾りだよ。それより、聞いて欲しい事がある。」
特に気にも止めずに、太助は話を続けようとした。
しかしそこで、ヨウメイは手を翳して待ったをかける。
「言わなくても統天書で調べますから。」
いそいそと分厚い書物を取り出す。
が、いざそれをめくろうとする彼女の手を太助は止めた。
「主様?」
「調べものなんてしなくていい。俺が直に言う。」
「ですが・・・。」
「うるさいんだよ!」
突如怒鳴る太助に、ヨウメイはびくっとなった。
構わずに太助は言葉を続ける。
「いいか、一度しか言わないから良く聞け。統天書に帰るんだ。」
「え?今なんて・・・」
「一度しか言わないって言っただろ!!人の話を聞け!!」
「ご、ごめんなさい。」
しゅんとしながら、ヨウメイは太助の言葉を受け止めた。
統天書に帰る・・・帰る?
「あの、主様、意味がわかりませんが。」
「はあ?帰れって言ったら帰れって言ってんだよ!!二度と俺の目の前に・・・」
「だから、統天書じゃなくて空天書なんです。帰る時は。」
「は?・・・あ、そ、そういうこと・・・って、それがなんだってんだ!
じゃあ訂正してやるよ、空天書に帰れ!!」
「・・・・・・。」
激しくまくしたてる太助に、ヨウメイはしばしぽかんとしていた。
それこそ宿泊訓練の疲れなどなかったような顔をして・・・。
「・・・何か、あったんですか?そういえば随分家の中が静かですがシャオリンさん達は?」
「うるさい、もうヨウメイになんか関係ないんだ!!さっさと帰れ!統・・・空天書へ!!」
言い終えた太助がはあはあと激しく息をする。
そんな彼を無言のまま見つめていたかと思うと、ヨウメイはすっと立ち上がった。
「分かりました。空天書へ帰るとしましょう。ですがその前に・・・。」
呟きながら、ヨウメイは統天書をパラパラとめくり出した。
それを見た太助は、慌てて止めに入ろうとするが・・・
「来れ、衝撃波!!」
バシュウッ
「う!?」
すんでのところでヨウメイが唱えたそれにより、太助のからだが後ろに吹っ飛ぶ。そして・・・
ズドン!!
「ぐはっ!!」
激しく壁に叩き付けられ、太助はそこに崩れ落ちた。
「手荒な真似して済みませんね。でも私は、不本意に帰れと言われた時、大抵こうしてるので。
特に主様が理由も告げない時はね。」
冷静に言い放つと、ヨウメイは再び統天書をめくり出した。
気絶はしていなかった太助は、激痛が走る中、懸命に手を伸ばす。
「だめだ、調べないでくれ・・・知らないでくれ・・・。」
統天書をひけば、ヨウメイは必ずここ最近の事情を完璧に知ってしまう。
そうなると、現在天使となっている太助が元に戻る方法もすぐに知るはずだ。
何故なら、それは人形があっさりと告げたものだから統天書に載っているのは必然。
「知られると・・・みんなが・・・。」
太助自身、あれだけの行動ではまだ完全に縁は切れていないと確信していた。
たしかに家を飛び出した那奈達だが、以降何らかの接触は試みてくるはず。
それすなわち、縁は切れていないという事だ。
よって、他の者に方法が知れたという事でその命が奪われる。
更には、遠い地で暮らしている父太郎助や母さゆりは確実に・・・。
「えーっと、あ、あったあった。なるほど、さゆりさんから人形が送られてきた、と。」
「やめてくれ、ヨウメイ・・・頼むから・・・。」
ずるずると床をはいずりながら、太助は必死に手を伸ばす。
涙をとめどもなく流しながら、消えそうな声で懸命に告げる。
だが、そんな彼の行動も空しく、ヨウメイはふむふむと頷いた後に統天書をパタンと閉じた。
「ヨウメイ?もしかして・・・。」
「ええ、全部、わかりました。」
「そんな・・・なんてこった・・・。」
沈んだ顔で告げるヨウメイに太助は愕然となる。
必死に伸ばしていた手が、がたっと廊下に落ちる。そしてからだの動きを止めた。
「主様、大変なことになってたんですね。知らなくて本当にすいませんでした。
私は知教空天、主様の事くらいは知っていなければならないのに・・・。」
「もう、いい・・・。おしまいだ、何もかも・・・。」
詫びるヨウメイに、太助は諦めた様に呟いた。
ごろんと仰向けになり、濡れた瞳で天井を見つめる。
家に上がったヨウメイは、そんな太助の顔を真正面から見下ろすのだった。
「何を諦めてるんですか。大丈夫、シャオリンさん達には私から事情を話しますから。」
「何言ってんだ・・・。もうシャオは、皆は・・・この世には居ないんだ・・・。」
「そんな馬鹿な。なんなら今から私が調べてみますよ。」
にこっと笑って統天書をちらつかせるヨウメイに、太助はかっとなった。
「居ないったら居ないんだよ!!さっきヨウメイが全部知ったおかげで皆・・・
皆死んじまったんだ!!シャオも、那奈姉も、ルーアンも、キリュウも、たかしも・・・。
そして、親父も・・・母さんも・・・。」
叫んでいるうちに目頭が物凄く熱くなるのを太助は感じた。
今までに体験した事の無い苦しみが胸を襲う。
酷く気分が悪くなり、それ以上言葉すらも発せられなくなった。
だが、ヨウメイは静かに首を横に振った。
「何をおっしゃいます。私が今ここで生きてるでしょう?」
「・・・え?」
「いいですか、主様。人形はどんな事をすれば縁を持つ者が死ぬと言いましたか?」
「天使から元に戻る方法とかを他の誰かが知った時・・・」
「いいえ、違います。天使から元に戻る方法を、そしてその事情を、 主様が知らせれば、です。」
「そ、それって・・・。」
かたかたと震え出す太助の手をとって、ヨウメイは更ににこりと笑った。
「ええ、私みたいな場合はなんの問題もありません。
あくまでもあの条件は“主様が知らせた時”というもの。
私は主様から知らせてもらった訳ではありません。自分で知りましたしね。
他の皆さんへは私が説明すれば、もはや条件を満たす事もありません。
縁を切るなんて方法は使わず、別の手段を考えましょう。皆でね。」
再びちらちらと統天書を見せる彼女に、太助はぶわっと涙をあふれさせる。
しかしそれは今までの様な暗い意味のものでは決してなかった。
“良かった・・・”と、救われた様な笑みを浮かべるのだった。

「なるほどな、あんなとんでもない手段が存在したとは・・・。」
太助とヨウメイの一連の様子を覗いていた人形は、驚いていた。
いわばあれは反則に近いものがあるのだ。しかし失格ではない。
人形の告げたリスク的なものはあっというまに崩れ去ってしまったのだ。
「まあ、どのみちオレが直接被害に遭う事は結局な・・・ん!?」
元の位置へ戻ろうとした人形だったが、別の人影に気付いてその動きを止める。
その人影とは庭から静かに入って来た一人の少女。
ゆらりゆらりと足元が少々おぼつかないのだが、リビングを通り抜け様とした。
しかし、その前に、廊下から戻って来た太助とヨウメイと鉢合わせする。
「しゃ、シャオ!?」
「太助様・・・ごめんなさい。私、私・・・。」
太助の顔を見るなり、シャオは両の手を顔に当ててそこに泣き崩れてしまった。
慌てて二人は傍により、シャオを気遣う。
そのどさくさに紛れて、人形はそろりそろりとリビングを抜け出して行った。
しばらくして泣き止んだシャオを、とりあえずソファーに座らせる。
普段なら手前の挨拶だとかお茶を入れるだとかするが、今はそれどころではない。
一刻も早くシャオを安心させようと、太助は口を開いた。
「あのさ、シャオ。実は・・・」
「主様ストップ!!」
「なんだよヨウメイ・・・。」
「忘れたわけじゃありませんよね?ともかく今は絶対に口を開かないでください!
私がすべてを説明しますので。」
いつになく真剣な彼女の顔に、太助は慌てて口を閉じてこくりと頷いた。
一連の行動がよくわからなかったシャオだが、ヨウメイへと顔を向ける。
「あの、ヨウメイさん?」
「シャオリンさん、私が今から話す事をよおく聞いてください。実はですね・・・。」
噛んで含める様に、ヨウメイはゆっくりと話しだした。
もっとも、それは要点のみだったので、すべてを語るのにそう時間は費やさなかったが。
彼女が喋り終わると、シャオは信じられなといった風に、目を丸くする。
「そんな・・・そういう理由、だったんですね・・・。太助様・・・。」
「えーと、主様、もういいですよ?」
すべてをシャオが知った今、太助が彼女に何を話そうがもはや問題ない。
それを告げて、ヨウメイは後を太助に譲ったのである。
「シャオ、ほんとにごめん。どんな理由であれ、俺が取った行動は許されていいもんじゃないんだ。」
「いいえ。一番辛かったのは太助様じゃないですか。
皆の命を懸命に考えて、一番心にも無い行動を取らなければならなくて・・・。
ごめんなさい、気付かなくて。」
「そんな、シャオが謝る事じゃ無いよ。俺がもう少ししっかりしてれば・・・」
「その通りだ!!」
「「「!!??」」」
突然庭の方から声がして、三人はそちらへ顔を向ける。
なんとそこには、那奈がいた。
「な、那奈姉・・・。」
「話はすべて盗聴させてもらった!!」
「お、おいおい那奈姉・・・。」
「なんてのは冗談だ!ちゃんとヨウメイの説明を必死に聞いていたんだ。だから安心しろ。
まったく、昨日の夜はどうなることかとほんとびっくりしたんだぞ。
でも良かったよ。これで太助との縁なんて切らずに済む!!」
弾丸のようにまくしたてると、那奈はだだだっとリビングへ上がってきた。
感動の抱擁を行うかと思いきや、彼女は太助をはがいじめにした。
「い、いててて!!」
「心配させやがってこいつう!!」
「や、やめてくれー!!」
「ほんとうに・・・心配したんだからな!!」
「な、那奈姉・・・。」
だんだんと那奈の力が弱まってゆく。
普段人前では滅多に涙を見せる事のない那奈は、太助を抱きしめながら泣いていた。
太助はそんな彼女のぬくもりを、じっと感じていた。
そして“ありがとう、那奈姉”と、心の底から呟いたのである。
端で見ていたシャオも“良かったですわ”と笑顔を見せていた。
しばらくそのまま時が過ぎ、ようやく那奈は太助を解放した。
「ところで聞きたい事があるんだ。どうしてシャオはここにいたんだ?」
「それはですねえ、主様・・・って、シャオリンさんが話したほうがいいですね。どうぞ。」
丁寧に手を差し出すヨウメイであったが、これは当然の事だ。
じろりと那奈は睨んでいたが、シャオは軽くお辞儀すると、ゆっくり語り出した。
「私は・・・どうしても信じられませんでした。太助様があんな事を言ったのが。
ルーアンさんやキリュウさんや・・・果ては南極寿星にまで、あんな行動をとった太助様が。
一度は支天輪に帰った私ですが、やはり納得できなかったので、無理に出てきたんです。
那奈さんがそれぞれの道具を持って翔子さんの家へ向かっていらしたので、翔子さんの家で。
けれどそのまま太助様の家へ向かうわけにもいかないので、
申し訳無いとは思いつつも、那奈さんにご協力願ったのです。
庭から忍びこんで、家の中に支天輪を置いてきてもらうように。
本当はこんなに自分から出るなんて行為はしてはならないのですが・・・。」
事の成り行きは深刻といえば深刻であった。
支天輪に帰された時でさえ、シャオは太助の事を信じて疑わなかったという事である。
しかしそれを確かめる為に、相当な無茶をしたのだ。
普通は主に呼ばれたりしない限りは、自由に行き来できないはずなのに。
「けれどもシャオリンさん、一番最初に主様と出会ったとき、自ら出たのでは?
って、細かい事は置いておくとしますか。さあて、とりあえず納得した所で・・・那奈さん。」
「なんだ?」
「黒天筒と短天扇、持ってますよね?」
「ああ。」
「主様に預けて、ルーアンさんとキリュウさんを再び呼び出してください。
私が二人に対して説明を行います。」
「わかった。ほら太助。」
那奈は、ポケットから大事そうに二つの品を取り出した。
黒い筒に小さな扇。太助は不安そうな顔ながらもそれを受け取った。
「大丈夫ですよ、主様。心が汚れたわけじゃないのですから。」
「ああ・・・。」
少し気の抜けた返事をしながら、太助はまず黒天筒を覗き見る。
筒の奥には、眩しい光が見える・・・
パアアアッ!!
光を発したそこから、ルーアンが姿を現した。
「たー様・・・。」
驚く彼女にとりあえず待つ様に那奈が指示。
次に太助は短天扇を手に取った。
指で小さなそれを開こうとすると、それはあっさりと開いた。
しゅいーんと扇が大きくなり、キリュウが姿を現した。
「主殿・・・。」
これまた驚く彼女。ここでヨウメイが二人の前にすっと出た。
「お二人とも、これから私がする説明をしっかり聞いてください。」
「ヨウメイ?」
「ヨウメイ殿?」
「いいですか、つい最近の出来事というのは・・・。」
つとつとと長い説明をヨウメイが行う。
しかしそれは短時間で終わり、ルーアンとキリュウはすべてを納得したのだった。
「そういうわけだったのね・・・。たー様をもてあそんで・・・許せないわ!!」
「弄んだわけではないだろうが、かなりタチが悪いものだな。
ともかくこの事を皆に知らせねばなるまい。」
早速ルーアンは人形捕獲へ、キリュウは翔子達への事情説明へ、と出かけようとしたのだが、
それをヨウメイが止めた。
「待ってください。説明はすべて私が行ってきますので。
人形を捕まえるのをお願いします。」
十八番である説明は自分がするのがよいと判断しての事だろう。
真剣な彼女の瞳に、ルーアンもキリュウも快くそれに承諾した。
そしてすぐに行動を開始する。しかし・・・
「そういや飛翔球花織ちゃんに取られてたんだ。
すみませんがキリュウさん、連れて行ってください。」
「あのな・・・。」
結局キリュウが短天扇でヨウメイを乗せて飛び立つ。
そのまま、たかし、乎一郎、翔子、出雲に説明。
その直後に七梨家へとそれぞれを招く。
家に残ったルーアン達は、手早く人形を捕まえた(しかし抵抗はほとんどなかった)
更には花織達にも連絡。七梨家に、総メンバーが集結する形となったのだ。
必死に申し訳なさそうにする太助に、たかし達は“仕方ない”とそれぞれ納得。
かくしてすべてのわだかまりは解け、縁を切らずに太助を元に戻す方法を考え始めるのだった。