essay 13

感想文『ヒカルの碁』〜終わってしまった

この9月4日に第23巻が発行され、単行本『ヒカルの碁』は完結した。

少年ジャンプ誌上では今年(2003年)4月一杯で連載は終了していたのだが、その後発表された読み切り2本を載せ、この度、最終巻が発行されたのだ。

僕はジャンプを読むことはほとんどなく、 麻弥さん 発行のメールマガジンを『ヒカ碁(ヒカルの碁の通称)』に関するもっとも新しい情報のルーツとしていた。麻弥さんのこのメルマガは、その週発行のジャンプ誌上に連載された『ヒカ碁』のダイジェストとその感想を主体としたもので、とても真面目で面白く、ひょっとするとこれさえ読んでいれば、マンガの方は読まなくてもいいぐらいの出来のものだった。だから僕はこれを読むのを毎週楽しみにしていた。単行本の発行は連載時からだいぶ時間が経っており、そのころにはすっかり内容を忘れているので、同じ楽しみを二度享受することができたのだ。

そういうわけで、マンガ連載が終了したことを知ったのも麻弥さんのメルマガからだった。
この時はとても驚いて、思わず
「ほんとかよ」
と、誰もいないのに口にしてしまったぐらいだ。同時にとてもがっかりした。

『ヒカ碁』の影響で囲碁人気が沸騰し、ここ数年、少年たちの間では囲碁入門がブームになっていると聞いていたから、ストーリー展開から言えば、突然の、と言っていい連載終了には、麻弥さんも
「呆然。・・・唖然としました」
という。僕も『ヒカ碁』終了を本当に受け入れることができたのは、それから数週間してからだった。

ジャンプ編集部はなぜここで連載を終了したのだろう。これでは打ち切りに近い終わり方だ。原作のほったゆみさんの意向なのか、漫画の小畑健さんの都合なのか。それとも監修の梅沢由香里さんの嗜好?

ともあれ、終わったものは終わったのだし、終わったことに文句を言うより、まずは在ってくれたことに感謝するとしよう。

僕と『ヒカ碁』の出逢いは単行本が最初だった。
僕が下手なくせに将棋好きであることは 以前 にも言ったけど、どういうわけかマンガも大好きなわけで、本屋に寄ったときなどマンガ本コーナーで面白そうなものがないかなと漫然と見てまわるのが習慣になっている。
そこでたまたま見つけたのが『ヒカ碁』第1巻だった。

見てまわるといっても、本屋に置いてある最近のマンガ本はたいていビニールがかけてあって中を見ることができないので、お気に入りの作家名を頼りに新刊がないかを確認するぐらいで、まったく新しいマンガを買ってみようという気にはなかなかなれないものなんだけど、『ヒカ碁』は世にも珍しい囲碁マンガというだけで僕の食指を興奮させるにじゅうぶんだったのだと思う。考えてみれば、将棋マンガには、例えば『月下の棋士』(能條純一、小学館)をはじめとして、いろいろと魅力的な作品もあるが、囲碁マンガは竹本健治の『入神』(南雲堂)ぐらいしか読んだ憶えがない。ニッチというか、ともかく希少な作品であったのだ。

実際に読んでみると、手にした理由であった希少価値などアッという間にどうでもよくなり、そんなことよりも、その面白さに次の巻の発行が待ち遠しくなっているのだった。
以来4年間以上に渡ってそんな気持ちが23回繰り返された ことになる。

いったい何がそれほど面白かったのだろう。

それを考える前に、もしかして『ヒカ碁』をご存じでない方のために、まずそのストーリーを紹介しておこう。

 

ストーリー

小学6年生の進藤ヒカルはある日、金目のものがあれば売っぱらって小遣いにしようと、祖父の家の倉に忍び入る。こりゃいいと目をつけたのは古びた碁盤。しかしその盤上には何やら血痕のようなものがこびり付いていた。その時どこかから、

『私の声が聞こえるのですか?』

という声が聞こえてきた。それは平安時代の大君の囲碁指南役、藤原佐為の霊の声だった。佐為は囲碁への執着を断ち切れず、この碁盤に身を宿し、今一度現世へよみがえる機会を待っていたのだ。佐為は江戸時代にも一度、あの本因坊秀策としてよみがえることに成功していた。かくして藤原佐為は取り憑くように進藤ヒカルの意識の中に入ることで三度囲碁を打てるようになった。

当初、囲碁に何の興味も持っておらず、佐為に好きなだけ打たせてやればいい、と考えていたヒカルだが、現代囲碁界第一人者である名人・塔矢行洋の一人息子で、ヒカルと同い年の塔矢アキラに出会うことで情熱を喚起され、アキラを目指す形で囲碁に覚醒してゆく。


中学校に進学したヒカルは、家では佐為を師匠とし、外では院生として囲碁の研鑽に励んでいた。やがてプロ試験にも合格し、先を行くアキラにいよいよ追いつくぞとはりきっていたが、一方ヒカルの中の佐為は、自分の打つ機会も減り、これではいったい何のためによみがえったのか、と自問自答を続けていた。

そんな佐為にも打たしてやりたいヒカルは、インターネット上でsaiと名乗ることで、佐為にネット碁を思う存分打たしてやることを思いつく。saiはその強さ故、世界的に有名になり、その正体が話題になっていた。

そして頂上決戦が始まった。
塔矢行洋とsaiがネット碁で対戦することになったのだ。そしてsaiが勝利。

勝利の余韻の中、好敵手塔矢行洋と、三度のよみがえりを可能にしてくれたヒカルに感謝する佐為。
だがその直後、ヒカルは塔矢行洋の失着を指摘、実は行洋が勝っていたことを佐為に誇らしげに告げる。その瞬間、佐為は自分が何のためによみがえったのかを悟る。

「神はこの一局をヒカルに見せるため、私に千年の時を長らえさせたのだ・・・」

その後、佐為はヒカルに感謝しながら、成仏するかのように、ヒカルの意識から消えていった。
ウトウトしていてそれに気づかなかったヒカルは、佐為がいなくなったことに驚き、探しまわる。佐為がどこにもいなくなったことを認めたヒカルは、佐為にもっと打たせてやらなかったことを悔い、もう二度と囲碁は打たないと決心する。

プロの大手合を無断で休み続けるヒカルのもとに、中国に修行に行って帰ってきたばかりのかつての院生仲間、伊角がやってきた。

「オレのために一局打ってくれ」

一年前のプロ試験で、ヒカルとの一局を切っ掛けに崩れるように脱落していった伊角の頼みをヒカルは拒むことができなかった。自分のためじゃない、伊角さんのためだから、と自分に言い訳して打ち始めるヒカル。
だが、ヒカルはやがて涙をぽろぽろと流し始める。

『いた・・・。どこをさがしてもいなかった佐為が・・・。こんな所に・・・』
『オレが向かう盤の上に、オレが打つその碁の中に、こっそり隠れていた』
『おまえと会うただひとつの方法は、打つことだったんだ』

そんなヒカルの様子に驚く伊角。
袖で涙を拭いながら、ヒカルがつぶやく。

「伊角さん、オレ、打ってもいいのかもしれない。碁」

これをきっかけに、精神的に格段に成長したヒカルは、アキラとともに、神の一手を極めることを目標に、その長い道程をしっかりと歩み始める。

そんなある日、ヒカルの夢の中に佐為が現れる。ヒカルは夢と知りつつ、喜んで佐為に話しかけた。

夢の中で佐為は何も言わず、微笑みながらヒカルの話に耳を傾け、やがて自分の扇子をヒカルに渡すと、静かに消えていった。

ここで「佐為編」が終了する。

単行本でいえば第17巻。次いで番外編集として第18巻が発行され、第19巻から新シリーズ、「北斗杯偏」が始まる。
北斗杯は日本・韓国・中国の若手を対象とした団体戦。これが最終23巻まで続く。内容としては、韓国の天才棋士・高永夏(コ・ヨンハ)を中心に進み、進藤ヒカルが彼に挑み、善戦するも敗れるところで終わる。
佐為もその名以外出てくることはない。大人びたヒカルやアキラが魅力の一編だ。

感動的なストーリーでしたでしょう?

第1巻第1刷の発行は1999年5月5日。
第23巻第1刷の発行は2003年9月9日。
だから『ヒカ碁』は4年4ヶ月にわたり、僕を楽しませてくれたことがわかる。
監修の梅沢由香里さんも第1巻では二段なのに、第23巻では五段に昇段されている。

さて、『ヒカ碁』の魅力はどこにあるのだろう。
それは次回に。

『ヒカルの碁』
原作/ほったゆみ、漫画/小畑健、監修/梅沢由香里(集英社 平成11年5月5日〜平成15年9月9日発行)
テレビ東京・「ヒカルの碁」公式サイト

2003.9.15

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