<初日-2002.12.7(3)


 新装された横溝正史疎開先宅

 案内板も新装されていた

疎開先宅前の道路。この幟は… 


 真備町ふるさと歴史館を見学。退館時「もう見終わったかね、早いなぁ〜」とお声をかけていただいたが、申し訳ない。吉備路文学館の後でもあるし、四ヶ月前にも来ているので、十五分も見て廻れば、もう充分なのです。それより改装された疎開宅の方にも行かないといけませんしね。…と、歴史館を後に、大池横を抜けて疎開宅へ。
 静かである。…何もおこらない。…あれ?“サービス”はもう終了しちゃったのかな?…それとも冬期サービス休止中??…
 いや、油断はできない。…なんと言ってもここは真備町なのだから…。…と周囲を見回しながら歩いていくも、結局何事もなく疎開宅までやって来てしまう。どうも過去二回とは雰囲気が違う。…否、違っているのは町ではなく、私の方なのかもしれないが…。
 静かな農村の中、突如一本の道の両側にだけ幟が何本もはためいている光景はちょっと気にならないでもないが、まぁ、こんなトコなのかなぁ…?濃茶の尼の祠の廻りは綺麗に雑草も刈り取られ、某オフレポなどで拝見させていただいた時とは見違えるようである。疎開宅前の案内板も変わっている。…なるほど、表札も…ね。ま、金田一ファンなら喜んでくれるんだろうなぁ…。…と思いながら、格子戸をくぐろうとした瞬間、ふっと頭に浮かんだことがあった。
 横溝正史がこの家に疎開してきたのは昭和20年。翌21年の四月から『本陣殺人事件』が連載が始まり、「金田一耕助生誕の地」としてここがこうして『聖地』となっているのであろうが、この疎開宅では、なにも金田一耕助が誕生しただけではないのである。もちろん、『蝶々殺人事件』も ここで書かれたのであろうし、なによりも、今、凝っている『人形佐七捕物帳』の再開もまたこの家から始まったはずなのである。佐七が講談雑誌に再開されたのは『本陣殺人事件』より遡ること四ヶ月。同年1月号からの連載なのである。そう、何も、小説の舞台として備中も備前も出てこなくても、佐七とこの真備町もまたそういう意味ではつながりがないわけではないのである。…と、考えると、この疎開宅が『金田一耕助生誕の地』というだけでなく、もっともっと重要な意味をもっているのだなぁ…と一層感慨深いものを感じてしまった。
 疎開宅の中を拝見させていただき、そこで中を案内してくれる村の言葉を聞きながら、これまでちょっと感じていた違和感が、『金田一』だけがクローズアップされすぎていて、それだけじゃないのに…と感じていた部分からのものなのだな…と考えていた。
 そういう意味で、そのことをこの瞬間に思い出せたことは個人的には思い掛けない収穫であり、微妙な喜びであった。
 疎開宅を出た時にはすでに陽も傾きはじめていた。
 真備町に来て、すっかり気持ちもリラックス出来たのか、さすがにちょっと運転疲れも感じないこともなく、そろそろ宿泊先のことも考えないといけないかな…と思ったのだが、今回の旅行で三度目となる真備町であるが、これまで真備町で宿泊することを考えたことがなかった。二度とも別に移動先の予定があったことが一番の理由であるが、それにも増して、真備町に宿泊施設があるのかどうかもよくわからない…というのも「ここで一泊して…」という計画を立てられない理由でもある。いっそのこと、疎開宅改修するのなら…いや、これは言わぬが華か…。しかしながら、こうしてミステリー遊歩道、疎開宅改装と続けてきたのであれば、次はミステリー宿泊施設…あるいは夜な夜な琴の音が鳴り響く『謎の本陣』…の建設か?と思ってもこれは仕方あるまい。でも、宿泊する人は限られちゃうだろうなぁ…。もっとも、施設をつくるなら、いろいろとアイデアを出してくれる人たちは関連サイトを尋ねてみるまでもなく、むこうから好き勝手意見は集まってくることでしょう。どこまで現実的なアイデアかは…。
 ともあれ、歴史館駐車場に戻り、車から一応出発前にザッとあたりをつけておいた幾つかの宿泊施設に電話をいれてみて、泊まれるかどうかの確認をいれてみる。幸い倉敷のビジネスホテルに空きがあることが早々にわかったので、予約をし、真備町を後にすることにする。

 倉敷。…岡山県の観光地としてはまず鶴の千番…否、いの一番にあげられる町でありながら、過去二度とも周辺を走り過ぎるだけで立ち寄ることのなかった町である。ざっと『日本の古本屋』で登録店をみても倉敷には何件も古本屋がある。岡山市内の有名店や大手チェーン店なりは岡山に来る横溝正史ファンも極当たり前のように訪れているようでもあるし、そうそう拾い物的遭遇もあるまい…と思っていたのだが、果たして倉敷まではどうなのであろうか…。それに、普通に倉敷観光にくるような人たちが古本屋廻りをして横溝正史を探しまわるとは思えないし…。
 ともあれ、車はこれまでの山の中、山あいの村といった風景からビルの立ち並ぶ町中へ。
 今回の旅行で一番の問題はこの宿泊先であった。
 いやぁ…あえて宿泊先ホテル名をここに記すことはしないが、正直びっくりするくらいとんでもないホテルであった。…そりゃぁね、安いことで選んでしまいましたよ。…だって、予定外の支出があって、気分的にも貧乏旅行になってたし。…でもね。でもね。いくらあの金額だからって、いきなり、『御車なんですが、無料駐車場がいっぱいになってしまったので、目の前にある有料駐車場に停めていただくことになりますが…』 とか…これは、まぁ、いいよ。一泊500円くらい…でもね、『風呂のボイラーが壊れたので、車で数分のところにある姉妹旅館の方のお風呂を御利用していただきたいのですが…』も許す。でも、その後の『なんなら自転車もありますけど』って…。あのね。疲れてるんだよ。それなのに、この寒い中、わざわざ風呂に入りに自転車で行けってぇのかい!?風邪ひいたらどうするんだっつーの。それに、部屋もね…。ホント、これまで、散々いろいろな所でいろいろな所に泊まってきたが、今回の宿泊先は完全に大失敗であったと言うしかない。
 本当なら倉敷の町中を楽しみつつ、古本屋を何軒か廻ったりして、びっくりするような拾い物を見つけて、ゆっくりと倉敷の夜を楽しむ…といった夢も、すっかり打ちのめされたような気分で、古本屋こそ何軒かまわったものの、夕食をとった後直ぐさま部屋に戻り、あっという間に泥のような眠りについてしまった。さすがにちょっと疲れもあったし、地酒はおいしかったからね…。
 ある意味、倉敷は津山とは違った意味でいつかリベンジしなければならない町となってしまった。観光都市としてはいいところなのだろうが…。


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