『第一章 ~ 日常の終り―そして悪夢の始まり ~』
私はゆっくりと目を覚ます。
時計を見る。
時刻:4時30分
再度閉じそうになるまぶたに力を入れて、睡魔に取り合えず打ち勝ってみる。
如何でもいい事だが、実は私は低血圧で朝が辛い。
寝ぼけ眼で上半身を起こし、隣のベッドの主となっている人物をみる。
そのベッドでは、ベッドの主こと、ルーアンが寝言をつぶやきながら気持ち良さそうに眠っている。
私はのそのそと布団から這い出した。
階段を下りる。
ふと、一体何人の人がこの階段を利用したのだろう……などという、如何でもいい事を思う。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
これで寝ぼけていた気分の大半が目を覚ます。
鏡を見る。
……寝癖がひどい。
実はシャオリンを真似して再度伸ばし始めた髪。
もうひざの裏までの長さがある所為で、手入れが大変だ。
部屋に戻り、着替える。
……そう言えばこの家の住人は、必ずパジャマを着る。
いい事だと思うが、私は未だに慣れては居ない。
色気も何にもない青いジャージの上下を選ぶ。
庭に出る。
軽く運動する。
皆は私の軽くが、全然軽くは思えないらしい。
心外である。
脱衣所に入る。
汗を流し、服を着替える為である。
実はぬるま湯が好きであるのだが、誰も気付かない。如何でもいい事ではあるが。
氷の精霊だからといって、別に冷たい水が好きなわけではない。
それは偏見である。まぁ、別に如何でもいい事ではあるが。
リビングで休む。
朝、誰も居ない時間にここでぼぉ~っとしている事が堪らなく好きである。
戦いの精霊だからといって、別に常に身体を動かしていることが好きなわけではない。
まぁ、身体を動かすことは好きだが。
基本的にこの時間に起きてくる者は少ない。
たまにシャオリンが朝食の支度で早く来ることがあるが、それぐらいである。
……そして、朝食を食べ終えると、主達は学校へ向かい、私は仕事へ出かける。
そして、仕事場では素晴らしい友人であり、同僚である瑞穂に、尊敬に値する人であり上司である横山夫妻。
仕事を終えれば、ヨウメイ達に付き合い、街へと出かける。
夕刻を過ぎれば、ヨウメイと共に家へと帰る。
そして、そこには私の居場所がある……
そう、当たり前のように過ぎる、素晴らしい時間。
何時もと同じで、でも何処か違う心躍る風景。
変わることなく、身を包んでくれる空気。
かけがえの無く大切な、心から愛しい人々。
誰も傷付く事の無い、平和な生活。
そして、家に帰ると、出迎えてくれる人。
―― お帰り。
―― …………ただいま。
………………………………あまりにも平凡すぎて。
………………………………あまりにも望んだ日常だったから。
………………………………だからこそ、疑問に思った。
そして、疑問に思った途端、全てが一変した。
崩れ落ち、原形を止めぬ街。
動くもののない街。
私は、帰るべき場所へと駆けた。
――オ願イダカラ……モウコワサナイデ……
皆が集う場所。
私の帰る場所。
ようやく、ようやく見つけた安らぎの場所。
そして、そこは……
――ワタシガ帰ルバショ、コワサナイデ……
そう、そこは廃屋と化していた。
何時も見慣れているものにすがろうと、私は天を、地を、木々を、月を、太陽を見渡した。
空は血の色に染まり、地には死者の絨毯で敷き詰められている。
街路樹は朽ち果て、星は落ち、月は欠け、太陽は黒点で覆われ、見る影もない。
――マタ、ヒトリボッチナノ……?
身体が勝手に動く。
柵を飛び越える。
そして、入り口で最初に見たのは、袈裟懸けに斬られ、息絶えた金髪の少女の姿。
……ヨウメイ。
まるで、血染めの空のように。
――誰モイナクナラナイデ……
朽ち果てた家に飛び込んだ。
そして、目に付いたのは、リビングを赤黒く染める、星神の骸と、それに埋もれる様にして横たわる赤毛の少女。
……キリュウ。
そう、死者の絨毯。そして、死者に覆われる大地。
――モウ一人ハ嫌ダヨ……
和室。そこでは、北斗七星に貫かれた巨大な獣の死体と、それに身体の半分ほどを食われ絶命した銀髪の少女。
……シャオリン。
それは、欠けた月。
――モウ、ヤメテ……
二階。そこには、砕け散った無数の陽天心と、身体中に弾痕を穿たれた女性。
……ルーアン。
まさに黒点に覆われた太陽。
――ヤメテ……モウ、ヤダヨ……
そして、主の部屋。
そこには、巨剣に身体を刺し貫かれた主。
そして、金色の髪を、ひざまで伸ばした女。
――ヤメロ、ヤダ、ヤメテ……オネガイ……ヤメテ……
そいつは、ゆっくりと、さも、今私に気がついたように振り返った。
「遅かったな。全て事は済んだ。とても、楽しかったよ。
精霊が死ぬと、世界に影響を与えるという説は、“ここ”では真実だったようだ。」
――ヤメテ……ヤメテ……ヤメテ…………
「そうそう、先ほどのお前が疑問に思った日常が、お前の望む日常だったように、これは……」
血よりも、何よりも紅い目をした女が、否、“ワタシ”が言葉を紡ぐ。
「“ワタシ”が望んだ日常だ。という事は、お前が望んだもう一つの日常って事だよなぁ、コウレイ………!?」
“ワタシ”の目に映った“私”の瞳は、“ワタシ”と同じような、何よりも紅い、紅色をしていた……
――ヤメテ、ヤメテ……ヤメテェエエエエエエエエエエエえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!
……私は、自分の悲鳴で目が覚めた。
布団を跳ね除け、跳ね起きる。
頭が、痛い……今まで受けた、どんな痛みよりも……
心臓の動悸が激しい……こんなこと、初めて……
思考がまとまらない……私なのか、ワタシなのか……分からない……
何故か、すごい不愉快だ。
全てを吐き出したくなるぐらい、気分が悪い。
衝動的に胸を、顔を掻き毟る。
全身が煮え滾った様に、腹が立つ。
「あぁ……あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
声にならない絶叫。
抑制を離れた感情が身体を動かす。
無自覚で放たれた拳が、壁を打つ瞬間……
寸での所で、その拳を止めれた。
息も荒く、拳を止めた主を見る。
一見して、女のような、小柄な身体。
華奢で、小さな手。
だが、どんな力を加えても、揺るぎすらしない……
「……落ち着いて。」
その、たった一言で、まるで潮が引いていくように全ての心身の異常が引いていく。
一度、深呼吸すると、幾分か落ち着いた。
「……ありがとう、空……すまない、みっともないところを見せた……」
「いえ、別にかまいませんよ。」
落ち着いた、何時もと変わらない言葉。
そこに、足音が聞こえてくる。
バンッっと扉を開け、主達が部屋に入ってきた。
「今の悲鳴は!?」
「どうかしたんですか、コウレイさん!?」
同じような形相で、同じような感じで入ってきたのは、主と、シャオリン。
「…………一体何事だ……?」
「今さっき、寝たばかりだったんですよ……まったく、何事ですか?」
「ったく、何の騒ぎだよ……」
恐らく、目覚ましをかけおえたばかりであろうキリュウとヨウメイに、寝起きのため微妙に機嫌が悪そうな那奈。
「一体何の騒ぎよ……こちとら明日(今日)日直なのよ!」
のそのそとベッドから這い出してきて、文句を言ったのが、ルーアン。
「……すまない、少し、嫌な夢を見てな……」
私は、そういい頭を下げる。
「そう……コウレイにして珍しいわね……っと、こんなに暗かったら顔もわからないわね……電気つけるわよ。」
ルーアンがそういったことに、少し私は首をかしげる。
「何故電気をつける必要があるのだ? こんなにも明るいのに。」
私がそういうと、ルーアンが「はぁ?」という顔をする。
「何言ってるのよコウレイ……寝ぼけてんじゃないの? まだ夜中の3時よ……」
カチッと、ルーアンがスイッチを入れる。
同時に、主達が驚愕する。
「……どうしたんだ?」
「ど、どうしたって……コウレイこそどうしたんだ!?」
「ら、来来[長沙]!」
私は、何故シャオリンが長沙を呼ぶのかわからず、“?”という顔をする。
「シャオリン、何で長沙を……?」
「コウレイさん、鏡を見てください……」
ヨウメイに言われ、私は化粧台に備え付けられている鏡を見る。
そして、みなの驚愕の意味が分かった。
――私の胸は血塗れで、激しく掻き毟ったために抉れ、一部肉が見え、顔も血だらけで、掻き毟った痕が残る。
――そして……私の瞳は、血よりも、何よりも紅かった……
「う、うぁ……うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!??」
私は、衝動的に悲鳴を上げていた。
――――これが平和な日常の終わり………そして、悪夢の、始まり………