" Kanon" side story "DEPART FROM THIS WORLD"



         

      第III章 輝けるあの丘で・・・




  −三千年を解く術を持たないものは
    闇の中、未熟なままに
     その日その日を生きる−

               −ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ−


         1


 風が、吹いていた。
 大気の圧力と生命が生み出す星の呼吸。

 風に揺られる草があった。
 大地に根を下ろし、ひたすらあがくように生き続ける生命の象徴。

 星空が広がっていた。
 想像を絶する程の遠くの世界から幾星霜の時を経てもたらされる光。

「・・・どこだ、ここは?」
 今だちかちかとする目を押さえながら祐一が呟く。

 だがすぐに目の前の地面に立てられた棒とその先に結わえられた鈴を目にした。

「ものみの・・・丘?」
 確かに今まで水瀬家のあゆの部屋にいたはずだった。

 意識を失った覚えもない。

 なのに何故か家から遥かに離れたこんな所にいるのか理解できなかった。

「私・・・まだ寝ぼけてるのかな」
 名雪も自分が置かれた状況が理解できずに首を捻っていた。

「ゆ・・・祐一君!!名雪さん!!」
 後ろであゆの叫び声。慌てて2人は振り向き、そして絶句した。


「なんだ・・・?」
 祐一が幻でも見ているような表情を見せる。

「これ・・・?」
 名雪が目を大きく見開き眼前の光景を見つめる。


 光の柱だった。

 丘の頂上から遥か天の白鳥に向けて光が伸びていた。

 大地から吹き上がる間欠泉のように力強く光は天へと走り、

 濃紺の空を切り裂く刃のように光の柱は輝き、

 そしてその下には燦然と輝く門扉があった。

−銀河ステーション・白鳥の停車場−
 その門扉には、そう記されていた。


         2


「これは・・・銀河の入口?」
 ふらふらとおぼつかない足取りで、さながら夢遊病者のようにあゆが柱へと歩む。

「あゆ?」
「あゆちゃん?」
 あゆの様子に気がついた祐一と名雪があゆを追う。

   光はなおもその激しさを増し、やがて辺り一面を照らしつくさんばかりのまばゆさを放つ。
「あれは!?」
 名雪が光の中に『何か』を見た。

「どうした・・・何だあれは!?」
 扉を中心に光が放たれ、その光は巨大な神殿を形作っていた。

 幾本もの巨木を思わせる柱、極彩色の彫刻を抱く屋根、それはまさしく光の神殿だった。

−ぽぉぉぉぉっ!−

 遠く、汽笛の音が響いた。しかも一つではない。
 さながら列車のターミナルのように汽笛が聞こえてくる。

「まて、おい、あゆっ!!」
 あゆは祐一の言葉など届いていないのか、ただ盲目的に門の中へと入っていく。

「祐一、どうしよう?」
 名雪が不安げな顔で訊ねる。

 確かに突っ込むのはなにかとてつもない危険があるような気がした。

 しかし、このままあゆを放っておくわけにもいかないのも事実だった。

「名雪、ここで待っていろ!一時間経っても俺が戻らなかったら秋子さんに知らせるんだ!」
「う、うん解った」

 改めて眼前の門を見つめる祐一。確かに恐怖はあった・・・
 だが、放っておくわけにはいかない。祐一は覚悟を決め、走り出した。


         3


「・・・・・・なんてこと、まさか」
 夜の闇の中、秋子は必死に走っていた。

 名雪の、祐一の、あゆの顔が彼女の脳裏をよぎる、そして18年前のあの別離も。

「それでも・・・いかなければ」
 それらの思いを振り払い、秋子は走った。
 ただ・・・己の使命のためのみに。


 そうしていくらか走ったとき、不意に秋子は辺りを覆う不穏な気配を察知した。

「・・・・・・?」
 野犬でもいるのだろうか?と一瞬思ったがすぐさまその考えを改める。

 雰囲気がそんな生易しいものではないのだ。
 辺りの空気は戦闘の緊迫感にも似た強烈なプレッシャーを帯び、
人知を越える『何か』を持った力の奔流が感じられた。

「どこから・・・?」
 全身の全ての感覚を研ぎ澄まし、感覚の主を探った。


「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
「!?」
 絹を裂くような女の悲鳴。

 そして何かが転がる音。疾風の如き俊足で秋子がその場所へ走った。

「う・・・うう・・・舞」
 1人の少女が倒れていた。

 髪は乱れ、肩口から流れ出る赤い鮮血が彼女の白磁器のような白い肌を赤く染め上げていた。

「しっかり、意識を持って!!・・・あなた、倉田佐祐理さん?」
 抱き起こした少女の顔が見知ったものであることに秋子は驚きを隠せない。

「あ・・・あなたは、水瀬秋子さん?」
 うっすらと目を開いた佐祐理が哀願するように秋子を見た。

「お願いです・・・舞を・・・止めて・・・ください」
 それだけ呟き、再び佐祐理の精神は闇の中へと墜ちてゆく。

「佐祐理さん、意識をしっかり持って!!・・・殺気!?」
 佐祐理を抱きかかえて立ち上がった秋子は、背後にいる『気配』に気がついた。

「うぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・」
 月を背に、1人の少女が立っていた。

   漆黒の髪、青いリボン、情操に乏しい面差し、口から発せられる荒い吐息、握られる一振りの剣。

 人外の「もの」と化した、舞がそこにいた。

「あなたは・・・川澄舞さん」
 呆然とする秋子。

「ああ・・・・・」
 舞は光の定まらぬ瞳で秋子と佐祐理を見つめていた。

 舞の携える剣は緋に染まっていた。

 自らの親友の血に染まっていた。

 それらの事象が、この2人にあったことを秋子に理解させた。

「はぁ・・・はぁ・・・がぁぁぁぁぁぁっっ!!」

−ごふっ!!−

 咆吼と共に、舞は激しく吐血する。

 佐祐理の返り血と、自らの血が混じり合い、アスファルトの地面に血溜まりを作り出した。


「・・・なんてこと。魂に魅入られているなんて」
 秋子には見えていた。

 舞の後ろに乱舞する幾つもの魂の群を。
 ありとあらゆる負の想念を湛え、世界を憎み壊さんとする意志の残滓を。
 舞はそれらの魔性の悪霊に取り憑かれているのだ。

「どういう・・・ことなんですか?」
 辛うじて意識を取り戻した佐祐理が問うた。

「意識を取り戻したのね・・・でも、話は後ですよ」
 刹那、秋子の両足が地面を蹴った。

「がぁぁぁぁっ!!」
 次の瞬間、2人が今まで居た場所に衝撃波を伴った舞の斬撃が地面をえぐった。

「ひっ・・・!?」
 アスファルトを一瞬で削りだすその恐るべき威力に戦慄する佐祐理。

「ここは危険ですね。場所を移しましょう。もうしばらく痛みを我慢できますか?」
 しかし佐祐理とは対照的に、秋子はいつものスタンスを崩さずに訊ねる。

「はい・・・」
 怪我の痛みをこらえ、必死に佐祐理は頷いた。

「では、行きましょう!」
「え、うわっ!?」
 夜の闇の中を、佐祐理を抱えて駆ける秋子。その恐るべき力に、佐祐理は感嘆の念を禁じえない。

 そして秋子の足は、ものみの丘へと向いていた。


         4


「祐一・・・」
 眼前にそびえ立つ光の神殿(駅舎?)を見つめながら、名雪は不安げに時計を見た。

 あゆと祐一が消えてからもう30分は経過していた。
建物から発せられる光は微塵も衰えず、その門扉は開かれたままだった。

「大丈夫かな・・・」
 誰にともなく呟いたときだった。

−ずずん−

「?」
 奇妙な揺れを感じた。

 それは普通に来るときに抜けてきた森の方から聞こえてきた。振り向く名雪。

−ずずん−

 再び衝撃が足下を伝ってきた。地震?否、その割には揺れ方が不自然だ。
 爆発で地面が振動しているような様子だった。

「何・・・一体何が起こってるの?」
 思わず後ずさる名雪。しかも衝撃は間違いなくこちら側に向かってくる。

−ざっ!−

 刹那、森から飛び出した影が見えた。

「ひっ!?」
 思わず尻餅をつくように倒れる名雪。

 影は跳躍する動物のように高く飛び上がり、名雪の眼前に降り立った。

「って・・・お母さん!?」
 血塗れの佐祐理を抱いた秋子がそこにいた。

「話は後で、佐祐理さんをお願いできるかしら?」
 そう言って佐祐理を名雪の前に横たわらせた。微かな血の匂いが名雪の鼻腔に届く。

「お母さん・・・この人・・・どうして?」
「待っていてね。すぐにあの人を元に戻すから」
 呆然とする名雪を後目に、秋子が再び飛んだ。


       *


−怨・恨・破・砕・滅・殺・・・・・・−
 無数の『声』が舞の中に響いていた。

−やめろっ・・・!−
 声にならない叫びをあげて舞は必死で抵抗を試みる。

−汝・我が肉体−
 『声』の主が語りかける。

−違うっ!私は私だ!−
 己の意識とは無関係に舞の体は剣を振る。

−何で・・・こんなことに?−
 舞は必死で記憶を辿っていた。

 体の不調が祐一達と別れた後からも続いていた。

 佐祐理はそんな舞を案じて家まで付き添い、看病してくれていた。

 不調は続いていたが、佐祐理の献身的な介護のおかげで大分体の調子を取り戻しかけていた。
・・・そこまでは覚えていた。

 そして夜、舞は『光』を見た。

−あれは遥か遠く、確かものみの丘と呼ばれる場所だった−
 声にならない声で舞は呟く。

−そして次の瞬間・・・−
 そこからは覚えていなかった。

 ただ、自分の中に得体の知れない『何か』が入り込んでくることだけは漠然と理解できていた。

 魂を蝕み、肉体を操る強烈な意志の奔流。

 今や舞はその流れに押し流されるままの存在だった。

−私はっ・・・!!−
 叫ぼうと思うもそれすら声にならない。

 そして舞の肉体は剣を掲げ、眼前の秋子めがけて飛びかかっていった。


         5


「の・・・ろ・・・い・・・をっ!」
 舞が剣を右手で持ち、開いた左手に彼女の周りを遊離していた魂を収束させた。

 そして舞がその左手を突き出すやいなや、収束した魂が弾丸の様に撃ち出された。
 憤怒と怨念に満ちあふれた邪気をまき散らしながら、魂が飛んでゆく。

「お母さん!?」
 名雪が悲鳴をあげる。

「甘いですよ」
 しかし秋子はその軌道をあっさりと読み、軽いステップでいともたやすくその一撃をかわした。

 その一撃をかわされた舞の表情に明らかな怒気が浮かぶ。
 地を蹴り、一気に間合いを詰めようと突進する舞。

「あぁぁぁぁぁ!!」
 そして剣を居合い抜きのように横薙ぎに振るう。

 振られた刃の軌跡が衝撃波を生み、空を切り裂く刃となり秋子を襲った。

「だめですね」
 素早く屈む秋子。

 衝撃波の残滓が秋子の藍色の髪を微かに切り飛ばした。
 しかし秋子は意に介した様子もなく、横に飛び再び間合いを離す。

「クックッ・・・」
 だがその瞬間、舞は笑った。小悪党が己の謀略の成功を確信するような下卑た笑みを湛え。

「お母さん、後ろ!?」
「え?きゃあっ!」
 最初に舞が飛ばした弾丸が無防備な背中から直撃していた。

 しかも着弾のダメージもさることながら、体が動かない。
 これも舞に取り付いた悪霊たちの一つなのだ。

 それが秋子に憑依している。
 憑依することにより動きを止めることが本来の目的だったのだろう。
 意識を奪えずとも動けなくすればよいのだ。

「・・・も・・・ら・・・っ・・・た!!」
 舞が手をかざす。次の瞬間、秋子の体が不可視の力で引っ張られ、無防備な姿を舞の前に晒した。

「うっ・・・」
「お・・・わ・・・り・・・だ!!鬼炎斬!!」
 舞が刃を下に向け、そして両手で剣を持ち、切り上げの動作で剣を振り上げた。

 舞い上がるように凶刃と化した舞が秋子へと向かって飛んでゆく。

「お母さんっ!」
 悲痛な名雪の悲鳴が響いた。


 だが、甘かった。

「今のはちょっと驚きました・・・でも、まだまだですね」
 いつもと寸分違わぬ笑みを浮かべ、秋子は全身に力を込める。

「はっ!!」
 刹那、秋子を覆っていた魂が爆ぜた。

 否、正確には彼女の全身から金色のオーラが立ちのぼっていた。

 オーラを伴う彼女の「力」
 それが一気に解放される。
 それによりまとわりついていた魂が吹き飛ばされたと言った方が正しいだろう。

 魂達は秋子の金色のオーラに吹き消され、風に吹かれ散っていく塵のように散華した。
 衝撃で舞が飛ばされ、地面に転がる。

「お母さん・・・一体?」
 実の母でありながら秋子にこのような能力があるとはにわかに信じられなかった。
 驚きの声をあげる名雪。

「うぅぅぅぅぅぅぅ!!」
 倒された舞が悪鬼羅刹もかくやという殺気を湛え、憎悪にまみれた醜悪な表情で秋子を睨み付けた。

 秋子はそんな舞の姿を見て、微かに瞳に哀れみの色を浮かべた。

 そして懐から白銀に輝く筒のようなものを取り出し、呟く。

「夢を見ているのね・・・
 朽ちた後も朽ちたことに気づかないまま『奇跡を使える誰か』が救い出してくれることを信じて」
 淡々と、抑揚のない秋子の声が宵闇の帳を抜けて舞に、
 否、彼女の後ろにいる『誰か』に向けて届けられる。

「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 逆上したように咆吼する舞。

 再び刃を振り、魂の弾丸が撃ち出される。
 秋子はそれをただただ見つめ、自らのオーラを携えた筒のようなものに送り込んでいく。

「ライトサーベル・・・?お母さん、ジェダイだったの?」
 呆然と名雪が呟く。

 確かにその姿はライトサーベルを振るうジェダイの勇姿。
 騎士に相応しき凛々しさをたたえ、強烈無比な力を感じさせた。

「でもそれは、所詮『夢』でしかないわ。
 還りなさい・・・そして、次に続くものになりなさい!烈空斬!!」
 オーラをそそぎ込まれた筒は緑色に輝く刃を生み出し、一振りの剣となる。

 秋子が剣を振る。

   一度ではなく二度。

 剣を振るうと同時にオーラが生まれる。

 そしてオーラで弾丸を生み出し、一つ目は舞の弾丸を相殺し、二つ目は舞の剣をはじき飛ばす。

「ぬぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 怒ったように舞が魂達を収束させ、巨大な『手』を作る。

 それが秋子を掴もうとする刹那、
 秋子は今度は剣を円の奇跡を描くように振り、灼熱のオーラを生み出す。

「闘神奥義!!炎魔烈襲砕!!」
 オーラは先ほどとは比べ物にならないほどの巨大な炎の塊となる。

 手は秋子の生み出した炎を掴み・・・そして共に四散した。衝撃で舞の体が大きく揺らぐ。

「あなた達の魂に・・・幸いを」
 秋子はその瞬間を見逃さず、走り込みその刃を舞の体に突き立てる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「お母さん!?」
 この世ならざるものの悲鳴をあげる舞。驚愕する名雪。

「違うわ名雪。私が刺したのはこの人に憑依する哀れな意識の残滓・・・さあ、還りなさい!」
 言うやいなや、舞の体から無数の魂達が飛び散るように吹き出し始める。
 それらはやがて空中で集まり、巨大な鬼の姿を形作った。

「究極宝技!地獄極楽門!!」
 それに再び刃を突き立てる秋子。

 苦悶の悲鳴をあげる鬼。
 秋子は鬼に更に斬りつけ、その衝撃で鬼の体が宙に浮いた。
 秋子も飛び上がり、鬼に斬りつけてゆく。

「が・・・ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 刃が振るわれる度に鬼はその体を散らせてゆく。

「終わりです!!」
 最後の刃が振るわれ、遂に鬼は消え失せる。

 刃を収め、地に降り立った秋子の髪を、丘に吹く風がそっと撫でていた・・・


         6


「お母さん・・・」
 舞を抱えて歩み寄る秋子に名雪が声をかけた。

「話は後よ。とにかく佐祐理さんをあの中へ運びましょう」
「あの中って・・・お母さん!?」
 秋子が指したのはあゆと祐一が消えたあの光の神殿だった。

 しかもさっきからの口振りから彼女はこの一連の事件について少なからず知っていることになる。

「知りたいことはそこで話すわ。それに『あなた達も知らなければいけないこと』だから」
 名雪の疑問を察したかのように秋子は言った。




「ここは・・・?」
 佐祐理と舞をかかえて入った神殿の中を見回し、名雪が驚愕した。

 神殿の中も外と同様に輝き、
 その壁には星図とも路線図ともつかない黒曜石で彫られた不思議な図が貼られ、
 その下のカウンターでは多くの人々が背を丸めて何かを求めて並んでいた。

 しかもその表情は誰もが絶望と苦痛、
 そして悲哀に彩られ、
 不本意ながらここに来ているということが何となく名雪にも理解できた。

「駅・・・なの?」
 呆然とする名雪。

「そうよ・・・ここは駅。果てる魂が在るべき場所へ還る旅の最初の場所」
 佐祐理を近くに在ったベンチに横たえながら秋子は言った。

「それって一体・・・?」
「まって、先ずは佐祐理さんの方が先よ」
 佐祐理の胸の上に手をかざす秋子。

 それと同時に建物から発せられていた光が粒子となり佐祐理の体に吸収されていく。

 そして佐祐理の全身の傷口が瞬く間に塞がってゆく。

「すごい・・・」
 半ば呆然と名雪はその光景を見つめる。

「鋭利な刃物で切られた傷口は治りも早い。それに全て致命傷を避けている。
 多分舞さんも精神のぎりぎりのところで戦っていたのでしょうね」
 佐祐理の傷口を見つめながら秋子が言う。

 名雪には判らなかったが、舞の斬撃は全て急所を避けていた。
 要するに派手な出血の割には命に別状はないらしかった。

『何か』に憑依されながらも必死に意思を働かせ、
 与えるダメージを極力減らそうと、佐祐理を守ろうとした結果なのだろうか。

「う・・・佐祐理?」
 そんなとき、佐祐理の隣に寝かされていた舞の瞼が微かに動き、そして開かれた。

「ここは・・・佐祐理!?」
 そして自分の横で血塗れになって倒れている佐祐理を見て舞の表情が凍り付く。

「わ・・・私が・・・・まさか!?」
 舞の両手が震え、そして自分の体についている返り血を見て恐怖が全身に広がっていく。

「私が・・・佐祐理を・・・私が・・・佐祐理は死んだのか?・・・私が殺したのかぁぁぁぁっ!」
 魂の底から吐き出すような叫びをあげる舞。

 その叫びは建物全体に広がらんばかりにすさまじく、そして絶望に満ち満ちていた。

「落ち着きなさい」
「!?」
 穏やかに、それでいて凛とした声と共に舞の両肩に秋子の手が置かれる。

 秋子の藍色の瞳が舞の深緑の瞳を捕らえる。
「答えその1、佐祐理さんは生きています。
 この『領域』にいるのですから傷もすぐに塞がるはずです。
 答えその2、佐祐理さんが生きているという事は殺してはいないこと、
 傷つけたのもあなたではありません」

「私の剣で私が斬った・・・」
 秋子に気圧されながらも舞は言う。

「それは・・・いえ、確かにそうですね。
 では、あなたは今佐祐理さんを斬りたいと思いますか?」
「・・・違う!」
 秋子を睨み付け、舞の鋭い声が飛ぶ。

「なら、それでいいんじゃないですか?」
「何故・・・」

「舞さん、あなたは佐祐理さんの友達なのでしょう?」
 こくり、と舞が頷く。

「なら、舞さんは佐祐理さんを信じているのでしょう?」
 再び舞が頷く。

「それは、佐祐理さんも一緒ですよ」
 聖母の笑みを浮かべ、秋子は穏やかに、しかしはっきりと言い放った。

「佐祐理が・・・」
 その言葉を反芻する舞。その時だった。

「舞・・・」
「佐祐理!?」
 佐祐理がうっすらと瞳を開き、舞を見つめていた。

「佐祐理は頭の悪い子だから・・・
 だから、舞がおかしくなっても、舞を信じることしか出来ないんだよ・・・舞」
「佐祐理・・・」

「それに、何となく解ってた。舞がおかしくなったのは、あの光のせいだって」
 そう言って佐祐理は微笑んだ。

 闇の中に輝く光のように、全ての者を救う聖者のように佐祐理は笑っていた。
 己を傷つけたものに対し、斯くもこのような輝かしい笑顔を見せることが出来るのか、そう舞は思う。

「佐祐理っ・・・・!」
「ほえ、舞・・・?」

 佐祐理の胸に飛び込む舞。

 頬をすりつけ、子供のように舞は泣いた。

 そんな舞の様子に一瞬戸惑った佐祐理だったが、すぐに舞の肩に手をまわし、穏やかに微笑む。

「大丈夫、悪い夢を見ていたんだよ。悪夢はもう終わったんだよ・・・」

 赤子をあやす母のように、佐祐理はいつまでも舞の背中を撫で続けていた・・・・・・


         7


 それよりしばらく前、祐一達・・・


「あゆっ!待てっ!!」
 何かに招かれるように門の中へと消えていったあゆを追って、祐一も中へと入っていた。

「・・・・・何だここは?」
 きらびやかに輝く室内、何かを待つような人々。そして・・・

「改札・・・?」
 人々は皆、戸惑いながらもその改札をくぐっていた。

 さらに案内図のようなものを駅員らしき男から貰い、汽笛の音が聞こえる場所へと歩いていた。

 そう、まさしくここは駅だった。

「あゆ!?」
 そして改札を流れる人々の中に、祐一は見知った後ろ姿を見つけた。

 瞬時に駆け出す祐一。

「くそっ!どけったら!!」
 人々を押しのけ、祐一は改札へと走る。と、そこで何者かに腕を掴まれた。

「?」
 白いローブのようなものを纏った男が1人、祐一の腕を掴んでいた。

 先程、乗客達に案内図を渡していた駅員である。

「何なんだよあんた!?」
「乗車券を・・・」
 男は抑揚のない口調で問いかける。

「乗車券?ああ、列車の切符か」
 言われてみれば確かに駅で列車に乗るには切符がいる。妙なところで祐一は感心していた。

「・・・まだ買っていないんだ。何処で買えばいいか教えてくれるか?」
「買っていない?」
 急に駅員の表情が変わる。

 さながら常識では考えられないようなようなものを見たかのように目を丸くし、駅員は言った。

「そんなはずはありません。ここに来るものは皆、乗車券を得ているはずです」
「得ているって・・・言われてもなあ」
 辺りの乗客を見回す祐一。確かに皆、切符を持っている。

「よく探してごらんなさい。得ていなければここに来られるはずはない」


「来られるはずはって・・・ん、何だこれは?」
 言われるままにポケットを漁っていた祐一が、何かが入っている事に気がつき、取り出してみた。

「これは・・・あの時の」
 昼間に名雪達と寄った骨董品屋で貰ったポストカードだった。

 それが鈍く緑色に輝き、光を放っていた。

 駅員はここに来るものは皆、乗車券を得ていると言った。

 ならばこれがそうだというのだろうか?それを見せる祐一。

「・・・・・・・」
 駅員の表情は更に驚きの色を増す。

 否、単に驚愕したと言うよりは狼狽したかのように。
 顔に脂汗を浮かべ、幾度も祐一とポストカードを見比べていた。

「し、失礼いたしました。どうぞお受け取りを、路線図です」
 だが、いきなりそう言って一礼し、他の乗客に渡していた案内図を祐一に手渡した。

 そして男は祐一にこれ以上関わりたくない。
 そうとでも言わんばかりに、そそくさとその場から去っていった。

「何なんだ・・・一体?」
 ぼやきながら手渡された案内図に視線を落とす。

 それは円盤状の黒曜石であった。

 その上に鉄道網や停車場が彫刻されていた。

   彫刻の中に宝石でも埋め込まれているのか、それらの彫刻は色とりどりに輝いていた。

 鉄道網は淡く緑色に輝き、
 停車場はそれぞれ天に浮かぶ星座と同じ名前と形をして、
 それらの色に合わせて宝石がはめ込まれていた。

 天を流れる大河、エリダヌスにはラピスラズリが、

 伝説の大蛇、ヒュドラを表す海蛇はエメラルドが、

 夜空を闊歩する勇者ヘルクレスは鋼玉、

 といったように、上手くそれらのイメージに合わせた石を選んであった。

 不意に祐一の頭の中に、ある小説の一節がよぎった。

−そして、カムパネルラは固い板のやうになった地図を、しきりにぐるぐるまはして見ていました。

 まったく、そのなかに、白くあらはされた天の川の左の岸に沿って一條の鉄道線路が、

 南へ南へとたどって行くのでした。

 そしてその地図の立派なことは、

 夜のやうに真っ黒な盤の上に、一々の停車場や三角表、

 泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。

 ジョパンニはなんだかその地図をどこかで見たやうにおもひました−

「覚えがあるぞ・・・これは黒曜石の案内板?
 って銀河鉄道の夜でジョパンニやカムパネルラがもらったっていうあれのことか!?」
 たしか2、3日前にあゆの部屋で見たあゆの宝物とかいう本の中に書かれていた言葉だった。

 あの話は確か主人公カムパネルラが天気輪の柱という場所で亡き親友ジョパンニと再開した。
 その後、生と死の狭間のような場所を旅する話だった。

 しかもこの星図盤だか路線図はジョパンニとカムパネルラが持っていたものと同じものだった。

「ってことは・・・ここは、あの世の入口!?」

 では周りにいる人々は全て不本意ながらも死に従属し、
 そして常世への旅立ちを待つ哀れな人々の魂だというのだろうか?

 だがその落胆、悲哀、更には絶望さえ感じさせるその人々の表情。

 それらは祐一の脳裏に浮かんだその考えを肯定させうるに十分な証拠のように感じられた。

 祐一は再び駅舎を見渡す。そして改札の向こうの人影を見て祐一は絶句した。

 左右をリボンで止めた亜麻色の髪の少女。

 漆黒の瞳は祐一を映し、祐一の瞳は少女を映す。

 滔々と流れる人の流れの中の、ほんの僅かな邂逅。

 少女は祐一の存在に気づいているのかいないのか、
 やがて興味を失せたように瞳を逸らし、ホームの奥へと消えていく。

「・・・・・・真琴?」
 幻覚?否、そんなはずがあるものか。

 祐一はあれがかつて自分と時を同じくして過ごした少女であると確信していた。

 なぜなら彼女は最早この世の存在ではない。
 ならばここにいてもおかしくはなかったからだ。

「にゃぁっ!」
「!?」
 足下から響く猫の声。

 足と耳の先と尾だけが黒い細目の猫。

 かつての少女の相棒であり、今でも水瀬家に居着いている猫がそこにいた。

「ぴろ・・・どうしてお前が?」
「にゃあっ!」
 祐一の誰何の声など関係ないといわんばかりに改札を見て鳴き声をあげるぴろ。

 さながら誘っているかのように見える。

「真琴がここにいる・・・っていうのか?・・・・・・行くぞぴろ!」
 暫し逡巡した祐一だったが、やがて意を決したように祐一は走り出した。


・・・斯くて奇跡がもたらす再会は幕を上げることとなった。


                     TO BE CONTINUED......


  次回予告

 強い想いは奇跡を呼ぶ。
 それはだれしも一度は聞いたことのある言葉でしょう。

 白く覆われたあの街で出会った一匹の子狐。
 やがて狐の想いは遂げられ、命と引き替えにその想いを遂げました。

 でもそれは、祐一さんにも、私、水瀬秋子にとっても傷を残した出来事。
 最後に伝えたいことを伝えるために現れた真琴。

 天に輝く子狐の星座の中での再会は、彼等に何をもたらすというのでしょう?

 次回  " Kanon" side story "DEPART FROM THIS WORLD"

     第W章 果てる者の宿命

 よろしくお願いしますね。



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