scribbles 5

この街には地平がなかった。
あらゆる建築物は上下方向に無限に伸びており、その側面は隣の建築物と癒着し融合していた。何らかの事情によりそうでない場合はわずかな空間の中で触手状の渡り廊下がもつれあうように互いを結んでいるのが見えた。世界のひとつの極とも思えるそんな光景を前にして私が立っているここでさえ実はある建物のバルコニーに過ぎないのかもしれず、私の足下が地面であろうという思惑は怪しいものだった。そもそもこの街に地面などというものがあるのだろうか?目の前に立っている案内係らしい男に尋ねてみようと思ったが、すぐさまこの街に案内係など存在し得ないという直観が働いたのでやめることにした。にもかかわらず私の口は独自の生き物であるかのように私の判断を無視し、その男に質問していた。

「ポロックシアターに行きたいのだが、どうすればいいのかな?」

この街に初めて着いたばかりでおそらく私は不安を感じていたのだろう。それに反発するかのようにぞんざいになった口調がそのことを証明していた。しかし少なくとも私のようなお上りさんにとってはこの街のシステムは案外親切だった。
男は過剰に丁寧な物言いで懇切に教えてくれた(私の直観は間違っていた!)。教えに従いすんなり乗ることができた乗物(この街ではこれをTC(Tube Cube)と呼ぶらしい)の中で反芻していると、ひょっとするとあの男は私がこの街に到着した時から私の後をつけてきていたのではないかしら?という直観が浮かんできた。しかしもはやあまり自信をもてなかった。

どうにかお目当ての場所に着いてみると、真正面の看板にFH(full house:満席)の文字が色鮮やかに点滅していた。それは出し物を示す看板よりも大きく目立っていた。ウッソー!という言葉をなんとか飲み込みながらチケット売り場らしき窓口へ猛然とダッシュした。

「エロキュスのチケットありますよね!?」

運良くというかどういうわけか満席だがチケットはあるというので、窓口係の気の変わらないうちにと急いで財布を取り出した。私の席番号らしきものが印字してあるチケットを手にすると、私はやっと安心したのかダッシュの間に考えついた難癖を思い出して笑うことが出来た。ホールに通じる回転ドアをくぐりながら振り返ると、私の後からもひとり人がやってきて私とそっくり同じ反応を見せながらチケットを買い求めていた。なあんだ。私は少々拍子抜けした。

ホールの中に入ってみるとスポットライトに照らされ空中に眩く浮かび上がって見える舞台があった。その舞台のまわり360度に展開している客席は薄暗くてよく見えないが、全体が差し渡し50メートルほどの円筒形をしているようで、そのままの直径でどこまでも上方に続いているようだった。

舞台ではエロキュスのコンサートがもう始まっており、彼女の歌声がホール全体を逆巻くようにうねり、共鳴を繰り返していた。その声音に私は背筋をぞっとさせそのまま呆然と立ちつくしていたが、いつの間にか近づいてきた係員のような者からチケットの提示を求められ求められるままチケットを見せると、誰かがすでに座っている一番端の席に案内され、そこに座るように指示された。えっ、と思う間もなくそこに座っていた客は私をチラと見ると立ち上がり、隣の席へ移ろうとしてくれた。今度はその隣の席の者が立ち上がり、そのまた隣の席に移ってゆく。こうしてつくられた自分の席に恐縮して座りながら見ていると、その動きがずっと続いており、要するに順繰りに席をずれていっているわけで、目を凝らして追いかけるとその動きはすでに舞台の向こう側にまで達しようとしていた。それがぐるっと向こうを回ってきてどうやら私の真上の席にまで達した時、気づけば先ほど見かけた私の後から入ってきた客が案内係に連れられてやってきて、私の顔を申し訳なさそうに見つめながら立っているのだった。

2004.8.8

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