(十二)
「じゃ、金田一耕助も里子が犯人ではないかと疑っていたにもかかわらず、リカが犯人だと関係者たちを納得させたってこと?なんだってそんなことを?」
「その方が解決として相応しいと考えてね…。すべてがリカの犯行である場合と、里子が真犯人で、その里子をリカが殺害したんだというのと、じゃ、リカ一人の犯行とした方が、まだ救われる人がいるからじゃないかしら…」
「救われる人?…リカが犯人だとしても、里子が犯人だった場合となにが変わるんだい?被害者にしてみたら何もかわらないだろ」
「被害者側の関係者からしてみればそうかもしれないけど、例えば、…残された歌名雄にしてみたら、母親と妹の二人が殺人を犯していた…というよりは、まだ母親一人のほうが少しは救われるかもしれない。…それと…。…磯川警部も救われる一人かもしれない」
「磯川警部?…なんで警部が?」
「里子を狂気に駆り立てていった理由の一つが、昭和七年の事件のこともあるのなら、昭和七年に殺されたのは、あるいは源治郎ではなくて恩田ではないか…という疑問をもって鬼首村に度々やってきている磯川警部の行動こそが、里子の中に波紋を投げ掛け続けていた要因のひとつになっていたから…って言えないかしら。だって、そうでしょ。そういう疑問をもって身近にあらわれる人がいなければ、疑問にこそ思っていても、他にどうしようもないこととして胸の中におさめておけたかもしれない。でも、磯川警部が鬼首村にあらわれる度に里子の疑問もまた突き動かされ、あるいはその時の当事者でもあった放庵さんへ近付いていくことになったのかもしれないわ…。…村のような閉鎖的な環境の中にいると、そういった外からやってくる要因には乱されることがままあるものなのよ…」
「…それだからって、磯川警部もまた救われるかっていうのは…」
「…この最後に、『失礼しました。警部さん、あなたはリカを愛していられたのですね』っていう金田一耕助の言葉があるわよね。…確かに、警部はリカを想っていたのかもしれない。でも、もともと磯川警部が金田一耕助に鬼首村を紹介した根底には、できることならば昭和七年の事件を解決したいという意志があったわけで、それはとりもなおさず、リカの亭主であった源治郎が被害者ではなく殺人犯であり、今もって行方がわかっていないのかもしれないという疑惑が前提の行動であってのことでしょ。もしこれが磯川警部の思っているとおりだとすれば、それはその様に解明されたとしても、リカにとって喜ばしいこととは決して言えないし、ましてや、後に明らかにされたように、源治郎が恩田であって、それを殺害したのはリカであるということからすれば、絶対に穿り返されたく無い事じゃない。…つまり、そういった磯川警部の思いは、リカを困惑させるものではあっても、決して『リカを愛していられたのですね』なんて言葉には結びつかないものだと思えるの。…だとしたら、別に『リカを愛していられたのですね』と金田一耕助にも気が付くような何かがあったはずなのよ。でも、あまりそういった記述があるわけでもないし、一体なんだろって思ってたんだけど、これまで話してきたみたいに、里子が泰子、文子、放庵殺しの犯人で、それを知ったリカが里子を殺してしまったうえ、里子の罪を自分で背負って自殺したのだとしたら、リカの命を捧げてまでの望みである『リカの単独犯』という『真相』を公表してやることこそが、ひとつのリカへの想いの結実になるんじゃないかって思ったの。…磯川警部としても、あるいは自分が里子を狂気に追いやったかもしれないし、リカが自殺という方法を選ばざるを得なくなるところまで追い詰められてしまうまで、なにも救いの手を差し伸べてあげられなかったのだから、あるいはリカへの贖罪の気持ちもあったのかもしれないけど…」
「…それじゃぁ、磯川警部は、里子が犯人であって、リカの自殺の真相も知ってたってこと?」
「いつ知ったかはわからないけど、そう考えれば、あの『あなたはリカを愛していられたのですね』という言葉も、受け入れられやすいのよ…。金田一耕助はいち早く里子のことも疑っていたにもかかわらず、リカの思いを考えれば、どちらを『真相』として解明してみせればいいのか判断に迷ったのかもしれない。それで苦し紛れにとったのが、あの『討論会』的な事件の説明であって、自分の口から全てを解明してみせるとしたら、あるいは『嘘』をつかなければならなくなっていたかもしれないけど、被害者側の関係者たちが『リカ単独犯説』を自分達から納得して、それを補足してやるくらいのことなら許されると誘導役に甘んじたんじゃないかって考えたの。そうであれば、あの『討論会』がなんですっきりしなのかってことにも、ちょっとその理由がわかったような気がしたの」
「…それで、あの討論会風の解明のしてみせかたが腑に落ちないって言ってたわけか…」
「金田一耕助にとってもひとつの賭けみたいなところがあったかもしれない。…関係者がリカの単独犯説に疑問をもったら嘘を塗り重ねなきゃならないところだったし。…でも、幸いにも思惑どおりリカの単独犯で誰もが納得してくれたし、そうすることで、磯川警部も一応の面子は保てたかもしれない。…前に、金田一耕助の推理が間違っているとかそういうことを言いたいんじゃないって言ってたでしょ。こうして考えてみると、正しくはないかもしれないけど、この場の状況としての判断としたら、金田一耕助のとった解明方法は間違っていないかもしれないし、むしろ、こう言った『解明』を見事に導きとおした金田一耕助は凄いとしか思えないわ…。…だから、あとは一人だけ事情を理解してもらえば、すべては上手くまるく納まるわけ」
「あと一人?」
「この事件の記録記述者であるところの、横溝正史よ」
「えっ!?」
「金田一耕助の事件記録は、全て横溝正史にその資料が渡されて、金田一耕助の了解のもとに書かれているわけでしょ。…だから、この事件の『真相』ももちろん全てが横溝正史には伝えられてると思うし、そうでなければ横溝正史もこれだけのものを書くことはできなかったと思うの。それでいながら、金田一耕助の意図を汲んで、里子が犯人である『真相』よりも、金田一耕助が選んだ『解明』の方をきちんと記述していったんでしょう。そう考えると横溝正史は本当に素晴らしく『リカ単独犯』としてまとめているわ…だから、里子の行動があまり記述されていないといった部分は残ってしまっているし、幾つかの点で気になるところが残らざるを得なかったのも仕方の無いところではあったのかもしれないわね。…一番終わりにあの磯川警部の手紙で締めくくっているのだって、いかにもそういった事情を秘めてますよって言っているような感じしない?…なんにせよ、小説としての『悪魔の手毬唄』は金田一耕助の思惑どおりあまりにも上手く『真相』を隠したまま、リカの単独犯として発表されたってわけなんだわ…」
ここに至って、まさか横溝正史の名前という隠し玉までが持ち出されるとは、さすがに予期していなかっただけに返す言葉すら見つけることができなかった。
由里子は自分の“推理”を話し終えて満足したのか、はたまた単に話し疲れただけなのか、私が何も答えることができないままでいるその胸のなかで、気がつくと小さな寝息を立てていた。
由里子を胸の中で抱いたまま、由里子の話しを整理してみようかと試みてみたが、所詮由里子のように『悪魔の手毬唄』の細部までが頭の中に入っているわけでもない私にそれだけのことができるわけもなく、すぐに諦めてしまい、一つの見方としてはおもしろいかもしれないと受け止めておこうと思いながら、山裾を昇って来る心地よい風を感じながら時間のゆったりと流れている様子を楽しんでいた。
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