<初日-2002.12.7(2)

 襟裳屋うん十年振りに岡山駅に立つ。いつも車でばかりなので何か変な感じである。
 ほとんど勢いだけで電車で岡山駅まで出て来てしまったまでは良いのだが、二時間後にはまた車をとりに津山までもどってこなければならないのである。津山ー岡山間約一時間。往復だけで二時間じゃん。やべ。ま、ちょっとくらいならいいか。取り敢えず吉備路文学館だけ行って、すぐ戻ろう。
…と、駅を後にしようとした時である。ふと、目に入ったものにぎょっとしてしまった。目に入ったもの…津山線の時刻表である。何かいつもみている時刻表と違う。…って、一時間に二本?って…げ、じゃ、一本乗り損なうと次は三十分とか待たなきゃいけないの?おもわず時計に目をやる。次の電車はしばらくすると出てしまう。もちろん吉備路文学館に行ってくるなどという時間はない。…その次の電車は…。…ま、少しくらい予定より遅くなってもいいか。逆に考えればそれだけ吉備路文学館での時間がとれるということじゃん。…でもよかった。電車発着時間を気にしないでいたらどうなっていたことやら…。ま、ここまで来ちゃってるんだし、なるようにしかならないからね…。
 と、いうわけで、吉備路文学館へ。

 なんという至福の空間なのであろうか。来てよかったぁ〜〜。
 パネル展、生原稿、出版された数々の書籍。
 池袋の光文シエラザード文化財団ミステリー資料館での横溝正史展の時も感激したものであるが、その数倍の規模のうえ、“ミステリー”に限定されていないせいか(?)佐七捕物帳もそれなりのスペースがさかれていて、なかでも直筆の佐七捕物帳リストを目にした時には思わず涙がこぼれそうになったほどである。

 ほんと、何時間でもいることができるような気になってくる。いっそのこと、どこか一部屋空き部屋あったら、宿泊させてくれないものかな…と真剣に頼んでみようかと思ったくらいである。
 しかし、現実はかくもシビアなものなのか…私には待っている人がいる…否、待っている車がある…、否、実際は車が待っているとかじゃなく、車がないと困るのは自分なのである。後ろ髪ひかれる思いでポスターをもらって吉備路文学館をあとにすると、再び岡山駅へ。時間があれば駅周辺のチェーン店ではない古書店なども見て廻りたかったものだが、吉備路文学館でたっぷり時間を使ってしまったので仕方なく大人しくホームへあがる。
 『悲喜こもごも』という言葉があるが、ホントに、今回の旅行ほど感動したり、げんなりさせられたりと、受けるショックの起伏が極端すぎるのも珍しい。
 駅のホームで電車の到着を待つ数分、突然思い立って広島の黒蘭姫にメールで岡山着の御挨拶を入れさせてもらうが、どうやら姫は遠方(?)へ遠征中らしい。もっとも、こちらに居られても御会いできる時間があったかどうかもわからなかったし、そういう意味でも特にこの旅行前に予告もしていなかったのだから仕方ないことではあるのだが。それにしても、あのお方も日本列島西に東によくもまぁ飛び廻っておられる…と、自分のことは棚に置いておいて、感心させられてしまった。もちろん、もう御一方、福山の四コマ大王にも連絡を取って、折角加茂町で柿のワインを手に入れたのだから、今度は瀬戸内側で、広島名物の牡蠣でも御馳走にでもなって冬期なのにカキづくし…などというオヤヂギャグを考え
ないでもなかったが、こういう事体を憂慮されておられたのか、大王への直接コンタクト手段を知らないのである。…うかつであった。…と、いうのは冗談として、ま、そう突然に連絡とられても迷惑だろうしね…。津山の惨劇姫にも、妊婦への悪影響(!?)を考えて、御挨拶も特に考えなかったし…。ま、ミニオフとか考えてる余裕もなかったし、ま、いっか。
 そうこうしているウチに電車がホームへ入って来る。
 乗車。電車は時刻表どおりに岡山駅を後にする。車窓を流れる風景を楽しみながら、この先の予定を考える。…津山に着くのが1時過ぎだろ…。もう一度岡山駅周辺に戻って古本屋廻りをするとしたら、真備町に何時頃行けるんだ?…歴史館って何時までだっけ?…確認しなければならないことが多すぎる。物を考えるには吉備路文学館での感動が大きすぎて、ちょっと考えがまとまらない。…いいや。どうせ行き当たりばったりの旅だし、津山着いてから考えよっと。

 そんなこんなで、津山に戻って来る。
 駅に降り立って改めて津山という町を眺めてみると城下町なんだぁ…と気付いた。思えば、岡山に来るのは今年三回目だが、“横溝的”な要素ばかりを追い求めていたが為に岡山県の他の姿を見てないんじゃないか…?ま、そりゃ、それで、しょうがねぇか…。いかんいかん。変に素に戻ってしまうところであった。ちょっと津山観光してみてもいいかなという思いを振り切るように車を引き取りにディーラーへ。
「取り敢えず直ってますけど、なにぶん急なことだったから純正の部品がこちらに在庫がなかったので、違うのついてますよ。問題はありませんけど。…これまでと少しあたりが変わってますから、気をつけて走ってもらったほうがいいかもしれませんね…」と担当してくれた人の話を聞きながら、?と思わないこともなかったが、ま、なんにせよ、直ったのだから良しとしよう。
 しかし、ここでのうん万円の支出はちょっと予定外であった。…これじゃ、夜の岡山豪遊ができないじゃないか…。ま、これも身からでたサビ…なのか…。しかたあるまい。
 さて、どうしたものか。ブレーキの修理はできたというものの、まだ100%車のコンディションを認識しないまま岡山市内をうろうろしたものであろうか…。ま、それよりは、車の状態を確かめつつ真備町へ向かい、最低限新装した疎開先宅だけはクリアできるようにした方が、万が一のことを考えた場合無難かもしれない。…ともあれ、津山という町は今回のことで一躍私のなかで、岡山県主要都市となったのである。機会があれば、今度はゆっくりと津山観光でもさせてもらうことにしよう…と心に思いながら、津山を出て真備町へ向かうことにする。
  笑えるのは、さすがに年に三度目ともなるとおおよその岡山県内の主要道路と町の関係が頭に入っているので地図をみないで考えられるようになっていることである。
 一般道だと信号などでやたらとブレーキに負担をかけることになるので、院庄から中国自動車道に乗り、北房から岡山自動車道で総社へ。
 ブレーキに不安があるのに、高速道路って、そっちの方があぶないんじゃない…と思われる向きもあるかもしれないが、案ずるより生むが易し。過去二度の記憶だとこのルート結構車が少ないのである。だからスピードを出すことなく、車の状態を確かめながら走るには廻りの流れに迷惑をかけない分不安も少ないし、それに周囲に他の車がなければ、少しずつブレーキを慣らすこともできるのである。決してスピード狂ではないし、無謀な走りをするつもりもなく、一応考えあってのことなのである。そして、この狙いはものの見事に的中し、総社に着くまでには、すっかりとブレーキ状態も把握するでき、走行には何の不安も抱かずに済むようになったのであった。
 総社で岡山自動車道をでて、見慣れた風景が目の前に現われる。備中国分寺五重塔を横目に走っていると、あぁ、また来たんだなぁ…と気持ちが高まってくる。高梁橋をわたっていよいよ真備町である。

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