前々から思うのは、「嬉しい事・楽しい事・感動した事」っていうのは
「悲しい事・空しい事・寂しい事」などに比べて表現が難しいこと。
愚痴や苦情とかなら、いくらでも書けちゃう。むしろ、書いても書いても
終わらない。どんだけ書いても満足出来ないぐらい。そんな感じ。
逆に嬉しい報告とかは、全然書けない。いくら考えても、その時の
感情をそのままに表現することが出来ない。これには私の文才の無さも
深く関係しているとは思うけれど、やっぱり難しい、書けない。
少なくても私は嬉しかった事とかを素直に表現するのが苦手。
たぶん恥ずかしいという気持ちもかなりあると思うけれど。
ただ、インターネット上という性質があるから、不特定多数に
見せる分、具体的な表現や表記がしづらくなるから、余計に難しい
のかもしれない。さすがに匿名性を使わないと困ることありそうだし。
現実世界でも同じ事がある程度言えるかもしれない。実際、頭にきたり
した時や悲しい時は、泣いたり怒ったりして愚痴を言うし、叫びもする。
けれど、嬉しかった時や幸せな時って言葉にしづらい。うまく表せない。
もっともっと、嬉しい時の気持ちや幸せな気持ちを伝えたい、わかって
欲しいと思うけど、どうにも言葉に出来なくて歯がゆい思いをする。
人間ってとても不器用だと思う。もちろん、中には全てを的確に
表現できる人もいるかもしれない。でも、私はそうじゃない。
だからこそ、ケンカや意見の食い違いもあるわけだし、いがみ合い
も起きる。でも、そういう事全てをひっくるめて人間同士の付き合い
だと思いたい。最近は、そんな事をぼんやりと考えたりしていた。
世の中、インターネットとかが普及しはじめて、ますます人間同士の
触れ合いみたいなものが減り始めている気がする。中途半端に電波上
とかで知り合って、現実にフィードバックすると、そこに大きな隔たり
を感じたりして人付き合いが嫌いになってしまう人達がいたりする。
便利になってはいるけれど、なんだかこのままだと大切なものが
なくなっていってしまうような気がする。もちろん、数十年先程度の
事じゃなくて、もっともっとずっと先の事でしょうけど。
そんな事言っている私はネット上の他人の日記が好き。理由は、
他の人の日常の考えとかが見え隠れするから。日記なんて、現実世界じゃ
ほとんど見せてもらえない。なのに、不思議とネット上には日記が
公開されている。もちろん、ある程度は匿名性があるし話題もある程度
以上は踏み込まれていないけれど。私は基本的には他人とはあまり干渉
しあいたくないタイプだと思ってる。それはきっと何かあった時に
傷つきたくないのかもしれない。そういうのを怖がっているのかもしれ
ない。人が自分をどう思っているのか、実は人一倍気にしているかも
しれない。そんな気持ちの現われがネット上の日記の購読につながるし
こういうHPでの気持ちの一部公開につながっているんだと思う。
で、「思ったこと」。私の考えが正義か悪か。別にそれがどっちだって
構わない。けれど、そういう考えに対して世の中はどう感じるのか
そういう事は気にしてる。自分の居場所を探そうとしているのかも
しれない。そこまでは自分でも意識してない。だからこうやって
時々気持ちを公開する。何を感じ、何を喜び、何に怒るのか。
時にはおかしな事、間違った事を言うかもしれないけれど
それが私という人格を形成している思想だと言うことを
判って欲しいし、時には修正して欲しい。そんな気持ちのあらわれ。
これからもどうぞよろしく。