story 15

有史以前のこと

何よりも好きなのは、朝一番のパチンコ店だった。

自転車を漕いで店の前に到着すると、眠そうな顔をして開店前から並んでいる他の人々と一緒にまだ閉ざされているドアの前に佇み、腕を組んだりして今日の幸運をひとり静かに願う。ふと頭を上げ、まわりを見渡しては、思いついたように同好の士の分もほんのちょっとお願いしておく。そんなことを思っているのは僕だけではないのだろう、誰もが頭を低くし自分の足元に視線を落としている。ここは敬虔な祈りの場なのだ。
誰に頼まれたわけでもないのにどこからかやって来て、店の前のそれほど広くもない空間に集まり、おおむね同一方向を向き、同じ時間の中を同じようなことに思いを巡らしながら過ごす。そんな僕たちはどこか映画の観客に似ていた。
やがて開店の時間が来てドアが開くと、僕たちはそれを合図に催眠術が解けたように我に返る。さあ、上映の始まりだ。

アケド・スールに来始めたばかりの頃、僕はまだ学生をやっていて、その頃はパチンコで勝つ理屈も何も知らなかった。ちまたでもパチンコの確率理論は確立しておらず、台の大当たり確率でさえ知られていなかった。草分け的なパチンコ雑誌はすでに創刊されていたかもしれないが、僕の目にはまだ入っていなかった。そういうわけでその頃の台の見分け方は極めてアバウトだった。ヘソを見るまねぐらいはしていたが、昨日出たか・出なかったかということを重視していたと思う。今の情報量に比べ、言ってみれば有史以前の頃だった。
だが、何より頼りにしていた台の見分け方が実はあった。それはまったくのオカルトであり、心底無根拠なので誰にも言えやしないのだが、この際白状してしまおう。

朝一番で店の中に入ると、陽はまだ低く、朝の光が店内一杯、向こうの壁まで射し込んでいた。自分の影が通路に大きく映る。そんな光を反射して、プラスチックの台枠がきらきらと輝き、どの台もまるで宝石のようだった。だがそのほとんどは偽物なのだ。
さてどれが本物なんだろう。通路の端に歩み寄ってみると、そのシマの中で一際明るく輝いて見える台があった。台全体が明らかに他の台より際立って見える。僕は迷うことなくその台を押さえた。これが本物だ。
日によって輝いて見える台は違っていた。もちろんたまたまに過ぎなかったのだけど、そうして見つけた台で負けることはなかった。

その頃のアケド・スールの二階はヒコーキ台で占められていた。その奥の方に、名前は覚えていないのだが、僕が特に気に入っていた機種があった。羽に拾われた玉の役物内での動きが絶妙だったのだ。
役物の中にステージがあり、その奥に三つの穴がある。穴は手前に向かって開いている。その中央の穴がVゾーンなのだが、そこがもっとも狭い。しかもその穴は下辺のない正方形の筒で囲まれていて、それが前後に動いている。筒が手前にやってきたとき、玉はまず入らない。筒が奥にあるとき左右のしきりにぶつかる格好で玉が入る。泣いて羽が開くと筒の動きが速くなる。その間役物に入った玉は動く筒に弾かれてステージ上を動き回る。筒の動きが止まり、奥に引っ込んだ時にそこに玉が入るかどうか。それが見物なのだ。
外れるときはストレートで外れ穴に入ってしまうのだが、Vに入るときは右もしくは左のしきりに沿って秒速2mmほどの速度でゆっくりとVに向かって転がっていく。だが、この時しきりが逆に当たりを阻止することになる。このしきりは厚さ4mmほどだが、その4mmが水平方向に微妙に傾斜していて、Vに向かう方向が手前になり、外れ穴の方向が奥になるようになっている。だからVに向かって転がってきた玉もこの傾斜に阻まれると入らない。
秒速2mmという、玉の動く速度が何とも心地よかった。

この機種のファンは僕だけではなくもうひとりいた。
その男はいつも地味な色のスラックスを穿き、地味な色のジャンパーを着てやって来た。耳が隠れるぐらいの長髪で、背が180cmはあっただろう。その長身でゆっくりと階段を登り、ゆっくりと奥まで歩いてきた。静かに台を見分して回ると、選んだ台に静かに座った。この男の所作は何もかも泰然としており、自若としていた。その様子は自信と気品を感じさせた。まるでこの機種の当たるときの玉の動きのようだった。

僕はそんな男にもいつしか魅せられていた。

だがある日いつものように二階に上がっていくと、その機種はなくなっていた。入れ替えられたのだ。
それ以来その男を見かけることもなくなった。その男の印象は忘れがたいものだったが、それでもいつしか忘れていった。

それから時間が流れた。

ある日ツッチャンらと昼飯を食べているとき、あるパチンコ雑誌にパチンコ日記を連載をしているあるパチプロのことが話題になった。僕もその日記のファンだったのでそのパチプロの顔は知っていたのだが、ツッチャンらの話を聞いてみると、そのパチプロはアケドの隣町に住んでいるというではないか。それは初耳だった。
同時に僕はあの男のことを思い出していた。そういえば顔もあのパチプロそっくりじゃなかったか。いやいや、そうか、あの男はあのパチプロだったのだ!
そう思いつくと僕の中の何かは納得したようだった。

それからまた時間が流れた。

ある日キンちゃんが引っ越しをしたので手伝いに行った。キンちゃんの新居はサクラアラマチの隣町にあった。サクラアラマチといえば、あの誌上プロが最近のネグラとしているパチ屋のある町だ。僕は翌日そのパチ屋へ出かけてみる気になった。

それは小さな店で、表通りから住宅街へ向けて伸びるゆるやかな坂道沿いにあった。そのもう少し先からは滝のように急激な傾斜が始まっていて、見下ろすとめまいがしそうだった。

10時少し前にそこへ着いたときは誰もいなかったが、しばらくするとちらほらと客が集まってきた。でもまだあのパチプロの姿は見えなかった。もう少しで開店の時間だった。今日はお休みなんだなと諦めかけた時、店のドアにその姿が映った。僕は思わず後ろを振り返った。もう何年も前からそこにいたような風情であの誌上プロが立っていた。静かな笑みを浮かべて時間を待っていた。

その様子は僕に、ワンピースも残らないジグソーパズルの完成を連想させ、マチュ・ピチュにあるという精巧な切石を思い出させた。そこでは時間と空間がピッタリと寄り添っているかのようだった。この世界の結び目が見えた気がした。過剰もなく不足もなかった。ただ鏡のように静かな微笑みがあった。存在という雄弁な沈黙があった。

時間が来たので僕たちは店内に入った。一応釘の有り様を見て回ったが、日記にあるとおり、打てるような台はなかった。プロは自然な動きで台を見て回ると、入り口付近の一台に座り、打ち始めた。未練を感じて僕もその辺の台を打つことにした。もちろん回るケも当たるケもなかった。見るとプロは早くも当たりを引いたようで、彼の台だけがピカピカと寂しく光っていた。

諦めて店を出る時、打っている彼の後ろを通ると、その足元にいつのまにか紙袋が置かれていた。どこにもそれらしき姿は見えなかったが、きっと彼のファンが地酒でも置いていったのだろう。

サクラアラマチの表通りを飄然と歩いているとき、わかったことがあった。彼は彼ではなかった。あのパチプロの背は僕と同じぐらいだったのだ。アケド・スールのあの男にしては小さすぎた。
そうわかってみると僕の中の何かは納得したようだった。

それからまたも時間が流れた。


今では台が光って見えることはない。
あの男に会うこともない。
あのプロと一緒にパチることも、もうできない。

2003.11.2

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