「ぼうくうごう」

小学校の頃の話。私の通う学校から、自転車で20分ぐらいのところに
山がありました。山という名前が付く通り、かなりの大きさの山でした。

そこは、とても大きな山で木が生い茂り、山頂には県立の病院がありました。
緑がとても多いので、私達小学生にとっては最高の遊び場のひとつでした。

そこには無数の防空壕がありました。戦争中に使ったんでしょうが、
すでに閉鎖されてあって、たいていは鉄製の柵がとりつけられていました。

ただ、一部では入り口の壁が脆くなり崩れているおかげではいれる所や
柵自体が壊されて自由に入れるような場所も、多々ありました。

防空壕は、とても暗く光が奥まで届かない為、どれぐらい深くて
どれぐらい広いのか。奥にはいったい何があるかもわかりません。

当時、「はだしのゲン」というマンガ(アニメもあり)がありました。
広島の原爆を題材にしたもので、小学生の私には相当怖い記憶でした。

そんな事があったので、想像力も手伝ってかなり怖いイメージがあって
とても入るどころじゃありません。友達がたくさんいたって駄目です。

ある日、友人Aが「入ってみよう!」といいました。私達は
大反対です。当たり前です、怖いから。すると友人Aはいいました。

「サイクリング自転車があれば、明るいから大丈夫!!」

これまた当時、サイクリング自転車が流行っていました。ヘッドライトが
豪華で、5段変速や6段変速が全盛でした。後ろにテールランプがついて
単1電池8本とかで光るやつまであったぐらいでしたから。

友人の中に、そんな豪華なサイクリング自転車を持っているやつが
いたんです。そいつも乗り気マンマン。週末には決行が決まりました。

当日、10人近くが防空壕入り口に集まりました。そして、その自転車の
持ち主である友人Kが登場。夕方なので、すでにヘッドライトONで来た。
坂を下ってきたので、その明るさたるや、想像を絶していました

「これなら大丈夫だね!!」

友人Aはそういうと、友人Kを先頭にして陣形を組みます。

「いくぞぅ!!」

友人Aの掛け声と共に友人Kは自転車をこぎ始める。その明るい光を
先頭に私達9人がついていく形になりました。入り口を入ると奥は
限りなく闇ですが、自転車のライトのおかげでかなり明るい状態です。
懐中電灯を持ってくればいいのに、という知恵はありませんでした

中の通路は崩れた岩や石などでゴツゴツしているものの、特別歩けない
ほどでもなく、自転車も問題なく進みます。途中、いくつもの分岐が
ありましたが、迷うと怖いので、直進のみで進んでいきました。

5分近く進んだところで、行き止まりが見えてきた。直進してきた部分の
終着点だ。後ろを振り返ると、遠くの方に入り口の明かりが薄っすら見える。

ふい、当たりが真っ暗になった。完全な闇。え? 何? 何があったの?
まわりに友人達も騒ぎ出す。そして、それぞれが一目散に入り口へ逃げる。

私も慌てて引き返す。わずかに見える入り口の明かりを目指して。
もう、まわりなんて構っていられない。自分がとりあえず大事!!

後ろから友人Kの叫びが聞こえる。「助けて〜!」とか言っているっぽい
あんまりよく聞こえない、っていうか全然聞いてないです。ほんと。

全力疾走で入り口へ戻ってきた。どんどん帰還してくる。総勢9人。
あれ? 友人Kは? そこで始めて我に返る。あ、友人K!!

すると、防空壕の中からすごい泣き声がする。限りなく絶叫
顔を涙でぐしゅぐしゅにした友人Kが泣きじゃくりながら帰還。

「自転車は?」と冷静に聞く友人Aに対して
「奥だよ!! 置いてきちゃったよぉ!!」
と絶叫で返事をする友人K。当たり前か。

理由は簡単。最深部に到達。一同停止。当然、先頭をいく
自転車の友人Kも停止。さてと、自転車って止まったらライト
どうなりましたっけ? そうですよね、消えちゃいますよね?
はい、いい勉強になりましたね。皆さんも気をつけましょう。

みんなで防空壕を覗き込んでみる。すると、奥の方にほのかに
見えるテールランプの赤い光。ずいぶん低いところにある。
自転車は倒れているらしい。かなり奥のせいか、よく見えない。

「帰ろうか」

友人Aがおもむろに切り出す。

「僕の自転車は!!」

友人Kが慌てて聞く。

「ん〜、もう駄目じゃん。取りイケナイよ

友人K、ここでまた絶叫。

結局、全員そこに残り、友人Kの両親を呼んだ。
そこで事情を説明し、友人Kの両親と友人A、友人Kで
再度防空壕へ入り自転車の奪還に成功。所用時間30分。

私達が翌日、先生に呼ばれて叱られたのは言うまでもない。

ごめんね、友人K.....。


一つ上に戻る
一つ上に戻ります
メインへ戻る

メインへ戻ります