<初日-2002.12.7(2)> 襟裳屋うん十年振りに岡山駅に立つ。いつも車でばかりなので何か変な感じである。 |
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なんという至福の空間なのであろうか。来てよかったぁ〜〜。
パネル展、生原稿、出版された数々の書籍。 池袋の光文シエラザード文化財団ミステリー資料館での横溝正史展の時も感激したものであるが、その数倍の規模のうえ、“ミステリー”に限定されていないせいか(?)佐七捕物帳もそれなりのスペースがさかれていて、なかでも直筆の佐七捕物帳リストを目にした時には思わず涙がこぼれそうになったほどである。 |
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ほんと、何時間でもいることができるような気になってくる。いっそのこと、どこか一部屋空き部屋あったら、宿泊させてくれないものかな…と真剣に頼んでみようかと思ったくらいである。 |
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そんなこんなで、津山に戻って来る。 駅に降り立って改めて津山という町を眺めてみると城下町なんだぁ…と気付いた。思えば、岡山に来るのは今年三回目だが、“横溝的”な要素ばかりを追い求めていたが為に岡山県の他の姿を見てないんじゃないか…?ま、そりゃ、それで、しょうがねぇか…。いかんいかん。変に素に戻ってしまうところであった。ちょっと津山観光してみてもいいかなという思いを振り切るように車を引き取りにディーラーへ。 「取り敢えず直ってますけど、なにぶん急なことだったから純正の部品がこちらに在庫がなかったので、違うのついてますよ。問題はありませんけど。…これまでと少しあたりが変わってますから、気をつけて走ってもらったほうがいいかもしれませんね…」と担当してくれた人の話を聞きながら、?と思わないこともなかったが、ま、なんにせよ、直ったのだから良しとしよう。 しかし、ここでのうん万円の支出はちょっと予定外であった。…これじゃ、夜の岡山豪遊ができないじゃないか…。ま、これも身からでたサビ…なのか…。しかたあるまい。 |
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さて、どうしたものか。ブレーキの修理はできたというものの、まだ100%車のコンディションを認識しないまま岡山市内をうろうろしたものであろうか…。ま、それよりは、車の状態を確かめつつ真備町へ向かい、最低限新装した疎開先宅だけはクリアできるようにした方が、万が一のことを考えた場合無難かもしれない。…ともあれ、津山という町は今回のことで一躍私のなかで、岡山県主要都市となったのである。機会があれば、今度はゆっくりと津山観光でもさせてもらうことにしよう…と心に思いながら、津山を出て真備町へ向かうことにする。 笑えるのは、さすがに年に三度目ともなるとおおよその岡山県内の主要道路と町の関係が頭に入っているので地図をみないで考えられるようになっていることである。 一般道だと信号などでやたらとブレーキに負担をかけることになるので、院庄から中国自動車道に乗り、北房から岡山自動車道で総社へ。 ブレーキに不安があるのに、高速道路って、そっちの方があぶないんじゃない…と思われる向きもあるかもしれないが、案ずるより生むが易し。過去二度の記憶だとこのルート結構車が少ないのである。だからスピードを出すことなく、車の状態を確かめながら走るには廻りの流れに迷惑をかけない分不安も少ないし、それに周囲に他の車がなければ、少しずつブレーキを慣らすこともできるのである。決してスピード狂ではないし、無謀な走りをするつもりもなく、一応考えあってのことなのである。そして、この狙いはものの見事に的中し、総社に着くまでには、すっかりとブレーキ状態も把握するでき、走行には何の不安も抱かずに済むようになったのであった。 総社で岡山自動車道をでて、見慣れた風景が目の前に現われる。備中国分寺五重塔を横目に走っていると、あぁ、また来たんだなぁ…と気持ちが高まってくる。高梁橋をわたっていよいよ真備町である。 |