scribbles 9

いつものように朝の行事を執り行おうと新聞紙を持ってトイレに向かった私の前に、台所から飛び出してきた妻が通せんぼするように立ち塞がった。右に菜箸を持ったままの両手を腰に当てている。

「お父さん。ちょっと聞いて」

少しふんぞり返るように胸を広げ、クチバシを伸ばしかけている。これから文句を言うときの姿勢だった。首を左に振ると火に掛けた鍋から湯気が立ち上っているのが見えた。

「どこ見とんの?」

視線を戻すと、妻は鼻の穴を広げて上目遣いのまま舌なめずりをしている。
そのとき、トイレ横にある階段から長男がアクビをしながら降りてくるとこちらにチラと視線をくれて、そのまま頭を掻きながら私が入ろうとしていたトイレに入ってドアを閉めてしまった。私は新聞紙を脇に挟んで回れ右をした。

「ちょっと、お父さんったら。聞いてっつってんでしょうが」

背後から妻がそう言い募ったが、鍋が煮こぼれそうになったのか台所にとって返したようだ。

「ねえ、父さん、これ動かないよ」

リビングに戻ると、ソファに座ってテレビを見ていた次女がリモコンをいじりながら言った。それはDVDレコーダのリモコンだった。何の因果かこの間買ってしまったのだが、その使い方を把握しているものはこの家には誰ひとりいないのだ。
テーブルでは長女がひとりで朝食を摂っている。

「それ置いときな。テレビにしなよ」

長女は次女に向かって左頬をいっぱいにしながらそう言うと、その口にもうひと頬ばり白米を押し込んだ。それでもう何も言えなさそうだった。
私はそのはす向かいに座り直して新聞を広げると、いつからいたのか、隣に母が座っていた。
厚めに切ったこんがり食パンの上に円く焼いた卵をのせ、その上から蜂蜜をタップリと掛けまわしている。母のいつもの朝食メニューなのだ。

「なんまいダブルでいただきマッシュ♪」

蜂蜜をかけ終わると、破れ目のようなシワを作りながら自ら笑って、いつものようにそう言うと静かに目を閉じ、手にしたトーストにかぶりついた。私は新聞紙をたたむとそんな母を横目に見ながら悟られないように首を振って立ち上がり、目の高さに捧げ持ったリモコンをあきらめきれずなめんばかりに凝視している次女の頭を撫でながらソファの前を横切ってサッシ窓を開け、そこにへたり込んだ。

「あれ?お父さんは?」

この場所からはそう言う妻の濁声ももう遙か遠くから聞こえるようで、仰ぎ見れば空は青く澄んで、なんとみずみずしい感じではないか。

ああ、のどけきサラセンの夢

そんなセリフがどういうわけか湧いてきて、何の理由もないのに愉快だ、愉快だ。

ピィ〜〜〜〜〜〜。

その時どこにいたのか、一声鳴いて目の前を一羽の鳥が青い空を背景に一瞬の黒い影となり、ひたすら鉛直にひたすら懸命に上昇していった。

鳥は上昇するにつれ小さくなり眩しくなり、私は思わず立ち上がり目を細めて追尾する。

おおお、ひばりだなあ

手でひさしをつくりながら、知らず知らずにそうつぶやいて、それでもどこまでも昇り続け飛び続けるその鳥を見つめている。しかしそうしているのが次第に苦しくなってきた。鳥はすでに点となり空に溶け雲に溶け、どこにいるのかわからなくなった。
空は光を増して白くなり、私の苦しみも耐えがたいほどになってきた。息ができなくなってきた。

苦しくて我慢できなくて後ろを振り返ると、妻と長男と長女と次女と私の母が、いつの間にか私の首に巻き付けたロープを、見たこともないほど真っ赤な顔をして全員で引き絞っているではないか。

あれ、どうしたんだ

そう言おうと私は必死に腕を伸ばすが、声も出ないし腕も伸びない。

ヒィ〜〜〜〜〜〜!

そのときどこかで別の鳥が一声、とりわけ甲高く鳴いたようだった。

2004.10.6

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