(1) 文学の新たな発展のはじまり


文学の新たな発展のはじまりの時機を15世紀の70年代から、16世紀の20年代に区切ることができる。この時代にふたたびヤゲロネッツ家支配の封建主義が確立するが、もちろん上級貴族と市民のあいだの抗争を避けるわけには行かなかった。それに加えて農奴たちも黙ってはいず、その反発を一揆という形で表明した。一方、封建支配者たちもかつての生活様式はとっくに失っていたものの、統合した貴族領を基盤とする自己勢力圏内で農業経営に努力していた。しかし、諸都市における職能と商業の発展は新しい社会秩序、つまり資本主義の登場を示唆していた。チェコ領内における諸都市は決定的な経済的かつ政治的権力を獲得してはいなかったものの、無視はできない一つの要因とはなっていた。しかし文化領域においては諸都市は主導的地位にあり、それは「白山」のときまで維持される。その痕跡は白山事件(1620年)の後もなお長いあいだはっきり認められるのである。
文化生活は一面において、イタリア、ドイツの文化に張り合おうとする努力によって導かれている。他方その特徴は、古い要素と新しい要素との共存であり、それはわが国の伝統にたいする姿勢についてもいえる。質的には新しい要素とは当時のヨーロッパのルネサンス的教養であり、イタリア・ルネサンスを手本に古代文化遺産を再興して、封建的教会文化を世俗的文化にとって替えようとする努力であった。それゆえに新しい世界観の先駆者たち、いわゆる人間主義者たちは、かつての、ただひとえに神を認識するのみという中世的関心を人間にたいする関心へと改めようと努力し、文化といわず政治といわず、あらゆる分野で体系的に古代研究に取り組み、そして、もちろん創造方法によって、とりわけ古代の価値観を模倣しようとつとめたのである。それは近代的科学原理「アド・フォンテース」(根源へ返れ)の萌芽期であった。この原理は演繹的思考法と受動的信仰のおわりを意味し、能動的、理性的人間活動と結びついた物質的研究(material study)を強調したものである。個人、理性、独自の思想の強調――それは新時代を目指す人類発展にとってルネサンス最大の投資であった。
 わが国の文化にとっての損失は、チェコ国内では「改革」がルネサンスを圧倒したことである。「改革」は中世的思想よりも高い発展段階にあったとはいえ、それでもなお、新しい段階に達した社会の現実的問題を宗教の「正常化」によって解決しようという努力は、ルネサンスの努力よりははるかに後ろ向きのものであった。たとえ改革派の思想化がヒントを求めて、はるかなる過去へ(人間主義者と同様に)逆戻りして、原始キリスト数のなかに、なんでもいいから「清浄化」された宗教のモデルを探し当てたとしても、そんな宗教は生まれようとしていた資本主義のイデオロギーにはけっしてならないし、なりえもしたかったろう。それは封建世界に属するものである。





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