スキーが上手くなるためには

 スキーは他のスポーツと同じようにメンタル面、イメージトレーニング、技術面、マテリアルなどさまざまな要素の兼ね合いで上達が左右されます。また同じ時期に初めてもかなりの個人差が生まれます。ここではスキー教師として感じたこと、上達のヒントを考えてみたいと思います。
 なお、あくまで個人的な意見なのでここで述べたことが全て正しいとは限らず、あくまで参考程度にとらえてください。

メンタル面

1)素直な気持ち

 最も重要な部分で、ただ気が強いとか負けず嫌いだけではなく性格的に素直な人が上達が早いようです。
どうしても他人の言う事に耳を傾けられずに自分を通してしまう・・・かなりの上級者が壁を越えられずにいる原因のナンバーワンだと私は考えます。初心者の方も同様の人が多く次のステップへの妨げになっています。自分のイメージと結果としての滑りの違いを人に指摘されても納得できないタイプの人です。このような人にはビデオを映して解説する事が一番なのですが見せた瞬間にやる気を失わせることになりかねません。ひどい人になると「これは俺じゃない!」などと真面目な顔でいう人もいるくらいです(笑)上級者でも年間数多く滑っているにもかかわらず滑りが古めかしい人を見かけることが多くあります。このタイプは人の意見に耳を傾けない人が多いようです。
10年ぶりに会ったけど滑りはあの日のまま・・・結構多いです(笑)
 反対に素直に人の意見を聞き入れとりあえず試してみようという人はメキメキ上達していきます。たとえ大げさにやり過ぎて転んだとしてもそのことによって得るものは計り知れないでしょう。
レッスンにおいて教える側が「うーん、ちょっと」と思うタイプは前者であり形はどうであれやってみようと試みる人は教えがいがあり次のステップに進みやすいのです。
 素直に「やってみようか!」この気持ちが次へのステップにつながります。

2)ものまね上手一樹さんとツーショット

 よく「形から入る」「カッコだけを真似する」という言葉を耳にします。あまり良いイメージはなく悪くとらえがちです。
しかし、私はすべては“ものまね”から始ると思っています。上級者の“ものまね”は、多いにすべきだと考えます。
 以前SAJデモンストレーター渡辺一樹さんと話す機会に恵まれました。渡辺さんはその席で自分のビデオを観ながら「僕はものまねが好きなんですよ、結構ハマリます」といいながら誰々は厚い下駄のようなプレートを試しているとかあのデモはこういう癖をもっているとか非常に他の人の滑りや行動に興味を持って自分の中に取り込もうとしている姿勢が印象的でした。良い意味で貪欲な人という印象を受けました。
自身のビデオの中でも「誰でしょう?」と、数人のものまねをして観ている人に問いかけるシーンがあります。
そう、ミスターデモンストレーターも“ものまね上手”なのです。
 まずは形からでもいいから上手い人のものまねをしてみる。ビデオなどに映して違いを見つけ出し自分の中でよいイメージを把握する事が大切です。デモ等のビデオを観てものまねをやってみましょう!

 

技術面

1)技術習得の心得

 スキーの楽しみ方は多様で、さまざまな価値観や目的があります。技術はそれを達成するための手段ですから、より深い楽しみを自分のものにするため、技術を習得する事が必要になります。
 技術を学ぶのに最も効率的なのは、系統立てられている方法、道筋をたどっていくとこです。自己流ももちろんあるでしょうが、たとえ最終的に達成するところが同じでも習う方が遥かに近道でしょう。しかし「習う」ことは別に強制されるものではありません。どのような方法を取るにしても、スキーヤー自身が学びたい、練習したい、という意欲を持たなければ、学ぶ道は遠回りになってしまします。

2)イメージトレーニング

 最初は目的の課題が「できない」状態にありまあすから、まず目標の技術の形を見たり、聞いたりします。
 次はそのイメージに沿って、実際に身体を動かしてみます(試行)。そこで、実際に行ってみた「感覚」と最初のイメージとの比較検討をすると「違い」が出てきますから、正しい方に「修正」を加えて再び試してみる、といういう繰り返しを行うことになります。
 ただし、このような「繰り返し」の初期段階は、スキーヤー自身で実際とイメージとの違いを見つけ出すことはできません。ですから第三者に外側から見てもらい、適切なアドバイスを、受けれると、練習がスムーズに進むでしょう。
 繰り返しは、見たり聞いたりの知識を感覚化さる作業であり、実感をともなった正しいイメージ作りです。「こういう感じでこうすれば、こんなことができる」という制御の能力がついてくると、次の段階では、自分自身で結果の良し悪しを判断し、修正することができるようになります。目標の技術を何回やっても失敗が少ない、という「正確化」が現れてくるわけです。この正確化が進むと、スキーヤーは滑りながらも失敗にき気付き、すぐに修正できるように、反応が機敏になります。この「反応の確かさ」は、滑りの質と量の経験で身に付きますから、簡単に言えば「速く長く滑る」トレーニングが必要になる訳です。
 反応が早まっていくと、次の段階では、次々に先々で必要な動きかたを読み取っていく能力が生まれてきます。動きの手順など考えなくても、ボタンを押せば全体がちゃんと動く、という仕組みが身体にできて、技術を表現する感覚が整理されるわけです。この事を「自動化」といいます。先のことを読みとり、素早く判断し、適切な動きを決断する、これが技術習得の最終的な段階で、「うまくできる」という能力です。
 高いレベルの目標技術を、全てのスキーヤーが自動化の段階まで進められれば理想なのですが、現実的には「できる」段階を確認したところで、練習することをやめてしまう場合が多いようです。それでもスキーは充分に楽しめるからです。しかしこれは「安全」という面から見ると、大変困ったことです。スキーの事故や傷害の大半の原因は、スキーヤー自身の「判断力と制御能力の欠如」から起こるからです。技術の上達は「いかに高いレベルのスタイルで滑れるか」ではなく「いかに素早く正確に、必要な動作を表現できるか」という、スキーヤー自身の機能の高さに基準をおきたいものです。

上達するスーキー学校選び

 前項でも述べたように第三者による指導は上達への近道になります。
周りに自分より上手い人がいて良きアドバイスを貰えれば一番良いのですがなかなか全ての人がそういう環境にあるとは限りません。
私自身雪国に生まれ子供の頃からスキーを楽しんでいる訳ですが、スキーは習うより慣れるものだと思っていました。事実もの心ついたころから滑っていたので形はどうであれ急斜面、コブ、新雪などどこでも滑れました。
 しかし、越後湯沢のスキー学校にアシスタントでお世話になることで、すぐに今までのキャリアがアシスタント1シーズンにも満たないということに気が付くことになりました。もっと早くちゃんとスキーを習っていたらと後悔しました。
最も上達を早めるには、やはりスキー学校に入校することに間違いないと思います。

 ではどんなスキー学校に入校すれば上達するのでしょう?
これはあくまで個人的な意見として受け止めてください。
よく「○○スキー学校は有名で人が大勢行くからそこがいい」とか、「スキー場が大きいから決めた」という話を耳にします。私自身大きなスキー場で何度も教えた事があります。大きなスキー場はゲレンデは広いし、いろいろなシュチエーションを体験できます。身になることは多いと思います。

 しかし、ここで注意することは1班の人数(教わる生徒の数)と教えるスキー教師のレベルです。
大切な休日とお金を無駄にしないためには充分な下調べが必要かと思います。
経験上全員を完全に満足させるレッスン内容にするには5人までが限界と考えています。それ以上だと1人1人に充分な滑走量とアドバイスが行き渡りません。やはり人数が少ない方が内容のあるレッスンになります。
 もう一つの要素スキー教師のレベルですがこちらも非常に重要です。フリーでよそのスキー場でレッスンしている教師を見かけると、いいスキー教師もいますが目を覆いたくなる光景に出くわす(笑)場合も正直少なくありません。大勢の生徒さんを前に「よくこんなレッスンができるな」と腹立つ場合もあります。お金を払う生徒さんは教師を選ぶ権利があると私は思います。
 SAJであれば有資格者(準指導員・正指導員)が望ましいでしょう。厳しい実技・学科試験をパスして、教えるスキーを体得している教師が望ましいのです。

 上記のこを踏まえると内容が伴うスキー学校選びが大切です。
事前にスキー場でレッスンを見るのもいいと思いますし、電話で平均の1班の人数及び教えてくれる先生のことは確認しておいたほうがよいでしょう。そのほうがせっかくの休暇を有効に使えると思います。

スキーが上手いともてるの?

 “私をスキーに連れてって”この映画を知っている人も多いと思います。私をスキーにつれてって!
 もう20年前にはやった映画ですが何回も観たという人も少なくないでしょう。ユーミンの曲があちこちのゲレンデに流れ私がよく行く苗場スキー場では「コブの数より人の数が多い」などといわれ空前のスキーブームになりました。誰もが上手くスキーを操ってカッコよく三上博史になりたかった時代です。
 映画を観ている限り“スキーが上手い=モテル”の印象を受けた人は大勢いたでしょう。
当時まだスキー教師をしていなかった私もその1人でした。「スキーを上手くなりたい」密かにそう思いました。

 私は越後湯沢のスキースクールにお世話になって、いよいよアシスタントとしてスキーを教え始めました。スキーブームも手伝って日本有数のリゾート地「越後湯沢」は華やいでいました。まだ若かった私も希望に満ちていました。ボードはまだはやっていませんでしたので若い女性は全員スキーヤーです。

 ある日の飲み会の席で先輩が「スキーやっていてモテたことないんだよなぁー」と呟いて「お前らどうだ?」と、みんなに聞きました。
先輩は背は高く、顔は俳優なみで性格はクールで優しい、車はスポーツカー、スキーはメチャメチャ上手い、まったく火の打ち所がないくらいのいい男です。
意外な話に周囲は驚きました。そして「俺も」、「俺も」と周りで賛同したのです。
 「なぜスキーが上手いのにモテないのだろー」その日以来私のテーマの一つになりました。

 自分なりに理由を考えてみました。
そう、ゲレンデに立つとスキーのことで頭がいっぱいになり振り返って見るのは自分のシュプールなのです。美しい女性を見ても滑り方(こうすればもっと上手く滑れるのに、など)が頭をよぎり顔やスタイルは二の次です。リフトに乗っている時、ゲレンデで話している時、スキーを終えお酒を飲んでいる時、出てくる話はスキーの技術論がほとんどです。
スキーを真面目に?やればやるほどその傾向が強くなるのです。これでは普通の人?は寄り付かないですよね。

 現在は私の若い時と違いスノーボードが若者に人気があるようです。
リフトで若い女性ボーダーに「ボードは最高に面白いですよ!」と話し掛けられました。「彼もあまり上手くないけどみんなで楽しくやっていて毎週来てます(^。^)」
「私はほとんど滑れないから話してるだけ、でもボードが好きです。」
楽しそうに話してくれました。
 技術を追求するのも楽しみの一つだし友達との雪の上でのダベリングも楽しみのうちですね。スキー、ボードにこだわらずゲレンデがにぎやかなのは個人的に大歓迎です。 

スキーに向く体とは

 私が越後湯沢でスキーの修行をしている時に先輩から「お前は体が硬くてスキーには向かない」とか、よく通うスキーショップに「スキーをする足の形してねーな」などと言われたことがあります。
これから準指導員を目指す当時の私はこれらを間に受け悩んだこともありました。
自分より上手い人に指摘されるのは素直に聞くタイプだったので(笑)「そうか、俺はスキーを上手くなれない体なのか」などと思いました。

 具体的にはO脚で体が硬く(前屈しても指先がまったくつま先に届かない)スキーには向かないという指摘でした。
確かに脚に癖がなく、体が柔らかいに越した事はありません。しかしそれらにこだわるのはナンセンスだと思います。顔と同じで体の形、足型は個人差がかなりあります。

 「スキーに向かない?」体を持つ私はなんの体型的な支障もなくSAJ正指導員になり「体が硬いと怪我ばかり」と言われましたが30年以上のスキー暦で怪我らしい怪我は一度もありません。
そればかりか私がお世話になってきた2つのスキー学校の校長は私以上に体が硬いのです。(前屈では大変なことになります)(゚o゚)
二人とも物凄くスキーが上手く柔らかいスキーをします。100キロ近いワールドカップレーサーもいれば、物凄いO脚、X脚のデモンストレーターもいます。自分の体型にこだわり悩むことほどナンセンスなことは無いのいです。
 生徒さんからよく「スキーには向かないんでしょうか?」などと相談されますが。「そんなことはありません。スキーに向く、向かないはないんですよ。」と答えるようにしています。私の体験から判断した素直な気持ちです。

ハンディキャップは不幸?

 私が湯沢のスキー学校でお世話になりたてで二回目のレッスンだったと思います。
中学生の男の子で脳性麻痺が原因で手が不自由、視力障害と脳に傷害を持った子供さんを教えることになりました。
スキーの腕前はリフトには乗れないけど八の字で滑れる程度です。
 朝一受け持つ事が言い渡されビックリしました。なにしろ身長体重が私と同じ位でしかも傷害を持っているとのことなのでまだ二回目の自分では役不足ではないかと思いました。

 ご両親に朝の挨拶を済ませレッスンに・・・
悪戦苦闘でした。言葉は通じない上に目があまり見えないので体当たりレッスンで二人で転びながら汗だくになりながら滑りました。レッスン内容は思いだせませんがとにかく汗だくになったのを覚えています。身体は不自由なのですが前向きな子で身振り手振りで「休む」と聞いても首を横に振ります。
「はぁはぁ」いいながら笑顔でがんばってくれました。
 1日教えて何とかリフトに乗るところまでいきました。ご両親に「一生懸命がんばってリフトに乗られるようになりました。」と報告すると「偉かったよ、見てたよ、よくがんばったね!」誇らしげに息子の肩を叩きました。
お父さんは「やればできるんだよ!!」と自分の息子を誉めました。
お母さんは涙ぐんでいたのを覚えています。
「やればできるんだ!」自分の中に響きました。「そうか、俺もがんばれば何とかなるんだ」幸せそうな3人を見送りながら指導員になる決意をしました。
 

 私の会社に元パラリンピックの日本代表のM氏がいます。
日本代表で2度パラリンピックに出場し引退してからは全日本のコーチをしている方です。
私もよくプライベートでスキー場でお会いし何度も指導していただきました。
19歳の時バイク事故で左足の大腿部から切断、身体傷害者になったMさん。本格的にスキーを始めたのは事故後だそうです。
果敢にコブや不正地に挑む姿は私の心を熱くします。
「どうだ、上手くなったか?」私の顔を見るたびに笑顔で聞いてきます。
自分の近況を(正指をとったとか、ポールの大会で転倒したなど、)Mさんに話すことが楽しみ、いや話したくてしょうがないのです。心のどこかで尊敬するMさんに認めてもらいたいと思っているのかもしれません。
 Mさんも「何事も最初から上手くはいかない、あきらめずに続けていけば結果は後からついてくる。」そうおしゃっていました。前向きな人で “日の丸” を背負い世界と戦ってきたMさんの言葉は重みがあります。

 身体が不自由で“ハンディキャップをもっているから不幸?”と考えるのはどうかと思います。
私自身、前記のレッスンで多くを学びましたし、「やればできる!」ということもわかりました。

本当の不幸は “感動を得られない心の貧しい人”かもしれません。

考えるスキーを目指そう

アシスタントスタッフになりたての頃ライバル達に負けまいと朝一のリフトに乗り、昼食の時間を惜しみ、夜はナイターを滑るという繰り返しでした。
滑走量が上手くなる最も重要な要素だと考えていたからです。スキー
ある意味間違いではなかったし抱負な滑走量は自信にもつながります。
 しかし、反面「おまえセンスねーなぁーもうちょっと頭使え!」、「滑りがちっともかわんねーなぁ」などさんざんな言われかたでした。 『あんなに努力してるのに・・・』いつも心の中で呟いていました。
準指導員を目指していた若い私には “滑りが変わらない” “上達が遅い” は致命的な問題でした。

考える人 私に転機が訪れました。ある先輩との出会いです。常に「今どういう意識で滑った?」「舵取りのマキシマムはどこ?」「小回りの落差はこの斜面でどれくらい設定する?」などいろいろ質問責めにするのです。滑る時間より考えている時間の方が多くなっていったのです。

 最初のうちは質問に答えられずに苦笑いだけでしたがシーズン半ばになると気がつくとリフトの上だろうが風呂の中だろうがスキーの技術について考えるような癖がつくようになりました。
次第に自分のなかでイメージが組み立てられるようになったのです。
頭で考えながらいろんな滑りを試すようになっていきました。
 こうなると、しめたものです。あとはイメージに自分の滑りを近づけていけばいいのです。
飛躍的に私の技術は進歩しました。同時に考える楽しさもわかり始めたのです。
 人と自分の滑りの違いを考えながら工夫する気持ちでスキーをすることが大切であり、1回の滑りが何回分もの価値につながると思います。

「考えるスキーを目指しましょう!」