ダフさんと何度か飲みにいっているうちに、いつのまにかダフさんが若い頃はパントマイムをやっていたと知っている自分がいた。それはまるで静かに降り注ぐ雨が土の上で雨水となり、雨が降り止んだときには雨水はすっかり土の中に染みこんでいるような具合だった。パントマイムについては通り一遍の知識しかなかったが、いつしか僕の中ではダフさんはパントマイミストだというイメージがしっかりと定着していた。
しかし、またある日ダフさんが語ることによれば、パントマイムとは別に単にマイムと呼ばれる流派があるらしい。
そう言われてもパントマイムという言葉でさえ僕にはあまりに縁がなかったので、それがたとえパートタイムであっても僕の中ではそれほど差はなかった。でも僕は3塁側のファールフライを捕りに行くセカンドプレイヤーだったので、例に漏れず根掘り葉掘りダフさんの話を聞きたがった。
「で、僕がやっていたのはマイムの方。だからパントマイミストじゃなく、マイマーと呼ばれる方がまだうれしいね」カウンターの上で両手を握り合わせた格好のままダフさんが言った。
「よくわかりませんが、パントマイムとマイムってたとえばどのぐらい違うんです?シャム猫と三毛猫ぐらいの違いですか?」ほどよく上気した顔で生ハムとサラダ菜のサンドイッチをムシャムシャと食べながら僕は言った。
「エフタティートシに少し教えとかなきゃいかんな〜」にこやかに顔をしかめて見せながら水割りを少し口に含むとダフさんは話し始めた。
「パントマイムはローマ時代にさかのぼる歴史があるらしい。そのことはパントマイムの本質が模倣であることを考えてみれば不思議じゃないだろう。ギリシア・ローマ時代から盛んだった演劇が言ってみれば人生の模倣なんだからね。模倣という行為自体が人間には面白いことなんだな。モーホーじゃないよ。まあモーホーも盛んだったらしいけど。
パントマイムは人気はあったんだけど演劇に比べて卑俗なものとされていた。当時のパントマイムがどんなものだったのかはよく知らない。観たことがないんだ。おもしろおかしい誰かのものまねに過ぎなかったのかもしれない。
でもローマ帝国が解体したのを契機に当時のパントマイムもあちこちに散逸してしまった。そこで一続きのパントマイムの歴史はとぎれてしまう。
しかし16世紀にイタリアからコメディア・デラルテという芸能が生まれた。
コメディア・デラルテは舞踊と音楽とアクロバットからなる即興的な演劇だった。脚本なんかなかったんだね。この中にローマ時代のパントマイムの要素がたくさん受け継がれていたらしく、また当時のヨーロッパでかなり受けたようだ。そしてあちこち巡業するうちに当時最大の文化国であるフランスで認められ定着するようになった。それがその後の近代パントマイムの直接の起源と言われている。
彼らは仮面をかぶるんだけど、その仮面は登場人物を言わば類型化したもので、そのへんは中国の京劇や日本の能・狂言あたりと共通したものがあるね。その類型化された人物像の中に道化の主役アルレッキーノと脇役のペドロリーノがあった。
アルレッキーノはフランスではアルルカンと呼ばれ、今でも芸能一般の中に様々な形にとけ込んで親しまれている。知らない?きっとピカソなんかの絵で見たことがあると思うよ。
一方のペドロリーノはピエロと呼ばれるようになり、そのキャラクターは19世紀になって大当たりすることになる。ピエロは知ってるだろ?白塗りの。いや、いや、サーカスのピエロは違うよ。あれはクラウンと呼ぶのが世界的には正しい。
そのピエロを大当たりさせたのがフランスのドビュローで、それまで単なるドタバタとした喜劇的性格でしかなかったピエロに涙を流させ、新しいピエロ像を演じて見せた。これが当時のフランス知識人たちに受けたんだ。それでドビュローのピエロは“悲しきピエロ”と呼ばれるようになった。
『天井桟敷の人々』観たことあるだろうけど、あれはこの当時大人気を博したドビュローらをモデルにした映画だ。
ドビュローは一座でヨーロッパを巡業していたアクロバット芸人の子で、あまりフランス語がしゃべれなかった。だからセリフのないピエロの役柄は彼に合ってたんだね。ともかく近代パントマイムの祖といえばこのドビュローということになる。
というか、実は近代パントマイムはドビュローに始まりドビュローに終わったと言ってもいいんだよ。ドビュローね。彼のパントマイムはその息子に受け継がれていくんだけど、急に受けなくなってしまう。どういうわけだかね。もっともチャップリンなんかはこの系譜に入るのだろうね」
そう言いながら僕の眼をのぞき込むダフさんの額は皇居を一周してきたばかりのジョガーのように火照っていた。僕はそんなダフさんを横目で見ながら軽く相づちを打ちつつ今度はトマトとスライスチーズのサンドイッチに手を伸ばした。
ダフさんは上下運動をしている僕のアゴをしばらく見つめていたが、気を取り直すように新しい水割りをオーダーするとさらに続けた。
「しかし20世紀になって新しい動きが始まる。ベルリンのドイツ座でマックス・ラインハルトが独自に黙劇を試みてたし、同じ頃フランスではジャック・コポーがビュー・コロンビエ座を設立し、そこにシャルル・デュランが加わって商業主義を排した演劇を目指していた。
そのコポーの弟子にエティエンヌ・ドゥクルーがいた。このドゥクルーこそが新しいパントマイムであるマイムを創始することになるんだ。
デュランはやがて独立してモンマルトルにアトリエ座を設立するんだけど、そこにドゥクルーも一緒についてきた。そのアトリエ座にはやがて、さっきも言った『天井桟敷の人々』の主役を射止めたバローや有名なマルセル・マルソーが生徒として入ってくる。
そしてこのデュラン門下の三人、ドゥクルー、バロー、マルソーがマイムという新しいパントマイムを創ったと言えるだろう。
それじゃこの新しいパントマイムであるマイムはいわゆるパントマイムとどこが違うのか?
それまでのパントマイムは身体の動作でいろいろなことを表現することを目的にしていたのに対し、マイムは身体の動きそのものを表現することを目的にしているんだ。ちょっとわかりにくいな。
たとえばパントマイムを演劇とすると、マイムはバレエとかもしくは体操に相当するといえるかな。つまり身体の動きで何かを説明する、ジェスチャーのようにね、のではなく、身体の動作そのもので感情や抽象的な概念や何かを直接表現しようとするわけだ。
だからエフタティートシの最初の問いかけに答えるなら、パントマイムとマイムはキティーちゃんとキティーほど違っていると言うべきだろうね」
長広舌に終止符を打つようにそう言い終えると、ダフさんは両手を目の前でクルクル交差させ最後に左右に大きく広げ、それから左手を胸の前にもってくると軽くお辞儀した。
「なるほど。でも最後のキティーって何ですか?」さらにキウイと生クリームのサンドイッチを頬ばりながら僕は言った。
「うちにいる猫」
両肘をカウンターについて水割りを飲みながらダフさんが言った。
「しかしよく食うね」
「いやあ、初めて知りました。パントマイムの話とサンドイッチってよく合うんですね。美味いですよ。なんでかな〜と考えてたんですが、わかりましたよ」
おしぼりで口を拭いながらもごもごとした声で僕は言った。
「サンドイッチってパンとパンの間に美味い物を挟んでいるじゃないですか。だからなんですよ。パンとうまい物。ぱんとまいも。パントマイム。どうです?」
ぎゃははと大笑いしている僕を横目にダフさんは何も聞こえないかのように顔を背けていたが、その肩は小刻みに揺れていた。それを見て、笑いたいのを必死に我慢しているのかなと想像すると僕はさらに可笑しくなって腹を抱えて笑った。涙が出てきた。
ダフさんの肩の揺れは次第に大きくなり、それは身体全体に伝わっていった。ダフさんはもはや止まり木の上で全身を揺り動かしている状態だったが、それでも僕に背を向けて声を押し殺していた。まるで身もだえているようなその姿を見ると僕はさらに可笑しくなった。
可笑しくて腹が痛くて、もう笑っているのか泣いているのか自分でも判別できなくなったとき、ああ、これがマイムなんだな、とわかった気がした。
素晴らしいよ、ダフさん。
2004.1.21