essay/時短備忘控 3

薄紅色の唇

閉じたチューリップに玉が入ったときの感触には忘れがたいものがある。
もちろんチューリップにもいろいろなものがあって、それぞれにその感触、印象、感度などがあるけど、なかでも当時の西陣のそれは素晴らしいものだった。

花びらの色は少しピンクよりのオレンジで、表側には単純な白い描線が丁寧に彫られている。形状は内側はストレートラインで、外側は中程は太く先にゆくと細るように直線で角度がつけられている。花びらを包むようなガクの部分は2片の花びらの隙間を隠すように三角形状をして上に伸びているが、花びらをすっかり隠しはしないから、上方の隙間が少し見える。その隙間は玉の直径(10.5ミリ)よりやや狭いらしく、命釘を通過してきた玉がチューリップに入賞すると、玉はその隙間に受け止められたようにそこにほんのしばらくの間停留する。その様子は、女性が銀色のサクランボを薄紅を差した唇にくわえて甘えているかのようだ。

しかし銀色のサクランボは唇を蹂躙してその奥にまでもぐりこんでゆく。それを唇は、仕方ないわね、とでも言いたげに、蛇が鶏卵を飲み込むような案配でゆっくりと許容し、玉をすっかり飲み込んでしまうとそれでようやっと屈服したのか、チューリップが大きく花開く。

その一連の動きは艶めかしくて、キンちゃんではないが、鉄とベニヤの塊に過ぎないはずのパチンコ台がどうにも愛おしく感ぜられるから不思議なものだ。

チューリップはその後変形を続け、フィーバー機が登場するとついにアタッカーに姿を変えるのだが、そこからはもうこんな情緒的な感触を得ることはない。ドバッ、ガバッ、ジャラジャラッ!!愛情の対象はもはや違うものに変わってしまったのだ。

時とともに移ろい、やがて消えてしまったパチンコにまつわるもろもろのものたち。そんなものたちを今後もここでは取り上げていきたいと思います。

だからというわけでもないけど、パチンコの変遷を少しまとめておきます。

パチンコの変遷(1948~2004)
1948(昭和23年)9月、風俗営業等取締法(風営法)施行
貸玉料金1個1円と決まる
1949(昭和24年)正村ゲージ登場(正村竹一氏考案)
1950(昭和25年)貸玉料金1円から2円へ
1952(昭和27年)菊山徳治氏考案の連発機が出現 (第一期黄金時代)
1955(昭和30年)3月、連発式禁止 4月、大不況時代に突入 オール20も禁止
パチンコ店激減
1957(昭和32年)役物登場  上昇機運
1958(昭和33年)玉の自動補給機開発(竹内幸平氏(竹屋初代社長))
1960(昭和35年)チューリップ登場(成田氏考案) (第二期黄金時代)
1961(昭和36年)換金システムの原点となる大阪方式がスタート 発案は水島年得氏
1966(昭和41年)3月、役モノなどで機械基準が緩和
これによりチューリップの全盛時代へ突入
1969(昭和44年)3月、風営法改正による規制緩和 その結果、連発式復活
ただし発射速度100発/分以内、出玉15個以内
1972(昭和47年)貸玉料金2円から3円へ(警察庁)
1973(昭和48年)4月、電動式実施(ドクター中松氏考案)
1978(昭和53年)貸玉料金3円から4円へ(国家公安委員会)
1979(昭和54年)パチンコの日「11月14日」を制定 インベーダーゲームが空前の大ブーム
1980(昭和55年)三共のフィーバー機登場 (第三期黄金時代)
1981(昭和56年)2月、平和の羽根モノ第1号機(ゼロ戦)が登場
6月、アタッカー開放時間30秒、10回までに規制 保留玉数4個までに
1984(昭和59年)アタッカー開放時間15秒10カウント付きに規制。
1985(昭和60年)新風営法(風適法)施行 出玉1300発
1988(昭和63年)10月、プリペイドカード発行会社が発足
11月、連チャン機ブーム到来 パチンコ必勝ガイド創刊
1989(平成元年)8月、プリペイドカードに反対する業界団体が政治家に献金攻勢
9月、史上初の液晶表示機、ブラボーエクシード(平和)登場
1990(平成2年)4月、第三者発行型パチンコ用プリペイドカードが市場に登場
8月、出玉上限が1300個から2400個へ
10月、風営法一部改正による「新要件」施行(デジタル(10R→)16R/羽根物15R、小当たり確率の変動(アップ)、極端な釘曲げ禁止(一発台消滅)など)
(第四期黄金時代)
1991(平成3年)1月、新要件対応機種登場
9月、史上初のカラー液晶搭載機種、麻雀物語(平和)登場
1992(平成4年)8月、CR機登場 9月、Fパワフル(三共)登場
1993(平成5年)5月、CR花満開(西陣)登場。6月、綱取物語(平和)登場
10月、連チャンを仕組んだとして平和に捜査の手(ダービー物語事件)
この後業界は連チャン機自粛の方向へ 時代はCR機へと急速に移行
1994(平成6年)6月、CR黄門ちゃま2(平和)登場
「旧基準(確変1/3、2回ループ)」CR時代到来
11月、初の時短搭載機、エキサイトレディー2(ニューギン)登場
1995(平成7年)8月、CRギンギラパラダイス(三洋)登場
偽造カード問題深刻化
1996(平成8年)4月、CR大工の源さん(三洋)登場
9月、業界による連チャン現金機自主規制実施
10月、日工組内部での取り決め(内規)改正 CR機に5回リミッターを付加
「新基準」時代
1997(平成9年)自主規制による社会不適合機の撤去によって売り上げ激減
檄文が全国のホールに郵送される(?)
1998(平成10年)「新基準」機不人気 市場規模さらに縮小
1999(平成11年)1月、内規が改正される いわゆる「99年基準」(リミッター撤廃など)
12月、数珠繋ぎ連チャン機登場
2002(平成14年)6月、内規改正 大当たり確率1/320→1/360、時短100回など
2004(平成16年)7月、内規改正 大当たり確率1/360→1/500

参考サイト

・都遊協HP内沿革・年表1及び年表2
風適法
ぱちんこ屋日記
超パチ入門/新規則・新内規
POKKA吉田のピー・ドット・ジェイピー

参考書

・パチンコ必勝大図鑑(白夜書房、2000年2月27日発行)

2005.7.7

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