(十三)

 由里子の“推理”はこれまで拙い文で書き連ねてきたことでほとんど全部といっても構わないであろう。しかし、私はこの文を書き始めた冒頭で、由里子から『自分の耳を疑いたくなるような告白を聞いた』と書き、そのことによって私自信もまた困惑していると書いたはずである。
 ここまではそれが必要と思われたから、長々と由里子の“推理”を書いてきただけであって、肝腎の『告白』に関してはまだ何も触れられていないのである。
 私自信、由里子の“推理”はひとつの考え方としてはおもしろいものかもしれないと思い、それだけであれば何も困惑することもなかったであろう。もちろん、由里子の“推理”にもいくつかの疑問を差し挟むことはできたかもしれないし、由里子自身が金田一耕助の“推理”を物的証拠がなさすぎると断じたのと全く同じように、由里子の“推理”もまた何の物的証拠があるわけでもない机上の話しに過ぎず、論拠の前提があまりにも薄いような気がしていたが、由里子が“推理”を私に話して聞かせることによって満足するのなら、あえて反論するようなことをせずとも、聞いてやるだけでもいいのであろう…くらいに簡単に思っていたのであった。
 最後まで由里子の話しを聞き続けてきたのは、由里子の“推理”にたいしての必死なまでの真剣さが伝わってきたからでもあるのだが、そのある意味常軌を逸したほどの真剣さがどこからきているものなのかが、この時まで少しも由里子から聞かされておらず、一体何がここまで由里子を突き動かしているのかということが、由里子を腕の中に抱きながら、少し気に掛かっていた。
 日射しと風の心地よさに加え、由里子の話しを最後まで聞きてやれたという満足感みたいなものもあって、私もしばらく由里子を腕に抱いたまま少しウトウトとうたた寝していたのかもしれない。
「…………って、どうなったか興味ない?」
 という声を聞いて、フっと気がついてみると、由里子が私の胸のうえで顔をあげて微笑んでいた。
「ごめん、ちょっと寝ちゃってた…。今、なにが、興味ない?って聞いてたの?」
「事件の後、青池歌名雄がどうなったか…興味ないかって聞いたの」
「青池歌名雄?…そ、そりゃ、興味があるのかないのかって聞かれたら、そりゃぁ興味はあるけど…だけど、そんなことって…」
 それまで聞かされていた『推理』だけでも手にあまるというのに、そのうえ青池歌名雄が事件の後にどうなったかなんてことまで、想像すらできるわけがなかったが、由里子は謎めいた微笑を浮かべたまま、まるでそんな私の困惑する姿をみて楽しんでいるかのようだった。そして、まるで、お伽話でも話して聞かせるかのような穏やかな声で 「あたしも直接本人から聞いたはなしじゃないんだけど…」
 と、話しを続けはじめた。私は由里子の言う『本人』というのが一体誰を指すことなのか、ちょっとヒヤリとしたものを感じたが、あえてそれを問うことをせずに聞き役に徹しようと決めた。
 青池歌名雄は、事件の後亀の湯を片付けると鬼首村を出て、日下部是也の言葉に誘われるまま、一時東京に出て来たのであった。日下部是也はもちろん歌名雄を歌手なり俳優として育てて売り出したいとの思惑があったのだが、歌名雄としては身の置場のない故郷から逃げ出すこと以外にこれといって目的があって東京に来たわけではなかったので、最初のうちは言われるままに歌のレッスンなども受けたりしていたのだが、やがて、芸能の世界というところが、はからずも華やかなスポットを浴びることにつながるのだということに気付くと、次第にそういった生活を疎んじるようになり、半年あまりでその芸能事務所からも家出同然に飛び出してしまったのということだった。
 事務所を飛び出したものの、行く先があったわけでもなく、また、ほとんど衝動的な行動だったので、金銭的にも逼迫して途方に暮れていた時、鬼首村にいたころ耳にしていた山梨県の葡萄園のことを思い出し、その場で中央本線に飛び乗って山梨県に向かったのだそうである。もちろん山梨県など行ったことなどなかったが、当てなどないことでは東京にいても同じ事とばかりに、行ってからなんとか考えようというくらいのつもりだったのだそうである。
 今と違って、当時はまだ高度成長期にさしかかった頃で、葡萄なども果実観光としてようやく軌道に乗り始めていたころの山梨だったが、歌名雄はそんな山梨県の山の中の風景にどこか故郷と同様の雰囲気を感じたらしく、そのまま山梨県に留まり、農協などからあたって葡萄農家などで働くようになったらしい。
 もちろん、これといって身元を保証するようなものすらもっておらず、どこの馬の骨ともわからぬ若者だったので、警戒されることもしばしばあり、なかなか受け入れられずに苦労したが、鬼首村にいた頃の経験に助けられ、また、真面目な働き振りからも、少しずつ『余所者』ながらも認められるようになったのだそうである。
 歌名雄にとって幸いだったのが、歌名雄が山梨に移って数年の後、石和に温泉が出て、折しも高度成長期で、東京から程近い歓楽温泉地として開けてきた石和にも、東京などからも多くの人や企業が流入してきていた時と重なったため、そういった『余所者』としての立場も更に後から来た人達のおかげでだいぶ薄れていったのだそうであった。
 そんななかで、歌名雄が何度と手伝っていた葡萄農家の主人にたいそう気に入られて、そこの一人娘との結婚話しがでるようになったのだそうである。最初、歌名雄は頑なまでに結婚話しを拒んでいたが、何ヶ月もかけて説得され続けたうえ、その一人娘というのが、また歌名雄にたいしてひたむきな愛情を示しつづけたので、歌名雄もそういった家族の気持ちに懐柔されるようになって結婚することになったのだが、その時に歌名雄自身から養子としてその農家に籍を入れることがひとつだけ条件として提示されたとのことであった。
「…結婚を決める前に、歌名雄は、それまで一言も鬼首村でのことを口にすることはなかったんだけど、始めて自分の素性を話して聞かせたうえで一冊の本をその娘に渡したの…。…それが、あの『悪魔の手毬唄』なの。娘…母はそんな話しを聞かされても歌名雄…父を想う気持ちに変わることはないと言って、父の苦しみをいっしょに癒していくことを決意したんだって。…それから二年後に二人の間に産まれたのが…あたしなの…」
 それまで薄々訝し気な気持ちのまま黙って話しを聞いていたのだが、その最後の一言を聞いた瞬間、胸に杭を撃ち込まれたような衝撃を感じざるを得なかった。
 あぁ、そうなのだ。私に身を寄せて微笑んでいる女は、『悪魔の手毬唄』の犯人が小説の結末どおりではないと確信しているのみならず、自らを青池歌名雄の娘であると言っているのである。


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