story 24

カントウさん、伝説と化す!

昨夜からの雨は朝になっても降り続いていた。

空の高みから降ってくるというより、目の前にある大気からその飽和水蒸気圧を越え、支えきれなくなった水分がそのまま析出してくるような、だから窓を開けているだけで部屋中がぐっしょりと濡れていくような、そんな雨だった。
しっかり部屋の戸締まりをして道に出てみるとあちらこちらに水溜まりができており、黒いアスファルトの上でそれはてらてらと光りながら雨足を映し出していた。傘を差したまま時々小さくジャンプしてそれを避けようとするのだが、それでも着地するごとに僕のスニーカーは着実に濡れていった。

その日は久々のスールの新台入れ替え日だった。

居酒屋大海原での前日の話ではCR機の黄門ちゃまという機械が入るらしかった。誰がどうやって手に入れるのか知らないが、この手の情報に間違いはない。2回ループだということでみんな腕を撫してカンパイしたものだ。

店に着いて新台のコーナーを見るといつものようにテープが貼られていたが、端からのぞけばどの台もピカピカに磨かれていてさすがに気分が華やぐのを感じる。
それまでの時間をどうやってつぶしたのかも定かでないまま、昼をいくらも過ぎない時分から新台整理券を目指してできつつあった列に僕も参加した。ツッチャンは昨日から、いつもの球界王を打つよ、と言っていたからいないが、他の面々はほぼ全員が行儀良く並んでいるのが見えた。

スールの開店はたいがいある程度のお祭り状態になる。
長身長髪肥壮多力で、引退したばかりの相撲取りのような風貌を紅潮させ、いつも勇ましいぐらいに風を切って歩くスールの店長は気前がいいのか気っ風がいいのか、出すときは出す。

そして今回の開店でも店長は僕らの期待を裏切ることはなかった。開店初日からの雨は三日間降り続いたが、その間スールのお祭りも三日続いた。

降り続いた雨もようやくやみ、明日から平常営業となるお祭り三日目の夜、みんなの興奮も一段落しはじめた居酒屋大海原で、あることが発覚した。カントウさんが打っていた台はその三日間一度も確変を引いてなかったのだ。

「最初の日が4回、二日目が2回、今日が9回、全部で15回。これが全部単発だもんな。やっぱりオレ、CRは打たないよ」

スポットライトを一人だけ浴びているかのように色濃い影を顔面に落としながらカントウさんは告白した。その声音には自分に降りかかった不運を冗談めかすだけの余裕は残っていなかった。

小さな身体とリーゼントがトレードマークのとカントウさんは僕より少し年上の渋い打ち手で、もちろんスールの常連であり、居酒屋大海原でも僕以上の常連だったが、あまり一緒になったことはなかった。居てもカウンター近くの二人席で不倫中の彼女と飲んでいることが多かった。
それまでカントウさんはCR機を打ったことがなかった。あの花満開にさえ見向きもしなかったのだ。そのカントウさんがどういうわけか今回はCR機に手を出した。

「回ってるんでしょ?なら打った方がいいよ」

誰も何も言えないでいると、みんなの気持ちを代弁するようにツッチャンがそう言った。
しかしカントウさんはうつむいたまま首を左右に振るだけで何も言わなかった。そんな仕草のどこかに悲愴を見いだしてしまうのか、みんな沈黙を続けることしかできないでいた。しばらくしていたたまれなくなったカントウさんは目の前にあったお猪口を突如あおると立ち上がり、そのお猪口を手にしたままカウンター席のほうに行ってしまった。

カントウさんがいたテーブルには大きめの徳利が一本残された。 いなくなったカントウさんの代わりに、みんなはその徳利を黙って見つめていた。

出ないときは出ない。

突然我が身に訪れたおよそ信じられないほどの状況に生まれて初めての絶望を味わい夢だろうとつぶやきこの世の無常を嘆き泣き喚き己を呪い他人を憎み仏になろうとし神になろうとし、人はパチンコ台の前で自らの変貌の可能性の約90%を思い知るが、それでもなんでもかんでもとにかく出ないものは出ない。
それがパチンコの大原則だ。

言うのは簡単だが経験するのは辛い。

みんなそれをよく知っているからカントウさんの気持ちがある程度わかるし、でもカントウさんのために何もできないことも知っている。だから僕たちには黙ることしかできないが、しかしそれで十分なのだということも知っていた。

永遠に出ないパチンコ台はない。

これもパチンコの大原則なのだ。
いつかは出る。打ってさえ、デジタルを回してさえいればいつかは出るのだ。それは出る。いやでも出る。出るときはこれまた信じられないほど出る。どこかに逃げ出してしまいたいほど出る。
それは生きている上での極大値としての快楽だ。自分が瞬間、神に等しい存在になったと錯覚することができる快楽。

しかしそれまで我慢できず耐えることができず打つのを止めたとき、希望を自ら捨てたとき、パチンコに負ける。そういう形でしかパチンコの負けはない。

その翌日、カントウさんは自ら宣言したとおり、それまで打っていた黄門ちゃまの台の前に座ることはなかった。また以前と同じく何かの普通機を打っていた。カントウさんの台は遠慮されたのか僕らの誰も打つことなく、注視を受けながらもほっておかれた。

すると何も知らない見知らぬ客がその台に座ったと思ったらたちまち大連チャンをさせ始めた。その客の興奮ぶりは通路を隔てたこっちにまで伝わるほどだった。なんと運のいい男だろう。しばらくして上々の機嫌でその男はやめていったが、その次の客も、さらにその次の客も、その台に座るすべての客が連チャンに次ぐ連チャンを成し遂げ、結局閉店時間までカントウさんの台はほとんど出っぱなしに出た。

「明日も釘が変わってなかったら打った方がいいよ」

その日の夜、居酒屋大海原でツッチャンとしては精一杯の笑顔をつくってそう言った。そのまわりで僕たちは何度も首を縦に振りながら賛意を表し、真ん中でうつむいているカントウさんを黙って見つめた。
カントウさんは何も言わなかったが手にしていたお猪口をテーブルに置くと、コクリと静かにうなずいた。
僕たちはなんだか安心して居酒屋大海原を出た時、空を仰ぐとまたポツポツと雨滴が僕らの顔にあたり始めた。

翌日はどういうわけかふだんより早く目が覚めた。

気づいてみれば、少しくぐもったゴーッという音と聞いた憶えのないほど猛烈なバチバチという音が聞こえていた。カーテンを開けてみると滝のような雨が降っていた。その雨を見て僕は天からところてんが降っているのかと思った。それは軒先にある石や地面にあたると大きな飛沫を繰り返し描きながら砕け続け、見ているとその衝撃であちらこちらに次々と穴が開いていくようだった。

膝から下を黒くずぶ濡れにしながらうんざりした思いでスールに来てみると、カントウさんが例の台に張り付くようにして打っていた。僕らはそんなカントウさんを遠くから見守ることにした。ツッチャンだけが時折励ますように声をかけていた。

だが、その日もカントウさんは確変を引くことができなかった。
13回!よくそれだけ当たったと思うが、それがまたも全部単発!

閉店時間が近づいて長々と並び始めた景品交換を待つ列の中で、13枚の磁気レシートを手品師のように広げたり閉じたりしながらカントウさんは薄笑いを浮かべて隣り合わせた常連と何か話していた。
僕たちはそんな様子をほとほと呆れながら見つめることしかできなかった。

それから二度とカントウさんは黄門ちゃまを打つことはなかった。
ツッチャンももう何も言わなかった。

黄門ちゃま導入から通算たった4日間で記録したカントウさんの連続28回の単発引きはその後結構な間、スールにおける伝説のひとつとして語り継がれることとなった。

2004.6.19

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