ハイドローリックリフトとその意義

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 本稿は、第20回気象環境研究会「農業水資源の潜在量評価と有効利用」(農業環境技術研究所)の中で著者が発表した内容をタイトルも含め改変したものである。

1.ハイドローリックリフトと土壌水の再配分
 水ポテンシャル勾配に従い,湿潤な土壌から乾燥土壌へ植物の根を介して水が輸送される現象はいくつかの初期の研究により知られていた(Bormann, 1957).このような水移動はreverse flowなどと呼ばれ蒸散要求の低い主として夜間に生じることが知られている.特に,水が湿潤下層土から乾燥表層へ根を介して移動するとき,その現象はハイドローリックリフト(hydraulic lift)と呼ばれている(Richards and Caldwell, 1987).ハイドローリックリフトは熱帯を含む種々な気候帯から木本・草本を含め60種近い植物で確認されてきた(Jackson et al., 2000).一方,湿潤表土から乾燥下層土への根を介した水の輸送現象が存在することが近年認められた.この現象はreverse of hydraulic lift (Schultze et al., 1998)やdownward siphoning (Smith et al., 1999)と称されている.このような現象の存在は,湿潤下層土や降雨後の表土(透水性の低い土壌の場合)に存在する水が根により再配分(hydraulic redistribution, Burgess et al., 1998)されることを示している.

2.ハイドローリックリフトの証拠と定量的評価
 根の逆流現象の存在は以下に示すような人工条件下や自然条件下で明らかにされてきた.
@ 乾湿根圏層を有する実験装置(split-root system)により乾燥側土壌の水分変化を測定(たとえばBaker and van Bavel; 1986, 1988).
A 根内水流測定:これには自然条件下の樹木でヒートパルス法により測定した例や(Burgess et al., 1998),split-root system での茎熱収支法(Sakuratani, 1981)による測定(小沢, 1998;Sakuratani et al., 1999)などがある.
B 自然条件下での土壌水ポテンシャルの日変化測定(Richards and Caldwell, 1987; Dawson, 1993).
C 水素安定同位体の利用:ハイドローリックリフトが検出できるのみならず,上昇水の近傍作物による利用も確認可能である(Caldwell and Richard, 1989; Sekiya and Yano, 2003, 太田,2003).
 Caldwell et al.(1998) は圃場や実験室でなされた既往の研究を整理し,ハイドローリックリフトで輸送される水の量は日蒸発散量の20〜40%と見積もられることを示した.この量は日中の蒸散要求を満たすのに十分ではないが(Baker and van Bavel, 1988),乾燥表土の土壌水分を増加させるには意味があるという(Baker and van Bavel, 1986).Ryel et al.(2002)のシミュレーション結果では,アメリカヤマヨモギのハイドローリックリフトによる土壌水の再配分が自身の蒸散量を100日間で3.5%しか増加させないが日によっては20%程度増加させたという.このように定量的評価にはかなりの幅があるが,これは,定量化の精度を別とすれば,ハイドロ―リックリフトの程度が根系の分布形態・密度や深さ,土壌層の水ポテンシャル分布等多くの要因が関係しているためと考えられる.植生ごとの能力を比較するには最大量あるいはポテンシャル量の概念の導入が必要のように思われる.

3.生態学的意義
 ハイドローリックリフトの生態学的な意義は十分明らかにされていないが,以下のような有益性が可能性として指摘されている(主としてPate and Dawson, 1999).
@ 地下水資源の効果的活用
A 水ストレスの改善
B 土壌養分の可溶化促進
C 有機物や無機物からの微生物による養分供給
D 土壌乾燥時の菌根の維持
E 気泡発生に伴なう導管閉塞の軽減
なお,downward siphoningの利点としては@根の下方への伸張促進,A湛水化の軽減(効果は土壌タイプに依存)などがあげられている(Burgess et al., 2001).
 @,Aについては,主としてアグロフォレストリーにおけるハイドロリックリフトの効果が期待される.アグロフォレストリーには種々の形態があるが,樹木と作物を一緒に植える形態では地中深くに賦存する水資源を作物が有効に利用できる可能性が指摘されている.このような有益性は,もし近傍植物が樹木の主根に比べ深い根系を持っていれば小さいことが予想される(Caldwell et al, 1998).さらに,もし樹木の根が表層に豊富なら,根系の浅い作物は樹木と水の競合を起こす可能性がある(Ong et al., 1991).それゆえ,ハイドローリックリフトの恩恵は,浅根性作物が深い主根と浅根の両方を持つ樹木の近傍に植えられているときに得られるかもしれない.しかしこのような恩恵についての研究は不十分であり(Ong et al. 1996),特にハイドローリックリフトが樹木近傍の作物の生育に及ぼす影響についてはほとんど解明されていない.

4.作物の水分状態改善効果

図1.樹木のハイドローリックリフトが樹木近傍作物へ及ぼす影響を調べるための実験装置(Hirota et al., 2004).
図2.樹木の浅根の分布とそれにまとわり着いている陸稲
図3.乾燥表土下における,樹木の根の存在する側(左)と存在しない側(右)の陸稲の状態.左側の陸稲は緑を保っているが右側のものは枯死している.

 著者らは図1に示すような実験装置を考案し樹木のハイドローリックリフトが近傍作物へ及ぼす影響を調べた(Hirota et al., 2004).このシステムは,樹木の側根が地面に置かれた浅い容器(直径100cm,深さ20cm)内で生長でき,主根が容器中央のパイプから下層土に伸張できるように設計されている.容器は仕切り板によって2区画に分割されており,一方にはアグロフォレストリー樹種であるMarkhamia luteaと陸稲(品種:戦捷)が,他方には陸稲のみが植えられた.両区画とも容積含水率が0.15〜0.2 m3m-3を保持するよう適宜灌水して生育させた後灌水を中止した.64日間無灌水状態に置いた後再灌水を行った.測定項目は土壌水分(TDR法),気孔コンダクタンスと蒸散速度(ポロメータ法)および樹木根の蒸散流(熱収支法)であった.実験の結果は以下のように要約された.

@ 容器下の土壌水分は湿潤に保たれ,容器内の土壌水分が減少しても樹木の気孔コンダクタンスは高く保持された.このことは樹木は下層土から水を吸い上げ水ストレスが生じなかったことを示唆した.
A 実験終了後容器内の土壌を除去したところ,樹木の基部から6本の側根が容器内に伸張しかつ多くの枝根の先の方には細根が密生しているのが観察された.また,これらの根にイネの根系が絡み合っているのが確認され,その度合いが大きいイネでは草丈が高い傾向にあった(図2).
B 容器内の土壌水分が減少するにつれ,イネの気孔コンダクタンスも減少したがその減少は単作側よりも混植側で大きかった.これは,イネと樹木との水の競合によるものと考えられた.この結果は半乾燥地では樹木と作物の間には水の競合が生じるとする既往の結果(Rao et al., 1998)と一致する.
C その後,単作側で気孔コンダクタンスの減少が大きくなり両者の気孔コンダクタンスはほぼ等しくなったが,日数の経過とともに単作側のイネは葉が巻き始め気孔コンダクタンスの測定は困難となった.実験開始から約2か月後単作側のイネの葉は完全に巻き最終的には枯死した.一方、混植側のイネは実験終了(実験開始から約3か月後)まで緑色を保った(図3).なお,この間生長はほとんど認められなかったが,再灌水後には生長を開始した.
D 実験開始2か月後の土壌水分布は混植側が高い値を示した.
E 別の容器に栽培したM. lutea個体での根の蒸散流測定により,乾燥表土条件下で根の逆流が生じることが確認された.しかし,供試した根ではその量は少ないものと考えられた.
F 以上のことから、樹木のハイドローリックリフトは近傍作物の水ストレスを軽減し乾季の生存を可能とすることが示唆された*.

*:この実証の一環として,東北タイにおいて圃場実験がなされた(Harigane et al., 2009

5.あとがき
 熱帯を中心とした発展途上国の人口増加に伴なう食料問題を解決するための一手段としてアグロフォレストリーが注目されている.この場合,生育地に賦存する気象・水資源がアグロフォレストリーを構成する各植生にいかに有効に利用され,それらの生産を向上・安定させることができるかが重要である.上述のsplit-root 実験の結果は,半乾燥地の乾季において,深根と浅根の両方を有する樹木や作物(混作の一方の作物を想定)の周囲に生育する浅根性植物(作物)はハイドローリックリフトによって下層土壌に賦存する水をある程度利用している可能性を予想させる.この量は乾季期間中の生育を促進させないが,雨季の開始まで水ストレスに耐えうる量であるかもしれない(Corak et al. 1987).しかし,自然条件下でこの効果のみを抽出することは容易ではないであろう.それは生育には他の環境要因も複雑に関係しているからである.また,ハイドローリックリフトの効果は,受益植物に対するドナー植物の相対的大きさ(主として葉面積),両植物の根系の形態・密度・深さ等,土壌の物理性及び周囲の微気象条件によって大きく影響を受けることが予想され,競合と受益のバランスを含めた定量化には,モデルによる解析も含め一層の研究が必要である.

引用文献
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