story 23

ダフさんがダムのはなしをする  〜ダフさんとシロエさん 4〜

シロエさん、ありがとう。
昨日は観に来てくれたのですね。

あなたがいらっしゃってることを知ると、僕は自分が別人になったような気がしました。
まるで、生まれて初めて世界に出会った時のカスパー・ハウザーにでもなったような気分でした。

公演はどうでしたか?
どれかひとつでも気に入ってくれたならいいのですが。

最初の“碧雲”は僕の作品の中ではどちらかと言えば詩的なものです。
まだまだフォルムの造形に成功しているとは言えませんが、僕としては面白いと思っています。白状しますと、これは、初めてご一緒したあの日の空の青さをマイムで表現したくてできたものなのです。アハハ。最後にどうしても言葉が欲しくなったのでセリフをひと言入れました。反則技ですが、効いていてくれればいいですね。

次の“瞬きの夢”はマルソーの“外套”からヒントを得たストーリー・マイムです。
お決まりの人生ものですが、感情の要素をできるだけ押さえ、物語のもつファンタジックなイメージをきっちりとした形として表現することを目指したつもりです。抽象的なものこそできるだけ具体的な形で表現することが大事なんです。でも少し消化不良気味だったかなあ。

最後の“河畔にて”は・・・これは失敗かも知れません。
恋愛をモチーフにしたものですが、あまりに露骨で個人的で、ひとりよがりな感情だけが強く出過ぎたようです。実はこれが一番やりたかった演目なのですが。

全員での舞踊マイム“夜釣り”はどうだったでしょう。
最後の哄笑の場面はもっともっとヒステリックに、大袈裟にやるべきでしたね。あれでは主人公が狂気と正気の境界にいるスリルがあまり前面に出てこなかったのではないでしょうか。
技術的にはみんなまだまだ未熟で、反省点もたくさんありますが、僕としては演出の勘所というか、醍醐味がだんだんわかってきたように感じています。

ところでシロエさん、あなたに感謝しなくてはなりません。
先日はつきあってもらってどうもありがとう。
といってもあれからもう、ふた月になりますか。
あの日のことは今でも繰り返し思い出しています。
何度も何度も。

このふた月は、僕の人生の中でも最悪と言っていいぐらいに辛く、そしてなにより忙しいふた月でした。
劇団の旗揚げ、そのための資金の確保、今回の初公演の準備と、何から何まで初めてのことなので苦労しました。シミズさんのところとか、あちこち駆け回りましたよ。時間が無くて、稽古が押しに押してしまい、劇団のみんなにもだいぶ迷惑をかけました。でも、おかげであの日シロエさんにふられた痛手をあまり感じなくてすんだのかも知れません。あ、ここはどうぞ笑ってくださいよ!

あの日、最後にオゴウチ・ダムに行ったことを憶えていますか?
ダムの頂上から下を見て、シロエさん怖がってましたね。
いい天気で、桜がとてもきれいでした。

シロエさんはダムの造り方をご存じでしょうか?
僕はダムを見るのが好きで、あちこちのダムへドライブがてらよく出かけます。
ダムのもつ、大きなコンクリートの塊の圧倒的な存在感というのでしょうか、あれが好きなんです。それに日本は水系が豊富ですからダム技術も世界有数のものなんですよ。

言うまでもなく、ダムは水を堰き止めるためのものですが、ダムにとってこの水っていうやつはとても手強いものです。水は形をもたず、絶えず下へ下へと流れ、雨だれ岩を穿つと言われるように、意外なほどのエネルギーを秘めています。水のもつこれらすべての性質が、それを堰き止めようとするダムにとっては重大な障碍となって立ちはだかることになるんです。

簡単にダムの造り方を説明しましょう。

まず、ダムを造る場所をつくるために川の流れを迂回させます。ダムを造ろうとする場所の少し上流からトンネルを掘って、下流までのバイパスをつくるのです。

ダムの設置場所が確保できたなら、次はその土地を固い岩盤が露出するまで削ります。削って削って、もうこれ以上削れなくなるまで削るとそこは強固な岩盤です。でもその岩盤には、見た目にはわからなくても小さな穴がたくさん開いてます。そこでその強固な岩盤に小さな穴をボーリングして、そこから高圧でセメントミルクを流し込み、微細な穴を塞ぎます。こうして水が漏れないようにするのです。

そうして地盤処理が終わるといよいよダムを造っていきます。
コンクリートは大量にあるとどうしても発熱してひび割れてしまう性質がありますから、全体を小さなブロックに分けて、それひとつずつにコンクリートを流し込みます。それからそれをバイブレータで振動させ、撹拌し、中の余分な水や空気を追い出します。この地味な作業がダムが完成するまで5〜6年は続くのです。

こうしてダムができあがると、ダム技術者にとっては最大の試練である試験湛水が待っています。それまで迂回させていた川の水をダムに戻し、その際に計測される各種データを取るとともに、ダム本体の挙動やダムに堰き止められた水でできる貯水池の状態を確認するのです。

刻々と満ちて満々と深い色を放ってゆく莫大な量の水を見ていると、彼らが10年以上の歳月と心血を注いで築いてきた巨大なダムも、薄い薄い卵の殻にしか思えなくなります。

初めて導き入れられた水が満水位に近づくと、アーチダムなどではその提頂部がなんとも言えない音を発してたわむといいます。初めて出会う1億トン以上の水によって引き起こされる周期的な提体の震動が大気に伝わり、音とも気圧変化ともつかないエネルギーの波があたりに伝播していくのです。そしてそれは決壊という最悪の事態に至る可能性を秘めつつ、動くということを忘れたように各自の部署に立ちつくしている技術者たちの心をきりきりと締め付けます。

しかし、それまで巨大な竜がとぐろを巻くようにうごめいていた水が満水位に達し、動くことに飽きて眠ってしまうと、腹の底から沸き起っていた不気味な提体の震動もそのエネルギーを吐き終えたかのように静まっていきます。

1年以上にわたるこの試験湛水の間、各所に設けられた計器類に異常な圧力や温度が計測されることもなく、さらにどこからも水漏れなどの不具合が報告されなければ、ダムは晴れて試験湛水に合格したことになるのです。

 

ダムは山間なんかに造られるのが一般的ですが、シロエさん、その実その本来の本質的な形は人の心の中にこそあるんじゃないでしょうか。

山間のダムは川の水を堰き止めるのが役目ですが、人の心の中のダムは人の欲望を堰き止めているのです。止めどなく流れ、溢れ、人を突き動かすあの欲望を。

だとしたらシロエさん、僕も僕の心の中にダムを造らなければなりません。

僕はあれから自分の中に自分のダムを造ることを決心しました。
僕のダムはコンクリートではなくマイムでできています。ひとつひとつのマイムを積み重ねてダムを造るのです。注意深く、慎重に、用心し、決して決壊しないダムを。

そしてやっと昨日、僕のダムが完成しました。
シロエさん、今日からそのダムの試験湛水が始まるのです。
僕の中のダムは合格することが出来るでしょうか?

 

長々と下らないことを書いてしまいました。
でもシロエさん、これに懲りず、また観に来てください。
心から待っています。きっとですよ。

最後に一番言いたかったこと。
いつまでも、いつまでも、お元気で。

 

シロエさんへ

××××シュンイチ

2004.4.30

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