essay/時短備忘控 2

芸術への道

その日は朝から雨が降っていた。そのせいか夕刻近くになっても客足は伸びず、そのシマでボクは一人だった。通路寄りから3番目の台で黙々と玉を弾いていた。

「パチンコを芸術にまで高める!」

などとうそぶきながら同じ頃からここに通い始めた同じ学校の同じ美術部の連中も今日は誰一人来ていなかった。連中といってもボクを含めて3人ほどだ。こうしてひとりで台を前にし、淡々と右手親指を動かしていると、キャンバスを前にしているときとそれほど違いはないな、と思った。あるいはそう思うことで部活をさぼっている言い訳にしたかったのかもしれない。

ぶっ込み弱めに打つと、玉はジャンプし、天釘の上に乗ったと思うと、その真ん中の隙間からその真下の天穴へすっと落ちてゆく。全部が全部そうなるわけではないが、徐々に玉は増えているから上昇気配にはあるはずだった。

天穴に入った玉はそのまま盤面中央の役物へ移動し、役物の中のちょっとした飾りをほんの少し動かすと左奥へと消えた。すると盤面左のチューリップが音もなく咲き、盤面中央役物下に上下2連で配置されているチューリップがそれに遅れることなくほころびる。ついでにボクの顔面もパッと明るくなったはずだ。
チーン チャラチャラ

ここが肝心。上下2連のチューリップは、玉が上のチューリップに入ると自身は閉じるが下のチューリップを開ける仕組みになっているのだ。だから両方が開放しているときは下のチューリップから入れるとその分だけ得することになる。

といっても店だってそんなこと百も承知千も合点だから滅多なことではうまくいかないようになっている。上チューリップを閉じることなく、下チューリップに入れること。そのためにはぶっ込み狙いではなく、ごく弱めに打ってハカマ釘方面から玉を寄せてやる。ま、言うは易く行うは難し。

そんなことを台と会話していると、盤面ガラスにおっさんの顔が映っていることに気がついた。知らないおっさんだ。おっさんの顔は動くことなく正面を向いている。このシマにはボクの他には客はいないはずだから、おっさん、この台を見ているのだ。いつからああして見ていたのか。

外ではまだ雨が降り続いているのだろうか、おっさんの着ているグレーのジャケットは肩のあたりからこのところの広島打線のように湿りがちに見えた。しかし白いものが目立つ頭髪はていねいにすかしつけられていて、しっかりして見える顔の造りと相まって、フランスの俳優ジャン・ギャバンを思い出させないではいなかった。


Jean Gabin

しばらくそのまま、おっさんは背後に立っていた。ボクは盤面と盤面に映るおっさんの顔を交互に見やりながら次第に緊張が高まってゆくのを感じていた。見知らぬ誰かが後ろに立っているのはいやなものだ。そのときおっさんが思いがけず俊敏な動きでボクの方へ歩み寄った。そして腰をかがめると、そのギャバン顔をボクの顔に近づけ、盤面を見つめたまま渋い声で言った。

「村へ来るか」

それを聞いてボクはたちどころに理解した。

スカウトだ!

噂にも聞いたことはないけど、きっとどこかにトラの穴のようなパチプロ養成所があるのじゃないか、いや、あるのだ!ボクたちだけじゃなかった!パチンコを芸術にまで、至高のものにまで高めようとする団体が、やはりあったのだ!そこのスカウトマンが今日というこの日、このボクに目をつけ、誘っている!そこにボクが入れるのだぁ!!

「もちろんです!」

その養成所はどこにあるのか、費用とか必要なのか、などなどのもろもろの質問を押し殺し、これ以上ないまでに緊張を高めながら、間髪入れずそう答えると、ボクは打つ手を休め、スカウトマンの方を振り返った。
しかしスカウトマンはのんびりとした調子で言った。

「そうは見えんがのぅ。さっきから見とったが、よう入りよる」
「ムラなんかなかろう。ええ台じゃな」

そう言うと腰を伸ばし、このシマをゆっくり歩き渡り、通路に出ると左に曲がって姿を消した。

ボクは黙ってその背中を見つめていた。おっさんの顔はよく見るとジャン・ギャバンというより左卜全だったし、その声は渋いというより痰でも絡んでたみたいだった。
そうか。ムラは来るか、と言ったのか。


左卜全

パチンコから芸術へ至る道は思いの外険しかった。

2005.6.13

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