(九)

 脳裡に、美しくも無惨な赤痣の若い女が姉様かぶりに顔を隠し、弓のように身をまげているあまりにも哀れな姿が過り、これまでも由里子の『推理』にはさんざん驚かされてきていたが、この時ほど全身に冷水を浴びせかけられたような寒気を感じたことはなかった。
「里子は老婆の姿で千恵子を狙っていた。それを止めようとしたリカが里子を殺すことになってしまった。…そこにどんなやりとりがあったまではあまり考えたくないけど、死んでしまった里子を前に母親としては、やはりこの老婆姿の里子の姿だけは他の誰にも見られるわけにいかないわ。だから里子を裸にして死体を一時隠した。…もちろん金田一耕助が言っているように、あとで喪服に着替えさせるつもりではあったんでしょうけれどね…。それと、里子が泰子と文子を殺した犯人であると発覚するよりは、自分が犯人であると思われるほうがいいと考えたのならどうしても自分が老婆の姿にでもならないといけない…とも考えたのかもしれない」
「それでお前の言う、『リカが老婆の姿になって放火した後、自殺して自分が犯人で思わせるようにしむけた…』というところに繋がるわけだ」
「そう…。」
「…あ、でも待った。それだと犯人が老婆の姿で村のなかをうろついているのは変だというお前の意見と、里子が老婆の姿をして千恵子殺しを企んでいたというのは矛盾しないか?」
「リカが犯人であった場合には不自然だし、里子が泰子と文子を殺害した時だって老婆の姿をしていたとは思えないわ。…でも、最後の千恵子を殺害する時は別だったんだと思うの」
「千恵子の時だけは別?」
「動機…のことを考えるとわかりやすいんだけど、金田一耕助はこの事件の動機についてリカを犯人としての場合だけれど、『猫』の比喩を使って、歌名雄と縁談話のあった泰子と文子を殺害し、人気のあったやはり恩田…本当は自分の亭主の隠し子でもあった千恵子を殺害しようと考えたって言ってるわ。これはそのまま里子にも当てはまることでしょ。…ううん、むしろ、因果に生まれたのが自分自信なんだから、里子を憐れんだがためのリカの犯行というよりも、その憐れまれた里子の方がむしろ犯行におよぶ危険性はあったんじゃないかしら。里子は別所五郎の言葉で言えば、『まだ子供で、色気づいとらなんだ』頃は他の子供たちといっしょに表に出ることもしていたのに、いつからかわからないけど、自宅の土蔵の中で一人で誰にあうのも恐れるようになって本を読んで生活するようになっていってる。…まだ二十二、三の娘がよ。一体里子は何を蔵の中で考えながら毎日を過ごしていのかしら…。…リカと里子、どちらがこんな殺人に至る程の狂気におちいるかといったら里子の方じゃないかしら」
「でも、里子が犯人であるには、昭和七年の事件のことを知っていないと、泰子と文子が歌名雄と…自分とも父親が同じだから、結婚する訳にはいかない…という動機には結びつかないだろ。昭和七年の事件の時、里子はまだリカのお腹の中なんだぜ…。リカが里子に自分の犯行のことを告白したわけでもないだろ…」
「必ずしも全てを知っていたかどうかはわからないけど、知っていたとしたら、放庵さんから聞かされたんじゃないかしら?」
「放庵!?」
「放庵さんの生活費が亀の湯からでていたのなら、いくら蔵の中にいたとしても、一日中ウチにいた里子にしたって何か感じるところはあったんじゃないかしら…。それに、放庵さんはちょくちょく亀の湯のお湯につかりに来てるんだしね。里子は本を読んで日がな一日蔵にいるようなコだったんだし、放庵さんも手毬唄を「民間承伝」に発表したり郷土史研究みたいなことをしてたんなら、接点とかあったんじゃないかしら。…蔵の中で自分の生まれついた不幸を見つめていた女がその原因に興味をたないわけがなく、その原因を知る人が近くにいるなら里子じゃなくても真相を知りたいと思うでしょ。ましてや、自分の赤痣の原因がそこにあると村中で噂されているくらいなんだから、真相をキチンと知り得たかはともかく、いろいろと考えてはいたんじゃないかしら。当時の事をよく知る放庵さんにだって問いつめたかもしれないわ。…で、真相の全てを聞き出すことはなくても、なにかしら蔵の中で想像たくましくするだけのことくらいは聞きだせたかもしれない。…そんな中に別所千恵子が戸籍上の親のために御殿とまで言われるような家を村につくった。千恵子にはそんな気持ちはなかったとしても、まるで自分の成功を見せつけるかのようにね。自分は蔵の中にいるというのに、恩田の娘は外の世界で大成功を治めている。…例え千恵子が里子のことを『とても気質のやさしい、犠牲心の強い人ひとで、終戦後あたしがこちらの小学校にいるじぶんでも、里ちゃんだけがあたしの同情者だったんです。あたしたちいつもお互いになぐさめあっていたんです』って評していても、子供の頃の話だしね。何も里子を悪く言うつもりはないんだけど、普通考えたら千恵子の成功には嫉妬するし、ましてや自分が蔵の中にいたんじゃ、必要以上の悪感情だっていだくんじゃない?」
「さっきの千恵子を狙った時だけは別だったっていうのは…」
「千恵子殺しこそが一番の狙い。…だったんじゃないかしら。だから、まるで金田一耕助に挑戦するかのように、わざわざ老婆に扮して仙人峠に犯行の予告めいたことまでしてるんだもの、最後の締めくくりには殺人者たる衣装を身をまとう気になることくらいあってもいいんじゃない?これをうまくやり遂げられたら全てが終るはずだったのだから…ちょっとしたフィナーレの装いかしら」
 果たして蔵の中で生活する女の気持ちを理解しようとしても自分にできるはずもないな…と、思いながら、またしても重い溜め息が漏れた。
「仙人峠のことが出たからついでに聞くけど、あれも当然里子だってことになるのかな?」
「リカはあの時、昼過ぎから枡屋の法事の手伝いに出ていたんだから、いつ金田一耕助が仙人峠を越えるつもりだったかを知りようがないんじゃないかな。例え前から総社に行くつもりであると聞いていたとしてもね。上手く仙人峠で擦れ違えるかなんて仙人峠でまさか待ってるわけにもいかないでしょ。…だったら、蔵の中にいたのかどうかまではわからないけど、それでも亀の湯にいたであろう里子のほうが、金田一耕助の様子は気にしていることはできるわよね?」
「なるほどね…。でも、なんでまた、おりんなんて里子が知るよしもない老婆を持ち出さないといけなかったんだろ?」
「怪しい人物を出して来て、三人を殺害する間の時間稼ぎとか、捜査の混乱とかを考えたのかもしれないけど、そういう意味じゃ、別におりんじゃなきゃいけなかった訳じゃないんだろうけど、昭和七年の事件の時の放庵さんの奥さんだった人だし、おりんさんからの手紙もあったくらいだから、この人を利用しよう…と考えたのかもしれない。あたしはね、もしかしたら放庵さんが『民間承伝』に鬼首村手毬唄のことを発表したのには里子も関係していたのかもしれないって考えてるの」
「里子が?」
「この『悪魔の手毬唄』は鬼首村手毬唄に見立てた殺人事件でしょ。手毬唄は一番目の枡屋から始まって三番目の錠前屋までの三番までが『民間承伝』に多々羅放庵の名前で紹介してあるわよね。放庵さんはこの解説のなかで、好色荒淫の暴君であった領主は眉目よき女があれば娘であろうが人妻であろうが容赦なく拉致し、寝所の伽を申し付けて飽きたら殺したと言われているってことでしょ。それだけ何人もの女が殺されたであろうなかで、なんでたまたまこの事件の被害者になった二人と千恵子…枡屋と秤屋、それに錠前屋の娘の唄だけが偶然にも唄われているのかしら。…あまりにも出来すぎていると思わない?だから、本当の手毬唄には、五百子おばあさんが最初に唄ってきかせた『おらが在所の庄屋の甚兵衛、陣屋の殿さんにたのまれてェ、娘さがしに願かけたァ〜〜から、お庄屋ごろしで寝かされたァ寝かされたぁ』の部分も唄としてあったんじゃないかと思うの。金田一耕助は、一番がお庄屋で二番と三番が娘だからおかしいと言ってるけど、それは三番までしか唄がなければそうとも思えるけど、その後にも娘が何人も続いていて、領主の非道をいくつも唄にしていたのなら最初がお庄屋でもおかしくないんじゃないかしら。なになにづくしの三、五、七になっていたのではというのは間違ってないとは思うけど、だったらなにも三番までと限ったわけじゃなく、七番まであってもいいわけじゃない。…そのなかから作為的に三つだけが選ばれて『民間承伝』に載せられたんじゃないかしら。その三つがたまたま、あの昭和七年の事件の恩田の子として生まれてきた娘がいる家の屋号を持っていたというのは偶然というには、作為的なものを感じない?昭和七年の事件のことを知っている放庵さんらしい遊び心かもしれないと言えないこともないけれど、もしかしたら、自分と同級生であった娘たちの家の屋号の唄だけを…といった特別な意志が横から介入しているような感じがしてならないのよね」
「じゃ、里子はこの『民間承伝』に手毬唄が載った…たしか、二年くらい前だったっけ?…この頃から三人の殺害を計画していたって言うの?」
「実際の殺害計画かどうかはともかく…千恵子は遠く村にいないのだから殺すこともできないし、その頃はまだ具体的に歌名雄と泰子たちの結婚の話しもあったかどうか、わからないしね。頭のなかにそういった妄想くらいはあったのかもしれないけど。…金田一耕助が神戸の吉田順吉さんの未亡人から聞いたっていう、『近来夏になると、いつも視力が衰えて夜盲症、つまりとり目だった』という近来というのがここ一、二年というくらいのことだとすると、あるいはこの『民間承伝』への投稿を書いている頃にはもうその徴候があったのかもしれないわよね。…それで、里子が手伝ってあげた…みたいなことがあってもおかしくないかなって思うの。…それに、放庵さんって、金田一耕助に手紙の代筆を頼むくらい手が不自由になってたわけでしょ。これがいつからかはわからないけど、あるいはこの時から不自由さを感じていたのなら、雑誌へ投稿する文章を書いてもらうことを里子を手伝ってもらったかもしれない。…だとすると、そこに里子と手毬唄の関連もでてくることになるかな…と思うんだけど。…ちょっと考え過ぎかな?」


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