himatsubushi 1

FreeTown物語  Noah

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目の前をドウヴ氏が流れるように走り過ぎていった。
それは大通りにつながるT字路で、正面の信号は今にも赤に変わりそうな黄だった。正午を少しまわった時刻だった。ドウヴ氏は右折し、わたしはそれを見てすぐさま腰を上げ、思い切りペダルを踏み込んだ。左右に並ぶ信号待ちの車の列にはギアをニュートラルに空ぶかししている慌て者もいた。わたしがドウヴ氏の後を追って右折し終えるのとそれらの車が轟音を上げて発進するのとがほぼ同時だった。

ドウヴ氏はアメリカン・フォークを専門とする音楽プロモーターで、わたしは彼の主催するライブに何度か足を運んだことがあった。といってもそれはわたしが以前住んでいた街でのことであり、この街に越してきてまだ一週間に満たないにもかかわらず、わたしはドウヴ氏のことも彼の主催した数々の忘れがたいライブのこともすっかり忘れていた。しかし、わたしより遙かに若いにもかかわらず残りわずかになってしまった頭髪といつものウエスタンシャツ、そしてどこへ行くにも自転車を愛用していたドウヴ氏の容姿は一瞬のこととはいえ見間違えることはなかった。

それにしてもなぜこの街にドウヴ氏がいるのか?クレッシェンドなリズムで踏み続けられるペダルのようにわたしはその疑問を意識的に繰り返していたが、その繰り返しが形作る疑問のリングの真ん中には、この街に来て以来初めて見かけた知人に声を掛けようと思わずにはいられなくなった人並みの人恋しさがあったことを認めないわけにはいかなかった。

右折してすぐに車道の端を車の流れに遅れることなく軽快に走ってゆくドウヴ氏の背中から尻を視界に収めることが出来たが、その後ろ姿を見つめていると果たして追いつけるのかという疑念も同時に湧いてきた。ドウヴ氏の乗っている自転車はスポーツタイプで、わたしの乗っているママチャリとはペダル一漕ぎでの進行距離やそのピッチなどにかなり差がありそうだった。そのことはきびきびとはためいて見えるドウヴ氏のシャツの裾が見る見る遠ざかってゆくことからも推察できた。

わたしたちの進行方向に現れた大きめの交差点をドウヴ氏と彼を乗せている自転車が易々と横断してゆき、わたしとわたしの乗る自転車がその交差点に到着する少し前に信号が変わってしまった時点でドウヴ氏に追いつけないことはほぼ確実なものになった。わたしはやっとたどり着いた停止線の前で息を切らしながら目を凝らすと、向こうからやってくる右折車の間から切れ切れに見えるドウヴ氏の姿は交差点の彼方でもうそれとは確認しがたいほどに小さなものになっていた。やがて右折信号が消えたのだろう、目の前を車が左右から行き交うようになるとそれさえも見えなくなった。

わたしは唇を強く結ぶと、先ほどまでドウヴ氏のことなどすっかり忘れていたことを思い出し、その代わりにドウヴ氏を追いかけていたことを忘れることができるかどうか試してみた。
うまくいきそうだった。

 

 

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役所に着くと、形式だけの書類に必要事項を書き込んで該当窓口に提出し、形式だけの歓迎の言葉をもらうとそれで転入届けはすっかり済んだようだった。末舞市冠鳥居町Hの14。それがこの街でのわたしの新しい住所だった。もらった写しを財布にしまいながらまだ汚れていないカウンターに視線を落とすとその端の方に何十枚かはあるだろう積み重ねて置いてある極彩色のパンフレットに気づいたので一番上のものを取り上げてみた。

それはこの街の案内のようなものだった。

 

<位置と地勢>
末舞市はX県の南西部に位置し、本県の県庁所在地Y市から南西に約50kmの距離に位置しています。南北に30.4km、東西に14.9kmと南北に長い形状をしており、面積は284.07キロ平方メートルで本県で3番目の広さになっています。 北に名峰鳥居山を臨み、南に国定公園・蔵人海岸を擁する本市は風光明媚な田園地帯を形成しています。そして本市はその中程に位置する主通町と下多雲町を中心に国家プロジェクト“陽(ひ)”に関するわが国最初の実験都市に指定されています。 昨年の年間平均気温は13.6度と温暖であり、年間平均降雨量は1385.5ミリです。

・・・・・

<市長あいさつ>
ようこそ、末舞市へいらっしゃいました。
今年は、わが国の命運を握るであろうと言われている国家プロジェクト“陽”の実験都市として本市が選定されるという、長年の念願が叶った記念すべき年です。このことは本市始まって以来の最大の名誉かつ地域変化であり、これを末舞市のまちづくりにいかに活かしていけるかがわたしたちに与えられた今後の大きな課題となるでしょう。これを機に、これまで以上に多くの市民の皆様に健康で生きがいのある生活を送っていただけるよう、そして本市における国家プロジェクト“陽”が滞りなく成功を収めるよう、わたし自身できるかがりの努力をしていきたいと思っています。

                            末舞市長 五利 龍馬

 

市長の名前の横には見る者を妙に緊張させる表情をした男の写真が縦長の楕円形に切り取られ印刷されていた。年齢はわたしとかなり離れているか、あるいはずいぶん若くも見えた。つまり、どうとでも言えた。それがその写真から受ける正直な印象だった。あれは実は作り物なんだと明かされたとしてもそれほど驚くことではない。それはそんな写真だった。

そこに書かれているこの街の概況も楕円形の男の述べている努力目標も現在のわたしには何の興味も持てなかった。それでもわたしはそれをていねいに四つに折り、念のためウエストバッグに入れるとカウンターを後にした。

どんな国家プロジェクトよりも重大なことがわたしの鼻の前にあった。固く目を瞑っても隠しようがなく、きつく耳を塞いでも聞こえてくることだった。それは早急に何かの職に就かねば不健康で生きがいのない生活すら送ることができなくなるという事態だった。わたしにとってそれは全世界の命運を握るであろう重大な事態だった。わたしのこの事態について楕円形の男は何もしてくれそうにはなかった。もっとも何かしてくるとしてもそれを彼に頼むのはお門違いだった。

庁舎を出るとそれを待っていたかのようにたちまち吹き出してきた額の汗をぬぐい、沈みそうにない太陽を背に解決しそうにない事態を胸に抱いて、わたしはわたしの住まいとして公のものになったばかりのねぐらに向け自転車を走らせ始めた。長い道のりのはずだった。ふいにドウヴ氏の滲むような後ろ姿が思い浮かんだ。
何事も思ったようにはいかないものだった。

 

2005.6.24

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