やつあたり雑記帳…お出かけ記録

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Mar. '02

3/10 大塚 奄美料理「そてつ」 第一回島じゅうりを食べながら島唄を楽しむ会


3月10日


 大塚 奄美料理「そてつ」 第一回島じゅうりを食べながら島唄を楽しむ会

 あぁ、ついに他人のアゲ足取りで多方面に顰蹙を買っているこのコーナーでも、自分のちょんぼを公開する事になってしまった。あまり言い訳ばかりにならないように、正直第一で行くつもりですが、はてさて、ドウナルコトヤラ…。今まで被害に遭ったみなさ〜ん、適当に突っ込みメールをいただければ、名前付きで挿入しまっせぇ。

 ぽかぽかといい天気なので、だらだらと出掛ける準備をする。うちにあるコードとコネクターの類をまとめてバッグに放り込み、とっさの思い付きでディスクマンを手に取る。開演前のBGMがなんかあったらいいな、何がいいだろ、とCD棚を見渡す。
 アイルランドの島唄チーフタンズと、オレにとって世界一のシンガーであるサリフ・ケイタ、必要ないと思うけど森田師匠のCDも持って行こう。
 休憩時間のBGM用に「よいすら節」と「きんかぶくゎ」を打ち込んだYAMAHAのシーケンサーQY-70を手にとって「らんかん橋」を打ち込んでいる時間があるかなぁ、と考えてると携帯にメールが着信する。
 すわ緊急事態発生か、と見ると予約受け付け係からで「そてつの二階は宴会客に占拠されている」という。事態がまるっきり把握できていなかったオレはのほほんと、「にんげん、余裕を持って生きねばいかん、キミも私を見習いなさい」という意味の返信をして、のほほんとパソコンを立ちあげてメールをチェックしたりなどしてからのほほんと集合時間に5分おくれでそてつに着いた。
 ざっと見渡して、予想通りの顔ぶれが揃っとるな、よしよしと鷹揚に肯いて二階に様子を見に行く。
 あらま…w(・・;w…ホントに宴会をやっとるわ…。しかも思いっきし盛り上がっとる…。
 目の前が真っ暗になったまま階段を降り、状況を確認する。
 「宴会をしているのは二組」「一組は、五時くらいになったら下に移動してくれる」「もう一組は五時半くらいになったら帰るだろう」と、はなはだ悲観的な状況である。

 これまでの経緯をざっと説明すると、ひと月ほど前の練習終了後に呑んだ時に、「そてつでシマ唄ライブをやろう」という話が持ち上がった。当然、メインの出演者は森田師匠。相方に安原ナスエさんを呼ぶ事になった。また、3月13日のライブのために中 孝介くんくんと西 和美さんさんが来京するので、それに絡めた日程を組めば、絢爛豪華デラックス・ゴージャス・ラグジュアリーなイベントになるではないか。森田師匠のスケジュールを確認すると、3月17日が空いている。そてつのママに訊くと、その日は宴会の予定は入ってないからいいんじゃないの、と言う。その場で、おーし決定かんぱーい頑張ろう、となったのだがしかし。
 一日二日は平穏無事に過ぎていったものの、思わぬ所から火の手が上がった。あはは、オレだ。なんと、すっかり忘れコケていたのだが、3月17日は「小金井東小学校少年野球チーム≪小金井アトムズ≫創立二十周年記念イベント」のスタッフを頼まれていたのだ。
 悪い、準備だけして帰るわ、とメールを送ると「森田師匠の仕事が空いたので、3月10日にする」という。そりゃありがたいね、と単純に納得したオレだったのだが、実は、事態はさらに風雲急を告げていたのだ。
 こっちがばたばたしている間に「奄美郡大和村今里(安原さんの出身地)出身の東京在住者の会(以下、今里会と略)」が3月10日に宴会を予約していたのだ。しかも、当初は17日に予約を入れようとしたのを「17日に安原さんが来るなら、そちらには入場料を払って見に行こう」と予定を変更してくれていたのだ。
 その上、三時過ぎにはじめて宴たけなわだというのに「準備が大変だろうから」と下に席を移してくれるという。エライことになっちゃったな、申し訳ないな、とは思うものの、オレにとっての目下の問題は、大幅遅延と思われない範囲ではじめられるかどうかだ。

 開場は六時だから、二十分しか余裕がない。とりあえず受付で待たせるようにしてもらって、六時十五分くらいまでは時間を稼いでもらうか。しかし、受付チーフをたのんだREI-CHANが未だ来ていない。彼女の手下であるチャーハンはというと、世の不幸を一身に背負ったような顔をして受付の手順を再確認中である。…こらあかん…。
 とりあえず買い物をダイタイEマンに頼み、外に出て深呼吸をする。

 五時ちょっと前に今里会の皆さんが移動してくれる。そてつママが後片付けをし終わる頃合いを見計らって機材を二階に上げる。
 五時半頃にもう一組の宴会も片付いて、ようやく演奏エリア周りのセッティングをはじめられる。本当はすべて自宅機材を使いたかったのだが、我が家のスピーカーはデカ過ぎて場所を喰うので、出力周りはヤマトンチュの会社の備品を使うことになった。そのせいでバッグ一杯に持ち込んだコードとコネクターも、足りるかどうかは繋げてみないと判らない。
 手当たり次第に長さを合わせながら、マイクからミキサーへの接続が終わったところで、アンプからスピーカーへのラインが足りない事が判明。慌ててまたもダイタイEマンに買い出しに行ってもらう。
 今回はライブ録音をするつもりなので、一週間前に購入したハードディスク・レコーダーもセットする。こないだ一度テスト的に使ってみただけなので、果たしてちゃんと録れるかどうか…。でも、きれいに録れたらたくさんCD−Rにコピーして、売り捌いて…ひと儲けしてやる! おっといけない、つい本音が出ちゃった。
 ダイタイEマンが帰ってくる前に、ありあわせのコードを繋いでマイクとスピーカーの音量合わせをしようとしたら、おいおい、もうお客さんが入りはじめてるよ!…しまったぁ、OKを出すまで待って貰えって言うつもりが…。
 ここでさすがのオレも慌ててしまった。アンプのスイッチが入っている状態で、コードの抜き差しをしてしまったらしい。アンプの電源ランプが消えて、ウンともスンとも言わなくなる。どうやらヒューズを飛ばしちまったようだ。…だからオレは業務用は嫌いなんだよぉ…。
 幸い、ヤマトンチュが会社から持ってきたスピーカーはアンプ内臓なので、ミキサーからダイレクトに出力できる。その代わり、リバーブ・マシン(エコーを掛ける機械)に使うコネクターを使い果たしてしまうので、今回はエコーなし、と勝手に決める。あとはダイタイEマンが買い物から帰ってくれば、とりあえず形は整う。しかし、ナニか穴はないか、どこか見落としはないか、まだパニックから立ち直り切っていない精神を集中しようとする。腕組みをしたまま絡まったコード類を睨んでいると、心配したスタッフが「なんとかなりそう?」と聞いてくる。「なんとかするよ、オレは!」大見得を切ってからちらっと見渡すと、げげ、ほとんど満員でやんの。うわぁ、恥ずかしい…。なんとかゴマ化そうと、あちこちイジる振りをしていると、ダイタイEマンが帰ってきてくれた。ささっと繋げて、「はい、音が出るようになりましたよ」とスタッフ連中に言ったら、お集まりの皆様から拍手を戴いちゃった…。穴があったら入りたいよ、ホント。
 とりあえず、下まで逃げてタバコを一服。少なくとも本番中は落ち着いて働けるようにと、そてつママに焼酎を頼み、スタッフの一人を指名してマイク・チェック。ところがこのスタッフ、三線用のマイクにむかって屈み込んで「テストテスト、本日は晴天なり」とかやっている。こっちは三線の音の大きさを知りたいのだ。「いいから何か弾けよ」と言って、ちょうど目に付くところにいた太田美帆に、「ちょっと歌って」と頼む。オレの目の届く所にいたのが身の不運だと思いなさい。でもサスガだね、とっさの事でもきちんと歌ってくれる。一方の三線チェックは「いきなり弾けって言われてもなぁ」風で、まったくアテにならない。いちいち説明しないといかんのだな…。

 時計を見ると…と言いたいところだが、時計なんぞ見てる余裕はない。とにかく座敷は満員で、皆様、まだかまだかとオレを睨んでる。怖いよぉ。リハーサルに付き合ってくれた二人にOKを出し、アナウンス係に合図する。出発進行…。

 「本日は、ご来場いただきまして…」。
 型通りの挨拶で、可もなし不可もなしと言いたい所だが、はっきりいってこらあかん。このアナウンス係は、九月の森田師匠のゲイ歴五十周年記念イベントのアナウンス係として指名されているので、その試運転も兼ねているのだが、これはかなり鍛えないといかんぞ。確かに用意された台本も百点満点で三十点程度なんだけど、それをカバーする時間がなかったとは言えない。と、他人のチェックだけは厳しいオレではある。

 んで挨拶が終わる、と。さて、次はなんだろう…。
 ここでようやく気がついた。なんと、事前の打合せをまったくしていなかったのだ…。
 あほ、ばか、まぬけ、どしろーと!
 言い訳は山ほどあるし、責任転嫁はオレのもっとも自信のある技術のひとつだが、ここまで来たら素直に反省するしかない。あー、肩の荷が重いわ。

 と、ガラにもない反省をしていると、階下からでんでこでんでこと太鼓の音が聴こえてくる。森田師匠と安原ナスエさんが「いとぅ」を唄いながらの登場である。好きだなぁ、このオジサン。実は以前、埼玉県のさいたま市(旧大宮)で行われたイベントに出演した時も、客席からピンスポを当てられてのご登場だったのである。九月のイベントでこれをやりたいと言われたら、即座に却下しようとオレは固く心に誓ったのであった。あ、まずい。九月の全電通ホールは、客席拡張の為に緞帳(いわゆる舞台最前面の幕)が使えないんだった…。また悩みの種が増えた…。
 満場の拍手に迎えられて、いやしかし、お客さん達にとっては、「よっ、待ってました」というより「あぁ、ようやくはじまる」という安堵の拍手だったのかもしんない。座敷のお客さんを掻き分け、二人がステージ(つーか演奏スペース)に到達すると、またもマイナー・トラブル発覚。マイクを置いた位置が間違っているのだ。高さも合ってないし。もぉ嫌だ。
 さらにさらに、あたふたとマイクスタンドを調整しはじめる連中に注意を払うゆとりもなく、オレにとって事態はさらなる急展開を見せる。
 手元のミキサーとハードディスク・レコーダーの、入力オーバーを示すランプが真っ赤に点灯しているのだ。三線の方は覚悟していたことだが、安原さんの声量は尋常ではない。そこいらの「実力派歌手」なんか足元にも及ばないような凄い声。しかも無理な力が入っている様子はまったくない。
 人間の声というものは、身体に余分な力が入ると、却って響きも艶も力もなくなるものなのだが、この時の安原さんの状態は、「充分に溜めたエネルギーを必要な分よりもちょっとだけ多く放出している」感じで、「唄う事が幸せでたまらない」という気持ちがこちらにダイレクトに伝わってくる。
 以前、森田師匠が「ナスエ姉ぇの唄を聴くと、涙が出てくる」と言っていたが、それより「つられてこっちまで幸せな気分になる」と、オレはそう思うんだがなぁ。

 さて、ここまでお見事な失敗の数々を晒してきたが、ここでトドメの一撃という奴を白状しよう。
 なんと、オレが最初に腰を据えた位置からは、森田師匠の背中で安原さんの姿が見えないのだ。依って、唄ってない時にマイクのボリュームを落として雑音をカットするという、本番中のもっとも大切な作業がひとっつも出来なくなったわけだ。これが赤の他人だったら十年くらいはいぢめのネタにしただろうな、アハハ。<笑い事じゃないだろ。
 そういうわけで、これより先は、ほぼお客さん状態。いやぁ、いい唄ですねぇとか何とか言いつつ、焼酎を飲むのに専念する。

 およそ五十分やった「第一部」は、ご登場の「いとぅ」にはじまり、定番の「朝花節」、「くるだんど」、「俊良主(しゅんじょしゅ)節」、「一切(ちゅっきゃり)朝花節」、「上がれ日の春加那節」、「そばやど節」、「曲がりょ高頂(たかちぢ)」。ノリのいい唄では客席の「奄美会婦人部」の方が演奏スペースまで来て踊ってくれる。これは嬉しい。たんなる居酒屋ライブが一気に唄遊びの宴(うたげ)になるのだ。
 何しろ一曲一曲が短いから、とにかく出てくる出てくる。いちいちコメントしてた日にゃあ、いつまで掛かることやら。なので、自分の仕事以外はたいへん満足、と簡単にまとめておく。
 「よいすら節」、「奄美メドレー<金かぶくゎ〜正月着物(ぎん)〜夕凪節>」でいったん〆て、安原さんは階下の控え室へ。森田師匠はそのまま居残って「第二部」に突入。最前列に座っていた里アンナちゃんを紹介する。そしてはじまったのが、この日、最大の暴挙である。
 前々から「里アンナの豊年節を弾けたら死んでもいい」とか言っていた森田教室最大の変人ダイタイEマンを呼んで、「あんたに弾かせてあげる。唄ってもらいなさい」と言い出したのだ。ダイタイEマンも千載一遇のチャンスとばかりに、突然の事にびっくりして口もきけないでいるアンナちゃんに「キーはなんですか、8ですか、そうですか、それで行きましょう」とたたみかけている。かわいそうに…。そのうちアンナちゃんも諦めたか、マイクを握るとダイタイEマンのたどたどしい三線をモノともせずに唄いだす。
 …これを何と喩えるべきか…。安原さんの唄を大木に咲く満開のでいごの花に喩えてみよう。とすれば、アンナちゃんの唄は瑞々しいハイビスカスか。
 弾き終えてなお、「握手を」、「一生の思い出に記念写真を」とアンナちゃんに纏わりつくダイタイEマンに「これであんた、死んでもいいでしょ。はい、自殺用の薬」と小さな紙包みを手渡した森田師匠は、いきなり優しいおじさんみたいな顔をして「それじゃアンナちゃんに何曲か唄ってもらいましょうか」。
 哀れ、アンナちゃんは言葉巧みなヤマトンチュ(38)に巧妙にたぶらかされたうえ、強引な森田照史(57)によって六曲も唄わされたのであった。

 さらに会は続く。今度は太田美帆とヤマトンチュが呼ばれて「よいすら節」を披露する。太田美帆は、二月に入門した、つまりまだ一ヶ月しか習ってない(注1)のだが、さすがに子供の頃から合唱団に所属し、その後はインディーズからCDを出しているっつープロのシンガーだけあって、飲み込みが早いっつーか勘がいいっつーか、…まぁいいか、あんまりホメ過ぎてもナンだし。
 太田美帆が引っ込んだ後は、ヤマトンチュだけ残されて「行きゅんにゃ加那」を弾く。ヤマトンチュも含めて、みんな森田師匠が唄を付けるのかな、と思ったのだが、ここでは三味線の演奏のみ。もっとも、客席の歌詞を知ってる者は皆唄っていたけど。
 ヤマトンチュが引っ込むと、森田師匠はお客様の中から高校の同級生だという森岡英実さんを呼ぶ。持参のCDの波の音をバックに「よいすら節」をブルース・ハープで披露してもらうのだ。
 CDを渡され、「四番目ね、合図したらはじめてヨ」と言われたが、ご挨拶と言うか、MCの進み具合を見計らってじっくりフェード・インする。おお、いい入り方だ。思わず自画自賛してしまうくらい、酒を飲んでる時のオレのフェーダー・コントロールは素晴らしい。ただし、きっかけは、素面でも外してしまうからイカンのだが。
 さて、波の音が聞こえてきて、ブルース・ハープの音色が流れはじめると、それまでぎゃあぎゃあと騒いでいた酔っ払いまでがいきなり静かになる。しわぶきひとつない、とはこの事か。後で冷静に聴きかえすと、当人の言う通り「酔いがまわっている」せいでけっこう息が漏れてたりするだが、却ってそれが聴衆には「真情」としか形容しようのない何かとして伝わったのではないだろうか。
 あと一人、「川崎のチャーハン」こと+ガイ■ウジも「朝花節」を弾いたのだが、当人の名誉の為に詳しいレポートは割愛する。

 休憩の後、ふたたび森田照史&安原ナスエの再登場である(便宜上、ここからを第三部とする)。まずはしっとりと「朝顔節」から。普段、賑やか大好き、騒がしいの大好き、ローリン・ヒルなんかよりも絶対にアース・ウィンド・アンド・ファイアが大好きというオレも思わず聴き惚れてしまう。ただ、居酒屋ライブの難しいところは、こういうしっとり系の曲だと酒が入って賑やかにしてる人たちが必ずいて、しっかり聴きたい人たちを不快な気分にさせないか、と心配になる点だ。今回は、Eメールで予約してくれたり、口コミで集まった音楽そのものに興味がありそうな人たち(とりあえず、そう仮定した)を前の方に座ってもらって、森田師匠の顔見知りで「あれは賑やかな人だ」という方々を後ろの方に配置するという、あざといといえばあざとい手口を使ったのだが…。
 しかし、そういう賑やかな人たちも座に加わってもらわなくては、当初の方針である「奄美の唄遊びを再現する」というのが掛け声倒れに終わってしまう。
 じっさい、奄美のシマ唄というのが一部のレア物好きだけの興味の対象でなかった一年ほど前(そう、つい最近まではそうだったのだ!)のタナカ&奈良のライブでは、「渡しゃ(注2)をですね、腕組みして、難しい顔をして聴いてるんですよ。あれには困りました…」(タナカ氏談)という笑うに笑えない状況(オレは笑ったけど。タナカさん、ゴメン)もあったのだ。
 さて、再度登場のナスエさんの部もどんどん進み、ついに「いそ加那節」、「むちゃ加那節」で予定していた曲が終わってしまった。さぁ困ったぞ、というのは、実はこのあと、中 孝介くんと西 和美さんが到着しだい参加する事になっていたのだが、意外にとんとん拍子に進行してしまい、二人の予想到着時刻までかなり時間が余ってしまったのだ。はて、森田師匠、どないするべぇかと思ったら、「じゃリクエストして頂戴」。
 待ってましたとばかりに、それまで酒飲みに専念していた席から「徳之島一切(ちゅっきゃり)節」、「国直米姉(くんにょり・よねあご)節」といった地名を織り込んだ唄がリクエストされる。
 なるほど、そういうモンですか。たいていどこの地域でも唄われる島唄もあるけど、特定の地域に根差した(所謂)シマ唄もある、というのはよく聞く話だけど、こうして目の当たりにすると、百聞は一見にしかずと納得してしまう。
 そんなワケで、ぽんぽんと出てくるリクエストを端から唄いたおして行くのだが、第三部の始まりから既に一時間以上が経過。九時というより十時に近い時刻になっている。六時ちょっと過ぎにはじまって、休憩は二十分と少しだったから、正味三時間半近く唄いつづけている計算だ。さすがに安原さんの喉も森田師匠の三味線も疲労の色が隠せない。あ、言っとくけど、これは最初から聴いていた人だけが判る違いで、途中から聴きはじめたら、疲れた様には見えないと思うよ。
 「ホントはね、ひと休みしたいんだけど、中 孝介と西 和美が来るから、あの二人の唄を皆さんにも聴いてほしいから、ここで休みを入れると、皆さん帰っちゃうでしょ」森田師匠もなかば自棄気味だ。つづいて師匠がメインで沖縄〜沖永良部〜鹿児島メドレーの「安里屋ゆんた〜永良部ゆりの花〜おはら節」を唄う。
 「じゃあね、ナスエ姉にはちょっと休んで貰って、よしひと、ちょっと来て唄って」
 呼ばれて、なぜかもじもじしながら出てきたのはふくやまよしひと(注3)さんだ。さいたま市在住のよしひとさんは、工務店を経営する傍ら、週に一回、島唄教室を開いている。森田師匠とは古くからの知り合いで、奄美関係のイベントに出演する時はよくお互いに連絡を取り合っているらしい。以前、内々で親睦会を行った時も遊びに来ていただき、それ以来、森田教室の生徒を中心に「よしひとファン」が密かに増殖中のようだ。ファンクラブの結成も近いか?
 それはさておき、「なんで俺が唄わねばいかんかなぁ」と呟きながら出てきたよしひとさんは、促されるままに「諸鈍長浜節」、「くるだんど」、「よいすら節」の三曲を唄う。しかし、それでも中 孝介くんと西 和美さんは現われない!
 「リクエストはないかな?!」休憩終了の安原さんと「ちょうきく女(じょ)節」、「ワイド節」を唄い終えたところに中 孝介くんと西 和美さん(注4)がご到ぉ〜着ぅ。
 「はいはい、孝介、和美、いいからこっち来なさい!」ひと息つく間も与えずに「さぁ弾け、さぁ唄え」とマイクの前に立たせる。さすがに十時を廻って二割前後のお客さんが席を立たれたようだが、残ったお客さんから「待ってました!」と声が掛かる。
 とりあえず、ご挨拶に二人で「朝花節」と「よんかな節」、西 和美さんが「昔くるだんど」、中 孝介くんの「曲がりょ高頂(たかちぢ)」を唄ったところでフィナーレのお時間となる。
 再度ご登場の安原さんも加えた四人で「豊年節」、「六調」を唄い、場内総立ちで踊って(恥ずかしながら、オレも踊った)おしまい。あ、アンコールに中くんの「行きゅんにゃ加那」もあったか。まぁいいや。

 いろいろあったイベントで、裏話は尽きないし、後日譚にも事欠かないが、出演者以外は(ほぼ)シロートばかりで無理矢理やっつけたのだから、多少の事には目をつぶらないと、つぶってもらわないといかんぞ、と。むりやり自分を正当化して終わるのだった。ちゃんちゃん。


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(注1)ラジオで西 和美さんさんの唄を聴いて、その翌日にやってきたのだが、肝心の先生が不在がちで「私はヤマトンチュさんに習ってます」と広言してる。うん、まぁその通りっちゃぁその通りなんだが…。


(注2)渡し舟の船頭さんの唄。渡し(をする)者=渡者=わたしゃ、という奄美の方言独特の構文規則で理解するとよい(受験参考書か、おい)。ライブなどでは、さぁ、ここから盛り上げるぞ、という時に出てくる定番。あるいは、アンコールでもうひと騒ぎ、という時によく用いられる(漢方薬か、おい)。


(注3)もちろん漢字で書けるけど、プライヴァシー尊重の為、ひらがな表記にしました。埼玉在住の方で島唄を習いたいという方は、私が取り次ぎますので連絡して下さい。なお、その場合、必ず「ふくやまさん」あるいは「よしひとさん」とご指名下さい。


(注4)本来、この二人はJABARAレーベルから6/9発売の中 孝介くんのニュー・アルバムのレコーディングの為に東京に来たのだが、JABARAレーベルのオーナーである森田純一氏の好意によりこの日のゲスト参加となった。



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