story 14

シマさんと遊ぼう おおブレネリ!

橋を渡って右に折れ、登り道をしばらく行くと、道路はやがてつづら折りに変化しはじめた。右に左に進路を変えながら二台の車はゆっくりと走り続けた。

僕たちの走る細い道にほとんど覆い被さってくるように見える樹々は、思ったよりも高く、深かった。陽が射してきたのだろう、木洩れ日の描く複雑な幾何学模様が目の前の赤いボンネットの上を次々と流れていった。それに連れ後部座席から見えるミドリちゃんの横顔がイルミネーションのように明るくなったり影になったりした。

僕たちは何も言わず、静かに窓の外を見つめていた。樹木の幹と枝と葉が、折り重なるように光りながら、影をつくりながらやって来てはすぐに去っていった。軽いエンジン音だけが室内にあった。僕たちは僕たちでありながら、同時に何ものでもないと感じられた。ほんの一瞬でその感じは消えたけど、不思議な一体感はそのあともしばらく残っていた。みんなもその感覚を味わっていたと思う。

「いい気持ちだねえ」

助手席のシマさんが誰にともなく、窓の外に顔を向けたまま、つぶやいているかのように囁いた。後部座席の僕らも何も言わず、微笑むことで返事をした。バックミラーでミドリちゃんが僕らを見た。同じ気持ちなのがよく分かった。

やがて道の右側に少し開けた場所が見えてきた。
ミドリちゃんはそこへ車を進めるとその中ほどでエンジンを止めた。続いてシーマが、地面との摩擦音をたてながらゆっくりと滑るようにやって来て、隣で停止した。それぞれの車からみんなが降りたときミドリちゃんが言った。

「じゃあ、ここからは少し歩きましょう」

僕らは荷物を両手に持ってミドリちゃんの後からついていった。僕らが車を停めた場所からさらに細い山道が一本上へ続いていた。その道をミドリちゃんが先頭になって登りはじめた。所々に石段が組まれていたが、ほとんど人が通らないのだろう、長く成長した草の葉やツル・ツタの類が頭上を覆うほどに伸びている。こりゃ道じゃなく穴だな、と思い始めた頃、あっけなく目的の地へ到着した。

空が大きく見えた。
広場の中央あたりに駆け寄ったミドリちゃんが両手を広げその空に接吻している。それを目にして、僕の視界は狭まっていき、コマ送りにしかその情報を送ってこなくなった。その限られた情報の中で、青空を背景にしてミドリちゃんが踊るように回っていた。おそらく僕は感動していたのだ。その場にうずくまってうち震えたい思いを何とかこらえた。

「まあ、素敵なところじゃない」
「本当。眺めもいいわあ」

高度はそれほどではなかっただろうが、ムラサキさんが言うように広場の縁からは眼下にコネガイの町が一望に見渡せた。それから僕たちは木陰を探し、そこに即席ピクニックの場を広げた。ママさんがふうふう言いながら運んできたムラサキさん特製のサンドイッチや、コンビニで調達したワインにチーズにお菓子がどっさりあった。一杯だけね、というミドリちゃんや、何杯でもいいわと開き直るママさんを含め、僕たちはペーパー・カップでカンパイをした。タモツもバナナジュースを一人前に目の前に持ち上げてみせた。

みんな酔っぱらった頃にはボーリングのことをさっぱり忘れていた。タモツは広場を一人で走り回っている。誰かがこのままここで楽しもうよ、と言ったら、みんなで「賛成!」の合唱が起きた。ミドリちゃんもすでに何杯目かわからないコップを高く掲げて元気いっぱい笑っている。ママさんはワインボトルを抱えるようにして飲み続けていた。一番まともそうなムラサキさんが、それじゃあブレネリ・ゲームをやらない?と提案した。

「何よ、それ」

シマさんが上機嫌でそう尋ねると、ムラサキさんが説明してくれた。


ブレネリ・ゲームとは、あの有名な童謡「おおブレネリ」の替え歌遊びで、

おおブレネリ あなたのおうちはどこ
わたしのおうちはスイッツランドよ
きれいな湖水のほとりなのよ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ

という歌詞の前半部分を、

A おお○○○ あなたの×××は△△
B わたしの×××は□□□よ
  ーーーーーーーーーーーなのよ

に替えてAとBが順番に歌うのだ。要はAがBに尋ねたいことを歌に託して質問するというもので、その際のルールはただひとつ。Bは聞かれたことに正直に答えること、だ。後半部分はみんなで歌う。

その説明を聞いてみんな俄然やる気になったようだ。質問の順番は、今座っている順でいこうということになった。言い出しっぺのムラサキさんからということで、そうすると順番は、ムラサキさん→僕→ママさん→キンちゃん→ミドリちゃん→シマさん→ムラサキさん、ということになる。

正調をまず歌ってほしいという要望がシマさんからあったので、ムラサキさんはタモツを呼んだ。タモツはやって来ると、車座の中央に押しやられ、それからやや上を見上げるようにしてきれいな声で歌った。それを聞いて一瞬ここがスイスの牧場(この連想が間違いであることなどについて「おおブレネリの謎」を参照)であるかのような錯覚が起きたぐらいだ。最後は皆の唱和になった。

そしてゲームが始まった。

ムラサキさんは僕に趣味は何と聞くので、
僕は正直に盗み=無趣味と答えた。ムラサキさんの心を盗みたいと。
ヤッホ ホトゥラララ〜♪

僕はママさんに旦那は誰と聞いた。
ママさんはそれは怖い人だから、知らぬが仏(ほっとけ!)と答えた。
ヤッホ ホトゥラララ〜♪

ママさんはキンちゃんにそんなに額が広いのはなぜと聞いた。
キンちゃんはママのアタックが激しいからだと答えた。
ヤッホ ホトゥラララ〜♪

キンちゃんはミドリちゃんに今一番欲しいものは何と聞いた。
ミドリちゃんは星の王子様だと答えた。大人になっても子供の心を持っている人が好きだと。
ヤッホ ホトゥラララ〜♪

ミドリちゃんはシマさんに好きな人は誰と聞いた。
シマさんはそれはミドリちゃんだと答えた。心の底から愛していると。
ヤッホ ホトゥラララ〜♪
・・・

次はシマさんがムラサキさんに歌いかける番だが、シマさんは歌い出さず、みんなの合唱もそこでトーンダウンしていった。
シマさんの視線の先に、顔を両手で覆っているミドリちゃんがいた。嗚咽しているような声が漏れていた。

「ミドリちゃん、どうしたの?」

シマさんがミドリちゃんの肩に手を添えて聞いた。

「ありがとう。シマさん」

肩を大きく上下させ、溢れる涙を手の甲で拭きながらミドリちゃんが顔を上げて囁いた。その声は震えていた。

「私もシマさんが好き。大好きなの。好きで・・・」

絞り出すようにそう告げると後は声にならず、号泣した。

ママさんもかすかに涙を浮かべて唇を噛みしめるようにしていた。ムラサキさんは早ハンケチで目頭を押さえていた。僕はいたたまれなくなってきた。キンちゃんはあたりを片づけ始めた。タモツはぽつんと立ち尽くして、顔を覆ったままのミドリちゃんとそれを慰めるように隣で佇んでいるシマさんを眺めていた。

「そうね。ミドリちゃんのことはシマさんに任せて、わたしたちはボーリングでもやりに行きましょう」

ママさんのその一言で僕も立ち上がり、手早くまとめられた荷物を持って広場を後にした。
最後に振り返ると、遙かな高みで、さば雲がその陰影を濃くしていた。シマさんはその下でミドリちゃんの肩を抱いていた。でもその姿は逆光のせいで、抜けるように青い空を背景にしたシルエットでしかなかった。シマさんとミドリちゃんの触れ合う肩と肩の間から漏れた光が一瞬眩いばかりに輝いたが、それは僕の眼のせいかもしれなかった。なぜかうるむようにシルエットの輪郭が揺らいでいった。僕は前方に視線を戻し、躓かないように降りていった。もう一度広場の方を振り向いたが、もう何も見えなかった。ただ空が少し見えただけだった。

ママさんのシーマの後部座席には僕とキンちゃんとタモツが乗った。

「でもママさん、ボーリング場知ってるの?」
「そんなのそこらの人に聞けばわかるわよ」
「それより運転大丈夫ですか?」
「私は少〜し酔ったぐらいの方がいい運転できるのよ。知らなかった?」

ゆっくりとシーマが動き出した。リアウインドウを振り返るとミドリちゃんの赤いコレットが少しずつ小さくなっていくのが見えた。いつまでもそれを見ていたかった。だがすぐに曲がり道にやってきたらしく、身体が少し左に引っ張られるのを感じると、それっきりミドリちゃんのコレットは見えなくなった。僕はあきらめて前を向いて言った。

「うん。ママさん運転うまいなあ」

バックミラー越しにママが僕に微笑んだ。その笑顔が今までになく優しく見えた。

2003.10.6

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