(11)田園小説の共通の性格/Obecna charakteristika vesnicke prozy
チェコ散文文学においては、歴史的素材を志向しているものを除けば、再興期以後、農村の主題、チェコ民衆の生活にかんする関心が色濃く現れた。その証拠はボジェナ・ニェムツォヴァー、フランティシェク・プラヴダ。その後にはV.ハールカ、カロリーナ・スヴィェットラー、その他の作品である。チェコの田舎にたいするこの関心は 素朴な農村の人々が「白山」以後の時代において唯一のチェコ的性格の担い手であり続けたこと、都市を支配したゲルマン化に抵抗し、民族発展の連続性の意識ばかりでなく、相当の程度まで非カトリック的過去の意識すらも保存していたという現実から生じている。わが国再興期の散文学また再興期後の散文学における田園主題の優越は、もちろん田舎の民衆のロマンティックな信仰(カルト)とも関連している。それはまさにこの民衆のなかに、ルソーの時代以来、道徳的に不可侵な核心、そして貴族的な快楽主義と財産への市民的渇望と十九世紀における都市の産業化増大の波によって道徳的に汚染された新時代の社会の唯一健康な階層がそこに認められるからである。
封建主義社会から資本主義的社会への急速な転換の過程は都市および農村の生活にも変化をもたらした。三月事件以前の時期、そしてバッハ体制時代の十年間を特徴づけたところのチェコの大小の町や市のお人よし(biedermeier)的性格は消え、また下男たちも従属的な使用人としてではなく、むしろ農場主の家族の一員としてみなされていた(あるいは、みなされるはずであった)かつての農村生活における家父長的形態も消滅したのであった。そして世紀の半ばからわが国の農村社会にも資本主義的関係が徐々にその色を濃くしていったのである。幾人かの作家は古い価値観やわが国農村の古い性格までも破壊しようとする新時代の怒涛にたいして防波堤を築こうと努めた。そして古い生活形態や資本主義以前の古い家父長制的理想への回帰こそ農村におけるあらゆる社会的矛盾の解決と道徳的再生への唯一の道だと考えたのである。
これらの田園生活の古い形態がしばしば極端に理想化されていたという点はおくとしても、社会的発展のちょうこく超克された段階への回帰の思想そのものが非現実的で、観念的であった。そしてその思想自体、本質的に新しい社会的現実に対抗する必要性からの逃避であった。だがそれにしても田園的主題を志向した十九世紀後半のすべてのチェコ作家は現状にたいして批判的な姿勢を保ち、自分たちの文学作品によりわが国の農村における状況の健全化に寄与しようと努力したのだということは言っておく必要がある。そして当時の農村の危機の原因を古い理念の放棄のなかに見出だした者たちのすべてが、ひたすらいつまでも保守的姿勢をとり続けたわけではない。その例がヨゼフ・ホレチェクである。彼は最後の四分の一世紀のチェコ散文学において、農村問題の伝統主義的概念の代弁者のなかの最も典型的な人物であった。そしてチェコ農村の失われた道徳規範の探求において過去へ目を向けはしたが、それでも故郷南チェコ地方の農民たちの道徳的、社会的意識の根源、をとくにフス主義伝統のなかに見出だしたのである。しかしその他の作家たち例えば、アンタル・スタシェク、K.V.ライス、あるいはJ.ヘルベンは自分の作品のなかで、資本主義の擡頭と進展の時代におけるチェコ農村の社会問題の先見的解決を模索している。彼らは発展にたいして堤防を設けようとはせず、むしろ徐々に明確化してくる農村の問題を素朴な民衆の基本的要求を満たし、目にあまる社会的不平等を排除することによって解決するよう努めた。これらの作家たちはわが国の散文学における、いわゆる批判的リアリズムの代表者たちであった。
これらの作家はその作品を比較的後の時代になって発表したものの、全体的に見ればルミール派の世代といえるものであり、したがって新しい文学の文脈のなかに位置づけられる。なぜなら、これらの作家の文学表現がルミール派の時代に結晶したのだからであり、われわれは彼らをその関連のなかで取上げているのもそういう事情からである。