scribbles 25

扉文~日の出、野呂山

ひりひりと空を貫く杉のかげ
霧の静寂に明るみのつぶ

 

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弘法寺へ続く細い林道を前に、ぼくたちは持参してきたカセットコンロで湯を沸かそうとしていた。

近づいてみると道の脇には雪の溶け残りが消しゴムのカスのようにこびりついている。それを気持ちほど払ってその上にコンロを置いてみると少し傾いてしまう。立ち上がって懐中電灯をつけ、あたりを照らして下に敷けるようなものを探すけど、そうそう都合よくそんなものはころがっていない。ひとりが車のトランクからジャッキの箱を持ってきたが、それはあまりに厚すぎた。

林道の先、寺があると思われるあたりの上空が照明の灯った小さな野球場の真上のように少しだけ明るく見えている。

傾斜には目をつぶることにし、ちょっと設置場所を変えてコンロの点火を試みる。ダイアルをひねるとその度にそっけなく乾いた音がする。1ミリぐらいの火花が1センチぐらいの距離を飛ぶ。でも火はつかない。コンロの持ち主はボンベを取りはずし、また取り付ける。それからもう一度。

日の出時刻までまだ1時間近くあるはずだ。寒い。上着の左ポケットにたまたまあった軍手を出して手にはめる。

何度目かにやっと低い音がして、反時計回りにひまわりの花びらのような形で青い炎が灯った。誰のものとも知れずくぐもった声が上がる。やかんを火にかけ、空いた焼酎の紙パックに入れて持ってきた水をその中に注ぐ。三人はカセットコンロをしゃがんで取り囲み、やかんに隠れて見えなくなった炎に手をかざす。少しも暖かくない。

三人連れ、四人連れの参拝客たちがぼくたちのすぐそばを歩いて寺の方へ歩いて行く。車も何台か通り過ぎた。この頻度からするとぼくたちが思ったとおりかそれ以上のにぎわいのようだ。新聞によると、弥山、黄金山、そしてここへの日の出見物客の推定合計数は四千五百人だそうで(なぜ合計するのか理由がわからないが)、それからするとここへは千人ぐらいはやってくるのじゃないか、というのがぼくたちのひねり出した見解だった。なのでスカイラインでの混雑を心配して少し早めに出かけたのだけど、なんの渋滞もなく、一時間と少しで到着した。

コンロの隣にポットを置いてその上にドリッパーを重ね、カップを三つ並べ、ドリッパーにろ紙を敷き、そこへ家で挽いてラップに包んでもってきたコーヒー豆を入れる。

しかし水はなかなか沸こうとしなかった。

二十分ほどしてさすがにしびれを切らし、沸いたかどうかちょっと飲んでみようということになった。カップの一つにやかんから注ぎ、それを口の中に少し入れてみる。ざっと六十度ぐらいだろうか。この温度はコーヒー豆からその成分を抽出するに低すぎる。少なくとも八十度は欲しいところだ。豆を持ってきた温度見役がわけ知り顔でそう言った。しかもちょっぴり酒の味が感じられた。

空の闇は我慢強く、まだなにもかもをその内懐に閉じこめていた。星すらひとつも見えていなかった。でも雨が降っていないだけありがたかった。

風が原因だと誰かが言いだし、それなら車のトランクの中で加熱しようということになった。
結果としてこれが正解だった。トランクの中でやかんに耳を近づけてみると、やかんはすぐにしゅうんという水の微粒子によって起こる摩擦音を立て始めた。それを声にすると闇の中で笑顔がこぼれるのがわかった。こぼれた笑顔が雪に消えるより早く、みんなの耳にやかんの沸き立つ音が聞こえてきた。

ようやく沸騰した水はコーヒー豆を泡立て、三つのカップを温めた。

熱いカップを両手で抱いて、コーヒーと一緒に茶色をしているはずの饅頭を頬張る。頬張りながら、もうこのまま歩いて寺まで行こうということになった。

そのとき空がほんの少し明るみを帯び始めていることに気がついた。
そのほんの少しの明るみを背景に、樹木の大きな黒い影がうっすらと直線を描いていた。
空にはやはり星はなく、何本もの樹木の影の先端は天頂の一角に集結し、溶けあい、そこで最後の闇となって、音のない咆哮をひたすら上げ続けていた。

やがてくる新しい年の最初の日の光たちはその咆哮をなぞるようにつぶとなり、空の闇を一点ずつ一点ずつていねいに穿ってゆくだろう。
夜が明けるのだ。

ぼくたちは急に立ちこめ始めた濃い霧の中、その闇を溶かし込んで漆黒をしたよな液体をふうふうと舐めながら、寺へ続く林道をゆっくりと歩いてゆく。

2007.1.3

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