essay 21

手にすること 〜国家ら始める 3〜

前回指針にしようとしたウイルスの正義とは、宿主の免疫系との「阻止し阻止される」関係を通じて得られる生き延びるための戦略「適応の程度と速度の選択」にあった。

それはウイルスの側が一方的に選択することで得られるものではなく、宿主との関係性の中でつくり出される相互的選択であった。それゆえそれは、例えば体調が下降気味だとインフルエンザが発病しやすくなるように、宿主の環境が変われば、そのことが即座に反映されるような柔軟で動的なものだった。

私たちの正義もそれに似て、世界を構成するものたちのその時の力関係いかんでいかようにも変化しうる日和見的とも言えるものだが、ウイルスに習うなら、それこそが正義のもつ本質的な側面であることになる。

そしてそれは嘆き悲しむべき事などではなく、むしろ清心と緊張をもって喜んで歓迎すべき事だ。
なぜなら、この世界を構成しているのは、大国や大企業などの大きな力を持っているものたちばかりではないからだ。あなただって私だって、この世界を構成しているその一員だからだ。

すると問題は、そのことをどう意義づけるかということにある。

微小な個人として私たちはどのように正義に貢献すればよいのか?
そのために、私たちは何を手にするべきなのか?

いやあ、急いじゃいかんよ。 急いじゃあいかん。
ということで、今回はウイルスにとっては敵役である免疫系の正義が主題となる。

 

免疫とは何か?

私たちの身体には、その生体内に私たち自身に由来しない異物ー例えばウイルスや細菌などの病原菌、異種動物の赤血球などーが入ってくると、それらの活動を阻止する仕組みが備わっている。それが「免疫」と呼ばれるシステムだ。

このシステムー免疫系ーがあることは昔から知られていたようだが、はっきりと認知されたのはそれほど古いことではない(1950年代のこと)。というのも、神経系、循環器系、消化器系といった私たちの身体に備わっている他のシステムでは何らかの具体的な臓器が重要な役割を果たしているのに対し、免疫系に登場し重要な役割を果たすのは臓器ではなく、血液中の細胞群であり、さらに微細なタンパク質であるからだろう。

免疫系の働きを具体的にみてみよう。

皮膚や粘膜から異物が私たちの身体に入ってくると、まず私たちの体内を絶えずパトロールしている 好中球 が それを見つけることになる。そこに マクロファージ もやって来て両者で異物を 食べ 始める。
「ガツガツ」

マクロファージはそれでも食べきれない異物をひっつかまえて、リンパ管を通ってリンパ節に運び、そこで リンパ球 に異物を提示する。
「こんなやついました」

それを受けて、リンパ球のひとつである B細胞 はいたく刺激される。するとB細胞は変容し、プラズマ細胞と呼ばれるものになる。
「許せん!」

するとプラズマ細胞は免疫グロブリン(immunoglobulin,Ig)というタンパク質を多量に作り始める。
「うりゃあっ〜!」

そのときつくり出される免疫グロブリンは、B細胞を刺激したその異物だけと特異的に結合することができる。そして自身のもつ複数の結合部位を使ってその異物たちをひとまとめにしていく。そうして凝集した異物は活動できず、やがてそこへやってきた食細胞たち(好中球やマクロファージ)にゆっくりと始末されることになる。
「ムシャムシャ」

この免疫グロブリンが 抗体 と呼ばれるものの正体であり、そのとき異物たちは 抗原 と呼ばれる。

以上は抗体産生を伴う免疫ー体液性免疫ーについての記述だが、ツベルクリン反応や移植片拒絶反応に見られる、抗体の関与しない、食細胞やT細胞が抗原を直接アタックするタイプの免疫ー細胞性免疫ーもある。

何にせよ、 免疫反応 の機能は次のように簡潔だ。

異物を排除すること

しかしこの言い方では、免疫のもつ本当の意味を見いだせない。
興味の中心は、免疫系が異物を異物として判断している、という事態にある。

免疫系が侵入物質を異物と判断する仕組みは何なのか?
異物と異物でないものの判断をどうつけているのか?

結論から言えば、免疫系が判断しているのは「自己」かそうでないかということであり、異物は異物として判断されているのではなく、異物=「自己」ではないもの=「非自己」として判断されている。

すると免疫の本質は、異物を排除すること、というより、

非自己を排除すること=自己を保持すること

だということになる。

では、自己とは何なのか?
免疫系はどうやって自己と非自己を判断しているのか?
その判断こそが免疫系の正義にほかならない。

 

自己 とは何か?

ヒトの身体は約60兆個の細胞で構成されているが、そのすべての細胞の表面に、 HLA と呼ばれるあるタンパク質の一部( クラス1抗原 と呼ばれる)が存在している。

このHLAクラス1抗原は3種類あり、その各種類がまたいくつもの異形を含んでいる。だからHLAクラス1抗原一組の組成が個体間で微妙に異なっている。
さらにHLA分子は必ず「自己」由来のタンパク質のかけら( ペプチド )で何らかの 修飾 を受けていることがわかっている。
このHLAクラス1抗原の組こそが免疫学的な意味での「自己」を規定する旗印となる。

この旗印を読み取り、「自己」と「非自己」を判断するのが、B細胞ともうひとつのリンパ球 T細胞 の役目だ。

B細胞はその表面上に様々な免疫グロブリンIgを結合させて抗原受容体として持っており、それがHLAを判別する(下図右)。T細胞はIgの先端(V域)に酷似したT細胞抗原受容体(TcR)を持っていて、それがHLAを判別する(下図左)。どちらの受容体も億単位の異なった構造を有するタンパク質だ。


多田富雄著『免疫の意味論』(青土社)p.43より

 

以下ではT細胞が自己と非自己を判別する仕組みについて具体的に記述しよう。

T細胞やB細胞の元である リンパ系幹細胞 胸腺 に向かえばそこでT細胞になるのだが、この胸腺でT細胞はある選別を受ける。

胸腺で生まれたT細胞はその表面に様々な種類のTcRを持っているが、ここでHLA分子が「自己」のかけらで修飾されている細胞と出会わされ、自分の持つTcRのひとつでもそのHLA分子と強い反応を示したT細胞は アポトーシス を起こして死んでしまう。「自己」と強く反応するT細胞は自殺する。

さらにHLA分子が「自己」のかけらで修飾されている細胞と出会って、表面上のすべてのTcRがまったく反応することのないT細胞も同じようにアポトーシスを起こして死んでしまう。つまり「自己」をまったく認識できないT細胞も自殺する。

HLA分子が「自己」のかけらで修飾されている細胞と弱く反応するT細胞だけが無事胸腺を出て行くことができる。この選別に合格するT細胞の割合は3%ほどに過ぎない。

そのようなT細胞であれば、HLA分子が「自己」のかけらで修飾されている細胞=「自己」とは反応せず、しかもHLAが「非自己」のかけらで修飾された細胞=「非自己」と出会った場合強く反応できる可能性がある。

こうしてT細胞は「自己」と「非自己」を判別している。

「自己」を基準に「非自己」を排除する

これが免疫系の正義だと言えるだろう。

 

手にすること

免疫系がよりどころとする「自己」とは、煎じ詰めればあるかけらに過ぎなかった。
そのかけらはただの微小なペプチドなのだが、その微小なペプチドを積分するように積み重ねることで「自己」という伽藍を創出する。
そしてそれを守る。

そこには、実体としての「自己」などはなく、積み重ねられ、そのつど創出されるものとしての「自己」がある。

HLA分子の2本のらせんが、その小さな隙間に「自己」のかけらを抱いているように、私たちが手にするべきものも、おそらくそんな、あいまいとしていて、ちっぽけで、どこにも価値を見いだせないような、手にすることさえ覚束ないような、そんなものなのではないだろうか。
そしてたぶん、私たちはすでにそんなものを手にしているのだ。

自分の両手の平を広げて、目を凝らすがいい。
そしてそれを積分すること。
何か聞こえてこないか?

聞こえてきたら一緒にコーラスするがいい。
それがあなただし、その歌があなたの守るべきあなたの正義なのだ。

もちろん私も一緒にいるだろう。
ほら、ひときわ音痴なやつがいないか?
たぶんそれが私なのだ。

 

予告

免疫系を考察することで、免疫学的「自己」がどのように構成されるのかを知り、「自己」を基準とした新たな正義観を手に入れることができた。

だが庶民はますます声高に叫び始める。
それでどうしろというのだ?
コーラスしろ?ふざけるな!
怒声の合唱が鳴り響く中、頭を抱えたままやり過ごそうとする私。
しかしそんな私に見向きもせず、舞台は変わる。
大転回の次回、「見知らぬ空」。

さあて次回も奉仕、奉仕!

 

<参考図書>
『免疫学の時代』 狩野恭一 中公新書
『免疫学入門』 狩野恭一 東京大学出版会
『免疫の意味論』 多田富雄 青土社
『生命の意味論』 多田富雄 新潮社

2004.2.23

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