(17) かつてわれに一人の戦友ありし



 たぶん私の親愛なる読者のみなさん方は本書の第二章で、麗々しい礼装に身をかためポツダムの練兵場でブランデンブルク近衛連隊の中隊長として部下たちに号令をかけているわれらがクルト・フォン・ティーツセンを紹介したことをまだご記憶のことと思う。
 物語は反復する。クルトはふたたび号令をかけている。皇帝は六人の息子とともに直属の近衛連隊の前を行進している。皇帝のまえには黒い十字架に鷲を描いたホーエンツォルレン家の軍旗が掲げられ、彼の右手では金のオークの葉をあしらった元帥杖が上下していた。
 軍楽隊のヘリコーン(大型チューバ)たちが『勝利の栄冠を受けし汝に栄えあれ』を騒々しく、勇ましく吹き鳴らすと、鼓手たちは銅の玉のついたバチを、まるでこのバチの動きが全世界を支配するのだと言わんばかりに振りまわしていた。
 ただ色あざやかなオウム色の軍服は練兵場の緑のなかでくすんで見え、われらが友人クルトはすでに大尉の階級章のかわりに、少佐の階級章をっけて連隊を指揮していた。
 この厳粛な一大スペクタクルの最中に、とんがりのついたプロシャの鉄兜集団の画布(キャンバス)のなかで、クルトはこの先どんなことが起こるのかを考えていた――裸の娘がバイオリンを弾いていたとき、街の新聞売りはあのいまいましい「戦争」という言葉を叫んでいた。
 司令部付将校の昇級試験をどんな具合に通過したのか、自分でさえわからない。軍服の仕立屋が階級というばかばかしい階段を一段上に押しあげたため、いま、ここで鹿毛にまたがり、鞘から抜き放ったサーベルをふりかざしているにすぎないのだ。
 兵士たちは、皇帝が自分たちの前を通過するときは、軍隊の規則では禁じられているにもかかわらず、天にむかって「フラー」と喚声をあげた。そのかわりアントウェルペンの前線では四十二門の臼砲が天にむかって轟音を発して火を噴き、「ルティフ」「ナムール」と称する要塞では一時間ごとに、砲弾の特別予算が支出されていた。
 このようなすべての状況はクルトにはまるで関係がないかのようだった。たしかに、明日、二百十四人の野戦連隊を引き連れて前線へ出発することになっていた。しかし、今日はまだバルトリーにの店にいて、それから赤毛の女と……。
 閲兵式の絢燗たるフィナーレは連隊旗の聖別式だった。カトリックやルーテルの司祭、ユダヤの祭司・プロテスダント教会連合の聖職者たちが野戦用の灰色の優雅な長衣に、軍隊の階級章を貼りっけて登場し、約十本ほどの軍旗をてきぱきと情熱的に聖別していった。
 これはクルトがバルトリー二の店の大理石のテーブルの上に描いた最初にして最後の戦争を主題とした戯画 (カリカチュア)だった。実をいうと、クルトは閲兵式がおわるやいなや、軍旗は各部隊の指揮官にゆだね、自分は日頃の慣例に反して、馬丁をしたがえて馬で家に帰ったのだった。
 命令によれば、彼は兵営内に寝て、四時半には万端おこたりなく出発に備えて、自分の隊の軍旗は車両に積み込んでおかなければならなかったのだ。彼はこの最後の規則違反にひどく気をよくしていた。そして馬にまたがって、「フラー」を叫ぶ群衆で混み合,つ街路を通って、何度か苦笑したのだった。
 彼はこれまで一度も馬の鞍の上から、こんな優越感をもって赤白黒の旗をもった荒々しい群衆や、好戦的な愛国主義で飾りたてた家並、オークの葉の花輪で飾られ凱旋記念柱、王侯たちの大理石像の無限の列、そしてブランデンブルク門の欺瞞にみちた時代錯誤を観察したことはなかった。
 バッチャル社やマノル社の看板でおなじみの人物たちも、広告塔のうえで灰色の戦争色に着がえていた。アスバッハ・ウーアアルト、アルトファーター・ゲスラーやヘンケル・トロッケンも、同様にまた、ドュルコップもツィクロップ・タイヤ、自動車、新聞、週刊誌、靴墨、安全カミソリ、写真機、双眼鏡の広告も国家の緊迫した状況にたいして敏速に反応していた。
 映画、寄席、ビヤホール、劇場のボックス・オフィスなどがビブラートしながら混ざりあっているなかで、これらのすべてをエッセンのクルップが指揮しているかのように見える。
 黙示録的幻想は年の市的、謝肉祭的なユーモアヘと倭小化していき、汗の匂いは宇宙的空間にひろがり、シャルロッテンブルガー・ショーツセも精神病者たちの家のようなマスクをつけていた。わが家へ着くとクルトは馬から飛びおり、馬のあとから二歩おくれてついてきた馬丁に手綱をわたした。
「明朝四時に、ここに来てくれ。ここから出発する」
 エレベーターに乗った。彼のアトリエのある階のボタンを押して、エレベーターが上にのぼるのを楽しんでいた。上だ、上だ、ハハハハ。それあるのみ。おれは本当は飛行隊に応募するべきだったんだ。飛行訓練がおわったら、戦争の後になるかもしれないが…、彼は上機嫌で考えていた。
 彼の従卒は廊下に立っていた。それはまたもや赤い手をした漆喰職人のシュルツエだった。彼は三年間の兵役を勤めあげると、市民生活に帰った。そして動員令の最初の瞬間から、またもや従卒の任を得て、ここにいるというわけである。
「大尉殿……、えっと、つまり、少佐殿、つつしんで報告いたします。ご婦人が部屋でお待ちでございます。さらに二人の紳士方も……。どうかお許しください、わたしの口から、いっもこの『大尉殿』が飛び出してしまうのです。なんたって、あれは古きよき時代でございましたからね……」
「おまえは古きよき時代などといっているが、おまえが除隊してから、たしか、まだ一年か……、二年か……? そうだ、二年だ。おまえはまるで百年もたったかのようなことを言っているが……」
「大……少佐殿、わたしにはよくわかりませんが、なんだか、たいそう昔のことのような気がするのです。あれは、まったく別世界でした。ビスマルクやモルトケの銅像を型から抜くなんてことも、私が生きているうちには、もう、そうそうはないでございましょう」
 クルトはほほ笑んだ。
「ないことがあるもんか! 総合参謀指令部の新しい参謀長は、やっぱりモルトケだ。おまえが、またシャバヘもどったら、彼の銅像を型から抜くことになるだろう」
 赤毛の女のほかに、部屋にはラインハルト劇場の俳優が二人いた。彼らはまだ存命だから彼らの実名をここに書くわけにはいかない。同じ理由からこの赤毛の女性の名前も書かないことにする。
みなさんには、彼らのうちの一人が黒い髪、音楽的な声、燃えるような目をしていて、彼の身振り動作のひとっひとっから、彼がイタリア系であることが見てとれると、彼の特徴を記すことで満足していただこう。彼は灰色の戦闘服を着ていても――だからというわけではないがかなり注意を引くはずだ。
 もう一人は、背が高く、骨っぼい、モンゴル人の顔をした神秘主義者だが、多くの方々がすでにこの顔を映画のなかでご覧になっているだろうから、いまさらここで彼の風貌について記すのはやめておこう。
 クルトは彼らと不機嫌に握手をかわした。彼はモンゴル人の顔の男が嫌いだったし、この顔つきをただ異様に感じるだけだった。クルトは、どうしてこのゲルマン民族がこんなに突き出した頬骨に、両端がたれさがった目、それにアジア系の頭蓋骨をしているのか不患議な気がした。しかもそのすべてが細く引き伸ばされたゴキブリのような体の上にのっかっているのだ。第一の男の野戦軍装と同じ仮面舞踏会の扮装だ。
 それにしてもこのイタリア人はどうしてドイツの軍服を着ているのだ?まるでインディアンの出陣の扮装ではないか。
「あたしたち、あなたにお別れを言いにきたのよ」
 赤毛の女が口火を切った。クルトは彼女をなにかしら苦汁にみちた思いで見た。電車のなかで二人が最初に出会ったときのことを思い浮かべる。そして、遠い年月という、すべてのものを変形させてしまう鏡のなかに映る彼女を見ていた。
 鼻メガネをかけたチュートン系ドィツ人の司令部付き曹長が、ものすごく大きな帽子と帽子に刺した槍のように長いピンに抗議した。その抗議はクルトがその曹長を黙らせるまで続いた。鳥や草花や鉱石をあしらったあの帽子のなんと滑稽だったことだろう。
 彼の従卒が言ったことは本当だそんなものは、みんな百年前にもあったことでさあしかし、その女の堅くしまった体は、すでにあのとき、そしていまも同じに、彼の体を熱くしていた。
 この灰緑色の軍服のイタ公とモンゴル顔のドイツ人は最も間の悪いときにやってきたのだったいっそのこと、お別れに、このうたうパントマイムなんて変な野郎を締め殺して、せいせいした気持ちで死神に会いに出ていくのはどうだろう。しかし、そうなると……
「そう、じゃあ、飲むものと、氷を一山もってこさせよう。いますぐ従卒に言いつけるから。君たちは本当に親切だね、ぼくのことを忘れないでいてくれたなんて」
 夏のタ日のなかで、女性の美貌の輝きは、やや、損なわれたかに見えた。モンゴル人の顔をした男は、彼のこの場への存在が気の利かない野暮なジョークであることを理解した。
 それにたいして、イタリア人は「かつて、われに一人の戦友ありし」を闘争的に口ずさみ、リボンのっいたギターで自分で伴奏をっけていた。それはピェロの登場する奇妙な軍隊シーンだった。
 それにたいして、シュルツェは氷の入った容器をクリンクォット未亡人とともに運んできた。その間にクルトはシャンパンの瓶を大きな音とともに抜き、栓を勢いよく飛ばせた。
「フランス野郎、飛んでいけ!われわれはたしかによき愛国者だ。え?どうだ、こんちきしょう。もしかして、ぼくの言うことは間違いかい?今日からは、われわれはドイツの産業のみに貢献しよう。それだよ、諸君。これが最後のチャンスだ、ヘヘヘ」
「その通り、ドイツの産業だ。クルップ。この名前は証券市場で、まだそれほど光った存在ではない」モンゴル人の風貌をした男が言った。
「紳士、淑女諸君。状況がさらに進展するまで、クルップの証券に諸君の注意を向けられんことをお願いする。もしこれらの証券がまだ完全に自由なら、これらの株式を買うことが愛国的忠誠であると同時に、最も神聖化された個人的利益追及である。そして戦争が長く続けば続くほど、むしろ、そのことが当てはまるのである。クルップのために乾杯!」
「長く続くだと?二週間後にはエトワールの凱旋門の大理石のアーチの下を行進しているよ」
イタリア系ドイツ人がラインハルト劇場の洗練されたドイツ語で高揚した言葉を発した。
「二週間後だ」
「諸君、そんな具合にはいかないよ!クルップの株価は下がる一方だ」
「でも、いいかい、そんな紙切れをいっまでももっていて、どうするっもりなんだい。いまの状況では、君、問題なのは何かの紙切れなんかじゃない!」
「だけど、それが問題だとしたらどうなんだい?」
 クルトは議論に加わった。みなは沈黙し、クルトの顔を見っめていた。彼は乾杯のためにグラスをあげたが、その様子はひどく悲しげで、その笑顔にはあきらめの表情が浮かんでいた。
 赤毛の女もすでに何かの舞台の銃剣突撃の場面で、軍旗はためくなかに、死者がばったり倒れるように、クルトが倒れる姿を見たような気がして、彼女はすばやく決心した。彼女はモンゴル人とイタリア系ドイツ人のほうに向いて、言った。
「もし、あなた方がバルトリー二の店であたしたちを待っていてくださるなら、あたし、とてもうれしいんだけど。少佐殿は準備があると思うの。あの店から直接、兵営まで送って行きましょう。そうしていただけると、すごくいいわ。だから、いまは、先に行っててくださらない?」
 このおおようさはクルトをひどく怒らせた。
「そんなこと、まったく論外だよ。ぼくは母に手紙を書いて、すべてはもう手配ずみだ。だからぼくたちは、ゆっくりと落ち着いて出発まで飲むことができる。ぼくは、君たちがこんなに親切なのでうれしいんだよ……」
 女の目のなかで何かが光った。二人の役者は糸の切れた操り人形のように、ぴくんと飛びあがった。
「それじゃ、バルトリー二の店で会いましょう」
 モンゴル人が言った。イタリア人は靴のかかとをカチッと合わせようとしたが、まるでうまくいかなかった。彼らは出ていくとき、大きな声でうたった。
「太鼓の響きは勝利の証し。太鼓はわれらの側を進んでいく。栄光、栄光、勝利の栄光はわが方にあり。身も心も、わが祖国のために捧げん!」
 歌声はすでに廊下をとおって反響しながら余韻となってこだましていた。シュルツェがばたんとドアを閉めると、すべては森閑とした静寂のなかに凍てついた。
「あなたって、どこかのアホどもの攻撃にすっかり打ちのめされたみたいね」
 長い沈黙のあとで赤毛の女が言った。
 クルトは生と死の究極の意味をこの赤毛の女のなかに探し求めているかのように、じっと彼女を見つめていた。その彼女は服もレースの下着をもすでに脱ぎすてていた。
「打ちのめされた? そうは思わない。そんなつもりはない。むしろいい気分だ。ぼくはこの暗い無意味さの蛹(さなぎ)がら蝶のように飛び出していきたい≦夢。ぼくは操り人形の生活を生きていた。ぼくはいまや蝶の生活を願望している。こんな地上的わずらわしさを超越して空高く飛んでいたい。そのほうがましだ」
「蝶だって死ぬわよ。そのあとはどうなるの?」
 彼女は神が造られたままの姿で、クルトの膝に乗った。裸でこんなことができるのは彼女のほかにはいない。脱ぐだけならほかの誰かだって、たとえば百回だって脱ぐことはできるだろう。しかし時問の黎明のときのように、かくもエデン的無恥な裸の身をさらすことは誰にもできはしまい。
 石の彫像のように固く締まったこの肉体、赤い乳首つけて盛り上がったこの乳房、凶暴さを秘めたこの歯並み、破滅へ向かって誘うがごとく陶酔の炎を燃え上がらせる貧欲な女性自身――連隊はすでにベルギー戦線で砲声のとどろきのなかにある。そしてここには、化膿して、腐敗しっつある「ナナ」(同名のゾラの小説のヒロイン)が安ホテルの一室の汚らしい虚無のベッドに横たわっているのではない。ここにいるのは陶酔と野性とをそなえた太古の原女、抹殺不能な健康の権化、極限の激情、酔っ払ったバビロンの豊穣と生殖の女神アストラテ、魅惑する類人猿(ネアンデルタール)の雌である。そして連隊は砲声のとどろきとともにベルギー戦線に、ヴエルダンに、メッツに進軍している。
 この女はバイオリンを演奏しない。それに楽器の秘密も知らない。彼女は死におもむかんとする男をぼろ布のように引き裂き、刺し、噛み、苦痛を与え、突風のように突き飛ばし、荒馬のような激しい息とともに男の上に倒れふす黙示録そのままに、すべてを焼き減ぼしながら……。
 四十万のコサックがハリッチュ地方になだれ込み、町々は炎につつまれ、十七隻の超弩級戦艦の艦隊が逆巻く波をかき分けながら突き進み、植民地の有色民族は軍服を着せられ、タムタムが響き、カモシカの角笛は甲高い音で鳴り、凱旋門や偶像のまわりでファンファーレが鳴り響くそして、いま、赤毛の女の体内で、煙突の煙のなかで生まれたボロフスカヤが死に向かってかつて行進をはじめる。
 バイオリンはテーブルの上に横たわり、患い出していた。見たり、聞いたり、また警戒した。それはバイオリンが最も明確な意識をもって目覚める瞬間の一つだったやがてバイオリンもクルトの荷物とともにヴェルダンヘ向けて出発する。だから、私もここで「ラルゴ・ソステヌート」の楽章を終わるべきなのかもしれない。 読者の関心を冷めないまま持続させるためには、そのほうが効果的な終結部、ないしは重々しいフィナーレの主題となるのかもしれない。
 私も数年前まではロマンの一部をそのようなクレッセンドで締めくくるのを好んでいた。しかし、いまはもうその手の効果を追及するという野心は卒業した。私の髪にはすでに白いものがかなり混じり、腹も出てきた。クレッセンドのあとは急にしぼんでしまう。だから、平板化の危険をあえて覚悟のうえで、クルトとストラジバリがどのように戦場へ出ていったかについて語ることにしよう。しかし、同時に、戦争そのものについてはこのロマンのなかでは、みじめったらしい言葉のひとつさえ記さないことを約束する。
 そんなことは平和主義者たちにまかせておこう。彼らは最近あまりにも戦争の恐怖にっいて騒ぎたてすぎる。だから最も平和愛好者である小市民階級の連中のなかにくすぶる軍国主義体験についての潜在的好奇心までも刺激しているのだ。世界が炎につつまれたとき、地獄のなかを行進する人類の名において『砲火』のなかか ら天に向かって叫んだのは、ひとりアンリ・バルビュスだけだった。ほかの連中は平和のよき時代になってはじめた。そんなものは時期おくれの平和主義にすぎない。
 たしかにバルビュスの『砲火』(一九一六)は何十万部の出版部数だったかもしれないそれはたしかに、少し、うらやましい数と言えなくもないしかし、いまはそのような問題ではなく、クルトとバイオリンのことについて語りたいのだ。
 クルトは冷たいシャワーの下のバス・タブのなかに立っている。そして電灯の明りが彼のブロンドの髪のまわりに水しぶきの光輪を作り出していた。彼は夏も冬も氷のように冷たい水のシャワーをあびた――朝の寝ぼけた状態から現実へ足を踏み出す必要があるときには、そうすることによって現実が彼の体のなかにしみ込ん でくるし、夜の死にそうなほどの疲労から夢のなかへも移行できる。
 私たちすべての者とおなじように、彼も毎晩、死に、そして、毎朝、蘇生する。私は自分の体験に照らして、彼が冷たいシャワーの下でいかなる蘇生を体験しているかを知っている。一瞬、感覚が麻痒し、全身に鳥肌が立つ。身ぶるいをし、思わずシーっと口の端から息をもらす。この至福の瞬間、彼は若駒が子供に変身し、その肌は花芽が朝露を吸うように飛び散る水滴を吸収する。そして生き返った快感のなかで喜びの記憶のぼんやりとした光の波が彼の脳と心臓のなかで鼓動しはじめる。
 たとえば、いま、彼の生家の大きな庭が浮かんでくる。厩から馬を引き出す。餌をあさっていためんどりは、ばたばたと不器用に羽をはばたきながら、馬のひづめの下をかいくぐって飛びまわる。つやのある白い羽の大きなおんどりは、強く羽をはばたいて空中に飛びあがり、ほとんど連銭葦毛の馬の目をつつかんばかりである。
 その次は、楽園の踊り子、背の高い、メランコリツクで、痩せている。マルゴット、マルゴット、兵営の廊下での報告、ハンブルク・グランプリのおわり、サンクト・パウルでの水兵たちの決死の闘争、手にインキのしみをつけた学生がデートにいく。
 ロープで区切られたリング上のボクシング・チャンピオン、コッティングブランでグレーのシルクハットをかぶったイギリス紳士が賭をする。ライン地方タウヌスの滝、カッシーラー所有の二枚のルノアール。ここから興味ある映像、チェスのシミュレイション・ゲームが浮かんでくる。たしかに、チェス盤は多種多様な勝負の展望のなかでそれぞれに豪華な装飾性にみたされている。
 ほかの人びとはその装飾のためにアヘンを吸うとか、コカインを嗅ぐことが必要かもしれないが、クルトや私にはそのためには頭のてっぺんに飛沫を散らせ、背骨にそって流れおちる冷たいシャワーで十分である。 やがて、シュルツェがやって来る。大きな漆喰職人の手でバス・タオルをもって筋肉質の体の全体をこする。赤毛の女は裸のまま、まるで彫刻のように身じろぎもせずに、星の光の降りそそぐアトリエの大きな窓枠のなかに立っくしている。
「今度は、着替えだ。行軍用装備」
 クルトは言った。少佐と従卒はほとんどまっさらの野戦服を着た次に携帯晶。四個のザックにバイオリン・ケースが一個。ピストル、写真機、双眼鏡、缶詰、チョコレートにシガレット。万年筆、軍用便簑、戦闘用短剣と鉄兜。セルロイド・ケースのなかの地図の束。ファウストとハムレット。羊の革の裏張りのついた柔らかい編みあげ長靴。
 女は鉄兜をかぶり、あごの下で革ひもを締めた。彼女の裸体は今やさらにいっそう、そのエロティシズムを強調したので、従卒はあわてて部屋から飛び出していった。
 女は笑い、ランプの光のなかでパントマイムを演じた。やがて鉄兜は落ち、彼女はそれを部屋のすみに投げつけた。彼女はすばやく服を着た。出発の準備ができたとき、彼女はドアのほうへ飛んでいき、ドアを閉めて、クルトに身を投げかけた。女は彼の唇を血が出るほど噛み、そして笑った。二人は床の上にころがった。やがて起きあがって、行きかけたが、クルトは従卒のほうを見て言った。
「馬丁と一緒にバルトリー二の店の前で待っていろ」
 それは暑い夏の夜だった――むっとする空気のなかで人の群れが、陸地に放りだされた魚のようにあえいでいた。ベルリンじゅうが街路の上で、野外レストランやビヤホールのなかで、エレガントな食堂で、菓子店や喫茶店で混みあっていた。
 ただ、ビロードのジャケットを着たバルトリー二の店の常連たちだけが、ガス室みたいにタバコの煙の充満した小部屋のなかで、体を寄せあっていた。その様子は誰かがやってきて、彼らの芸術家的長髪をバリカンで刈り取り、ビロードの上着もはぎ取って、劇場技術についても、印象主義についても、形而上学についてももはや語ることのできない屋外の広い空間に追い出すのではないかと恐れているかのようだった。
 だって、そこでは彼らに向かって星空がほほ笑みかけるが、やがて真っ赤な、燃えるような朝が彼らに向かって赤い光を投げかけてくるからである。こんなに暑く、おそい時間にバルトリー二の店ではタバコの煙の雲が充満していた。大理石のテーブルのまわりには、ここを根城とする連中が手をふりまわして議論に余念がな い。だって、ゴーガンがタヒチに一緒に行こうと彼らを誘ってくれなかったからなあ……。
 だから彼らは、いままさに、二巻からなる長編ロマンを書くよりは、新聞特派員になって前線へ出るか、銅版画の戦争シリーズを制作するかして、また場合によっては何らかの立場戦争に賛成か、反対かをはきりさせるかして、時流に乗りおくれないようにするにはどうすればいいかを、いずれは考えるようになるだろう。
 しかし目下のところはそんなことについて語ってはいない。ただ、不決断なあいまいな思索のなかにのめり込んでいるだげだ。そして何はさておき、芸術は死者たちの島ではなく、幸福のオアシスであり、ベックリンの二つの幻想のあいだの選択の自由をもっているのだと信じたがっていた。
 だから、クルトの戦闘用の灰色の軍服は彼らをまさに火で焼き、壁の上に投影された炎の警告(メメント)となり、彼らには危機的な二者択一しか残されていないのだということを思い知らせるのだった。クルト自身はあまり気にしてはいなかった。彼は古ぼけた草葺きの小屋のなかから戦争の斧を掘り出して、戦争用のきらびやかな装束をつけたモヒカン族のインディアンのような気分だった。たしかに、すでに何かが起こるはずなのだ――だから、まさにこんなふうに起こったのだ。
「ウツフ」ゴツビ・エルハルトは言った。「ウッフ」
 この秘密の言葉はどんなものにたいしても用いられていた。たぶん彼自身の解説によれば、およそ次のような意味になるだろう。「何の役にも立たないことで騒ぎすぎる」とか「さて、お楽しみはこれでおしまいだ」とか、または「そんな偉そうな顔をするなって!」
 この場合だとクルトの戦争用の服装に関係している。そしてそのなかには、この三つの意味がすべてふくまれている。根本的にはその言葉によってゴッビは、クルトのこの戦争用の仮装を、たとえばグレーネンが自分の操り人形の衣装を考えるときのように、それほどまじめに考えてはいないという意味をあらわしている。だから彼はヘヘら笑いをしながら、その大きな熊の手でクルト少佐の背中をばんとたたいたものだった。
「それじゃ、進軍の準備も、戦闘の準備もすべて調ったというわけだな、騎士殿?『皇帝陛下と祖国のために』か、へヘヘ。結局のところ、この口ひげの愚か者を正当と承認してやる必要があるな」
 クルトはこの口ひげの愚か者が二ーチェを意味していることがわかっていた。彼は自分とゴッビのまわりに、カジミエシュ・ウィシュニョウスキ、ピシュタ・バボチャーニュィ、二人のレナルドゥッチ、クラーラとハロルド・アイゼンバーグ、彫刻家ヴラック、ラインハルト劇場の青年たち、牧神のようなマイム役者、イタリア系ドイツ人、モンゴル人の顔をしたドイツ人、三人の若い画家、一人の画商彼は時によってはボクシングのマネージャーもやるそしてもう一人はデンマークの映画俳優を認めた。
 クルトは赤毛の女が若い画家の一人に注意を向けているのを目で追いながら、その画家が彼の多くの後継者の一人になるだろうと思いめぐらしていた。彼にはこのすべてに何となく興ざめしていた。それは小さなミニアチュアの舞台の上で演じス、れているかのように、すべてが急に地平線のほうへだんだん遠のいていくように感じられた。
 画家はフランツ・マルクと言った。クルトは一度モアビット区のアトリェに彼を訪ねたことがあった。彼はいまでも緑色の虎のことを覚えている。虎は画架上のカンバスという無限の空間のなかに、奇妙な立方体の形でうずくまっていた。
 もう一人の画家は矢の突き刺さった聖セバスチャンを好んで描いていた――名前はヴァイスゲルバーと言った。三人目の画家の貸部屋にも訪ねていったことがある。それはどうひいき目に見てもアトリエなどと言えた代物ではなかった。ここには物置のなかに青い馬、赤い岩、黒い星の浮かぶ緑色の空、そして真っ赤なノロジカの絵があった-そのすべては、民衆童話のさわやかな森のなかにあった。
 クルトはなんという名前だったか忘れた。そしていま彼の奇妙なフランドル風の名前を思い出そうと頭をひねっていた。とりあえずは小さなテーブルをくっっけて並べ、赤毛の女は突然、ヘンケル・トロッケンを二十本注文した。
「今日は、あたしが払うわ」彼女はひどいショックを受けたように悲しげに言った。
「今日で、あたしたち、クルトとお別れなのよ」
 クルトの隣にピシュタ・バボチャーニュィが来た。
「ユルカはどこだい?」
 クルトはピシュタにたずねた。
 ピシュタには、クルトがユルカと言うときには、それはジュルカ、っまりジョルジのことであり、サントはサーントーだということがわかっていた。クルトは本当は私のことをたずねていたのだった。
「ユルカはセルヴィアのどこかの乗馬学校にいますよ。彼は第十騎兵連隊に入隊したんです」
 このグループの連中はものすごいテンポで飲んでいた。俳優は朗読し、画家たちは赤毛の女のまわりを取りかこんだ。ハロルド・アイゼンバーグはシュニッツラーの何かの芝居でプシランデルと共演した映画女優に、今度の戦争でアメリカ合衆国は絶対に巾立を保っということを、もう百回以上も誓っていた。
 いっぽう彫刻家ヴラックはパンから見事な男根像をこねあげて、何としてもクラーラに吹き出させようと苦心していた。そのことは彫刻家に一撃を加えるぞと脅迫する程度にはゴッビを憤慨させた。カジミエシュはそれを見て、ばか笑いをし、パンの彫刻作品を食ってしまった。
 チュザーレ・レナルドゥッチはクロスのかかったテーブルをピアノを弾くように両手でたたいて演奏し、夢見るがごとくに金切り声でニグロ・ソングをうたっていた。ピシュタ・バボチャーニュィは最初は床の上でステップを踏んでいたが、やがて椅子の上、さらにテーブルの上にまであがってステップを踏んだ。そしてセバスチアーノ.レナルドゥツチは足でラグタイムのリズムを刻んだ。
どこからともなくやってきた、おまえは
おれの、ビューティフル・ガール
どこからきたのか知らないが、つかまえたのさ
ここで、レールウェイ・ステーション
 奇妙なフランドル名の画家もすでにステップを踏んでいた。やがて俳優の一人も「続けろ!」という絶え間ない叫びの真ん中でラグタイムに加わった――しかし、そのときクルトが発言した。
「そんなものは、まったく愛国心となんの関係もない。『神はイギリスを罰せられる』という問題はどうなっているんだ?」
 この言葉に全員の爆笑の渦がまき起こった。そのときウエイターの一人が「外で従卒と馬丁が少佐殿を待っている」と報告した。クルトは冷たいシャワーを浴びたかのように、一瞬にして酔いが冷めた。そして彼の頭 のなかで戦争場面がちらついていた。彼は立あがり、別れの言葉を言った。
「みんなであなたを送っていくわ!」
 赤毛の女が叫んだ。
 全員がわれ先にと表の通りへあふれ出た。クルトは支払いをすまして、騎上の人となった。ほかの連中は賃馬車とタクシーに分乗した。朝の騒音のなかで彼らのまわりには新聞売りや、掃除夫、街灯夫、街娼、警官、工場労働者たちが集まってきた。
 クルトは足が長く、骨っぽい鹿毛にまたがって前に進んだ。彼の後からは馬丁と従僕シュルツェが駄馬に乗って続いた。一行は軍歌をうたいはじめた。そしてある将軍は新たに徴発したばかりの百馬力の自動車を停車させ、クルトにどうたいおうすればいいのか、とっさには判断しかねていた。
 しかし、クルトのほうはすぐに将軍に気づき、馬の胴に拍車を入れると、猛スピードで駈けていった。タクシーも賃馬車も猛烈な勢いで彼を追跡したが、追いつくことはできなかった。
 兵営の広場では連隊が完全装備で待機していた。クルトは連隊を司合部付将校から引き継ぎ、輸送列車の待っ停車場へむかった、そして五分後には各車両に分乗分乗していた。大きな機関車があえぐように、蒸気を吐き、そしてがたんがたんを音をたてた。
 列車のなかから期せずして「かつて、われに一人の戦友ありき」響きわたり、車輪がきしみ、線路はにぶい響きをとどろかせ、蒸気機関車は遠い戦場への旅へと出発した。
「栄光、栄光、勝利の栄光け、われに!」
 そして、やがて巨大なガラス張りの停車場のホールからさらに列車が轟音とともに次々に出発して行った。百台、千台。列車は花や旗で飾られ、それはまさに旗で飾り立てた大量の生贄(ヘカトウム)を積んで出ていった。

 さて、紳士・淑女のみなさん。こんなことが、ついこの前あったんですよ。まさか、もうお忘れではないでしょう?

<第二楽章おわり>




 
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