シェルさん物語 Shelly, My Love - 愛猫 シェルさんについてのコラム -

シェルさん物語

  • 最高の誕生日
  • シェルさんの名前
  • 相性 -NEW!-

  • シェルさんと私
    ここには,私の愛猫シェルさんについて,シェルさん版の「アブサン物語」のようなものを....と思いながら書いている駄文の数々をアップしています。

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    最高の誕生日

    シェルさんが我が家に来たのは,私が18歳の時だった。 正確な日にちは憶えていないが,7月20日前後だったと思う。

    私は当時,高校卒業後に就職する予定で,次の年には社会人になる予定だった(結局はその後9年も大学生をしてたんだが/笑)。 そんな状況の中,私の親が「最後の誕生日プレゼントは何がいい?」と訊いてきた。 当時は,地元に就職するつもりだったし,「猫がいい」と即答した。

    シェルさんが来る前にも,猫は何度か飼っていた。 シェルさんの1代前は牡猫で,私が15ぐらいの時にフラーッといなくなってしまった。 それ以来,早く新しい猫を飼いたくてしようがないという衝動に駆られていたように記憶している。

    しかし,私の家族は,私と,しいて挙げれば当時健在だった祖父が猫派と呼べるレベルで,父親は完全な犬派,他の家族もどちらかというと犬派の雰囲気を持っていたこともあり,しばらく猫のいない生活を過ごしていた。

    元々物欲がない方だし,当時は土日のバイトで年間100万近い収入があったということもあって,この親の提案にならない手はないと思っての即答だった。そして,猫を譲ってくれるところを探した。 どうして,シェルさんの居た家がリストアップされたかを正確には憶えていないが,新聞か何かで「猫,差し上げます」みたいなコーナーから探し出したような気がする。

    かくして,私は両親とシェルさんを貰いに行った。
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    7月某日の夕方,その家に着いた。 すると,その家から,子猫を抱いた家族のような集団が,出てきた。 白地に少し茶色の模様が入った子猫を小学生ぐらいの子供が抱いていたような気がする。 その子猫と一瞬目が合い,綺麗なブルーの瞳だな...と思った。

    家にはいると,入り口に飼い主と親猫がいた。 親猫は,シェムの混じったような雑種で,同じくブルーの瞳をしていたと記憶している。 シェルさんよりも美猫だったようなイメージが今でもある。

    私たちは,牡猫を求めていた。 我が家では,牡を飼うのが習慣だったし,まだ少なくとも我が家では,避妊手術というものに対する概念がなかった。 正確には動物を病院に連れて行くということはお金が勿体ないという感覚があった。 私も正直,この時は牡猫が欲しかった。 しかし,そこの家の人は, 「今,貰って行かれた子が最後の牡でして....」 と言った。 その時,−次を探さなくちゃ−と思った。 牡が欲しかったというのもあったし,両親も牝は子供を産むからダメだと言うと思ったからだ。 しかし,父親が言う 「牝でもいいんじゃないか?」 ちょっと吃驚した。 そして,ちょっと迷ったことも憶えている。 しかし,結局貰って帰ることにした。

    まだ小さいシェルさんを抱いて車の後部座席に乗った。 辺りはもうすっかり暗くなっていた。 貰いに行った家は,我が家から車で20〜30分のところにあったんだが,シェルさんは,帰る途中,ずっと私の膝の上にいた。 ミャーとも鳴かなかった気がする。

    家まであと少しの距離になったとき,ふと膝の上のシェルさんを見下げた。 暗がりで瞳孔が大きく開いた綺麗な青い瞳がじーっと私を見ていた。 いつから私を見ていたかはわからない。 でも,今考えると車に乗ってからずっと私を見ていたんじゃないかと思っている。 このときのシェルさんの顔は忘れられない。 この人とこれから暮らすのかなどと思っていたのかもしれない。 少しキョトンとして,少し不安げな顔だった。

    人間相手には経験したことがないが,一目惚れというか,絆というか,このとき,そんなイメージを感じた。 シェルさんと生活していく過程で,それが単なる錯覚でないことに気づいた(シェルさんがどう思っているかは知らない。同じように思ってくれていれば嬉しいが)。

    そんな,なかなか得ることの出来ないものを得た最高の誕生日だった。

    同じようなことを COLUMN にも数年前書きました。


    シェルさんの名前

    シェルさんは,「シェル」さんと呼ばれるが,正確には「シェル」という名前ではない。 勿論「アブサン物語」の「アブサン」のように「さん」の部分が名前の一部というわけではない。 ただこれには,少なからず「アブサン」の影響がある。これについては後述する。

    シェルさんの本当の名前は,「シェリー」という。 シェルさんの「シェル」という部分は,その「シェリー」の短縮形みたいなものだ。 「シェリー」と名付けたものの,実際には,付けた私でさえもシェリーと呼ぶことはほとんど無かったりするので,「本当の名前」というものにいくらの意味があるかは怪しいところだが(笑)

    因みに英語表記は Shelly としている。 書き方はこの他にも Sherry と Shelley というパターンが考えられるが,Shelly が正しいスペルである。 Shelley というのが,一般的に人名に使う表記だと思う。 Sherry はシェリー酒という意味で,アブサンがお酒の名前が元になったことを考えれば,これを使うというのも趣がある。 一方で Shelly というのは,貝殻の多いみたいな意味の形容詞で,意味を考えると名前らしくない。 しかし,シェルさんは,実際には,「シェル」と呼ばれる。 つまり,Sherr は意味をなさないが,Shell は貝殻という意味になる。 私の中で貝殻が綺麗なイメージでシェルさんと繋がって,表記は Shelly になった。

    つまり,これは完全な後付けだったりする(なら,名前も後で付いたシェルでいいんじゃないかと言われそうだが/笑)。 因みに,人にシェルさんの名前を「シェル」として紹介すると,よく「猫の名前って,JOMOだっけ?出光だっけ?」とからかわれたりした。

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    では,なぜ「シェリー」になったのか。 実は,私の実家では,猫の名前は「ジュニア」,犬の名前は「モグ」という暗黙のルールのようなものがあった。 シェルさんも特に私が付けなければ,「ジュニア」になっていたはずだし,祖父などは,「ニア(ジュニアの短縮形)」とずっと呼んでいた。 因みに「ジュニア」というのは,漫画「じゃりんこチエ」に登場する猫の名前が由来で,一時期我が家には2匹の猫がいたことがあるのだが,その時は同じく「じゃりんこチエ」から「小鉄」という名前を付けられた。

    シェルさんについては,別に「ジュニア」という名前がイヤでイヤでしようがなかったというわけで,別の名前を付けたわけではない。 しかし,「ジュニア」と付けることは,最初から考えていなかった。 自分で,名前を付けたかったのだ。 今考えれば,要は,家族が付けた名前ではなく,自分の付けた名前で,その猫を独占した気分になりたかったんじゃないかと思う。

    そんな理由で,名前を色々考えた。 シェルさんの青い瞳から,イメージは外国人ぽい名前にしようと思った。 しかし,いざ考えるとなかなか浮かばない。 本などから,外国人ぽくて,女性らしい名前を幾つかピックアップしたが,なかなか決まらなかったような気がする。

    最終的に,シェリーという名前は,当時好きだったアーティスト松岡英明のアルバム名「シェリーと夏と僕」から拝借した。 同名の曲も好きだったし,「シェリー」という響きが,何となく前述の「外国人ぽくて,女性らしい」というイメージに私の中でぴったりはまった気がした。

    因みに,シェルさんへの愛情が日に日に大きくなるにつれて,名前を拝借した「シェリーと夏と僕」という曲も私の中で名曲化した。 しかし,あとから聴き直すと,これは別れの曲で,それを聴くとシェルさんと離ればなれになりそうな気がして,出来るだけ聴かないようにしていたりもする(笑) なんて名前を付けたんだ....と後でちょっぴり後悔したこともある。

    松岡英明: シェリーと夏と僕
    1992.5.21 EPIC/SONY RECORDS
    彼のアルバムとしては,彼自身が手がけている Kiss Kiss には敵わないが,良いアルバムである。多分現在は廃盤。


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    斯くして,名前は「シェリー」に決まった。 しかし,家族の誰もが「シェリー」とは呼ばなかった。 前述のように祖父などは,別の名前で呼んでいたぐらいだ。 言いにくい,呼びにくいという理由だった。

    しかし名前を変えるつもりはなかったので,いつの間にか折衷案のような形で「シェル」と呼ぶようになった。

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    シェルさんは,「シェル」と呼ばれるようになって,ずっと「シェルさん」だったかというと実はそうではない。 最初は誰も「シェルさん」とは呼ばなかった。 みんな,「シェル」と呼び捨てにしていた。 勿論,私でさえも「さん」付けで呼んでいない。

    いつだったか,正確な年は憶えていないが,シェルさんがウチに来て,数年後に東芝日曜劇場で「カミさんの悪口」というドラマが始まった。 これは,「アブサン物語」の原作者村松友視氏の小説を基にしたものであり,ドラマにも「アブサン」という猫が出てくる。 これは勿論,村松氏の飼い猫アブサンが基になっているのだが,実は私はこのドラマを見ていないし(というかTV自体をあまり見ないし),当然の事ながら「アブサン物語」を知るのはかなり先の話である。

    このドラマは,確か母親が見ていたんだと思うんだが,「猫がさん付けで呼ばれるなんていい身分ね」と私に言ったのがシェルさんに「さん」を付けるきっかけだった。 実際には,「アブサン」というのは,「アブ」さんではなく「アブサン」という名前なので,誤解から生まれた「さん」付けなんだが,活字で読んでいないので,私も母親も敬称の「さん」だと解釈してしまったわけだ。

    それ以来,私はずっと「シェルさん」と呼んでいる。 家族は「さん」を付けたり,付けなかったりだが。

    名前を付けると愛着が湧くように,「さん」と付けると擬人化され,さらに親しみが湧く。 大島弓子氏の漫画「ぐーぐーだって猫である」にもあったが,いつの間にかシェルさんの食べるものは「えさ」ではなく「ごはん」と呼ぶようになった。 こうやって,人間は「動物」や「ペット」という概念ではなく,「家族」や「親友」としてどんどん親近感を増していくのだろう。

    人間とは単純なものだ。



    相性

    シェルさんが我が家に来たとき,生まれてどのくらい経っていたのだろう。そんなに大きくなかったと思うので,精々生後2〜3ヶ月ぐらいかもしれない。 当然といえば当然だが,とりあえず,見るからに子猫という感じだった。

    当時,私の部屋は,実家の二階にあった。 古い家で,二階へは急な階段を上がる必要があった。 そのため,猫たちは,ある程度大きくなるまで,二階に自力で上がることが出来なかった。 過去の猫たちがそうだったので,シェルさんもそうだろうと思い,貰って帰った日は,一階に寝床を作り,そこで眠らせるつもりだった。

    しかし,その予想は,嬉しいほどに裏切られた。

    サクサクと階段を上って私の部屋に来たのだ。 シェルさんにしてみれば,ただ単に興味津々と階段を上っただけなのかもしれないが,自分の後を付いてきて,慕われているような気分になり,愛情がグッと深まったのを憶えている。

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    階段を上がってきたシェルさんは,あっちこっちを見回した後,私のベットの下に潜っていった。 当時の私のベットの下というのは入らないものを詰め込む場所で(笑),使わなくなったバックや本,雑貨などがごった返し,そこに埃が塵も積もって,自分で言うのも何だが,とても汚かった。

    今,綺麗好きな奥様がみたら卒倒したかもしれない(笑)

    とりあえず,本当にゴミゴミした一帯で,そこに入っていって出てこないので心配したが,どうやら,そのゴミの山のどこかに自分で寝床を作って眠ってしまったらしい。 引っ張り出して起こすのも可哀想なので,そのまま,その夜はそこで眠ってもらことにした。

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    シェルさんは,それ以降も,こういうゴミゴミとしたところに好んで自分の寝城を作った。 部屋の隅とか奥の方が好きな猫というのはよく聞く気がするが,シェルさんの場合,そういう一般的な猫が好きそうな場所が好きなのではなく,とりあえずモノがドサッとある場所が好きなようだ。 押入の中の色んなモノが入った段ボールとかも好んで寝床にする。

    だから私の部屋に真っ先にやってきたのかもしれない(笑) 褒められた話ではないが,そういう面で私とシェルさんの相性は良かったのだ。

    しかし,最初はそんなことは思わないので,「こんな汚いところじゃ眠りにくいでしょ」といって,シェルさんが眠っているところを片づけたりもした。 するとそこで眠らなくなるのだ。 「さっきのこのゴミゴミ感が心地いいのよ」と言わんばかりに,その場所に見向きもしなくなる。

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    話をシェルさんが来たときに戻そう。

    シェルさんは,ウチにやってきて,二階の私の部屋に上がり,汚いベッドのしたに寝床を作って,一夜を過ごした。 翌朝,私は普通通りに学校に行った。 私が学校に行っている間,シェルさんが何をしていたのかは知らない。 起きて,ご飯を貰って,もしかしたら外に探検に行ったかもしれない。

    学校から帰ってきて,シェルさんを探す。 家の中を見回すが,見あたらない。 外に出て,探してみるが見あたらない。 ウチに来て二日目なので,名前も確定していないし,呼ばれる方も自分の名前を認識していないので,呼びようもない。

    我が家は国道沿いで,飼い猫は車に轢かれることが多く,心配になって歩道から左右を見渡したりもした。 しかし,見つからない。 寂しくなって,元の家に戻ろうと迷子になったりしてないよなと本当に心配になる。

    また暫くしたら,探しに行こうと思い,部屋に戻る。 そこでふと思いついた。

    「まさか,眠ったままなんてことは....」と布団をどけて,ベッドの底板をはぐる。 するとそこで毛繕いを一生懸命していた(笑)

    ホッと安堵する私を,「何?何か用でも?」とキョトンとした顔で見つめ返す。

    シェルさんがその後も好んでそこで眠っていたので,週末ぐらいにベッドの下の大掃除を敢行した。 すると先述の通り,綺麗になったベッド下にはぱったりと興味を示さなくなった。

    そんなゴミゴミとしたところが好きというシェルさんの性質を知ってからは,シェルさんが好んでいくところは,出来るだけそのままにしておくように心がけた。

    よって,私の部屋が汚いのは,シェルさんのためなのです。 決して掃除をサボっているわけではなく(笑)