(4) その他の同時代作家と文学作品


  時代の変わり目に立ち、同時にフシェフルドヴィー・サークル Vaehrdový okruh と若い世代とをつなぐ楔(くさび)ともなったのが、ミクラーシュ・コナーチュ・ス・ポディシュコヴァ(Mikuláa z Hodiakova; 1546頃没)である。この市民層出身のプラハの印刷者兼編集者兼出版者は人間主義的作品を系統的に出版し、彼自身も文学活動に従事することによって人間主義的教養を普及する役目を果した。コナーチュが翻訳に選んだ作品の内容には二つの視点が混在していて、ともすると無理な妥協におちいっている。要するに改革的視点とルネサンス的(人間主義的)視点である。コナーチュの出版活動の第一段階(1511年まで)の特徴は小さな作品の出版である。第二段階はもっとも実り多い時期(1528年まで)である。作者はいくつかの膨大な作品を出版している。そのなかの最も重要なのが『人間生活の見本』 Pravidlo lidského ~ivota である。彼はこの作品によってチェコの読者にインド由来の素材、恋物語やユーモラスな話と教育的寓話が交互に現われる物語を紹介した。
またこの出版によってコナーチュはオルブラフト (Ivan Olbracht 1882--1952)にまでつながる、いわゆる『ビドパイ寓話』 Bidopajové bajky の伝統をわが国に根づかせたのである。やがてコナーチュの仕事に沈黙の時代が来る。彼の次の作品は1547年になるのだが、それらの作品のなかでとくに注目に値するのはドラマである。それはドイツ語薬にしたがって書かれた聖書聖書のユディット Judith を主題にした劇と、ボッカチオに刺激を受けた劇『美しい誓い』 Hra pknejch pYipovídek とである。計画的な仕事のなかで注目すべきものは、ボッカチオの物語『愚かなシモン』 OCimonovi hlúpém (1509)、につけ加えられた付記である。それで彼はルネサンスの「年代記」、とくに恋愛を内容としたものを訳す正当性を主張している。コナーチュはこの種の主題にたいする擁護論をきわめて巧妙に論理づけている。「愛や色恋沙汰が修められている文学が、それらのせいで非難されなければならぬものならば、よに普及いている聖書も非難されなければならなくなるだろう。それは楽しい本の古い原理(聖書)である」――なぜなら、それらの本のなかにエロチックな事件がたくさん集められているからである。
  コナーチュが素朴な民衆からけっして目をそらさなかったこと、また時代の転換期にいたという立場から言って、コナーチュはヒネク・ス・ポジェブラットを思い起こさせ、文学の民衆歌の領域でイニシアティヴを取ることによって、後のヴェレスラヴィーンと同じような位置を占めることになった。だが次の相違点はとくに似んしs記しておく必要がある。つまり人間主義の第一世代の作家としてコナーチュは他の同世代の作家と同様、われわれに翻訳の形で紹介してくれた外国作品の選択に際して、すぐれた手本をもっていたが、ヴェレスラヴィーンの世代になると、すでに選択において適切な手本を外国にすらもっていなかったということである。


  生活の実践への文学の指向は、とくに「教養的かつ教育的意図」の書物の愛好となって現われた。その一つは宗教的性格の作品であり、いま一つは道徳的教育作品である。第一の領域で大きな功績があったのは Luká&353; Pra&382;ský である。彼は友愛団 jednota bratrská の一員であるとともにすぐれたオーガナイザーだった。友愛団本来の厳格主義に反対し、生活実践への方向づけが団体のなかで勝ちを収め(団体のメンバーにたいして役職につくこと、戦争に行くこと、その他が許された)。これまでは真のキリスト教徒には不要として拒否されていた高等教育にたいする関心が許されたのは彼の功績だった。道徳教育的書物は、たとえばヤン・チェシュカ Jan &268;e&353;ka(古代の作者の作品集を編纂した)が広めた。この分類のなかに、すでに述べたヒネク・ス・ポジェブラットの詩による教育的作品『両親への教訓』『怠け者の鏡』がはいっている。これと表裏の関係をなすのが文学にたいする世俗人の関心である(つまり具体的生活を扱った文学)。その証拠となるのが印刷による数多くの世俗的主題の作品の出版である(『トロイ年代記』『イソップ寓話』『馬丁と学生』その他)。こうして見てわかるとおり、聖職者たちはチェコ文化生活におけるかつての主導的役割を失っている。
  この時代に外国にたいする関心が依然として続いていたことは、旅行記作品のなかに見られる。リトミシュル時代のごく平凡な職人マルティン・カバートニークの『エルサレムとエジプトへの旅』は民衆的な性格をもっている。彼はまだ損なわれていないオリジナルなキリスト教の支配する東方の国をつぶさに見聞するために、友愛団によって旅に送り出される。また、友愛団のメンバーのおかげで『新しい土地と新世界にかんする書』がラテン語から翻訳された。これはアメリカへの旅を扱っている。
  相変わらず重要な役割を演じているのは歌の作品である。とくに聖杯派(たとえば、ヴァーツラフ・ミジーンスキー)や新しい友愛団がはぐくんだ宗教的意図をもった歌である。歌のテキストはしばしば民衆的性格をもち、その旋律(メロディー)は世俗化用のなかに求められていた。最も重要な歌は16世紀初頭以後に現われた讃美歌集の中に収められており、それはチェコ文学の独特の領域に属している(とくに「白山」以後の時代)。同時にそれらの歌の作者たちの際立った芸術的水準を示している。
  広範囲の大衆を対象とした作品のなかには「社会批判」も現われ、たとえば、酒飲み仲間の規約をパロディー風に構成したいわゆる『フランタの掟』のなかでのように戯画的に表現したものが少なくない。

まず第一条、食うもの、飲むものに未練を残さぬよう、思いっきり聞こし召せ。そうすりゃ、未練たらしく病を引きずらせることもなく、あっさり楽に死ねるだろう。ご覧なされ、たくさんの者たちが喜んで飲み、椅子やベンチにぐったりしてござる。みなさんは、もう、お休みだ。はてさて、あのお方は息もしてござらぬようじゃ。こんな具合にいくならば、医者の掛かりも葬式代も、お斎(とき)の費用も安上がりじゃ。そうとも聖書にもあるとおり、称えるべきは神の胃ぶくろなり。同じく諸君にお願いしよう。昼寝はなしなんて了見はなしにしよう。そうすりゃ夜おそくまで仲間と飲めるし、遊んだり、女口説きにも行けようというもんだ。同じく寝るにしたって聖復活祭の前の晩でもないかぎり、自分でベッドの用意をするなど止めること。シャツもコートも靴下も、着たままごろんとなるがいい。ときにゃベッドに直角に、ときには足と頭をさかさまに、こんなふうに習慣などに頓着しなきゃ、明日は服を着てても休業だ。

  作品のなかには、飲み仲間の規約の「よりよい理解のため」の小さな物語が挿入されていて、この世界の力のあるものに反抗して、富や搾取にたいして盛んに毒舌をふりまいている。また信心深く、お行儀のいい市民像にたいしても毒づく一方で、宗教にたいする嘲笑的な姿勢もありありと見てとれる(パロディー風な聖書の引用――引用例参照)。これにより、何よりも地上的生活にたいするオプティミスティックな関係と世俗大衆にたいする関心が前面に押し出されている。



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