story 10

宝石屋のカズさん

カズさんはいつも無精ひげを生やしてやって来る。
そう背は高くないが、まつげが長く、いつも濡れているように見える瞳は切れ長で、ひげさえなければ、往年の長谷川一夫を彷彿とさせる二枚目だ。ほぼ毎日アケド・スールにやって来るが、月に何度か、何日も連続で来店しないことがある。そんな時は商売で地方へ行っているのだ。カズさんの本業は宝石屋で、時折、地方の農家を尋ねて、指輪や首飾りなんかを売りさばいているらしい。そんなんでよく売れるものだと、カズさんの話を聞く度に感心する。よほど話術が巧みなのか、それともその美貌がものを言うのか、ともかく、特別な才能があるのだろうと思う。

カズさんはギャンブルなら何でもござれのタイプで、パチンコに負けたときは、仲間内で麻雀の面子を集め、そこでその負け分を取り戻したりする。そう書くと、ずいぶん荒っぽく聞こえるが、カズさんの外見はとても上品なので、急遽集められた仲間は、まさか自分がカズさんのパチンコでの負けを保証させられているとは考えもしないのだろう。一度そんな場に居合わせたことがあるが、カズさんの打ち回しはその話術と同じく、華麗なものだった。

そんなカズさんが競馬に手を出さないはずもない。週末になるとウインズにくり出し、石屋や、細工師などの仲間と一緒に、床の上に新聞を広げ、そこで半日、あ〜でもない、こ〜でもないと、専門誌とにらめっこしながら座って過ごすのだった。僕も競馬好きなので、目当てのレースがあれば、カズさんたちが居そうな場所を探して、出かけることが多い。僕に、最初に競馬を手ほどきしてくれたのは、シバさんなのだが、このころはもう、ひとりであれこれと考えては馬券を買っていた。

この世に競馬ほど難しいものは、そうはない、と僕は思うのだが、どうだろう。さすがのカズさんも、競馬で儲けた話はできないでいたようだ。それでも、カズさんはカズさんなりに考えて競馬に取り組んでいるようで、自宅におじゃましたときなど、馬場ごとに異なるラップを集計した冊子を僕に見せて、「この結果からして、新潟のダート1200mはおいしいぞ。先行前残りでほとんど決着している」などと、瞳をきらきらさせて語るのだった。でも、その横で奥さんはふくよかな苦笑を漏らしていたから、カズさんはきっと、誰にでもそんな風に熱弁をふるっていたのだろう。

ところで、ご存じだろうか。パチプロでありながら競馬もやる人間は、ほとんど皆無だということを。パチプロに競馬の話を振ると、むしろ嫌悪に近い感情が返ってくることが多い。まるで、競馬をやることは身の破滅だと言わんばかりなのだ。昔からギャンブルで二足の草鞋はうんぬんと、言い古されてはいるが、これほどの拒否反応が見られるのはいったいなぜなのだろう。彼らの言うことをまとめると、およそ次のようになる。「競馬は全くのギャンブルだが、パチンコは違う。僕らはギャンブラーではない。一緒にしないでくれ」と。でも、僕に言わせると、この拒否感情は、近親憎悪に近いと思う。それとパチンコで食っていっている者のおごりに似た矜持だろうか。もっともあり得るのが、もうすでに嫌になるほど競馬で痛い目をみてきた、というあたりかな。

そういうわけで、スールには競馬をやるパチプロはひとりもいなかった。いや、考えてみると、プロと限らず、常習的なパチンカーでありながら、競馬も常習という客はそれほどいなかったのだ。さらに考えてみれば、そもそも、競馬を長年常習的に行える人間は少ないのでは、という推測が成り立ちそうだ。このことは、よほど競馬上手な人か、他でたいそう稼ぎがある人でなければ、そう何年も続けてはいけないほど、競馬は難しい、ということを意味する。僕はだから、その点で競馬をやる希少価値が生じていると感じていた。

僕の競馬のやり方は、競馬の勝ち馬は最初から決まっている、という、だいぶうがった見方をするものだった。その方法のせいか、一週間にせいぜい1レースしか検討できず、ウインズに出かけるのは、すっかり買い目が決まってからだった。そして、僕の馬券が当たることはほとんどないくせに、はずれると、ものすごく落ち込むのだった。一週間まるまる検討に費やしてはずれてしまうのだから、本当に落ち込んでしまうのだった。それが毎週のことだから、もうすっかり恐怖症になっていて、その頃は馬券の対象レースを見ることさえ怖くてできなかった。だから、ウインズで馬券を買うと、そのまますぐにアケドに帰ってくるのが僕の通常のパターンだった。でもそこにカズさんらがいれば、最終レースまでつきあうこともあった。でも決してレースの実況中継を見ることはなかった。レース結果は、スールに帰ってきて誰かに聞かされて知ることが多かった。

ある日、目当てのレースがあって、ウインズまで買いに来ると、いつもの所にカズさんたちがいたので、僕も一緒になって床に座り込んで買いもしない次のレースの検討をしていた。僕が馬券を買ったレースが始まり、カズさんも買っているのだろう、立ち上がってテレビの実況を見に行った。僕はもちろんそのままそこに座ったままでいた。見渡すと、あれだけいた人がすっかりいなくなり、僕の周りにあるのは、床に広げられたスポーツ新聞や捨てられた専門誌ばかりだった。それでも僕はひとりでそこに座っていた。やがてレースが終わったのか、ため息に似た喧噪とともに、ひとりふたりと男たちがもと座っていた場所に帰ってきはじめた。カズさんも新聞に目を落としたまま、ゆっくり姿を現した。そして僕の方に顔を向けると、少し高くなった声で言った。

「エフタくん、2-5買ったとか言ってなかった?」

「ええ、買いましたよ」

「きたよ、きたよ、2-5。万馬券だ」

僕は爆発したように立ち上がり、財布から馬券を取り出すと、すぐにモニターで確認した。信じられなかったが、確かに当たっていた。間違いなく、僕の手に2-5,5-10と印刷された馬券があった。何も言わずすぐに払い出しに並んだ。こんな大穴を当てたのはこの時が最初で、今だにそれが最後でもある。

大きくふくらんだ財布を尻ポケットに入れながらカズさんのところへ帰ると、カズさんがさらに言った。

「こういうときは、ツラだよ、ツラ。同じ目をもう一度買うといい」

そう言われて、その気になり、言われたとおり、次の最終レースも2-5の目を買った。今まで買ったことのないほどの額を買った。僕は相当興奮していて、何も考ていなかった。

最終レースが始まった。この時は何の抵抗もなく、カズさんと一緒にテレビモニターの中継を見ることができた。終わってみると、当然のごとく、僕の馬券ははずれていた。それでも特に何も感じなかった。まだ夢見心地だったのだ。帰ろうと思って、カズさんを見ると、カズさんはシャツの胸ポケットから取り出した一枚の馬券をひらひらと振りながら、

「ほらね。やっぱりツラだ。また4枠が来たろ。今日は後半からずっと4枠が来てるんだよなあ。相手は狙っていた1枠でズバリ。1点で取れたよ。ありがとね」

と言い、ウインクしてみせると払い出しに歩いていった。ちらりと見た限りでは、その購入額が僕とは一桁違っているように見えた。

人気サイドの決着だったせいもあり、大勢の人が払い出し窓口に向かって急いでいた。
僕は腕を組みながら、自分の信じられない幸運とともに、カズさんの鮮やかな逆転一発にささやかな祝福を捧げた。

転んでもただじゃ起きないとは、カズさん、あんたのことだよ。ほんと。

僕はこみあげてくる喜びをうまく止められずに、にやにや笑いながら、カズさんを待って立っていた。

2003.8.14

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