(八)
店内の一番奥のテーブルに席を取ると、オーダーが済むまで二人とも言葉少なく窓外の光景を見ていた。私はコーヒーとお薦めだという自家製のクロワッサンで充分だったが、由里子はパスタのセットをそれに追加していた。前に食事をいっしょにした時にも由里子はそうだったが、食べることが大好きで、「食事は食べることを楽しまないと何を食べても美味しく感じないでしょ」と、この数年すっかり食が細くなってしまった私を笑いながらさとすように言ってその食欲の旺盛さで圧倒したものだった。『悪魔の手毬唄』の話しをしながら食事を楽しめるものだろうかと思いながらも、クロワッサンをちぎりながら口に放り込んで、由里子に話の続きをしむけた。
「仮に、泰子を誘い出した老婆のことで疑問があるとして、お前の言うように里子が偽証していたと決めつけるのは強引すぎないかな…」
「強引かもしれないけど、強引にならざるを得ないのよね。…金田一耕助もそうだけど、犯人と思われる人物は犯行を自供することなく死んでしまっていて、あとはその犯行を憶測するしかないんだし、そのうえ金田一耕助とあたしたちの違いは、金田一耕助が事件の渦中で人が次々と殺されていくなかで犯人を突き止めなければならないように廻りの人たちにせっつかれながらも自分の推理に必要な状況証拠を集めていけた訳だけど、あたしはその本に書かれていることからだけからしか憶測できなんだから…」
そうパスタを頬張りながら答る由里子は、また今朝の由里子とは同じ人物とは思えないほど明るい笑顔を見せた。由里子の何気ない『あたしたち』という言葉が妙に耳に残った。この時になって始めて自分がこのことに関して、推理小説的にいえば自分がワトソン役として由里子ホームズの推理を聞くという立場なのだなぁ…と実感していた。
「偽証のこともそうだけど、なによりも、里子が殺されたことだって、さっきは『あれはリカが、里子が千恵子を狙っているのをやめさせようとしているうちに殺してしまった』って言ってたけど、だとすると、わざわざ裸にしておく意味がわからなくなっちゃうよ。…金田一耕助は、里子が千恵子の身替わりになるべく喪服から洋装に着替えていたのからそれをわからなくするように服を脱がしたって言ってたはずだけど…」
「そこも一つの間違いと疑問が残るところなのよ」
「間違い?」
「折角そこに本があるんだからもう一度その部分をみればわかるけど、金田一耕助は、今、木村さんが言ったようなことを推理として発言してないの」
「そんなバカな…」
私はあわてて本を開いて記述を探した。由里子はそんな私が該当箇所を見つけるのを待って言った。
「ね、里子が裸で発見されたところのくだりは、立花警部補が『わかりました、金田一先生、これでリカが里子を裸にした理由が…』って言い出して、自分の考えを話した後で『金田一先生、あなたのお考えはいかがです』と金田一耕助に尋ねて『はあ、ぼくもその説に賛成です』って言ってるだけなのよ」
確かにそうなっていた。
「でも、それがどういう違いがあるんだい。現に金田一耕助は『その説に賛成です』って言ってるんだから、同じじゃないか」
「それは違うわ。金田一耕助が同じ事を言ったのと、単に賛成ですっていったのでは推理に対する責任の重さが全然違うもの。…それに、例えば、会社とかで会議とかあった時、意見を出し合っているなかで、自分の意見を求められた時、ハッキリとこれこれこうだからこう思いますっていう発言をするのと、前に発言した人の意見を受けて『わたしもそう思います』というのじゃ全然ちがうでしょ。…それに、人によっては例え自分が違った意見を持っていても、その場の成り行きで『それに賛成です』と言った方がその場が治まると判断して言っちゃう人だっているでしょ?」
「じゃ、何、金田一耕助が成り行きまかせに『賛成です』って言ったの?」
「そうじゃないわ。勘違いしないで欲しいんだけど、あたしは金田一耕助が間違っているとか、いい加減だとか言ってるわけじゃないの。…ううん。むしろ逆で、こういうやり方で、なんとか『解決』にもっていけた金田一耕助を凄いとさえ思ってるんだもん」
由里子の発言には増々混乱させられるばかりであった。由里子にもその困惑が伝わったかのように、由里子は出来の悪い生徒を教える教師のようにつづけた。
「この事件で、関係者を集めて推理を披露した時、金田一耕助は全部を自分の口から説明している訳ではなく、こういう風に関係者が『こういうことだったのか?』と意見を言うのを『そうです』とか補足したりして話を進めているわ。これって、関係者たちが真相を知りたいと思っている時に、外部からの人が『こうです』と一方的に話して聞かせるよりは、身内の考えを肯定してあげることによって一層受け入れ易くなるという反面、身内に都合の良い考え方だけでまとめられちゃうから、本当は外の人からみると間違っているように見えることもまかり通ってしまうという危険も持ち合わせてるの。そのうえ金田一耕助のような犯罪捜査のエキスパートとひとつ上に思われている人に『その説に賛成です』って御墨付きもらったら、もうそのことに関しては何の疑問もないことのように処理されちゃうのね。…なんで誰も疑問を差し挟まなかったんだろって思っちゃうのよ。だって、里子の死体が裸で発見されたのは、里子が千恵子の身替わりとなるために喪服から洋装に着替えていたため、それを知られたくないからその洋装を脱がしたっていうことになってるけど、着替えて脱いだ喪服は発見されてるけど、洋装のほうは発見されてないのよ。…放庵さんの服といっしょに密かに焼却されたのではないかって最後に付け足されたように書かれてはいるけど、これも、『お幹の説によると、里子はちょっとイヴニングに見まがうばかりのスタイルのワンピースをもっていたとということだが、そのワンピースはついに発見するにいたらなかった』からだけの理由で結論付けられてるの。これは全部、リカが全ての連続殺人の犯人であるという前提があって、リカが犯人であるならば、娘である里子を殺害してしまった後わざわざ服を脱がしていったのはこういう考え方が無難であろう…という推測だけでしかないでしょ。その前提に疑問を持てば他にも考え方があるのに、誰もそういった可能性には目を向けていないのよ。…同じように、あくまでも連続殺人の犯人はリカでなく里子であって、里子が殺されたのだけは他の殺人とは別という前提から考えると里子の服が脱がされていた理由は他にも推測することができるのに、誰一人としてそういうことを考えようともせず、金田一耕助が『その説に賛成です』といっただけでまるで神様からの啓示かなにかのように絶対的な結論としてしまってるの…」
「つまりは、里子の服が脱がされていたいたことがすなわちワンピースを着ていたのであろうから千恵子の身替わりとして里子が殺害された六道の辻にいたのであろうっていう推測事体が、お前のいう『疑問』ってこと?」
「里子がわざわざ自分の母親に殺されるため…身替わりになる為に千恵子に間違えられようとワンピースに着替えて暗い場所に行くって…どう考えても理解できないの。普通なら、自分の母親が殺人犯で、千恵子を狙っているのではと考えてそれを止めたいのなら、普通に母親に『もう止めて』って言えばいいことじゃない。それなのに、わざわざ千恵子と間違えられて殺されに行くなんて…。もっとも、これだって、金田一耕助がそう断言したわけではなくて、千恵子が『里ちゃんは恐ろしい人殺しの犯人が、じぶんのお母さんやということをしっておいでんさったそうですが、もしそれやったら里ちゃんにとっては、どんなに恐ろしい悲しいことやったかしれませんわねえ。それやこれやで里ちゃんは死ぬ覚悟で……あたしの身替わりになる覚悟で、六道の辻へおいきんさったにちがいございません』って泣きながら推測してるだけなのを、誰も否定していないだけで『結論』にしてしまっているだけなんだけど…」
由里子は私が『悪魔の手毬唄』で確認するのを待つかのように言葉を切ったが、私はもう確認するまでもないことのように思えて文章を追うことをせずに由里子に続けさせた。
「里子が裸で発見されたこと…服を脱がされていたいたことが、こう理解しきれない推測ばかりで結論付けられているのを忘れて、もっと何か服を脱がされていた理由が考えられないかって思ったわ…。木村さんが仮に犯人の立場だとしたら何で服を脱がす?」
突然犯人の立場で考えてみろと言われ、ドキリとしたが、とてもまともな考えが浮かぶはずもなく、およそその場にふさわしくないことは脳裡に浮かんだが、それを口にすることはしなかった。由里子はそんな私の様子を見すかしたように続けた。
「どうして男って服を脱がすって言うとそれしか思いつかないのかしら…。…ま、いいわ。…里子を殺した犯人が里子の服を脱がした訳は、里子が着ていた服を知られたくないからじゃないかしら?」
「それって何にも変わってないじゃん」
「ごめん、言い方が悪かったわ。知られたくなかったのは、着ていた服の意味が違うの。…里子が着ていたというのは、あの老婆の恰好をしてたんじゃないかしら…」
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