story 4

愛しき三姉兄弟 はがれた爪

ひとつのパチンコ店にしばしば出入りするようになると、そこの常連客たちと顔見知りになる。そうなると自然に言葉を交わすようになる。言葉を交わすといっても話題はそれほど豊富ではない。あいさつ程度に始まり、慣れてくるにつれ、お互いの戦果を揶揄してみたり、どの台が出るとか出たとかあるいはあの台はこのところ出ないとか、いわゆる出玉情報をやりとりするようになる。次いで話題になるのは他の常連の噂だ。あいつが昨日どうした、このところあの男はこうこうだ、などと話し合う。

その際他の常連のことを呼ぶ時に使われるのが呼び名、通り名というもので、その多くは見たまんまの特徴が呼び名になる。ツッチャンは黒シャツだし、オオミネ君ならコケメガネ、他にはシマさん(いつも横縞のTシャツを着ているから)、ケラさん(笑い声から)、ダイさん(大きな体だから)、ジャンボ(さらに大きな体だから)など、言われれば、ああ、あの人か、とすぐにわかるものが多い。

だが時にその本人を目の前にしては使えないような呼び名で呼ばれる人もいる。オオミネ君のコケメガネというのも彼の目の前ではちょっと言えないが、今回はそんな呼ばれたくない呼び名の代表格である「三馬鹿きょうだい」と呼ばれている三人のきょうだいを紹介しよう。このきょうだいは一番上がお姉さんで、その下に男二人という構成なので、姉兄弟と書いて「きょうだい」と読んでもらうことにして、例えば「三馬鹿姉兄弟」などと書くことにする。

この三姉兄弟はスールの古くからの常連で、スールがアケドにできたばかりの頃からこの店のいい客だったようだ。一番上の姉はほとんど毎日顔を出すし、そのすぐ下の兄も一日置きにはやってくる。二人とも自営業らしいが何をやっているのか正確なことはわかっていない。兄の方はいつもセカンドバッグを小脇に抱えており、今日はちょっと仕事で、などと時折言うことがあるが、いったい何の仕事なのか詳しくは聞いたことがない。年齢は姉が50代半ばといったところだろうがこれまた正確なことは誰も知らない。まあ知ろうとも思わないのだが。一番下の弟だけは会社勤めらしく、やってくるのは平日は夕方からで、会社帰りなのだろう、いつもスリーピースをきちんと着ている。土日は欠かさず朝から勇んでやってくる。そのときはスタジアムジャンパーなんか着ていることが多い。

三人とも勝ち気満々なので新台が入った時など三人揃って新台コーナーで打つ。僕も新台コーナーで打つことが多いから、そんな時は必然的に三人の内の誰かしらが僕の近くで打つことになる。隣り合わせで打つこともしばしばだ。三人とも冗談のような馬鹿話が大好きで、そんな話は僕もまんざらでもないから隣同士になればくだらん話で盛り上がりながら打っている。なかなか愉快なのだ。

そんな三人には、わずか一週間ほどの短い間に三人立て続けに引き起こしたエピソードがある。それはそれは実にこの三姉兄弟らしい話なので、今回から三回に分けて報告してみようと思う。

 

まずは一番上のお姉さんの話からだ。

お姉さんはいつも黒のロングスカートに黒のブラウスという出で立ちだった。髪も黒くて肩まで伸ばしている。お姉さんが店の入り口からゆっくり入ってくると大きな影が動いているようだった。顔の大きさは小さめの酒樽ぐらいあり、お姉さんを見かけると僕はいつも佐分利信を思い出した。目鼻立ちもざっくりと大きめだが、いつも笑みを含んでいる目には愛嬌が感じられた。「何よ」というのがお姉さんの口癖で、会話の所々でそう言いながら左手を拳にして口に当て、上半身を後ろに引きながら笑う。僕が軽く冗談を言うと、「何よ、それ」と言って笑ってくれるのだ。そんなお姉さんの身に起きた今回の悲劇は、お姉さんが筋金入りのキーホール・プッシャーであったことがその主な原因だ。

キーホール・プッシャー?
お聞き及びでない方に説明しておこう。この頃は時期的にCR機が出回り始めた頃であり、その目新しさとその出玉の過激さが噂を呼び、ホールはCR人気で沸き立つようだった。それに連れ様々な憶測・伝聞・おまじないなどが全国を駆けめぐっていた。一方パチンコ専門誌などの影響で、パチンコを確率論的に捉える理論派が確固たる地歩を獲得しつつあった時期でもあった。隠れアイテムのないCR機の登場はその絶好の機会だったのだ。

確率論的根拠のないおまじないのようなパチンコ行為が、理論派から「オカルト」と侮蔑的に呼ばれ揶揄されるようになったのもこの頃からだろう。そう名付けられることで逆に面目を一新したのか、この時期ますますオカルト派も勢力を増していった。

その最大にしてもしかすると最後の全国区的オカルトが「鍵穴押さえ」だった。

リーチがかかったら台枠右横にある鍵穴を速やかに指で押さえよ。
さすればそのリーチは当たるであろう。

というのがその趣旨だ。

そもそもセブン機がこの世にデビューした時には、スロットの影響なのか、今では信じられないことに、回るデジタルを止めるためのストップボタンがあったのだった。そしてそれは飾りではなく、忠実に作動した。であるがゆえに、それはその後多くの攻略手段を生み出すことになったのだがそれはまた別の話だろう。
その名残なのか、ほとんどの機種には今でもストップボタンのような突起が台枠の左方にある。鍵穴押さえの術が全国に流布した背景にはこのあたりの事情があったのだろうと思う。
だからこの頃ホールの中では右肩が腱鞘炎になった人々が多数輩出・・・はしなかったが、あちこちで鍵穴を押さえる光景を目にすることができた。
彼らのことを称してキーホール・プッシャーという。
もちろんプロは鼻も引っかけなかったが、パチンコが本来は遊技であることを考えると楽しい現象と言えるだろう。

お姉さんもその一人だったのだ。

その日、お姉さんは僕の左隣で打っていた。見ているとリーチがかかる度ににこやかに鍵穴を押さえている。調子に乗って僕も時々押さえてあげたりした。当たるはずもないのだが、はずれても「何よ、だめじゃない」と言って笑っている。
だが当たらないまま2万、3万と入れていくうちに次第にお姉さんのテンションも下がっていく。店員に頼んでカードを買ってきてもらう時も無言になりがちだ。もうリーチがかかってもあまり鍵穴を押さえることもなくなった。時折思い出したように押さえているがそれも当たらない。僕も話しかけづらくなる。

もういくら入れたのかわからなくなって、雰囲気がピリピリしてきた頃、お姉さんの台にやっと熱いリーチがかかった。当たれ、と僕も心で念じながらそのリーチを横目で見守る。お姉さんは右手をハンドルから離すと、これが最後という決意と共に猛然と人差し指で鍵穴を押さえた。

その直後、バッという音がしたと思ったら、お姉さんが「あたた・・・」と悲鳴を上げている。見ると右手の人差し指を鍵穴につっこんだまま大きな顔をしかめている。その指先からは見る見る黒い血が出てきて丸くなっていき、やがてポツ、ポツと台前の箱台にしたたり落ちていく。僕はすぐにランプを点け店員を呼ぶ。顔を近づけてみると鍵穴と台枠の隙間にお姉さんの指の爪が挟まって爪がはがれかかっているようだ。見ているだけで痛々しい。

すぐにフランケンと呼ばれている店員がやってきた。フランケンは状況を一目見て、大丈夫ですか、ちょっと待ってください、と太い声で言い残しどこかへ消えてゆく。僕はせめてティッシュをと探すが、僕が持っているはずもない。お姉さん、ティッシュ持ってますか?と聞くと、お姉さんはゆがんだ顔のまま左手で自分のポシェットを指さしている。右手の人差し指は鍵穴に垂直に刺さったままだ。少しでも動くと痛むのだろう、お姉さんはそのままじっとしている。周りの客も立ち上がり、何事かと見物に集まってくる。やがてフランケンが鋏を手に戻ってきた。僕の差し出すティッシュを受け取り、吹き出す血潮を押さえるようにして、爪を切りますんで、よろしいですか、とお姉さんの方を振り向きながら言う。お姉さんは口を噛みしめながら無言でうなずく。フランケンはそれを確認すると指の上からソロソロを鋏を伸ばし、指と台枠の間に入れると静かに爪を切りはずした。その瞬間、おう、とお姉さんを取り囲む人垣から声が漏れる。お姉さんは自由になった右手を左手で包むようにしてポシェットを脇に抱えると、何も言わず肩をすぼませてこちらへというフランケンの後についていった。

集まってきた客たちは次々と信じられない物を見る目つきで鍵穴に挟まった爪の残骸を見つめている。すぐに別の店員がペンチを持ってきてその爪を鍵穴から器用に取り出した。ちょっと見せてくれたが、ほんの小さなものだった。次いで台周りを掃除していく店員に尋ねてみると、これがこの店で二度目だという。それは知らなかった。それで手際がよかったのかと納得もした。結局その日お姉さんは席に戻ってこなかった。あのまま病院へ行ったらしい。そりゃそうだな。

そうそう、肝心の熱いリーチはどうなったかというと、いつの間にかはずれていたようだ。 お姉さんの打っていた台にはその後誰も座ることはなくアケド・スールはその日の営業を終了した。

2003.6.26

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