『野菜炒め』

…あれっ?
目が覚めると、外が暗かった。
そっか、今日はお昼寝をして…うわあっ、もしかして夜まで寝ちゃってたの!?
「あぅーっ、もっと色々なことしたかったのに…」
悔やんでいると、手に何かが触れた。それは一冊の本…あの料理の本だ!
「あぅーっ、大変だあ!」
慌てて本を開いた、けど…野菜炒め?
「たしか前に祐一が作ってた気がする…」
うんうん、とあたしは本を見ながら頷いた。
「でもって、それをご馳走してもらった気がする…」
うんうんうん、とまたあたしは本を見ながら頷いた。
「更にそんでもって、それって結構美味しかった気がする…」
うんうんうんうん、とまたまたあたしは本を見ながら頷いた。
バタン
そして、本を閉じた。
「決めた!祐一につくってもらお〜っと。真琴あったまいぃーっ!」
寝そべっていた身体を起こし、本を抱えて部屋を飛び出す。
バタン!
といつものように扉を開けるとそこに祐一がいた。
「ゆういちーっ!」
「お前なあ、ノックくらいしろっていつも言ってるだろ」
「そんな事よりこれ見てこれ」
嫌そうな顔をうする祐一に、あたしは本を広げて見せた。

『●野菜炒め
野菜を油で
炒めた食べ物』

「これがどうかしたのか?」
「つくって」
「は?」
「祐一って野菜炒め作りのプロでしょ?だったら作ってよ」
「プロ、ねえ…」
口調はなんかもったいぶってたけど、まんざらでもないみたい。
やがて、にやりと一笑いすると、すっくと立ち上がった。
「わかった、作ってやろう」
「やったーっ!」
最初は怒ってたけど、もうやる気になったみたい。
祐一ってば結構単純なんだねえ…。
「…と、言いたいところだが」
「え?」
「夕飯ならもう秋子さんが作ってるぞ」
「えええーっ!?」
あぅ、そんなの予想外…。
でもよくよく考えれば夕飯っていう時間よねぇ。
あぅーっ、そんなぁ…。
「残念だったな真琴。これでお前は料理を食えなくてペンギン人生決定だ」
「あぅーっ、そんなのいやだぁ!」
「諦めろ。っていうか、もっと早く本を持ってこいよな…」
「あぅ、だってぇ…」
本があるのに気付いたのがついさっきだなんて言えないもん…。
「祐一くんー、真琴ちゃんーっ。ご飯だよー」
と、不意にあゆの声が聞こえてきた。
あぅ、夕飯が出来上がったみたい…。
「ほらほら、行くぞ真琴」
「あぅ…」
「気を落とすな。夜食にでも食えばいいだろ」
「う、うん…」
そうだよね。何もご飯じゃなくてもいいよね。夜食って手もあるんだよね。
うんうん、だったら上手くいくっ!
「もっとも、俺は夜食なんざ作らんからな、作るんなら一人で作れ」
「あぅーっ!意地悪ぅ!」
「何が意地悪だ。夜中に人を起こして料理をねだるつもりかお前は」
「あぅーっ、だってぇ…」
やっぱり祐一は意地悪だぁ!

…そして夕飯。と、あたしは夕飯の内容を見てびっくりした。
「ええっ!?野菜炒め!?」
「ええそうよ。真琴の番の料理がこれだったからね」
「お母さんとわたしで作ったんだよー」
笑顔で秋子さんと名雪が言ってきた。
うわーい、嬉しいーっ♪
「うぐぅ、ボクも一応手伝ったんだけど…」
「お前はものを壊したりするからツマミ食いでもしてろって言われてたじゃないか」
「うぐぅ!そんな事言われてないよ!」
「俺はプロだから作ってくれと頼まれそうになったけど、名雪が自分で作ると言い出したから身を引いた。
あゆは秋子さんに手伝いを頼まれたが、早速野菜切りを失敗してたじゃないか。まな板切りやがって」
「切ってないよ!」
けんけんがくがくの…いつもの祐一のからかいね。
それにしてもなんか…あゆも祐一も夕飯が野菜炒めだって知ってたみたい。
「ねえ祐一…」
「なんだ」
「もしかして…夕飯が何か知らなかったの真琴だけ?」
「そういうことだな。夕飯何がいいかを秋子さんが聞きに行ったらぐーすか寝てたそうじゃないか」
そういえば、お昼寝たっぷりしてたっけ…。
「起こすのも可哀想だと思ってそのままにしたのよ。そしたら本が目に入ってきてね。
野菜炒めにしようってことになったの」
「そうだったんだ…」
「さぁ、ご飯にしましょう。美味しい野菜炒めですよ」
「うん!」
結局その日、あたしは夕飯にたっぷりと野菜炒めを戴いたのだった。

<わーいっ>


『ゆで卵』

「…ボクだね、ボクの番なんだね?」
「なんでいちいちわたしの所に確認にくるの…」
今日はお休み。おやつといったものを料理するには絶好の日。
そんな時にボクの所に本がやってきた。
これはもう絶妙のタイミングと言っても差し支えない。
これはもうボクに料理を作れと言っているに違いない。
けれども、やっぱりボクにはまだ不安があった。
だから、料理の腕が確かで今家に居て(秋子さんと真琴ちゃんはおでかけみたい)
それでいてボクの料理を確実に手伝ってくれる人に頼る必要があった。
それが…。
「で、どんな料理なの?」
今勉強中だった名雪さんだ。彼女の部屋をボクは訪ねたってわけ。
「あのね、名雪さん。これなんだよ…」
うん、と頷きながらボクは本を開けた。

『●ゆで卵
卵を茹でることで作れる
簡単メニュー』

「…頑張ってね、あゆちゃん」
名雪さんはぷいっとそっぽを向いた。いや、勉強途中のノートに視線をそらした。
「うぐぅ、ボク名雪さんに手伝ってほしくって来たのに」
「簡単な料理じゃない。卵を鍋で茹でるだけだよ?すぐできるよ」
今日の名雪さんはなんだか冷たかった。
「うぐぅ、でも…」
「あのね、あゆちゃん。わたし明日テストなんだよ。
たまたま寝ていて聞いてなかったところが範囲で、わたしはとってもピンチなんだよ」
「うぐぅ、そうなんだ…でも…」
「ゆで卵くらいすぐにできるじゃない。作ってわたしのおやつにするくらいの勢いで作ってよ」
微妙に名雪さんが図々しくなった。
うぐぅ、名雪さんを変えるほどのテスト許すまじ、だね…。
でもそんな事より、ボクには別の不安があった。
「ボクが作るのは不安があるんだよ」
「どうして?」
顔も向けずに名雪さんは相槌を打った。
「ずっと前に栞ちゃんと香里さんがやってきてね…」
「へ〜え。で?」
またまた、顔も向けずに名雪さんは相槌を打った。
「頼まれて作ったゆで卵ががちがちになっちゃって…がちがち卵になっちゃったんだ」
「………」
名雪さんが振り向いた。その顔はこわばっていた。
「だからその、名雪さんに手伝って欲しくて…」
「…ちょっと休憩しよっかな」
「え?」
「わたしが作ってあげるよ。…じゃなくて、まずわたしがお手本見せるからあゆちゃんは後で自分でも作ってみて」
「本当!?」
「さーてと、待ち時間が勿体無いから単語帳も持って行くとして…あゆちゃん、早く」
「う、うん」
そそくさと名雪さんは立ち上がり、キッチンへ向かった。
いつものんびりしてる名雪さんだけど、今はなんだか早い。
やっぱりテストに追い詰められてるって事なのかな…やっぱり許すまじだよ。

…そして、名雪さんはいともあっさりとゆで卵を作ってくれた。
作り方としては、生卵を殻を割らずに水から茹でてゆく…。
そして待つことしばし。頃合を見計らって卵を取り出す。
「…名雪さん、水が沸騰してから入れないの?」
「いきなり卵を熱い所に入れると割れちゃう恐れがあるからね」
「うぐぅ、そうなんだ」
「でも、どうやったらがちがちになるなんて想像もつかないんだけど…」
「うぐぅ、それはもう気にしないでよ」
「そうだね…。テスト前じゃなかったら気にするところだけど」
くすりと笑いながら名雪さんは、出来上がったゆで卵を塩をつけて食べながら勉強に没頭していた。
さすがだね。美味しい…。
うぐぅ、ボクも負けてられないよ!

<…あれ?>


『ライスサラダ』

「今日のお弁当はこれにしましょう」
早起きしてみれば枕元にあの本が。
佐祐理の番で手軽な料理となれば、お弁当にしてみるのが丁度いいというものです。
早速作ってみて、舞にご馳走することにしましょうっ。

『●ライスサラダ
ご飯と野菜の
ちょっと変わったサラダ』

「なるほど、これはサラダなんですねーっ」
そしてご飯も一緒、となればお手軽いっぱいです。
…あれ?そうじゃないですね…要するに、サラダとしてご飯を食す、と。
そういうイメージになるんでしょうか…きっとそうなんでしょうね…。
しかしそうすると、メインディッシュはどうしましょう…。
いえいえ、これをメインディッシュとするのもありですね。
日本人はお米族ですからこれを目一杯作れば十分ですね。
「よーっし、頑張ろうーっと」
腕まくりをして佐祐理は、その朝めいっぱい料理をこしらえました。



「佐祐理さん、これ何?」
時はお昼休み。舞と祐一さんと一緒に楽しい昼食です。
「いただきます」
「いっぱい食べてね、舞」
「うん」
「あははーっ」
舞の急かす気持ちと共に、食事開始は告げられました。
たくさんのライスサラダ、舞は気に入ってくれるでしょうか。
「佐祐理さん…俺の質問は?」
祐一さんは首を傾げています。
「佐祐理、とっても美味しい…」
むしゃむしゃ、ぱくぱく、と舞は気に入ったのかどんどん食べてくれます。
嬉しいですねーっ。舞の箸の進みようを見れば更に嬉しいってものです。
「あの、佐祐理さん…」
「祐一さんもどんどん食べてくださいね」
「いや、まあ、その、食べるけど…」
「祐一」
なにやら戸惑いがちの祐一さんに対して、舞が箸をとめました。
ちょっと険しい目つきをしてます。どうしたんだろ?
「佐祐理のお弁当が不満?」
少し声に凄みがあります。ひょっとして舞怒ってる?
「舞、舞、どうしたの?」
佐祐理は慌てて舞を止めました。
「祐一が佐祐理のお弁当を怪しんだ」
「舞…」
本当に舞は怒ってました。多分、なかなか手をつけない祐一さんに苛立ちをおぼえたのでしょう。
佐祐理にとっても、それは少し悲しいことでした。
「祐一さん、佐祐理のお弁当気に入りませんでした?」
少し潤んでいたかもしれません。それでも佐祐理は祐一さんに尋ねました。
「いや、そうじゃなくて…」
「だったらどうして食べないの」
「だから舞、俺はただなぁ…」
「このお弁当のどこが不満?」
舞が間に入って詰め寄っています。
これだけ怒っている舞も珍しいかもしれません。
「…不満じゃないけど、これは何だ?」
「お弁当」
「そうじゃなくって!俺は料理名が知りたいの!」
…あ、なるほどーっ。
祐一さんにとって得体の知れないものだったから食べるのを控えてたわけなんですね。
「…って祐一さん、これそんなに見た目怪しいですか?」
「いや、そういう事でもなくて…」
「佐祐理はとっても悲しいです…」
「何の料理かを尋ねようとしてたら食べる機会を失ってただけだってば!」
「祐一…佐祐理を泣かした」
「ちょ、ちょっと待て舞!」
「許さない…」
「箸を向けるなー!俺は何もしてないってばー!!」
いつのまにか、てんやわんやの大騒ぎになってしまいました。
慌てて逃げようとする祐一さん、それを追い詰めようとする舞。
そして佐祐理は…いつものそんな風景にすっかり元気になりました。
…とはいえ、別に病気してたわけではないんですけどね。
いいかげん落ち着いて食事が再開されたところで、佐祐理はようやく祐一さんに教える事ができました。
「これはライスサラダです」
「ライスサラダ?ああ、だからご飯と一緒なわけね」
「はいっ。そして今回の料理でもあるんですよーっ」
「へええ…。割と普通の料理だよね」
「いえいえ、ちょっと変わったサラダなんですよ」
説明書きにも、変わったサラダとありましたしね。
と、もしゃもしゃとお弁当を口に入れながら、祐一さんはぽつりと呟きました。
「いやぁ、このくらいならまだまだ普通だよ、うん…」
「祐一の言う通り」
「ふぇっ?」
祐一さんのそれに舞も呼応しました。
意味がよくわからず、佐祐理は首をかしげてしまいましたが…。

<何かあったんでしょうか?>


『リゾット』

「とうとうら行ね…」
あたしはしみじみと呟いた。
長い間あたしを苦しませ続けてきた料理集もら行に突入。
もうすぐ終わりってことなのね、万々歳だわ。
これで更にアルファベット突入だとかしたら、本を引き裂いて地獄の業火に叩き落してやるとこだけど…
ま、それは無いと信じましょう。
いえ、たとえあったとしてもそれは多分相沢君に降りかかってゆくものだと…。
「って、それだとあたしが嫌な奴じゃない」
「さっきからどうした美坂」
へ?ああ、今は北川君と下校途中だったわね。
「なんでもないわよ。料理についてちょっとね」
「ああ、今回は美坂の番だったのか」
「そうよ。もうすぐこのうっとうしい日常ともおさらばだわ」
「なんだそりゃ…たしかにはた迷惑な本ではあるけどな」
苦笑いを浮かべながら、北川君は今あたしが手に持つ書物をみやった。
丁度それは中身が開かれている。恭しくもやるせないいつもの文字列と共に。

『●リゾット
スープでお米を
煮込んで作る』

これが今日の料理。ま、これくらいならあたしにも作れるから今晩はこれに決定ね。
「ところで、なんで北川君と一緒に帰ってるんだっけ?」
「つれないな…オレが料理を手伝うって言ったじゃないか」
北川君が料理を手伝う?
「タカるの間違いじゃないの」
「いやいや、実はオレはなかなかの料理名人だぞ」
「初耳だわ」
「そんな馬鹿な。それは美坂の記憶違いだ」
「今まで北川君が頑張って料理した話ってあったっけ?」
「お前そんな身も蓋も無いことを…」
「だって事実じゃない。相沢君が料理してる話はいくつか知ってるけどね」
「それならそれで、オレが腕を奮ういい機会じゃないか」
「ふうむ…」
なんだかんだでうちに来たいみたいね。
で、多分…目的としてはタカりなんでしょうねえ。
「ま、いいわ。少しはご馳走してあげる」
「おい!オレが手伝うんだってば!」
「信用できないわ」
「何を言う。リゾットなんて簡単だぞ?」
何を根拠に…。
「まず鍋をする。その残り汁でお米を入れて炊く。ついでに溶き卵も入れてみる。余裕だ」
何が余裕って言うのかしら…。
「北川君、今日は鍋料理じゃないのよ?」
「いやいや、リゾットはついででもできるってことでな…」
「いいから、おとなしく料理が作られるのを見てなさい」
「…はい」
結局最後はダンマリになった。
まったく、あたしの料理を邪魔されちゃたまったもんじゃないわ。
栞にも腕を奮わなけりゃならないってのに。
…って、結局北川君にタカらせる事になっちゃってるわね。
あたしもまだまだ甘いってことか…。
「…ふ」
「ど、どうした美坂?」
「終わりが近いと気分が随分違うなって思ってね」
「料理が終わるのが名残惜しいのか?」
どこっ
「おぐっ!」
北川君のみぞおちにあたしの肘鉄がヒットした。
うんうん、やっぱり気分が高揚してるわね。
「さ、頑張って作ろうっと」
「み、美坂ぁ…」
苦しそうに呻く北川君を尻目に、あたしは腕まくりをしたのだった。

<しみじみ>


『りんごジャム』

「とうとう、り、ですか…」
やってきた書物の内容に思わずしみじみ。
…きっと、相沢さんも当初はら行に突入した途端にしみじみしてたのでしょうね。
ら行というのは日本語の中でもなかなか数が少ない行です。
ことわざなどを見れば一目瞭然…。さすがにわ行には負けるでしょうが。
もっとも、少ないと見せかけて実は数多く構えている事もあります。
だからそうそう安心してはいられないのですが…。
「どのみち、私のところへ来るのは今回が最後なのでしょうね」
それは、書物が巡回しているからに他なりません。
別の意味でしみじみしながら、私は中身を確認しました。

『●りんごジャム
新鮮なりんごを煮つめて
ジャムにしました』

「…ジャムですか」
ジャムといえば、専売特許をお持ちの方がいらっしゃいます。
果たして今回はその方に頼るべきなのでしょうか。
いえ、そんなはずはありませんね。
「自分で作ってみましょう」
今回が私にとって最後なのです。ならば挑戦してみるのも一興というもの。
もし失敗しても、たしか貯蔵庫にあったはずです。それを利用しましょう。
さて、作るならば材料となるりんごが必要ですね…。
いそいそと身支度をし、玄関の扉を開けました。
ひゅううう…
心底骨身に染みる風が私に吹き付けてきました。
今日は寒そうです。季節感などは特に気にしてはいけないとして、とにかく寒そうです。
こんな日に外へ出ようというのは酷というものでしょう…。
「………」
ぱたん
そして私は扉を閉じました。
家の貯蔵庫にりんごは無かったでしょうか…。
ごそごそごそ
見当をつけて探してみますが…
果たして、りんごはまったく見当たりませんでした。
すなわち、材料はすっかり切らしている、とこういうわけなのです。
「困りましたね…。挑戦もせずに出来上がりに手を出すなど…恥もいいとこです」
付け足しておきますが、寒さの問題とは別の話です。
さて、こうなれば手段は一つ…。



ぴんぽーん
「はい…ようこそいらっしゃいました相沢さん」
「天野、緊急の用ってなんだ?言われてたリンゴは買ってきたが…」
ほい、と相沢さんは腕いっぱいに抱えた袋入りのリンゴを手渡してくれました。
随分と買ったのですね…。まあ、沢山と申し上げたので致し方ないかもしれませんが。
とりあえず、相沢さんをキッチンへ通し…食卓に着いて、話を聞いていただく事にしました。
「緊急の用というのは料理なのです」
「料理?」
「はい。今回はりんごジャムです。直に作ろうとしました。しかし材料のリンゴがありません…」
「…それで俺に買ってこさせたわけか?」
「はい。何分外は寒く、私の力が及ぶところではありませんでした」
「お前な…それくらい我慢して買いに行けよ…」
言うと思いました。
「相沢さんなら買いに行くというのですか?」
「現に買ってきただろうが」
「私と同じ立場であってもですか?」
「買いに行く」
「更には、ここに現物があってもですか?」
ことり、と私はりんごジャムの瓶を見せました。
「おい…」
とうとう相沢さんはわなわなと震え出しました。
「お前は俺を何だと思ってるんだ!」
「相沢さんです」
「そういう事じゃなくて!俺はパシリじゃねーっつーの!」
「現に買ってきたじゃありませんか」
「それは天野が緊急の用だっつーから!…はあ、信用するんじゃなかった」
一度は立ち上がり叫んだ相沢さんですが、力が抜けたのかへなへなと座り込みました。
感情の起伏の激しい方ですね。
「まあまあ相沢さん。しっかりと料理をご馳走致しますよ」
「ああ、ありがとうな。しっかし…天野くらいじゃないか?」
「何がですか?」
「料理の材料を家に持ってこさせたの」
「そうですね。相沢さんが料理を誰かにタカったのと同じく、初挑戦者です」
「む…それを言われると…」
痛いところをつかれたのか、黙り込んでしまわれました。
「そう気落ちされずに。私のりんごジャムを胃が張り裂けんばかりに食べてください」
「いや、そこまで食いたくは無いけど…」
妙なところできちんと遠慮されますね、相沢さんは。
…と、ひと悶着ありましたが、私は無事にりんごジャムの料理に至りました。
出来上がった量は…とてつもないものになってしまいましたが。

<これっきりです>


『レバニラ炒め』

「祐一さん」
「断る」
「まだ何も言ってないですけど…」
「いいや、栞の思考は十分読める」
祐一さんは失礼ですね…。
「じゃあな」
「ああっ、祐一さん!」
折角祐一さんを発見し、呼び止めたまでは良かったんですが…
用件を告げる前に先に去られてしまいました。
ただいま放課後。今夜の料理は今回の料理だ!と決めたはいいんですが、
やはり作るからには何かのお楽しみ要素は必要としたいもの。
ならばその役目を果たすのは一体誰か?と思い行き当たったのは…。
「は〜あ、なんで祐一さんこんなに冷たいかなあ…」
ぽかっ
「あいたっ!」
「あんたがいっきいっき言うからでしょ」
振り返ると、お姉ちゃんが渋い顔して立っていました。
「ひどいよお姉ちゃん。私はまだ祐一さんに用件も言ってないもん」
「言わなくても分かるわよ」
にべもなく返してきました。
相変わらずお姉ちゃんはヒドイです。私をいっき扱いです。
「ほらほら、早く帰るわよ。今回あんたなんでしょ?料理作るんでしょ?」
「う、うん、そうだけど…」
ぽんぽん、と肩を叩いてお姉ちゃんが急かします。
結局私は…そのまま帰路についてしまったのでした。

『●レバニラ炒め
レバーとニラを炒めた
スタミナ料理』

「うん、スタミナ料理なんて栞にぴったりよね」
「どういう事?」
「もっとスタミナつけて元気になりなさいな、って事よ」
あはは、とお姉ちゃんが笑います。
今はもう元気なのに…。
でも…こうやって元気にいられるのが大切な事なんでしょうね。
そう、大切な事なんです。
普通に学校へ行って…。
普通に料理も作って…。
普通にお姉ちゃんと会話して…。
「でも、普通にいっきをせがむのはもうやめてよ」
「え…」
「姉のあたしの身にもなってごらんなさいな」
「えーっと…なんで?」
「なんででも!あたしは迷惑気分なの!」
「ううう…」
怒れるお姉ちゃんはちょっと恐いです。
けれども、そんな時間もやっぱり素敵です。
…なんて感じで、私はレバニラ炒めを作っていました。
それにしても…。
「今回多分私最後なのに…祐一さんのいっき…」
「栞!」
ばんっ!
激しく机が叩かれる音。
おっかなびっくりで作って食べたレバニラ炒めは…
明日への活力が素直につまっていたように思いました。

<えいえいえいっ>


『ロブスタースープ』

その日はいつものように…本はわたしの所へやってきた。
名前からして終わりが近いのがわかる。
そういえば香里が“もうすぐ終わりなのよ、よかったわ”って浮かれてたっけ。
わたし担当の料理は、たしかに“ろ”から始まっている。
なるほど、いよいよ最後に近づいてるみたいだね。

「よしっ、今夜の料理はわたしが作るよ」
「大丈夫なの?」
いつもの笑顔から変わって、お母さんは少し心配げにこちらを見ている。
またいつものように、頬に当てている手もなんだか不安そうな角度だ。
「大丈夫大丈夫」
「でも…」
「じゃあ、お母さんはアドバイス係して?ね?
ずっと頼りっぱなしだといつまで経っても料理が作れるようにならないし」
「そう…。分かったわ」
ふう、とお母さんはようやく諦めたかのように息をついた。
料理名を告げて自分で作る宣言をしたのはいいけど、
相当難しいという認識なのか、お母さんからはなかなかOKが出なかった。
それでも、今ようやくGOサインを得られる。
よしっ、この勢いで買い物だよっ。
「じゃあ行ってきまーすっ」
「行ってらっしゃい、名雪」
やっぱり少し不安げなお母さんに見送られながら、わたしは家を後にした。



やってきたのは商店街の中の市場。
お母さんが数多く抑えている独自のルートのうちの一つなんだって。
と、そこには確かにロブスターがさあいらっしゃいといわんばかりに蠢いていた。
「…うっわー、これは凄いね…」
あっちでもぞもぞこっちでもぞもぞ。
たくさんのロブスターが手招きてまねき。
所狭しと並んだ数多くの水槽が、それらで埋め尽くされている。
もちろん人もそれなりにたくさん。うーん、お母さんよくこんな場所知ってるなあ…。
…それに、他言無用なんだよね、この場所。
まあそれはそれとして、気を取り直して、と…。
「すいませーん、ロブスターを…」
「名雪」
「え?」
不意に名前を呼ばれた。
誰だろう。聞いたことあるような気が…!
「ま、舞さん!?」
水槽の向こうに知った顔が見えていた。
水のレンズ越しにこちらを見る目がぎらんと光っている。
「ロブスターさんは私がまもる!」
ぴょんっ
そして舞さんは飛び跳ねた。が…
がこんっ!
「うぐっ!」
どてっ
派手に水槽に頭をぶつけてしまい、地面に倒れてしまった。
「え、と…ろ、ロブスター二つお願いします!」
「あいよ。…嬢ちゃん、この倒れてる嬢ちゃんは知り合いじゃないのかい?」
「えっと、その…し、失礼しますっ!」
代金を素早く渡し、素早くロブスターを受け取り、素早くそこを逃げ出した。
けれども…。
「…逃がさない」
「うわあ〜、舞さんの声が聞こえてくるよ〜」
ちらっと振り向けば、たしかに舞さんが追いかけてきていた。
手に持っているのはカニを食べるための道具。…どうして?
って、そんな事は疑問に思っている場合じゃない。
陸上部の力を発揮して、わたしは逃げて逃げて逃げて…。



…なんとかわたしは家にたどり着いた。
そして料理を開始した。

『●ロブスタースープ
ロブスターのエキスで作った
魚貝スープ』

魚貝スープという点で、いくつか不足要素もあったけど、
そこはそれ、お母さんの工夫材料で助かったよ。
それにしても材料集めって本当に苦労するよね…。
「…ふう、ほんと大変だったよ」
「あら名雪、何かあったの?」
「何っていうのも大変なんだけどね…。
あ、お母さん。お母さんが教えてくれたあの場所って秘密の場所なんだよね?」
「ええそうよ。あ、でも倉田さんに少しだけ教えた事があったかしら…」
「………」
今回舞さんが現れたのはそれが原因かもしれないよ…。
まぁ、何はなくとも無事に今作れてるからいいよね?

<いいという事だよ>


『ロールキャベツ』

その日、私は学校に来ていた。
時間は…夜。
何時かだったなんてもう分からない。
しんとした空気、心身に響くひんやりとしたそれが、今の状態を物語る。
ちらりと見える教室の窓の隙間から、時計が現在時間を教えてくれた。
「そろそろ…」
右手に携えた鋭い刃の柄を、少し力を抜きつつ握りながらぽつりと呟く。
すると…
コツン…コツン…
と、リノリウムの床を踏みしめる音が遠くから響いてきた。
私が待っていた人。
今日という日のこの時間に期待した人。
それは…
「よう舞。差し入れだぞー」
「………」
いつもの笑顔を見せにきた祐一、その人であった。
手に持っているのは大きな風呂敷。
そう、あの時もその時も、祐一はそれを持っていた。
包みを解くとそこに現れたのは…。
「おなべ…」
「ああ、また例のやつだ」

『●ロールキャベツ
キャベツの中に肉を入れて
煮込んだ食べ物』

今までも、祐一は幾度と無く夜の学校に差し入れへ来てくれた。
特にそこで名物となっていたのはロールキャベツ。秋子さんのお手製。
しかもそれは弁当箱だとかパックに入っている代物ではない。
堂々と保温性のおなべに入っている。
ちゃんと箸もついているし、飲み物もついている。
仕組みは一切謎。でも美味しいので私は気にしない。
「相変わらず非常識な気がするんだけどなあ、この鍋…」
床に腰をおろしてもぐもぐしていると、祐一がぽそりと呟いた。
食事中でもいつでも気になって仕方が無いみたい。
「祐一は細かい」
「細かくないと思うが…。まあ、美味しいからいいってことなのかな…」
その通り。
そして食事は続く…。



ある程度たいらげたところで、ふと、と思った。
そういえば…魔物狩りは随分久しぶりのような気がする。
そしてまた、思った事がある。
「祐一」
「なんだ」
「魔物狩りから動物さん保護活動に本腰を入れようと思う」
「は?」
祐一が飲みかけの麦茶を噴出しそうになっていた。
汚い…祐一はこういう事をするのが趣味かもしれない。
「今お前変な事を考えてただろ」
「…祐一は細かい」
心を読まれそうになった。祐一もなかなか磨きがかかってきてるみたいだった。
「…まあいい。で、なんだって?動物さん保護活動に力を入れるってか?」
「………」
こくり
普通に頷いた。
次に祐一を見た瞬間には、がっくりと祐一はうなだれていた。
「お前なあ…。いいか、この食物は全部食べないとひどいことが待ってるんだぞ?」
「わかってる」
「舞、お前のやってる事はそれを妨害する事に他ならない。そう思わんか?」
「でも、もうすぐ終わる」
「…まあ、それもそうだがな。皆そんな事思ってるし、俺もそう願いたい」
「………」
話はついたみたい。
めでたしめでたし。
ぽかっ
「いたい…」
「まだ話は終わってない!」
やっぱり心を読む力が備わってきたみたい。
誰の影響だろう…。
「だいたい、今後も俺たちがチキンとかビーフとか食べようとしたら、活動すんのかお前は」
「祐一」
「なんだ」
「動物さんは私が護る」
「…はあ、こりゃ何を言っても無駄だな…。で、魔物狩りはどうすんだよ」
「一応続ける」
「なんだそりゃ…」
「両立は難しいから」
「ああそうですか、はいはい」
今度こそ話はついたみたい。
めでたしめでたし。

「なあ舞、ところでさ…」
「なに」
「魔物出ないな…」
「今日は出ないかもしれない…」
「ああそう…」
「いや、もう出たあとかもしれない…」
「なんだそりゃ…」
相変わらず校内はしんと静まり返っている。
本当は…もしかしたら…。

<ずっと出ないかもしれない>


『?ジャム』

本が俺の元にやってきた。とうとう最後だ。多分最後なのだろう。
…というのも、ご丁寧に“今回最後の料理”と赤字で書かれてあったからだ。
今までにないサービスだ。できれば今までもやってほしかったのだが…。
ただ、今回、と書かれてあるのが微妙に気になる。
まさかこの本、更に無いよな…?
これ以上あったら、それこそ発狂者が出かねない。
無論その中には多分俺も含まれるはずだ。
記者ー帰社ーとか言いながら出版社に帰宅するに違いない。
…なんだそれは、自分で考えててわけがわからんぞ。
ただまぁそんな事より、最後の料理を見て俺は驚愕した。
いや、驚愕などという言葉のみでとても表現できるものではない。
今までのどんな料理も、死にかけるほどの料理だろうが、この料理を前にしては裸足で逃げ出す。
どんな料理だって、この料理にはひれ伏さざるをえない。
何者も逆らえない、そのはずだから。
なぜならば…。

『●?ジャム
何のジャムだろ?
正体不明』

そう、これはすなわち…
………
「あのジャムの事なのか?」
世間では次のような話を聞く。
すべてが謎に包まれ…
ただ情報としてあるのは、オレンジ色であるという事と…
甘くないジャムであるという事と…
独創的な味であるという事と…
夢オチと同等にこのオチはいただけない、と標的にされている…
どんっ
浸っていると、俺の近くに瓶が置かれる音がした。
それは…以前真琴がこうしようと提案した…秋子さん印。
それがついたあの瓶であった。
「あらあら祐一さん、何を考えてらっしゃるんですか?」
にこにこと、それでいて恐怖の女王感たっぷりの秋子さんが現れた。
俺の選択としては…
「祐一さん、早速このジャム召し上がってくださいな」
選択肢をはじき出す前に、秋子さん自らが選択肢をあげてくれた。
さすがは秋子さんだ、この重圧には逆らえないぞ。
というわけで、観念して例の瓶をしげしげと眺める。
透明な瓶に秋子さん印が貼られている。
中に見えるはオレンジ色の…おそらくあのジャムである事だろう。
それにしても秋子さんってばよく今回の料理が分かったよな…なんて思うのも今更だ。
そう、秋子さんが知っていないはずがない。
こんな大チャンスに…知っていなければ秋子さんじゃない。
「まあ、とにかく食うかこの謎ジャムを…」
よし、と決心して、ご丁寧にもそばに用意されているパンを手にとる。
すると、秋子さんの手がすっと俺の手を掴んだ。
「祐一さん、今なんと仰いました?」
「え?謎ジャムを食うか…って…」
心の中で少し首を傾げながら答えると、秋子さんは思い切りため息をついた。
「謎ジャムとは心外ですね…。?ジャムですよ、これは」
声に異様なほどの威圧感がある。っていうか怒ってる。
間違いない。これは騎士道精神を侮辱された騎士が“貴様を斬る”と言ってるのと同じだ。
…って俺激しくヤバイぢゃねーか!
「世間においては、私が作ったジャムをすべて“謎ジャム”と呼ぶ事がおよそ定着しているようですが…。
私はそのような名前を認めるつもりはありませんし、そういう名をつけるつもりもさらさらありません」
「はあ…そ、そうですね」
「これは“?ジャム”なのです。お分かりですか?祐一さん」
「は、はいぃっ!」
俺の手を掴む力が強くなる。ぎりぎりぎりと、下手をすれば骨が折れていそうな感覚に見舞われる。
しまった、俺はひょっとして今人生最大の危機に直面しているのではなかろうか?
毒を食って死に掛けただとかそんな事よりもっともっと…
輪廻転生があろうと天国があろうと地獄の裁判があろうと…
そんな世界や宗教の常識とはかけ離れた、高次元の危機…!
「…さて、以上を踏まえてきっちり召し上がってください」
震えていると、すっと秋子さんが手を離した。
そうだ、さっさと食べて今の危機的時間を脱するチャンスだ!
「は、はい。いただきます。な…じゃなくって、?ジャムを…」
「おや祐一さん。まだ分かっておられないようですね?」
「な、何がでしょうか…」
「今、謎ジャムと言いかけてませんでしたか?」
ぎくぎくっ
「い、いえ、そんな事は…」
「私が今回作ったのは“謎ジャム”ではなくて“?ジャム”なのですよ?」
「わ、わかっていますとも」
「いいえ、その顔は誤魔化そうとしている顔です」
緊迫感が高まってゆく。
それすなわち、俺の運命そのものも危うくなってきている、という事と同義だ。
それすなわち、このままでは俺は、俺は、俺は…
「ちょ、ちょっと散歩してきていいですか?」
ついと頭の中に浮かんできた言葉を、言ったそばから後悔した。
俺は一体何を言ってる?こんな事を言えば俺はどうにかなってしまう事確定だぞ?
それこそ人生が終わるとかそんなレベルじゃなくて、二次創作界の終わりだぞ?
などと意味不明な混乱が次々と俺の頭の中を押し寄せてくる…。
と、ここで秋子さんがすっと一歩引いた。
「いいですよ。散歩くらいなら」
「え?」
予想外だ。まさかこんな反応が返ってくるとは…。
「十分ほど猶予を差し上げます。十分後のうちに帰ってきてください」
「十分…はやっ!」
「ほらほら祐一さん、もうカウントダウン開始してますよ?」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと秋子さん、落ち着きましょう、ね?ね?ね?」
既に落ち着きが無いのは俺の方だが。
「あらあらそんな。私は十分落ち着いてますよ?
謎ジャムだの食べると命程度で済むと思ってるだのと侮辱されても、私は私ですよ?」
にこやか〜に、秋子さんは笑った。
………。
…ヤバイ。やばいヤバイ家葉胃!
これは、これは…このままでは…!!
これだけ引っ張ってオチを決めかねている現状もヤバイが、やっぱり一番ヤバイのは俺を置いて他に無い!
「と、とにかく散歩に行ってきます!」
「さて、それじゃあ私も後から出かけましょうかね」
「えっ!?」
「祐一さんが帰ってこないとそれはそれで困りますしね」
「ひえええ!?」
威圧感がまたもやふくらんだ。
かくして俺は、コートと本とをひっつかんで、慌てて家を飛び出したのであった。
背後から押し寄せてくる秋子さんオーラを受けながら…。
目的地は…もはや行き当たりばったり、てきとーにするしかない!



…そして、倉田家に到着。
無難な線のはずだ。佐祐理さんならひょっとして…!
ぴんぽーん
「はーいっ。…あれ?祐一さん」
「や、やあ、佐祐理さん」
「どうしたんですか?そんなに切羽詰った顔をなさって…」
のんびりと首をかしげている彼女が目の前にいる。
ああ、なんだか和むな〜茶でもしばきにいこうか…などと妄想している場合ではない!
「佐祐理さん頼む!今日の料理を!」
じゃきん
「どわっ!?」
「祐一、佐祐理は私が護る!」
いきなり舞が現れた!その手に持つはヒカリモノ!!
「って、刀じゃないな…」
「これからこれを曲げる…」
舞が手に持っているのはスプーンだった。
「祐一、よく見て」
「………」
こすりこすりこすり
そして舞はスプーンをこすり始めた。
「………」
こすりこすりこすり
「だああ!そんな事やってる場合じゃないんだってば!!」
「祐一さんっ、舞が折角スプーン曲げをやっているのに…」
「だいたい、そのスプーン曲げでどうやって佐祐理さんを護るってんだ!」
ぐにゃり
「あっ」
「「あっ…」」
舞の一声の後に、遅れて俺と佐祐理さんは反応した。
見ると、舞が持つスプーンがたしかに曲がっていた。成功したんだな!
「よかった…」
「やったね舞っ」
「うん」
「あははーっ」
和気藹々。和みの風景としては今日の一等賞かもしれない。
「って、和んでる場合じゃなくて!佐祐理さんにお願いがあるんだよ!」
「佐祐理にお願いですか?」
「祐一、佐祐理は私が護る」
首を傾げる佐祐理さんの前で、舞が曲がったスプーンを構えた。
要するに振り出しに戻ったってことだ。
「えーい、いいからこの本を見てくれー!!」
いつもの強引さをふんだんに発揮して、俺は手に持った本をばばっと広げて見せた。

『●?ジャム
何のジャムだろ?
正体不明』

「無理…」
舞が即答した。
「ってぇ!舞に聞いてるわけじゃないって!俺は佐祐理さんに!」
「佐祐理には無理ですねぇ〜」
佐祐理さんも即答だった。
「ぐはぁ、そ、そんな…」
俺はへなへなと、力なくそこにへたり込んだ。
「正体不明さんは範疇外…」
舞、お前ってやつは正体不明なんてもんまで護ろうって言い出しかけてたのか。
「佐祐理も…正体不明となると作りようがないですねぇ…」
…そっか、そうだよな。
普通、材料が正体不明とか言われて、はいこれです、なーんて作れるはずがないよな…ははは…。
「はぁ…」
深いため息をつきながら、俺はよっこらせと立ち上がった。
「他を当たるよ…」
とぼとぼと、二人に背を向けた。
「祐一、ふぁいと」
「ふぁいとですよーっ」
黄色い声援が背中から飛んでくる。
ほんの少しだけ力が沸いたような気がしながら、俺は次なる目的地を目指した。



ぴんぽーん
到着と同時に呼び鈴を鳴らす。俺にとっては結構期待大な家だ。
「…天野美汐は留守ですよ」
「本人が答えるな」
がちゃり
きびしい(っていうか当たり前の)ツッコミを入れてやると、扉がおとなしく開いた。
中から顔を覗かせたのはやはりというか天野である。
奥の方でちらっと真琴の姿が見える。きっと遊びにきているのだろう。
「やるようになりましたね相沢さん。いつもなら引っかかって帰ってゆくのに…」
「いつもでも帰らんぞ。そんな事より天野、是非ともお前に頼りたいものがある」
「料理ですか」
「鋭いな。説明はこの際略そう。今度の料理はこれだ」
言うが早いか、俺は本を素早く広げて見せてやった。

『●?ジャム
何のジャムだろ?
正体不明』

「ご愁傷様でした」
「祐一、ご愁傷さまーっ」
がちゃり
天野のつれない一言にプラスして、真琴の余計な一言がとんでくる。
そして扉は閉じられた。
再び呼び鈴を鳴らしても、果たしてうんともすんとも返事が無い。
「こいつら…俺を見捨てやがった…」
いいや、ある意味それは賢い判断なのかもしれないな…。
どうせ天野の事だ、真琴から水瀬家の事情を色々聞いているに違いないし…。
だとすると、頭脳明晰な天野が秋子さん印の瓶を即座に思い浮かべても不思議は無い。
“ああなるほど、秋子さんのジャムに追いかけられているのですね。
相沢さんも随分面白い存在となってしまわれました。もはや私では敵いませんね。
貴重な人柱を失うのは惜しいですが、こればかりは私が出番を主張するわけにはいきません。
そう、真琴と共に静かに傍観、そして心行くまで愉しむのみです。そうですね、真琴”
“うんっ。祐一どう頑張るのかな…真琴すっごい楽しみ!”
“そうですね。相沢さんがどのような抵抗をして沈んで飲まれてゆくのかじっくり観察しましょう”
“わーい!”
“…と思いましたが、こう扉を閉じていては相沢さんが観察できませんね。少し扉を開いてみましょう”
“あ、それもそうだね。美汐あったまいー!”
そして、扉が開く!!
…しーん
「あれ?」
俺の果てしない妄想は外れてしまったのだろうか。
天野ならば絶対そういう思想をこらしているとふんだのだが…。
ぴんぽーん
呼び鈴を鳴らす。が、やはり果たして反応は無し。
がちゃがちゃがちゃ
ドアノブを回す。が、やはり果たして開く気配すら無し。
少々の間その場で出した結論はこうだった。
「…他を当たろう」
くるりと天野家に背を向けた。
…やはり、さっさと非協力的に努めたこいつらの判断は正しいんだろうな…くそっ…。
と、唇をかみ締めながら、俺は次なる目的地を目指すのであった。



そして…その、更に次なる目的地の途中に、道端に寝ている奴を見かけた。
倒れながらにして眼鏡がキランと光る…久瀬だな、ありゃ。
「こいつ道で寝る趣味あったのか…」
この寒い日に…まったく酔狂なやつだ。
無視して通り過ぎ去ろうとすると、奴の手がぴくりと動いた。
そして、がしっと、俺のズボン裾を掴む。
「ちっ、まだ息があったか…」
別に死んでいたわけではないのだが、とりあえずこう呟いておく。
「で、なんだ。何か用か?俺は急ぐんだ」
生憎とのんびりと相手をしている暇は無い。
ジャムの魔の手から逃げるために俺は…
「…じゃ…む…」
「げ…」
ただ一口二口、口を開いて久瀬はたしかに呟いた。じゃむ、と。
かすかな声ではあったが、俺の耳には十分届いた。じゃむ、と。
それだけだが、俺の心を凍らせるには十分だった。じゃむ、が。
「まさか、久瀬のやつ…」
ありきたりな予想が俺の頭の中をかけめぐる。そしていきつく。
そしてそれは確信と変わった。
間違いない…秋子さんは俺が食べるまで他の誰かを…。
ブルンブルン
激しく頭を横に振って、妄想をかき消した。
未だズボンの裾を掴む久瀬を振り払い、俺はその場から駆け出した。
早く…早くこの料理をなんとかしないと…!



ぴんぽーん
今日は三度目。人様の家の呼び鈴を鳴らしたのは。
「はーい…なんだ、相沢君か。どうしたの?」
美坂家が頭首、美坂香里が顔を覗かせた。
今は一刻を争う。“なんだ”なんて感想ももはやスルーだ。
「香里、料理で頼みがある」
「あら、いいわよ。他ならぬ料理の恩人相沢君の頼みだもんね」
「へ?」
「色々世話になったでしょ?変な料理の時とか…」
「はあ…まぁ、そうだっけか?」
思わず首をかしげてしまう。香里の世話をした覚えは…
いや、世話された覚えはかなりあったな。
要するに、香里に遊ばれた恩人って事か…。
そう思うと無性に腹が立ってきたぞ。
「さ、話を聞くから入って」
「お、おお…」
招かれるままに美坂家にお邪魔する。
なんだか、妙に香里が優しい気がするが…これも地獄の中に仏ありって事の表れなんだろうな…。
というところで、食卓につかされた。
既に栞が着席しているのはいいとして、なんと北川が居た。
「こんにちは、祐一さん」
「よお栞」
「おっす相沢」
「お前なんでこんなとこいんだよ」
栞とは対照的に、挨拶の代わりにツッコミを投げてやった。
すると、北川はちっちっちと人差し指を左右に振った。
「恋する男心ってもんがわかってないな、相沢」
「なんだそりゃ…」
「俺はな、美坂の手料理をご馳走してもらいに来たってわけなんだ」
「タカりにきたの間違いじゃないのか?」
すると、北川はまたしてもちっちっちと人差し指を左右に振った。
「甘いな。今回は美坂の誘いだ!」
「へえ…」
珍しい…あの香里が…。
ちらりと香里を見ると、ふるふると首を横に振った。
「あれ?香里が誘ったんじゃないのか?」
「へ?何言ってんだ相沢。俺は美坂から…」
「北川くんこそ何言ってんのよ。あたしは誘ってないわよ」
「だって!“美坂の誘いか?”って聞いたら“ええそうよ”って!」
「ええ、そう答えたわ」
…なんだか、からくりが見えた気がする。
美坂は美坂でも…。
「栞、お前だな?」
「えへへへ、そうです祐一さん。正解です」
おずおずと栞は手を挙げた。なるほど、美坂栞の誘い、だったわけだ。
「そ、そういう事か…」
「で、栞が誘ったんならオチが見えるな…」
「そうよね…。さすが相沢君、分かってるわね」
「うー、お姉ちゃんも祐一さんもなんだかひどいです」
力抜ける三人と対照に、栞はぷうっと頬を膨らませる。
ささやかながらの、怒って見せての抵抗だ。
「オチってなんだ相沢」
勘の悪い北川がまだこんな事を聞いてきた。
「お前、今までの食べ物で栞が関わってきたものに何がついてきたのか忘れたのか?」
言うまでもなくそれはいっき、いっきである。
「なんだよそれ…」
「ったくしょうがないやつだな…。って、俺自身がここに来た目的を忘れるとこだった。
実は今日の料理がとんでもないやつで…是非お前達の力を借りたい!」
言うが早いか、俺は早速手持ちの本を開いて見せてやった。
栞の話はとりあえずおいておくという形にして…。

『●?ジャム
何のジャムだろ?
正体不明』

「あーあー、なるほど」
「ラッキーよ、相沢君」
「ついてるな、相沢」
三人の声がやけに納得めいたものになった。
もしかして…今回あたりなのか?
「今ずばり、正にそれそのものがあるんですよ。是非食べてください」
「北川君、相沢君を抑えといて。逃げ出さないようにね」
「らじゃ」
がしっ
「へ?」
とんとん拍子で会話が進んだと思ったら、俺はがっちりと羽交い絞めにされてしまっていた。
なんだ?この展開は?
もしかして…もしかするのか?
「相沢お前はほんといい運の持ち主だ。あんな最高のジャムを食えるなんてな!」
「へ?」
北川の言動に違和感を覚えていると、美坂姉妹がジャムの瓶を携えて目の前にやってきていた。
なんだか二人の目にも違和感がある気がする…いや、既にイっちゃってないか?
「さあ相沢君、このジャムを食べるのよ。食べればすべて解決するわ」
「祐一さん、このジャムを食べて私達と同じ仲間になりましょう…そう、ジャムの虜に…」
「うふふふ…」
「うふふふ…」
ってぇー!台詞もイっちゃってる!
もしかしてこれは…洗脳!?噂の、ぶれいんうぉっしゅというやつなのか!?
と、頭でびっくりしている間にも二人は迫ってくる。同時に差し出してくるスプーンにジャムが乗っかっている。
独特の色をもつそれは、見た目にやばい事必至だ。
そして俺を抑えている北川の、なんと力の強い事。普段は平然と振り払ってやるのだが…今は力が増しているようだ。
これもジャムの効果なのか…ひょっとすると○ウイルスもびっくりだ。
「こ、こんなところで…」
ふんっ!ふんっ!と力を入れてみるが、やはり北川はびくともしない。
こ、ここまでか…俺の人生ここまでなのか…
いや、諦めてたまるか!だてにお米をたくさん買いに行ってないぞパワー!
「どっせぇーい!」
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
「おねえちゃーん!」
根性で力を振り絞り、北川を振り払う。
同時に、その体を美坂姉妹に投げつける。
どがしゃーん!という音と共に、彼女らは沈んだ。
いや…
「よくもやったわね…さあ、早くジャムを食うのよ…」
「ひどいです祐一さん…大人しくジャムに食われてください…」
「相沢ぁ…こうなったらお前今度からジャムにタカられ隊の隊長だからな…」
むくりむくりと起き上がってきた。そしてやはりというか目がヤバイ。
さっさと逃げる、逃げるぞ俺は!
決死の思いで、俺は美坂家を飛び出したのであった。



どしん!
「うぐぅっ!」
「おわっ!」
無我夢中で走っている最中、誰かにぶつかった。
俺の勢いが強すぎたのか、相手は思い切り地面に倒れていた。
「…あゆか」
よく確認するまでもなく、それはあゆだった。
いつものコートを着ていなくても、羽リュックを背負っていなくても、ミトンをはめていなくても…
そう、うぐぅが全てを語っているのだ。
「うぐぅっ!何他人事みたいに傍観してるの!」
考察していると、がばっとあゆは起き上がった。
あゆも相手が俺だと気付いたようだった。
「って、祐一君!?」
「よおあゆ」
「うぐぅ、いつもどおり白々しいよぉ…」
あきれながらも、あゆはぱんぱんと埃と雪とを払いながら立ち上がった。
「と、のんびりしている場合じゃなかった。あゆ、お前に頼みたい事がある」
「丁度よかった、ボクも頼みたいこと…じゃなかった、頼ってほしいことがあるんだよ」
「なんだと?」
「うん。実は今日の料理についてなんだけど…」
「なにぃー!?」
きーん…
と、耳鳴りがするほどに俺は叫び声をあげた。
耳を押さえながら、あゆがしかめ面をする。
「祐一君、声大きいよ…」
「す、すまん。で、あゆ、今日の料理がどうした。お前何か知ってるのか!?」
「う、うん…」
頷きながらも、あゆは少し後ずさりしている。
よほど切羽詰った顔をしてるのだろうか、俺は。
そんな事に微妙に気付きながらも、一つ咳払いをした後、あゆの言葉を待った。
「えーと、たしかジャムなんだよね。よくわかんないジャム」
「そうだ」
「どんなジャムかって言うと…」
具体的な説明を出そうとしているあゆに合わせて、俺は本を素早く広げてやった。

『●?ジャム
何のジャムだろ?
正体不明』

「そうそう、それだよ。それで秋子さんのジャムしかないだろうって事で…」
「ああ」
「でも祐一君逃げ出したんだよね?どうして?」
天然なのだろうか、普通に尋ねてくるあゆに俺はがくんとうなだれた。
「お前…今更そんな事聞くか?」
「うぐぅ、だって…」
「たしかにこんな説明書きのジャムだと、秋子さんのジャム以外を求めるのは世界に逆らっている」
「う、うん…」
「しかしだ、俺としては…どうしても避けたいんだ。ってゆーか、恐くなって逃げ出したんだがな…」
今思えば、水瀬家に居た時にさっさとジャムを食ってしまえば、今ここであたふたしていないだろう。
しかしそれと代償に何を失っていただろうか…。
前世の記憶?世界の中の存在?俺自身のあらゆる才能?
いやいや、悪いことではないかもしれない。何かに強くなるかもしれない。
たとえば…酒。一日十リットルかっくらっても平気なほどに強くなって…。
「…やっぱ逃げて正解だった気はする、いや、確信を持ったぞ」
「祐一君、勝手に自己完結しないでよ」
そういやあゆがほったらかしだった。
「で、頼ってほしい事ってなんだ」
「…随分前に話戻したね」
やなツッコミをするな。
「うん、そう、頼って欲しい事っていうのはそのジャムなんだよ」
「なんだ?お前も秋子さんのジャムのしもべなのか?ん?」
「何それ…。とにかくうちに戻ってよ、ジャムを食べさせてあげるから」
やっぱりな。
「あゆ、やはりお前も既に冒されていたんだな。どこぞのハザードみたいに…」
「うぐぅ、冗談言ってないで。早くしないと秋子さんに見つかっちゃうよ?」
「は?」
「秋子さんが物凄い…うーん、言葉では表現しきれないけどそんなオーラを発しながら…
家を出て行ったんだよ。あれは祐一君を探しに行ったんだろうね、って今は納得できるけど」
「ほ、ほう…」
俺が飛び出したあの後すぐに、多分秋子さんも家を出たはずだ。
その具体的な(あまり具体的でもないが)情景を説明されると、こちらとしてもおびえずにいられなくなる。
「で、その秋子さんより早くジャムを食べさせてあげようって。ボクが探しに出たんだよ」
「ふーむ…」
イマイチ状況がのみこめないが、何故かあゆがジャムを食わせてくれるらしい。
そしてどうやら秋子さんの支配下にはないようだ。
…もしかしたらカマトトぶってるだけかもしれんが、もしそうであったとしてなかったとして、
どのみち俺には選択肢は残されていないのだ。水瀬家に戻るしか…。
「分かった、あゆに付いてゆこう」
「うぐぅ、良かったよ。早く早く」
手をぐいっと引っ張られる。
強力な力ではない、いつものあゆの力だ。
心のどこかで、俺はほっとした気分に浸るのだった。



そして…結局水瀬家に戻ってきた。
最初飛び出したのは一体なんだったんだと思えるくらいに、つまらないオチだ。
まったく、どいつもこいつも頼りにならん。
…まぁ、今回は無理もないか。
「ほらほら祐一君、ぼーっとしてないで」
「ああ…」
ただいまの挨拶をして水瀬家の玄関をくぐる。
家の中に人の気配は一つだけあった。
それは…
「お帰り祐一。あゆちゃん、無事見つけられたんだね」
エプロン姿の名雪だった。更には三角巾をつけている。遠くから見れば給食のおばさんだ。
「おばちゃん、ラーメン大盛り」
ノって注文してみた。
「祐一、今からジャムご馳走してあげるからね」
無視された…。
「っておい名雪、お前が作るのか!?」
無視されるよりもとんでもない言葉が耳に入ってきた気がするので慌てて聞き返した。
「うん、そうだよ」
平然と名雪は答える。
あゆを見やると、うん、うんと頷いている。
「…なるほど、あゆが失敗のジャムを作るんじゃなくて、名雪が作るって寸法だったのか」
「ちょっと祐一君!失敗のジャムってなに!?」
「言葉どおりだ」
「うぐぅ、ひどいよ!」
密かに予想していたのとは違ったが…名雪で大丈夫なんだろうか?
「なあ名雪、こんな内容なんだけど任せて大丈夫なのか?」
半信半疑で、やはりというか俺は名雪に本を開いて見せた。

『●?ジャム
何のジャムだろ?
正体不明』

「…あー、なるほど。これはたしかにお母さんのジャムそのものだね」
苦笑交じりに、感嘆のため息をついた。
「感心してないで、お前が作って大丈夫なのか?」
「安心してよ。わたしお母さんの娘だよ」
ぐいっと腕まくりをして見せる。なんて説得力のある言葉だ。
…なんだか頼もしい。名雪が光って見える…これは素晴らしい…期待大だ!
たとえるならば、倍率ドンで10倍とか出てるのにそこに全額かけちゃえる自信があるような!
…って、これは素直に喜んでていいのだろうか?
第一、料理が料理だ。正体不明というからには多分…
どんっ
「できたよ祐一」
いつの間にか名雪は、そのジャムが塗られたパンを一枚、皿に乗っからせて出していた。
どんっ、っていう音がしたのは気のせいだろうか…。
「てゆーか早いな」
「お母さんが出かけた後ずーっと作り続けてたからね。祐一が戻ってくるのも遅かったし」
「そうか…」
そんなに時間を費やしていたんだろうか?
俺にとってはほんの十数分に過ぎなかった気がするのだが…。
「祐一君、早く食べてよ。どんな味なのか感想聞かせて?」
真向かいであゆが興味津々にこちらを見ている。
滅茶苦茶面白半分そうなんだが…。
まぁ、いい。
とにかくここまできたらさっさと食すのみ、食すのみだ。
邪魔の入らぬうちに!
「じゃあいただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
見た目は普通のオレンジ色。マーマレードと見間違えそうだが、甘ったるい匂いが無い。
無臭…いや、何か違う匂いが漂ってないか?
なんかこう…
「ただいまー」
「「「え!?」」」
ついついジャムに見入っていると、ただいまの声がした。
そしてそこに立つは…
「秋子さん!?」
「あら祐一さん、やっと見つけましたわ。途中で行方がわからなくなっちゃうんですもの。
…あらあら、そのジャムは?私のじゃありませんね…ひょっとして…」
「い、いただきます!」
ぱくっ
秋子さんが素早く行動に出るより早く、
名雪が急かすより早く、
あゆがうぐぅを唱えるより早く、
俺は、手に持っていたパンにかぶりついた。
………
………
………
…沈黙
数分間の静寂を味わわされた後、俺は咀嚼の後に言葉を吐き出した。
「…なんのジャムだ、これは」
第一の感想はとりあえずこれだった。
「ナイショだよ」
「お前、これ本当にジャムか?」
「ジャムだよ」
「たしかにこれなら正体不明…」
名雪の返答と味に対して妙に納得する。
これはたしかに…“?ジャム”と言って差し支えないはずだ!
心の中で賞賛を送っていると、こちらをじーっと見つめる秋子さんの顔が目に飛び込んできた。
「名雪…」
「お、お母さん、あのね?」
「立派に成長したわね。親を見て子は育つというけど…嬉しいわ」
「お母さん…」
どうやら秋子さんは、無事に?ジャムを仕上げた名雪に喜びを感じているようだった。
そして笑顔を浮かべる秋子さんに、名雪も笑顔を見せて返す。
もう一人で?ジャムを作り続けるのではない。
母娘で、共同作業で、無敵のジャムを作り続けるのだろう、これから…。
「ねえ祐一君」
「なんだあゆ」
「これでよかったのかなぁ?」
「いいんじゃないのか」
「ジャムの試食とかさせられなければいいけど…」
「そうだな…」
嫌な耳打ちをするあゆと共に、俺はため息を吐き出した。
手に持った食べかけのパンが妙に寂しく見える。
なんとか最大の難関である食物は食したものの…。
もしかしたらこれが始まりなのか…と、ふと不思議にそう思ってしまうのだった。

<万事解決!(?)>


最後の後書き:
ある意味、食物奮戦記の真価が問われる話と相成りました。
(なんてったって“?ジャム”ですよ“?ジャム”)
最初はこんな料理がゲームに登場した時には我が目を疑ったものですが…
開発スタッフの方の中に、多分Kanonに影響を受けた方が居たのでは…
と密かに思ってたりします。でも、元々ジャムは2ndから存在してたので
(ジャム屋もあったくらいだし) 遊びでたまたまこんなのが入っただけかもしれませんがね。
さて、秋子さんのジャムオチは夢オチと同じくらい評価が低い、
と言われてる代物だったので(んな事言われたって、これで秋子さんのジャム出さないと怒られるでしょ<誰に)
…結局は、秋子さんじゃなく名雪に作ってもらいました(意味不明)
さすがに私はすべてのジャム関連話を読んだわけじゃないので、
多分どこぞには同じオチのものは存在するでしょうけど、
まあそんな事はもはや気にしてもしょうがないです(笑)


『えぴろーぐBS』

地球は丸い…。
そう、だからデビルから逃げようとしても無駄なんだそうだ。
そんな話をどこかで聞いたのをふと思い出した。
「今日はいい天気だな…」
「祐一、家の中でそんなこと呟かなくても…」
水瀬家はリビングにて、俺は今くつろぎにくつろいでいる。
隣の席には名雪、そして正面には秋子さんだ。
あゆと真琴は買い物だとかで出かけている。
ゲーム開始直後(何のだ)の一時をふと思い起こさせる、そんな人物構成だ。
さて、こうもくつろいでいるのはやはりあの本のしがらみから解放されたが故だ。
あの、誰が狙ったのかわからないような、最後の料理をなんとか終えた後…

まさかこのワシがたった90ターンでやられてしまうとは…
だがまだまだじゃ、まだまだ望みを叶えてやるには足りんぞ。ふぉっふぉっふぉっ

意味不明な文字列が現れやがった。
どうやら趣向を少し変えたらしい。もうどうでもいいがな。
望みなんているか(あるとすれば二度とくるなってことだが)
とにかくとっとと消え去ってくれれば俺にとっては万々歳。皆にとっても万々歳。
そんな事を俺が思っている最中に、本はさっさと消えてしまいやがった。
あっさりしすぎだが…まあ居なくなればそれでいい。
名雪が拗ねようが、
香里がキレて焼却炉にこれを放り込もうが、
栞が本をイッキのみしかけようが、
北川が本を売りに出してその儲けた金でタカられようが、
真琴があぅーっと暴れ出そうが、
天野がますます不可思議な食材を取り出してこようが、
舞が剣でばっさりと叩き斬ろうとしようが、
佐祐理さんがありえないご馳走を弁当にもってこようが、
久瀬が眼鏡くいくい病にかかろうが、
あゆがますますうぐぅを光らせようが、
秋子さんがジャムを越えたジャム制作にとりかかろうが、
…とにかくすべてはもう終わりだ、終わったのだ。
「ふぅーっ…お茶が美味い…」
「祐一さんご機嫌ですね」
くすりと秋子さんが笑う。そして、満面の笑みで祝福を投げてくれる。
俺の心情を察してくれてるのだろう、ありがたいことだ。
「ところでお母さんBSって何?」
「あらあら、どうしたの?」
「最初に気になってたら、お母さんが知ってるって言うから…。
でも、最終回のお楽しみだって…」
「そうだったわね…でもね名雪」
「うん?」
「最終回なんてみなくても、このお話の目次に堂々と出てるのよ」
「う〜、そんな事言われてもわたしわかんないよ〜…」
落ち着いた雰囲気の中、たわいも無い母娘の会話が俺の隣でなされている。
疑問符いっぱいの名雪に対して、秋子さんはのらりくらりと交わすだけ。
BSか…まぁ俺にとってはどうでもいいことだがな。
ばっくとぅざすたーと(要するに最初に戻る)なんて事なら嫌すぎるが…。

俺たちの思惑とは裏腹に、そして時は過ぎてゆく。
幾許かの月日を越えて、またこの本はやってくるのだろうか?
いや、それはないだろう。
何故なら今回jは三度目の正直…今はそれしかない。そうそれだ。
BSとは、ブラボー、三回目で終わったよー、という事なのだろう。うん。

<BLUE SPHIA…FIN>



後書き:ようやく終了しました、BS編です。
後半は走り走りで終わらせたという感もありましょうが、
さすがに途中ほったらかしにしすぎましたし…。
とりあえず各々の一人称…なんて趣向で書いてみたこれですが、
あからさまに書きやすいキャラ、書きにくいキャラってのが出ますね…。
ネット上の皆さんは彼ら彼女らの一人称ってどう書いてんでしょ…(思う前に読めよ)
折角なんで各々の所感でも…。
祐一:最も書きやすい…って、一番書いてきましたしね。気を抜くと寒く暴走しちゃいます。ただのアホかもしれませんが。
名雪:何気に真面目に書けますね。猫が出ない限りは暴走しないので扱いやすいです。
香里:結構書き慣れてます…が、こういうイメージってのが定着しちゃってます。言動きつくなりそう。
栞:ボーっとしてるとイッキの話にしかならないのが…。さりげない理論がたまに飛び出すのがなかなか。
北川:気を抜くと某熱き魂の保持者になりかねないのですが…イマイチはじけきれませんな。
真琴:結構書きにくいです。公認ドラマCDはうまく描いてるなあ…と思う事しきり。
美汐:無理矢理論法の頭首。書いていて突拍子も無いイベントが勃発するので楽しいです。
舞:一般には最も一人称が難しいとされるかもしれません。かなり気をつかいます。
佐祐理さん:あははーっとかが無いと栞と混同しかけます。が…特に普通の人ですな。
久瀬:曲者。はっきり言って誰と絡ませりゃいいんだかって悩むことしきりです。
あゆ:うぐぅとボクが命。あゆなりの論法がどうも身について無いので実は苦労してました。
秋子さん:実は一番の難関は彼女かも。普通に書くと面白味ないし…(でも一番普通に書きたい人)
ちなみに、心を読める設定じゃございませんよ?(笑)
…こんなとこですかね。
はっきり言って、数の上ではまだまだ書いてないので今後も何かの機会で書くかと思います。
けど…誰を書くかって時点で色々と悩むんですよね…。
さて、話は変わりまして「?ジャム」という、いかにもKanonと因縁がありそうなアイテムがあったのは、
ゲーム中で初めて見た時本当にビックリしたものです。
いやはや…どういう因果でこんなアイテムつくり出したのでしょうかね…。
と、これに締めることしきりです。
でも…それを考えるとまだまだこの話は弱いな…そう思えてなりませんが(苦笑)