[カレル・チャペックのエッセイから]


カレル・チャペック著/田才益夫訳編『コラムの闘争』(1996/社会思想社刊)より




(3) 身震いする世界 < 訳注・関東大震災について触れたチャペックのコラム >



いま、この瞬間、わが国から何千マイルもかなたの日本で何が起こったのか詳しいことはわかりません。いままでのところ正確な死者の数も知らせてこないし、これからまだ何千だか何万だかの犠牲者の数が増えるのかどうかもわかりません。記号や名前は受け取っているが、それらの記号や名前が人間なのか文化なのか、民族なのかも理解するのがむずかしいのです。わが国にある地震計は非常に非常に遠くのショックを記録しています。でも、それだけなのでしょうか?
1755年、リスボンが地震で崩壊したとき、全ヨーロッパ文明がショックを受けました。太平の楽天主義から目を覚まし、顔を見合わせて存在の未知の恐怖にうち震えたのです。人間が自分にたいしても社会にたいしても提示する疑問が以前にもまして厳しく、緊急なものとして不意に問われることになりました。十八世紀の人間は神にたいして疑問を提示しました。神よ、あなたがもし在るのなら、どうしてこのような悪を野放しにできるのです?―― と。
東京を崩壊させ、横浜を水びたしにし、深川、千住、横須賀を焼き、浅草を破壊し、神田と御殿場と世田谷<
原文・シタヴァヤ >を瓦礫の原とし、箱根を平らにし、江ノ島を飲み込んでしまった地震は、耳慣れない地名が語り伝えるほど遠くのものではありません。それは、たぶん、私たちの心のとどく範囲にあります。そして、たぶん、私たちの援助の手のとどく範囲にも……。
それにしても、この地震が私たちの脳髄を震撼させ、ぼんやりした居眠り状態から目を覚まさせるほどの身近さであることだけは絶対にたしかです。二十世紀の人間は恐怖に顔を見合わせて、神にたいして「在りや、無しや」なんて疑問は提示しません。しかし人類に向けて「在りや、無しや」を問うでしょう。そしてその質問は、いま、とくに世界大戦(第一次)後のいまだからこそ、かつての神への問いかけよりはいっそう恐ろしく重大なのです。それは人間性の問題ではなく文明の問題です。

「これこれの巡洋艦が救済活動に参加するために横浜に向けて出港した」 それは結構。しかし、もし世界中の巡洋艦がその巨大なボイラーから蒸気を吹き上げて横浜へはせ参じたとしても十分ではありません。それで世界の良心が十分発揮されたことにはならないでしょう。たとえ世界中の政府が募金を募り、哀悼の意を表し、電報を打ち、薬を贈ったとしても、それで十分ではない。たとえすべての弔鐘を打ち鳴らして、半旗を掲げたとしても、それはほとんど、まったく、何の役にも立ちません。
五十万とも六十万ともいわれる人たちが生き埋めになり、火に焼かれ、水にのまれて死んだ。繊細な文化と勤勉な労働の都市がつぶされたのです。世界大戦の恐ろしい大惨禍と比べれば小さいかもしれない。おまけにこんなに離れている。それに襲われたのは言葉も通じない、実際にはほとんど何のつき合いもない肌の色もちがう民族だ……。
ああ、違う。それは遠くではない。日本で地面が振動したその瞬間、他の民族の足もとの地面は振動しなかったとしても、私たちの地球は振動して、ひびが入ったのです。竹の柱や梁(はり)が倒れかかったのは微笑をうかべた黄色い小柄な人たちの家族の上にではなく、人類の頭上なのです。もし全世界の人類の一つに合わさった心の波長、すなわち連帯の波長がこの地殻のなかの波長に反応しなかったら、それは恐ろしい、冷酷なことといわざるをえません。
私たちの同情が、もし、われわれ地球上の全人類、全民族は家族であり、兄弟、隣人あるいは親戚、それをどう呼ぼうとかまいませんが、要するに一つであるという輝かしい、まさに目もくらまんばかりの意識によって導かれたものでないかぎり、そんな同情は偽善的感傷となるでしょう。私たちチェコ人もドイツ人もフランス人も、私たち白いものも黒いものも、服を着ていようが裸だろうが、北極や南極に住むものも、赤道上に住むものであろうが、われわれ人類はこの地割れを起こし、燃え上がり、振動する天体の人類同士、労働者同士なのです。それは私たちの国から遠く離れたところでおきました。しかし、それは暗闇のなかにまたたいた悲劇的な広大な閃光なのです。その閃光のなかで私たちは直ちに人間から人間への関係、民族から民族への関係、大陸から大陸への関係を、いままでとは別に、まったく違ったふうに見直さなければなりません。
この恐ろしい閃光のあとで、世界の何かが変わらないとか、浄化されないとかいうことがありうるでしょうか? 私たちを恐怖させたこの瞬間が、私たちのなかの意識を鋭くゆり動かし、かつて思いもおよばなかった広く限りない視界を、一瞬のうちに、私たちの眼前に開けさせないはずはありません。
いいですか、みなさん、地平線上に大きな不幸が起こったのです。募金活動をはじめる必要があります。でも、小銭や慈善の寄付ではありません。すべての人類のなかの私たちすべて、この震えつつある天球のあらゆる種類の子供たちすべてを一つにつなぐもの、そのすべてを招集する必要があります。すなわち、連帯、友情、すべてのものとすべてのもを統一させる単純で明快な意識です。たぶん――お互いに手をさしのべあいながら――私たち共通の、不可抗力の、しかもはじけ続ける惑星のまわりに堅固な鎖をつなぐために、私たち地上の人間のやさしい、無限の、共通の仕事の資本を集める必要があるのです。
もし、現代文明の苦悩の薄明かりのなかに輝いた閃光が、その狂気の光を悲劇的かつ警告の光として極東のわが兄弟の上にだけではなく、地球上のあらゆる地域の兄弟たちの上にも投げかけたのでないとしたら、その閃光はいたずらに燃え、いたずらに破壊したに過ぎないことになるのです。(1923年9月6日)




(1) 認識の精神と支配の精神

(2) 発展はどこへ向かうか

(3) 身震いする世界

(4) なぜ私はコミュニストではないか