essay/時短備忘控 4

すっと押す、ばんっと咲く

その店は繁華街の中、半地下に設けられていて、その店の上--こんな言い方があるのかどうか知らないが--半地上にもパチンコ屋があった。その半地下のパチ屋と半地上のパチ屋は、入り口が別々でその入り口の上に掲げられている店の名前も異なっていたしもちろん経営も別だったのだが、客からすればそんな差はないようなもので、下の店でやられれば階段を駆け上がって上の店に行き、上でもダメなら再び下の店に駆け下りる、なんてことをくりかえしていた。

孤高のパチプロ角刈りはこのところ上の店に居座っていた。ボクの行きつけである下の店ではそれにかわってオールバックのサメダさんが幅を利かせようとしていた。サメダさんは今ではすっかりくたびれてしまっているけどかつてはロックバンドを組んでいたそうだ。にしてはその口から出てくるのはモゴモゴとしてなにを言っているのかよくわからないつぶやきであることが多いのだが、さすがにもみあげだけはやたらに長かった。そのサメダさんはこのところボクたちを見かけるとどういうわけか気安く話しかけてくるようになっていた。だものでボクらもサメダさんがいるとつい目で追いかけたりするようになってしまってるのだが、いつ見てもサメダさんは陸にあげられてしまったクラゲのような姿勢でイスに乗っかっていて、いまにも床にくずれおちてしまいそうだった。あれでよく玉が弾けると思うけど、電動ハンドルのおかげでなんとかなっているのだろう。

そのサメダさんの友人にフカダさんという人がいた。建築関係の仕事をしているそうで、お店にはたいがい午後のおやつの時間ちかくにならないとやって来ない。まれに見る美貌の持ち主で、2000年ほど前のローマあたりでよく見かけそうなしっかりした鼻筋と奥深い瞳をしている。その下で固く結ばれた唇からはなにものもこぼれ落ちてきそうにないが、いったんその結び目がほどけるとやさしさとぬくもりを一流の技術者が一流の理論に則って音声化したような言葉が聞こえてくるのだった。そんな様子は、高校の美術室に置いてあった石膏でできたデッサン用の戦士の胸像が、残りの全身と生身の色を与えられ命を吹き込まれ、兜を脱いで街にさまよい出てきたかのようだった。

ある晩秋の夕暮れ時、重そうなコートを羽織ってパチっているフカダさんの隣に、見知らぬ女の人が座っていたことがあった。ボクたちはそれを目撃するとなぜか近づくのもはばかられる気がして遠巻きに見守っていた。女性はちょうどフカダさんと釣り合いがとれそうな妙齢に見えた。なにを言うでもなにをするでもなく、ただじっとフカダさんの台をフカダさんの隣に坐ってフカダさんと一緒に見つめ、パチンコ台の前に置かれた彫像のようにぴくりとも動かなかった。フカダさんとその女性は場違いなところに置かれてしまいちょっと困っている一対の芸術作品のような雰囲気を通路にまで漂わせながら、ボクたちやほかのお客さんや店員たちの放つ興味津々の視線を浴び続けていた。

ボクたちの見解では、あの女性はフカダさんの奥さんだろう、ということでほぼ一致を見ていた。あれほどの親密感は夫婦者でなくては醸し出せないよ、とかなんとか誰かが言ってた記憶があるが、ボクがひとりでそう思っただけかも知れない。

そのときフカダさんが打っていたのは西陣の新台、パワールーレットだった。

うろ覚えだけどこの台の遊び方を説明してみよう。
この台は役物が大きなルーレットになっていて、天横左右にひとつずつ開けられたくぼみに玉がうまく乗って中央奥の穴に入るとその下にあるルーレット上をランプがひとつ時計回りに高速で回り始める。そのとき台左横にあるストップボタンを押すとそのランプがゆっくりと停止する。ランプが回る円周の外側には1,3,5の3種類の数字が書いてあり、ランプが止まったところに書いてある数字の数だけチューリップが開く。チューリップはまん中下、左右の落とし、左右のサイドと、水平方向に全部で5つ並んでいて、ランプが1で止まるとまん中のチューリップがひとつだけ開き、3で止まるとまん中と左右の落としで計3つのチューリップが開き、5で止まればすべてのチューリップがいっせいに開く、というものだった。

このチューリップが開く時、全開の時は特にそうだけど、不思議に大きな音がした。物理的に仕方なく発生する音だと思うけど、ばんっというかなり刺激的な音だった。それと同時に台全体が少し振動した。それは一度でも目の前で体験すると忘れがたい音と揺れだった。

ランプが5で止まれば都合がいいのだが、5の数字は少ないのでランダムにストップボタンを押していたのではなかなか5に止まらなかった。しかし実は5の数字は狙えたのだ。ストップボタンを押してから止まるまでのランプの進行数がいつも一定だったことに加え、ランプの回転速度が目にとまる程度だったからだ。今思い返すと1秒間に2周するぐらいの速さだったのじゃなかしら。

ボクたちはランプが回り始めると左手をストップボタンに添えてランプの周回を1,2,3,1,2,3・・・と一所懸命に数えながらタイミングを計り、しかるべき場所でボタンを押していた。それで全部が全部5で止まるというわけにはいかなかったが、ある程度の達成感を得ることができるだけは5で止まっていた。

しかしフカダさんはボクたちと違っていた。
ルーレットが回り始めるとフカダさんは即座かつ優雅にボタンを押すのだ。ボクたちみたいに頭を小刻みに振りながらタイミングを取ったりしない。隣人の肩についているホコリを払ってあげるぐらいのさり気なさでストップボタンに触れる。それでいて成功率はボクたち以上なのだからなにか魔法を見ているような気がしたものだ。フカダさんにそう感想を述べると、ランプを見ているだけだよ、とさも当然のように言ったのにはもう一度驚いた。それはあの速さで回っているランプが1コマずつ見えていることを意味していたからだ。ボクたちには1周ずつがやっとなのだ。動体視力の分解能が違いすぎる。

それにこの機種はランプの明るさに台毎の違いがあって、色の薄い台はボクたちには狙えなかったけどフカダさんにはそんな差はないようだった。どんなにランプの見えにくい台でもフカダさんは易々と5を灯していた。

すっとボタンを押して、5つのチューリップをばんっと全開にさせる。

パチンコを芸術にまで高めるにはこれぐらいのことは簡単にできなければならなかった。そのうえフカダさんの場合本人自身もそれだけでまるで芸術なのだから何をか言わんや!

その日、フカダさんは女性を隣にしてもいつものようになにげなく撫でるようにボタンに触れ、いつものようにチューリップを全開にさせていた。

フカダさんがトイレに立った時、ボクはダッシュして近づき尋ねないではいられなかった。

「あの人、誰なんです?奥さんですか?」
「ぼくも知らないんだ。なんなんだろう」

そう言ってうつむいたまま苦笑いして手を洗うとフカダさんはそれ以上なにも言わず元の台に戻っていった。そこでは件の女性も先ほどのままの姿勢で坐っていた。

後日みんなで出した結論は、あの女性は誘蛾灯に集まる虫のようにフカダさんの美貌に惹きつけられ隣に坐り続けたのだろう、ということだった。あれからフカダさんは彼女を相手にすることもなくあの台を打ち止めにすると帰って行き、彼女はその後を追った。お店を出て二人がどうなったかは誰にもなにも言えなかった。

あの日以来、人が違えばその歩む道もまた違う、というあたりまえのことがボクたちの間で本当にあたりまえのこととして共通認識された。

2005.11.6

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