scribbles 21

扉文~映画『セカンド・サークル』

朱に染めて凍える父が灯されし
じっと立ちみる瞬きもせず

 

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ソクーロフ監督は、絵を描くのにまず筆の自作から始める。
そして次に絵の具の調合だ。もちろんキャンバスの製作も忘れてはいけない。

監督はこれらの、絵画創作のための準備作業の言わばさらにその前段階にあたるような作業を、実に念入りに仕上げる。
その念の入り具合はもうなにも申し分のないものなので、その後に続くべき、モチーフの決定、モデルの選定、実技開始、などの作業はもはや問題ではなくなっているかのようだ。

そのことは本編が始まるとすぐに実感できる。
うそだぁと思うなら最初のワンシーンを見てみるがいい。
そして次に続くシークエンスに驚くがいい。

 

だから、埃だらけの部屋で青年の父親がこと切れていようと、青年が自ら履いている靴下を脱いでそれを父親の足に履かせようと、溶けた雪が水となって天井から漏れ落ちていようと、葬儀屋の女性が外套を脱ぎ捨てて罵声を上げようと、全編を貫く赤のイメジがソ連邦の解体を暗喩していようと、そんなことは二の次の話なのだ。

 

ソクーロフ監督の作り上げた一筆の出来に瞬きもせずじっと見入ること。
その筆致に見事耐えてできるだけの時間を受容のために費やすこと。
溶けて流れて観念すること。

わたしたちがソクーロフ映画のスクリーンを前に佇まうには、それだけのことを踏まえておくだけで十分だ。

 

映画『セカンド・サークル』より

2006.12.4

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