Episode 2:My hope for you
わたしがあなたをみつけたとき、
ふりつもる雪が大地を覆うように、どこまでもあなたのこころは埋もれ、
わたしはねがいました。
あなたがもういちど笑ってくれるのなら、
だから、わたしはたのんだのです。
いつかあのひとが、わたしのことをおもいだしてくれたときに、
だから、わらってください、だいすきなひと。
−Nayuki Minase−
ぴょん、と軽やかにガードレールの上から飛び降りる少女。
「名雪?」
「名雪!?」
「・・・まさか?」
「ママ・・・・・・」
「お前は・・・?」
「ママのほうが、先だよね」
「あそこなら、休めるよ」
「行こっ」
わけがわからなかった。
あの冬の日、祐一が去ったあの日、名雪は一人、泣いていた。
そして自分には、そんなあの人に、何も出来なかったから。
どこまでも沈んでいく彼女に、不意に電話のベルが鳴る。
「・・・水瀬です」
聞きなれない男の声だった。だが、どこか人を安心させる雰囲気を持つ人だった。
「お母さんは仕事です・・・お父さんはいません」
「じゃあ名雪さん、君の親戚に、相沢祐一君という人はいないかな?」
帰ったはずの祐一が行方不明になったことは、あの日の翌日祐一の親から話を聞いて知っていた。
「やっぱり、君は知っているんだね」
「ああ、列車を間違えて、ここに来てしまったらしい」
名雪にはそれが良く判った。
否、考えることすら無意味だった。
「どこですか!?もういちどおしえてください!?」
「ありがとうございます!!」
「う〜・・・ふぁいと、だよ」
−祐一を迎えにいってきます−
そう書き残し、郵便受けに放り込む。
名雪は走り出した・・・その先にあるものも知らずに。
木々の間からは微かな木漏れ日。
「えへへ、遅いよパパ」
「当たり前だ。つうか少しはこっちにあわせろ」
「う・・・ん・・・」
森の中で、唯一つだけくりぬかれたようにそこだけが開けていた。
だがそれは、まるで火事にでもあったかのようにぼろぼろだった。
かつて荘厳さを誇ったであろうその姿は見る影も無く。
そしてそれは、祐一に強く既知感を感じさせるものだった。
−俺は、ここを知っている?−
そんな考えが、祐一の頭の中に浮かんだ。
「教会・・・?」
「大丈夫だよ。崩れたりなんかしないから」
崩れ落ちた壁と、生き残っているステンドグラスから光が差し込む。
ふくよかな微笑を浮かべる、白いマリア像。
横には埃と雨風にさらされたオルガン。
奇妙なくらい、生と死が同居している不思議な空間だった。
「よっと・・・」
「なあ、おまえ、いったい誰なんだ?」
「俺達の娘だ、みたいなことを言ってたが」
大体この子はせいぜい8歳前後。
と、祐一は心の中で毒づいた。
「だいたい、俺も名雪もお前のことなんか知らないぞ」
「じゃあ、言い方を変えようか」
「『知覚出来ないものは、存在していないことと同じ』なんだよパパ」
知覚出来ないものは、存在していないことと同じ?量子力学か?
「セネカを知覚したのが、パパとママ。だから、セネカはパパとママの娘、だよ」
「ここ、どこ?」
「うん、おはよう、セネカ〜」
・・・なじんでるし。
と、一人で考えて祐一は頭が痛くなってくる。
「ちゃんと整えないとダメだよ。髪は女の命だから」
「って、そうだセネカ」
「おまえなのか、これ出したの?」
「ああ、駅だね。パパとママが再会した」
「セネカ・・・おまえ!?」
こいつは何者だ?
「でも、これはセネカの字じゃないよ」
「これは、きっとパパとママの恩人が出したんだよ」
俺達の接点は、そいつが握っている。
それは、全ての命は海から始まったという証なのかもしれなかった。
案内してやるというセネカに連れられて、3人は夏の街を歩いていた。
「ありが〜とう、いわな〜いよ〜、ずっと〜しまってお〜く」
「仲のいい親子ねえ」
「!?」
「ええい、よさんか馬鹿たれえ!!」
「わ、なにするんだよ祐一〜」
「はずかしいんだっつーの!!」
というか、俺はこんな年の娘がいてもおかしくないほど老けて見えるのか?
祐一はどこか寂しさを伴う悲しさを感じていた。
「私達、綺麗なんだって」
名雪とセネカが姉妹か。まあ、親子というよりもその方がいいと思うが・・・
どうやら水瀬家は、若作りの家系なんだな、と祐一は思った。
「ねえ、パパァ」
「ひどいよ〜」
「そうだね、もうお昼は過ぎたよね」
「そうだな、どこかで何か食ってくか」
「はぐはぐ。おいしいねぇ」
「祐一、がんばって稼いでね」
「パパ、はいあーん。セネカのあげる」
ゆらりゆらりと、風に任せてたゆたうシャボン玉。
何かが見えた。
−名雪ではない。この町を俺は知っている。
−小さな駅、仲の良い家族・・・・・・
−そして、俺は・・・?−
だが、記憶の姿は再びもやがかかったように消えていく。
−だめだ、まだ消えるな・・・俺はまだ、思い出していない−
−またか・・・またなのか?
体中を焦燥感が駆け巡る。
−ああ、なんてこった。俺は、大切なものを、何度置き去りに・・・・・・−
「どうしたの、真っ青な顔して」
「い、いや、なんでもない・・・」
俺が何を抱えていても、いつも俺を助けようとするんだ。
名雪に対するわけのわからない罪悪感が湧き上がってきた。
その駅舎は、記憶にある雪化粧こそ無かったものの、あの時と同じ姿でここに存在していた。
間違いなく、祐一と名雪の記憶に刻まれたその場所に相違なかった。
「わ、シャボン玉・・・」
「あれは・・・?」
色素の薄い髪、青いリボン、赤い瞳。
旅人を惑わすような、真夏の幻影。
「あの人は・・・」
その少女は、紛れもなくあの冬の日に出会った存在。
「・・・・・・来ることは、判っていました」
「おまえは・・・?」
「お待ちしておりました。8年以上前のことを、よく覚えていらっしゃいましたね」
「・・・・・・・」
遠野。
「遠野・・・美凪・・・さん」
水瀬 秋子
人は悲しさを忘却で隠し、そして生き続けます。
心を壊し、世界を拒絶したあの人と。
少しずつ、音を立てて開いていく記憶の門扉。
次回" Kanon" side story "Nayuki's discipline time"
Episode 3: destructive happiness
壊れた心を、癒すものは・・・?
mail: b963008t@tobata.isc.kyutech.ne.jp
−わたしの、あなたへのねがい−
あなたはすでにあなたではなく、
あなたのこころはとおくにしずんでいました。
いてつく寒波のごときかなしみは、あなたのこころを凍らせ、
わたしのすきなあなたは、もうあなたではありませんでした。
あなたが、わたしのすきなあなたに戻ってくれることを。
たとえわたしとあなたのすべてを、失ったとしても。
わたしはそれだけでかまいませんでした。
あてなくさまよう、あのたましいに。
ひとつのやくそくをして。
あなたのよろこびは、
わたしにとってもよろこびだから・・・
1
セネカと名乗った少女は大きな瞳で二人を見ていた。
それは大切な人に出会えた喜びを、全身から表しているようで。
長く会えなかった、大切な人に再会したかのようで。
ふらり、と名雪がセネカに向けて歩きはじめる。
「・・・セネカ、ちゃん」
セネカの前でしゃがみこみ、名雪とセネカが向かい合う。
セネカの茶色の瞳と、名雪の青色の瞳が向かい合い、そして・・・
名雪の瞳から零れ落ちる、一筋の涙。
「あれ・・・おかしいな・・・どうしたんだろ」
こぼれる涙に戸惑いながら、悲しみと喜びが入り混じった表情の名雪。
名雪の心を駆け巡るいくつもの感情、それらが一気に押寄せたかの如く。
不意に祐一は、あのときの自分に気がつく。
あの葉書を見たとき、祐一の頭の中に知らないはずの記憶が流れ込んできた。
まさかあの時と同じことが、名雪にもおきている?
急激な記憶の回復に伴う混乱?
やはり、失われた記憶があるのだと祐一は確信していた。
わけのわからない記憶と感情に困惑する名雪の頭を、セネカはそっと抱きしめる。
「ママはまだ、思い出さないんだね・・・でも、いいよ。今は、まだ」
そして名雪の額にそっと唇を重ねた。
「う・・・っ」
「名雪!?」
力なく、セネカの腕の中で名雪が崩れ落ちる。
「名雪、名雪っ!!」
祐一が駆け寄り、名雪の体が地面に落ちる前に辛うじて受け止める。
祐一にはさっぱり判らなかった。今、彼らの前で起きている事象が。
セネカというこの少女は、いったい何者なのだ?そして名雪に何をした?
が、セネカは祐一の問いに答えようとはせず、一つの方向を指差していた。
古ぼけたコンクリートの階段を指差して、セネカは言った。
鬱蒼と茂る木々の向こうには、古ぼけた一軒の教会。
名雪を抱きかかえる祐一を見ながら、セネカはニコニコと笑っている。
「・・・・・・」
名雪はただ、穏やかに寝息を立てるのみ。
それでも、今は他にどうしようもないことだけはわかった。
名雪が目覚めれば、なにかわかるのだろうか?
釈然としない思いを抱えたまま、名雪を抱えた祐一はセネカの後を追った。
2
そして名雪は、夢を見ていた。
自分の気持ちを伝えられなかったから。
大好きなあの人が、悲しみにとらわれてしまったから。
あの人は今、どこかへと行ってしまったから。
ただひとりで、泣いていた。
「・・・ゆう・・・いち?」
それは予感だった。
今、この受話器をとらなければ、きっと自分は後悔する。
祐一には、二度と会えないという。
「ああ、水瀬さんですか?私はJR・・・線の・・・駅の駅長を務める遠野と申しますが。
ああ、お嬢さんかな?申し訳ないんだけど、お母さんかお父さんに代わってもらえないかな?」
だからこそ、名雪も話を続けることが出来たのかもしれない。
「・・・ああ、ごめんね」
名雪の言葉だけで全てを察したのか、遠野というその男はすぐに話題を変えた。
「ええと・・・水瀬さん」
「名雪です。水瀬名雪」
それでも、遠野のその人柄に名雪はわずかだが心が軽くなったような気がした。
「祐一!?」
心臓をいきなり摘まれたように名雪は驚きの声を上げた。
もしかしてまだどこかにいるのかもしれない。
そう思って町中を探し回っていたこともあった。
それでも、手がかりは何も無かった。
「はい・・・いとこなんです。私達・・・祐一は!?祐一はどうしたんですか!?」
最後は叫ぶように受話器の向こうの相手に話す。
嘘だ。と名雪は思った。
あの祐一の様子では、きっと何も考えることが出来なかったんだろう。
絶望に満たされた自分の心に振り回されて、当てども無く彷徨っていたんだろう。
どうする?
祐一に、もう一度会いたい。
それだけが全てだった。
「・・・線の・・・駅だよ。名雪さん」
電話の横のメモ帳を引っつかみ、必死でメモを取る名雪。
「あ、ちょっと・・・」
遠野の声など聞かず、名雪は自分の部屋へと踵を返していた・・・
「う〜・・・間に合うかな」
貯金箱をひっくり返し、お年玉の中身と時刻表を見比べる名雪。
正直ぎりぎりだった。おまけに帰りの分まで足りるかも怪しい。
それでも小さなリュックに荷物を詰め込み、名雪は家を出た。
「おかあさん・・・心配するかな」
秋子の顔を思い出し、名雪は小さなノートを取り出す。
いつもと変わらない雪の道。
吹き荒ぶ風は地吹雪を生み、数メートル先の視界も怪しい。
でも今は、希望が見えていた。
3
森をかき分けるように、その階段は伸びていた。
森の中からはさえずる鳥達の声。
梢の間を駆け抜ける風が、枝を鳴らす。
軽やかに階段を駆け上り、セネカが祐一を見下ろす。
名雪を抱えた祐一が嘆息する。
それでも、と思う。
命の躍動に溢れる森。
どこまでも広がる青空。
それはこの少女になんとも相応しい形容だろうかと。
祐一の腕の中で眠る名雪は未だ夢の中だった。
「まだなのかぁ、セネカ」
空気の暑さと名雪を抱えることで、祐一の額には幾つもの汗の雫が浮かんでいた。
「もうすぐ、だよ。パパ」
振り返り、後ろで手を組んで笑うセネカ。
揺れる髪が、屈託の無いその微笑みが、信じられないほど腕の中の少女に似ていた。
実は未来から来た名雪の娘だ、などといわれても言下に否定できないほどに。
「パパ・・・か」
そして祐一は、何のためらいも無くセネカを受け入れていることに気がついた。
解らないことだらけだった。
「ほら、ついたよ」
「ここは・・・・・・?」
その中に立つ、白い壁と青い屋根の建物。
その上に立てられた十字架。
入り口の上にはめ込まれたステンドグラス。
ステンドグラスは割れ、壁の一部が煤けていた。
壁の一部が崩れ落ち、中が見えていた。
見るものに寂しさと悲しみを感じさせるような情景だった。
「こっちだよ」
セネカが勝手知ったるといった面持ちで、半分だけ開いた扉の中へ入っていく。
「・・・・・・解った」
正直、ずっと名雪を抱えて階段を上ってきたので、腕が痛いことこの上ない。
こんなことを名雪に言ったら「ひどいよ祐一〜」とか言って怒るんだろうなと不意に思った。
*
「ここに寝かせるといいよ。待って、今なにか持ってくる」
扉を開けると、礼拝堂が広がっていた。
それは、中央に安置されたマリア像を輝かせ、見るものに不思議な安らぎを与えるかのようだった。
天井に描かれた、極彩色の聖書の絵。
像の前に並ぶ、煤けた椅子。
祐一は比較的痛みの少ない椅子に名雪を寝かせた。
頭の下に自分が持っていたハンカチを敷いてやる。これで少しはまともに眠れるだろう。
「はい、パパ」
セネカが持ってきたのは、一枚のタオルケットだった。
「ん、ああ」
名雪にそれをかけてやり、祐一も名雪の側に腰掛けた。
「ママ、多分もう少ししたら目を覚ますよ」
屈託の無い笑みを浮かべて、セネカは言う。
それにしても・・・・・・
埒が明かないので単刀直入に切り出してみた。
「セネカはセネカだよ」
あっさりと答えるセネカ。えへへ、と笑って祐一の側に座って向ける微笑。
その姿が、どうしても名雪と重なってしまう。
「そうだよ。セネカはパパとママの娘だよ。
ママとパパはここで結ばれて、セネカが生まれた。そういうことだよ」
これもまたあっさりと答える。それでも納得できるわけがない。
その頃俺達は10歳か?結婚なんかしとらん。
第一、子供なんかつくれるかっての。
「そうだね、セネカは『それを引き換えに』パパとママから生まれたから」
くるくると良く動く瞳、軽やかに言葉をつむぐ唇。
それでもこの少女の言葉は、どうしても要領を得ない。
祐一の疑問を察したのか、セネカは唐突にそんなことを言う。
「・・・なんだと?」
急に哲学めいたことを言い出すこの少女に、祐一はますます混乱する。
こいつは素粒子か何かか?
考えていて自分でもわけが解らなくなる。
4
「う・・・ん」
名雪が目をこすりながら起き上がる。
「あれ、祐一?」
まだ寝ぼけているのか、瞳は焦点が合っていない。
「起きたか、スリーピングジャンキー」
「わ、何気に酷いこと言ってる」
上体だけ起こして、名雪が辺りを見回す。
「俺も知らん。セネカに案内されただけだし」
「おはよう。ママ」
名雪の胸に飛び込み、ほお擦りするセネカ。
その頭をそっと撫でる名雪。
セネカの正体を必死で勘繰っている俺が馬鹿らしく思えてくるじゃないか。
真琴やあゆの時といい、どうして水瀬家の住人はこう適応力が高いんだ。
まるで本当の親子のように、名雪はセネカの髪を撫でていた。
くすぐったそうに笑うセネカ。
「はーい」
「そうだ、今梳かしてあげる。確かここにブラシが・・・」
といって、名雪が自分の鞄から中身を探し始める。
「ほえ?どうしたのパパ?」
小首をかしげてセネカが聞く。
言いながら祐一は、自分の鞄にしまっていた例のポストカードを取り出す。
そしてセネカは、とんでもないことを言った。
「セネカ・・・ちゃん?」
祐一と名雪が声を合わせる。
どうして俺達が忘れたことを知っているんだ?
その疑問が浮かび上がる。
ポストカードをくるくると器用に指先でまわしながら、セネカは答えた。
その言葉に、祐一の記憶の片隅に残っていたヴィジョンがよみがえる。
それは色素の薄い、灰色の髪をした少女。
祐一の確信めいた予感は、やがて現実へと変わって行った・・・
5
太陽は中天に差し掛かり、夏の町にさんさんと陽光が降り注ぐ。
額を伝う汗の雫も、海から吹き抜ける潮風にぬぐわれて涼しさを感じる。
海の無いところにいると、こういう光景が懐かしく感じられるものだ。
海の見える道の散歩。
若い男女と一人の娘。
仲の良い家族のようなその姿に、名雪と祐一は奇妙な安らぎを感じていた。
祐一の側ではセネカが無邪気に歌い、
「さよな〜らは、翳りない〜、夢の〜あと、静かに降り立つ」
さらに名雪がそれに続いていた。
「・・・って名雪!?」
「ほんと、奥さんに似て綺麗な子ねえ・・・うらやましいわ」
「そうね、何か姉妹みたいにも見えるし」
「旦那さんも若いけど素敵な方ねえ・・・」
しかも井戸端会議のおばちゃん達が好き放題言っていた。
二人とも結構な大声で歌っている上に、町の中心に程近いここはそれなりに人通りもある。
そしてよく通る二人の声。
はっきり言って目立つことこの上なかった。
−ぽこっ−
−ぽこっ−
名雪とセネカにとりあえずチョップを入れる祐一。
「ひどいよパパ〜」
二人が上目遣いの涙目で祐一を見る。
それとも名雪とあゆのボケに突っ込みを入れているうちに、知らん間に老けたのか?
俺はぎりぎり10代だぞ・・・・・・
「そりゃあママの娘だもん」
しかし名雪とセネカは嬉しそうだった。大きくため息をつく祐一。
見ようによっては秋子さんと名雪も姉妹に見えるよな・・・
そんなことを考えていると、セネカが上目遣いに祐一を見ていた。
「どうした、愚娘」
半分やけで祐一は言う。
「祐一が悪い」
名雪がセネカに続いてくる。
瞳を潤ませた少女二人がサラウンドで言ってくると、流石にばつの悪さを感じてしまう。
「判ったよ、で、どうしたんだ?」
ため息をついて、答える祐一。
「お腹すいた」
お腹を押さえて、いかにも腹ペコだとアピールするセネカ。
名雪も同意する。正確な時間は知らないが、いい加減昼飯時だろう。
*
3人は近場の喫茶店に入っていた。
セネカはフレンチトーストにスクランブルエッグ。更にデザートにイチゴフラッペ。
「うん、ここも百花屋さんほどじゃないけど、なかなかおいしいよ」
名雪はドライカレーに海鮮サラダ。当然、デザートにイチゴサンデーをつける。
「・・・・・・ていうか、俺の奢りかよ」
ジャンバラヤとデザートのコーヒーゼリーをつつきながら祐一は嘆息する。
旅費で結構使った上に、当然セネカは金なんぞ持っていない。
バイト代が露と消えて行く・・・
稼ぎの少ない亭主の気持ちはこんなものなのかと、洒落にならないことを思い浮かべた。
幸せそうにイチゴサンデーを食べながら、名雪が言ってくる。
人の苦労も知らないで、呑気なやつだ。と、余計に溜息の理由が増えたと思った。
セネカがフラッペの乗ったスプーンを祐一に差し出す。
「はいはい・・・えらそうだな扶養家族」
ぼやきながらもフラッペを口に入れる祐一。
「・・・くう、効くなあ」
体の芯まで氷の冷たさが届いた。
クーラーで冷えた部屋で、更に冷たい氷。
何故か真冬日に外でアイスを食べていた少女のことが思い出された。
*
そして、不意に窓の外を見つめたときだった。
「・・・・・・シャボン玉?」
遠くに見える建物から、一つのシャボン玉が飛んでいる様が見えた。
太陽をその姿に映し、七色の光を発するその姿。
*
「!?」
シャボン玉、この町・・・そして、少女。
そうだ、あの冬の日、俺は確かにここに来た−
シャボン玉を披露した少女−
俺は、また何かを忘れている−
*
「祐一、祐一」
「!?」
名雪の声で、祐一は漸く我に返った。
上目遣いに名雪が訊いてくる。その顔は心底祐一を心配していた。
「うそだよ。祐一、すごく辛そうな顔してたよ」
変なところで鋭い。と思った。
いや、こいつは昔からそうだ。とも思う。
あの冬の日がそうだったように・・・・・・"
この気持ちの原因を、祐一はまだ知らなかった・・・・・・
6
やがて彼らは、目的の場所についていた。
小さなアスファルトの広場。
駅舎の前の小さなベンチ。
青い瓦屋根。
赤いポストと自動販売機。
呆然とする俺の傍らで、名雪が言った。
一人の少女が、駅舎にもたれかかるように立っていた。
たおやかなその指先にストローを持ち、逆の手の容器に手馴れた手つきでそれを差し入れる。
ストローの先をそっと唇に当て、ふうと息を吹き入れる。
少女の吐息を与えられ、シャボン液が透明な膜を作り、そして少女の御許から飛び立つ。
それは陽光を受けてきらめき、七色の輝きを放つ。
その姿はなんとも幻想的で、そして蟲惑(こわく)的な姿。
「ああ・・・」
二人の記憶の中にいる、冬の駅の少女。
少女は俺達の姿に気がついたのか、ストローと瓶を傍らに置いて、三人を見る。
「あなたは・・・?」
唇がからからだった。
緊張に汗が頬を伝った。
透き通るような声で、少女は言う。
「・・・・・・・遠野、さん」
名雪が、漸く搾り出すように呟いた。
そうだ、確かそんな名前だったような気がする。
名雪の言葉に、微かに笑みを浮かべて、美凪というその少女は頷いたのだった・・・
次回予告
かつてあの二人も、そうして生きました。
心をひろいあげ、手を引いたあの子。
それは、あの冬の最後の約束・・・
Episode 1へ
Episode 3へ