scribbles 1

かかとを上げ、両手を伸ばし、空を掻く

かかとを上げ、両手を伸ばし、空を掻く。

この私の重い身体が、数センチでいいから宙に浮かないものか。
数ミリでいいから地上を後にできないものか。

もちろんそんなことは起こるはずがないし、そうであることを承知してもいるから、見苦しいほどにもがいたりはしていないつもりだが、そう思っているのはこの私だけで、他人から見れば、私のそんな行為ほど失笑を押さえるのが難しいこともそうは無いのだろう。

何度首をひねろうといくら鼻をつまもうと、私をとらまえて離さない私の足下に広がっているのはどこまでいっても「私」でしかない。
そのごく個人的な「私」をひもとき、「私」を織りなす原材料をクオリア(qualia)と呼ぶなら、それを新たに紡ぎ手巻くことで、いつの日か「私」は「あなた」に出会えるのだろうか?

 

知覚現象 の純粋の内容、その経験の独特の「質」をクオリアと呼ぶ。(中略)歯の痛 みと、ピアノの音色を取り違える人はいないだろう。それを許さない痛みや色 の具体的なユニークさが、クオリアに他ならない。(中略)クオリアは定義上、主観的で私秘的(プライベート)なものであり、交換不可能だ。(中略)しかし、にもかかわらず、クオリアについては自他間で、ある共通理解が成立する。

ー下條信輔 Webマガジンen “見ることは信じること”ー

2004.5.4

back

Copyright (C) taka All Rights Reserved.