ユメジュウヤ
〜第八夜〜
前編


あたしはこんな夢見たよ。

思い返せば、随分現実味のある夢だったなぁ。

そう思う最大の理由は、ユメなのにユメから覚めることから始まったからかもしれない。

 

 

 

「…お客さんお客さん。」

傍らで誰かがあたしを呼んでいる。

薄目を開けると、あたしは自分が寝ていたことに気がついた。

声の主は紺色の制服を着ている中年のおじさんだ。

バス特有のエンジン音と振動があたしを揺さぶっている。

どうやらバスの中で寝てたらしい。

「お客さん、終点ですよ。」

「ぁ…はい。」

まともな声で言葉が出なかったが、それでも充分だったようだ。

バスの運転手は運転席へと戻っていく。

あたしはそれを追うように椅子から立ち上がり、眠い目をこすってお金を整理券と共に入れた。

バスを降りたと同時にドアが閉まり、そのままバスは道の彼方へ飲まれていった。

清涼な空気があたしの肌を刺してくる。

気持ちよくて、あたしは身体を伸ばして頭を振る。

よく寝た…ん?

あたしは改めて、自分が見慣れないところにいることに気がついた。

「…どこだ?ここ…」

周りは森で囲まれ、バスが去っていった方向を見ると、先には山が広がっている。

あたしのいるバス停は180度カーブしている道路の脇にあることから、

どうやらここは山の中らしい。

「…山ん中?ここが終点って…どういうことだ?」

終点にしては随分中途半端に思えた。周りには獣道一つない。

ふと傍らにあるバス停に目をやるが、表示が薄くてよく見えなかった。

ダイヤも見てみるが、時刻の表示が色あせていて、これも読めない。

珍しいことに、そのバス停はダイヤの記してあるところまで木製だった。

あたしはたまに都会から離れた地方にも行ったりするが、

それでもこれほど古い物を未だに使う所に来たのは初めてだった。

「…あっれ〜、困ったな…」

場所もわからないあたしの前に二、三羽の鳥が横切っていった。

数分途方にくれていると、バスの去った道の彼方から、

杖を突きながら山道を下るお婆さんを見かけた。

「あっ…丁度いいや。おばあさんおばあさん…」

あたしは声をあげておばあさんのところへ駆けて行った。

「…んにゃ。どうしたい?」

おばあさんは熟れたみかんの皮みたいに皺の寄った顔であたしの顔を見上げた。

「あのさ、ここ…どこですか?」

自分でも『何聞いてるんだろ?』と自問したくなるような質問をした。

けどよく考えれば、あたしはこれ以上の質問ができなかった。

「はぁ、どこ?おかしな事聞くねぇ。ここかい?」

「ええ。」

予想通りの反応が返ってくるが、あたしはとにかくおばあさんの先の言葉が知りたかった。

あたしらしくなく、気が焦っていたためか、妙におばあさんの行動が遅く感じられた。

「ここさは、天城峠っちゅう所じゃよ。」

「…天城峠?」

聞きなれない場所だったが、あたしはどこかで最近聞いた気がした。

確か…最近学校で聞いたことが…

「…嬢ちゃん、天城峠を知らんで来たのかい?」

「…っというより、バスに乗ってて気がついたらここに着いちゃって…」

あたしは乾いた笑いを浮かべるが、おばあさんは全く反応しなかった。

「はぁ〜…どこから来たさ。」

おばあさんは呆れ口調であたしに聞いてきた。

「えっと、東京…」

「東京?嘘だろ東京だなんて。ここからかなり離れてるのに。」

「え…ここって…一体どこなんですか?」

「天城峠じゃよ。」

「じゃなくて、どこの地方かってこと…」

「ああ、そういうこと。ここは伊豆さぃ。」

「い!伊豆?」

あたしは声をあげて、何も言えなくなった。

何でそんなところまで来てしまったのか…

いや、それ以前に何で東京から伊豆行きのバスが出ていたのか…

あたしの乗ったバスは観光バスではなかったはず…

様々な疑問があたしの頭の中で交錯するが、疑問の紐は絡まるばかりで全く解けなかった。

「…まぁ、そんな見慣れない格好しているからどうやら東京から来たってことは本当みたいだね。」

あたしの沈黙をおばあさんは破った。

…え?

あたしはおばあさんの言っている意味がよく分からなかった。

その疑問に拍車をかけるようにおばあさんは続ける。

「東京みたいなところにいる都会っ子っていえば、結構遊び盛りってきくけど、

嬢ちゃんみたいな年齢で遊び歩いてちゃだめだけ。

まして東京からこんなとこまで遊び歩いて来るんだから…」

あたしはこのおばあさんが何者なのか訝りたくなった。

おばあさんの感覚はあたしの感覚と明らかにずれている。

そこはあからさまな年の差によるのかもしれないが、

それにしたっていくらなんでも不自然だった。

あたしはこのおばあさんの年齢はいくつか知らないが、

話し言葉は地方の方言が混じることはあっても、

未だに昔使われていた言葉を使うのはおかしい。

ありえないが、あたしとおばあさんの時間軸は、何十年もずれている気がした。

「あははははは…どうもすいません…」

訝りながらも、この場は素直に謝るべきと思い、頭を下げた。

それを見たおばあさんはため息をついた後、再び続けた。

「…何はともあれ、嬢ちゃんも年頃の娘(あんこ)なんだから、気をつけてな。

それで嬢ちゃん、これからどうするん?」

やっぱりおかしい…

娘(あんこ)だなんてどこのおばあさんでも使わないはずなのに…

「…とりあえず、山を下りて東京へ戻ろうかと…」

「戻るったっていっても、船着場まで半日はかかるよ。」

「船着場?」

改めて、おばあさんの常識はあたしの常識ととてつもなく離れていた事に気がついた。

「東京行きの船さ乗らなきゃ帰れないだろ。まさか歩いていくわけにも行くまいし…

それにお金あるんかい?」

「え?えっと〜」

あたしはポケットの中の財布を取り出して数えるが、4000円弱しかない。

「あっちゃ〜4000円しかないよ〜」

「4000円?ほんとけ?」

おばあさんは素っ頓狂な声を荒げた。

そしてあたしの財布の中身を覗き込む。

「あっら〜。ほんとさ。

都会は『ばとろん』が多いって話は聞いてたが…

そうか嬢ちゃん『ばとろん』の娘かい。」

「ば、ばばば!ばとろん?」

「そうじゃなかったらこんな大金持っとらないって。

だから遊び歩けるんだよ。」

『ばとろん』―――今じゃ使うことのないお金持ちの呼称。

あたしはどうやら山の中に迷い込んだと同時に、昔の世界にまでも迷い込んでしまったようだ。

「でも安心しなさい。そんなにあれば十分東京に帰れるって。」

「あ…そうですか。」

あたしは僅かの疑問を出すように安堵した。

するとおばあさんはあたしの後ろを指差して言った。

「この舗装された山道を真っ直ぐ下ってけば麓の宿場町に出られるから

麓で宿とって、明日船に乗りなさんな。

それと、この辺りの脇道は地元の人さて迷ったりするから

くれぐれも脇道にはいらんようにな。」

「は、はぁ…わかりました。ありがとうございます。」

「今後はくれぐれも遊びあるかんようにな。」

「は〜い。」

あたしは軽くお辞儀をしておばあさんに背を向けた。

数歩歩いて、あたしはバスを降りたはずのカーブに差し掛かったが、

そこにはなぜかあったはずのバス停が消えていた。

突然手を振るかの如く、あたしの上を覆っていた木の枝が葉をこすりながら揺れているのが目に入った。

なぜかあたしは、おばあさんが後ろであたしに手を振っている気がした。

けれど後ろを振り向いてみたが、やはりそこにはおばあさんはいなかった。

何峰もの雲のひっかかった山があっただけだった。

 

 

 

あたしはそれから、舗装された道路に沿って山を下っていた。

あたしはこういう道は滅多に歩かない。

そういう時は大概風景を楽しむものだが、今はそんな気分になれなかった。

―――おかしい

さっきからあたしの頭の中にはその言葉で埋め尽くされていた。

なぜか伊豆の天城峠と言うところまできてしまったこと。

そしておばあさんのずれた発言。

けれど、おばあさんの言葉が普通と考えるならば、あたしが見ているこの世界が納得できた。

ここが昔の世界と考えるなら、あたしが見たバス停の古さ、おばあさんの言葉の古いのもうなずけるけど…

だったらそれで、なんであたしはこんなところに来てしまったのだろう…

と、頭をもたげながらあたしは歩いていたが、

あたしはさっきからあたしの足音しか耳にしてないことに今改めて気がついた。

それくらい、ここは不思議な程静かなとこだった。

自然のざわめき以外にはあたしの足音しか耳に入ってこない。

東京で聞こえるあたしの足音とは比べ物にならないくらい、場違いと思えるほどそれは響いていた。

耳を澄ますと、川の流れる音が聞こえてきた。

時折鶯の鳴き声が響き、それに続くように野鳥の鳴き声があたしの心を感動で振動させる。

樹齢が何十年もありそうな木の枝葉が影になり、その下の大地に芸術とも形容できる光の紋様が浮かんでいる。

あたしがその下をくぐれば、あたしの身体にその影が浮かび、あたしもその紋様の一つとなる。

自然の一部があたしであり、あたしの一部がすべての自然。

そう思った瞬間、あたしの感覚は無限に広がった。

東京の繁華街では決して感じることのできない感覚の無限化―――感受性が向上していた。

あたしは歩きながら目を閉じた。

耳に入ってくる清流の流れる音―――

川の水が光で煌めく純粋な輝き―――

木の葉が風に揺られる音―――

大地を蠢く虫たちの惷動―――

木の好む肥えた大地の匂い―――

そして、あたしの足音に応える木霊―――

あたしは山と対話している気がした。

あたしが山に対して行う行為すべてがあたしの言葉となり、

あたしの広がる感覚すべてが山の応えだった。

―――いや、違った。

山と思ったあたしの捕らえる感覚は、すべて自分の身体の生命の鼓動の音だった。

―――そうじゃない。これは…

そう、あたしの生命と、山の応えは同調していた。

―――あたしは、山の一部になってる。

あたしはこの時、眼で見るよりずっとよく見え、進むべき道までも見えた。

あたしの心は、今までにないくらい閑(しずか)だった。

しかしその時、あたしの心を揺るがすように突然突風が舞った。

「!!」

あたしは髪を押さえ、風が収まると目を開いた。

そして山を振り返る。それは変わらず雄大な威厳を保っていた。

辺りを見回すと、あたしは舗装された道路を下っていたはずなのに、

逆に石の階段を登っていた。

近くで滝の落ちる音がする。

あたしは音のするほうへ石段を登っていった。

少し登りきったところで薄い霧が出始めた。

階段途中にある広い展望台みたいなところに辿り付くと、あたしは足を止めた。

そこはさっきまで耳に入ってきた音源―――滝が一望できるところだった。

落ちた滝の水飛沫が霧となり、辺りを一層深い神秘的な空間へと変えていく。

―――初景滝

そう山があたしの心に教えた。

あたしの心は言いようのない潤いと高揚感で満たされた気がした。

あたしはしばらくその滝を眺めていたが、

不意にあたしの視界に白くて小さいものが風に揺られてちらほらと落ちてきた。

「…雪?」

しかし、あたしの上天は真っ青な空だった。

けれど落ちてくるのは粉雪のような雪だった。

ふとあたしの手に冷たい小さな何かが降ってきた。

それは雪ではなかった。

溶けない雪は花びらだった。

「…桜…あっ、桜の花びらか。」

桜の花びらだった。

桜の花びらが滝壷へ落ちるように、雪のように降り注ぐ。

春か冬か、それすらもわからない言いようもない感動があたしの胸からこみ上げる。

あたしの瞳から、一滴の涙が出た。

あたしはそれをぬぐうと、滝の色は桜色に染まっていた。

それは山からのプレゼントだった。

 

 

 

それからあたしは山道を下っていくと、宿場町にでた。

花びらの滝を見てからどういう経緯でここまで来たかは、なぜか覚えてなかった。

夕焼けを背に歩くあたしの影はあたしの足を先導する道標となっていた。

その影の指し示す方向へ目を向けると、一つの宿に数人の人たちが玄関にたまっていた。

それは、赤と青の二色の縞模様が特徴的な和服を着て、市女笠をもった女の人たちだった。

「ん?なんだ?」

そう呟いたあと、市女笠の女の人たちは宿へぞろぞろと入っていった。

あたしは興味半分、そこの宿に泊まることにした。

その宿は純然な木造であり、あたしの見慣れた機械文明の影響を受けていなかった。

―――タイムスリップしたのかな?マジで?

改めてあたしは完全に昔の世界にいることを再認識させられた。

けどあたしはそれほど深く考えられる余裕はなかった。

もし本当にここが昔の世界なら、あたしの財布の中のお金が使えない、という可能性があったからだ。

幸い、あたしの持っているお金は充分通じた。

加えて昔のお金の価値が時代の基準にあってくれたため、缶ジュースを買う金額で泊まる事ができた。

あたしは部屋に促されたあと、早々に温泉に入って旅の汗を落とし、

温泉特有の香があたしの身体に染み込むと、それを楽しみながら着物に着替えて部屋へ戻ろうとした。

するとあたしがタオルで髪を拭きながら長い廊下を歩いている途中、

頭をタオルで巻いた一人の女性を目にした。

その後姿に、あたしは見覚えがあった。

…あれ?

あたしは目を疑ったが、しかし、着物を着ている以外本人と間違えてしまうほど似ていた。

あたしは思い切ってその女性のところへ駆けて声をかけた。

「シャオ!」

「…は?」

その女性は驚いた表情であたしの方を振り向いた。

あたしは驚いた。

後姿もさることながら、その女性は顔もシャオそっくりだった。

けれどそれはシャオ本人ではなかった。

目の前にいるシャオはあたしの知っているのと違っていた。

タオルが巻いてあったので気がつかなかったが、この女性はシャオの特徴的な桃色の髪ではなく、

輝くような漆黒の色だったのだ。

加えて瞳の色もやや茶色がかかった黒で、着物から覗ける肌は雪のような白い。

「…あの、わたしのことですか?」

きょとんとした表情であたしに尋ねてきた。

「あれ?シャオじゃない?」

「ええ、違います。わたしは小鈴と言いますが…」

「………へぇ〜。」

あたしは驚きながら小鈴と名乗る少女を見る。

見れば見るほどシャオに似ていた。

しかし歳はあたしより2、3上だろう。

シャオにはない色香のようなものが彼女から感じ取れた。

「…あの、私、その人にそんなに似てるんですか?」

あたしがじろじろ見ていることに耐えられなかったのか、すこし心苦しそうに尋ねてきた。

「似てるどころか瓜二つさ。口調も礼儀もまったくね。

違うとすれば髪の色とかだけど…」

「…あれ?そういえばあなたは、わたしたちより少し遅れてこの宿に入った方ですか?」

思い出したように小鈴と名乗る女性は訊いてきた。

「え?うん、そうだよ。何で知ってるの?」

「…あっ、やっぱりそうですか。

部屋に入って外を見たとき、見慣れない服を着た人を見かけたもので、

どこかで見た人とは思ったんですが…」

「あははは…見慣れない服ね…」

あたしのいるこの時代がいつの時代かは知らないが、

少なくとも洋服が一般に出回ってない時代なのだろう。

あたしは不覚にもちょっと戸惑った。

「失礼ですがお名前は。」

「あたし?あたしは翔子。山野辺翔子さ。えっと…小鈴だったよね。」

「はい、そうです。翔子さんはここまでは物見の旅ですか?」

「えっと…まぁそんなとこ。」

翔子は内心苦笑した。まさか迷ったから帰る途中となど、言える筈がなかった。

「小鈴もあたしと同じ物見旅?」

あたしは小鈴に合わせて話を切り出した。

こうしたほうが返って怪しまれないと思ったからだ。

「あ、いえ。今わたしたちは巡業途中なんです。芸人一座の。」

「芸人一座?じゃ、市女笠をかぶってたあの女の人たちって…」

「はい。皆芸人一座の踊り子です。

旅をしながら民謡と踊りをやっているんです。

わたしは踊りしかやってませんが…」

「へぇ〜、踊り子か。でもなんで小鈴は謡ったりしないの?」

正直言って、あたしは踊りより唄の方が小鈴に似合っている気がした。

それは同時にシャオにも似合っている気がしたからだ。

あたしは個人的にシャオ、いや、小鈴の唄を聞いてみたかったが、

残念なことにそれも叶わぬ願いだとすぐわかった。

「それが、まだ声変わりの時期なので。

それが終わらなければ謡えないんです。」

「ふ〜ん。ちょっともったいない気がするけどね…」

正論とはいえ、やっぱり言いようのない物足りなさが心に残った。

そういえばシャオは精霊とはいえ、人間と同じような成長期と言うのはあったのだろうか…

ふと、そんな疑問が頭を掠めた。

「できればあたしも早く謡いたいのですが…当分は踊りに専念することにしているので。」

小鈴は微笑みながらそう言った。

こういうところはシャオと全く変わってなかった。

「ところでさ、踊るって言っても、いつも宿で踊ってるの?」

「宿だけでなく、貴族様の御殿ででもです。それで…」

小鈴が続けようとしたとき、時計の鐘が鳴った。

8回―――午後8時。

それを聞いて小鈴は思い出したように叫ぶ。

「あっ!いけない。これからわたしお仕事があったんです。」

「仕事って言うと踊り?」

「あ、はいそうです。広間で踊ることになっているので…」

広間と聞いたとき、あたしは空腹感がこみ上げてきた。

そういえばぶっ通しで山下りていたため、何も食べてなかった。

「なぁ、それってあたしも見る事ができるの?」

「あ、はい。ここの宿に止まっている人なら誰でも…」

「じゃ、あたしも見ていいかい?」

「はい、是非とも。」

「じゃ、広間案内して。」

「はい。」

 

 

 

数十分後、あたしは宿に泊まっている他の客と一緒に、

広間で踊り子たちの踊りや歌を楽しみながら夕飯を食べた。

滅多に聴く事ができない三味線、太鼓、篳篥の音。

そしてそれに合わせて歌われる民謡と踊り―――

日本人のくせして日本の伝統文化を全く知らない自分が可笑しくも思えた。

そのためか、小鈴をはじめとした踊り子たちの踊りにも思わず箸を止めて魅入った。

宴会の華が終わった時は、もうとっぷり夜もふけていた。

あたしが広間をでると、小鈴が廊下で夜空を見上げて佇んでいた。

足元には三味線がまだ組み立てられたまま置かれていた。

「小鈴。」

「あ、翔子さん。」

小鈴はあたしの姿に気付くと微笑みながら振り向いた。

この屈託のない微笑みはシャオのそれと寸分の違いもない。

「どうでした…拙い踊りだとは思いますが…」

「いや、すごかったと思うよ。綺麗な踊りで…」

あたしは率直に感想を述べた。

「あ!ありがとうございます。わたし…そう言われたの、初めてで…」

初めて誉められた喜びか、それとも肌が月光に反射したからか、妙に小鈴の顔が明るく見えた。

あたしは小鈴の足元にある三味線に目をやり、

「なあこれ、片付けなくていいのか?」

そう訊くと、小鈴は足元の三味線に気がついて、弾けるように三味線を抱えた。

「あ、いえその…これはこれからあたしが練習するために組み立てたもので…」

「え?ってことは小鈴、三味線弾けるの?」

「…でも…まだ練習し始めたばかりでまだ弾かせてもらえないんです。」

「へぇ〜。」

三味線を抱えた小鈴を見て、思わず

音楽の授業の時、歌は巧かったがリコーダーを吹くのに

いつも音を飛ばしてしまって困惑していたシャオを思い出した。

「でもさ、こんな時間でどこで練習するの?」

「この宿の裏には寝ている皆さんにも音が届かないそうなので、そこで練習しようと…」

「あたしも行っていい?あたし三味線よく知らないからさ。」

「別にいいですけど…あまり巧くありませんよ。」

「それでもいいよ。」

あたしは小鈴について行った。

その後、小鈴のおぼつかない演奏を聞きながら、あたしは月夜を楽しんだ。

なるほど練習し始めもうなずけるが、それでも一曲通そうという想いは伝わった。

草木が小鈴の三味の音で眠りこけると、小鈴の三味の音は止んだ。

あたしはそれからはよく覚えてない。

けれど断片的に小鈴と一緒に三味を片付けた記憶と布団に倒れた記憶は残った。

 

続く


 

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