<二日目-2002.5.4 (1)

 4時半起床。別に水車が廻り始めたからとか琴の音とかが聞こえて…とかで起きた訳ではない。いつものことである。旅先では朝ほど楽しめる時間はないとすら思っているので、旅行先では深夜何時に寝ても自然とこの時間に起きてしまうように身体ができてしまっているのだ。
 連れも私の起床の物音に気付いてか5時過ぎには起きる。
 ホテルで朝食を取るといった旅の風情のカケラもないようなことをしても面白くないと、早々にチェックアウトした。取り敢えず瀬戸内海へ出て、どこか漁港あたりに行けば瀬戸内の魚料理でも朝食に食べられるんじゃないだろうか…くらいの簡単な気持ちで、途中コンビニで目覚めのコーヒーだけを購入しつつ、
市内から真っ直ぐ南下することにする。
 さすがに朝も早いこんな時間の道路はガラガラで、イッキに30号線を玉野市から430号渋川海岸線へ。
 おぉ!!瀬戸内海だぁ〜〜!
 海の香りと朝陽に輝く光景に見とれながら走っていると朝食のことも忘れ、気が付くと目の前には瀬戸大橋が。と、いうことは、すぐそこには鷲羽山と下津井があるではないか!!いよいよ岡山横溝ワールド『悪霊島』とのコンタクトである。食事も下津井あたりで探してみようかね。

 …で、下津井の町である。
 こういう町並みの中で浅井はるが…三津木五郎が…磯川警部が…。そして金田一耕助が…。なんて思いにすっかり耽りながら、しばしの間町並みを歩いてみる。昭和42年には瀬戸大橋もなかったはずだから、もう少し町の様子も違っていたかもしれないが、ま、概ねのところだけでも感じられれば、あとは想像で補えばいいのだ。

 時間が早すぎたこともあって下津井観光の目玉のひとつらしい『むかし下津井回船問屋』というのも開館前だったので見れなかったし、ましてや食事できるようなところも、開いている所を見つけられなかったので、またしてもここでの食事はお預けである。
 大雑把にではあるが、下津井の空気を感じられたので、さて次はどうするか…。倉敷市内を通って吉備へ向かうか…。否、それよりも瀬戸内海産の魚での朝食が先だろぅ…。と、いうことで、海沿いにこだわった結果、笠岡へ向かおうということになった。
 水島方面へ車を走らせ、水玉ブリッジラインを渡り、またしても国道2号を通って笠岡へ。無論、目的は『獄門島』へ向かうべく金田一耕助が連絡船に乗ったであろう港なのだ。でありながら、なぜか気紛れで途中にあったカブトガニ博物館という所にも立ち寄ってみたが、やはりまだ時間が早すぎた為、開館前で館内は見学できませんでした。
  

 そして笠岡!駅の裏手、連絡船乗り場の方へ車を入れるのにちょっと手間取りながらもなんとか到着〜〜!
 小林昭二の「和尚〜さ〜ん、釣り鐘積み終りましたぞ〜」という声が聞こえてくるようである。…ロケ地が違ってたっていいのだ。雰囲気を味わう旅行なのだ。…味わうで思い出した。一体朝食はどうなったのだ!…さすがに腹も減ってきた。
 時間があれば、船に乗って島を廻って来るところだったのだが、今回は別も廻らなければならないので、ここまで来ておきながらも残念ながら乗船は見送ることに…。
 あまり長い時間ここに留まっていると、諦めたハズの乗船をしてしまいそうになるから…と、連れを車に乗せて笠岡をそそくさと後にする。
 いざっ!本陣へ!!
 ところで、全くの余談であるが、笠岡駅横のSATYが閉館するらしい旨の案内がでていたような気がしたが、どうなったのだろう?閉館するのならば、跡地はどうなるのだろう?アメリカ帰りの富豪にでも買い取ってもらって、新横浜にあるラーメン博物館みたいに昭和2、30年頃の風景を館内に再現しつつ横溝正史/金田一耕助博物館でもつくってくれないものかなぁ…中にはいろいろな事件の名場面を蝋人形で再現したりして…。
 …もうこのあたりになってくると頭の中もぐずぐずになり始めているのが自分でも良くわかる。


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